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第七話 サロン篇

「でも、俺らを閉じ込める趣味って何?」


 そのまま黙考するかと思いきや、青年はすぐに首をかしげてそう訊ねた。吸血鬼は細く息を吐きだして、しかし柔らかくゆるんだ表情のまま答える。


「閉じ込める趣味っていうか……私たちには、何事も推理する他ないけれどね。宗教信仰家がやりそうなことで考えるなら、信仰対象の模倣ではないかな。例えば、ある神話や逸話を再現したり」

「っていうと……もしかして、食堂の天井画の話してます?」


 吸血鬼は頷く。


「私たちが今わかることから考えるなら、そうなるね」

「でも、あの絵の話の再現って……、あの話の本は、ないんですか」

「ふむ、まるきり天井画の話と同様という物語は、私は見つけたことがない。この本の量だ、探せばあるかもしれないけれど……」

「あんたが見たことないなら、ここには無いんでしょうかね」

「そう思う?」


 吸血鬼に見つめられた青年は、――この男、真面目な顔してると彫刻みたいだなと呑気に思いつつ――彼から視線を外して、図書室を見回してみせた。


「そりゃ、本はいっぱいありますけど……あんた、館で暇してた時間も長かったんでしょ。それも、人間の俺には考えられないほど。それで心あたりもないわけなら、ここには無いんでしょうよ」

「へえ」


 私、なかなかに信頼されてるのかもしれないね。吸血鬼は、青年に向けて広げた本を掲げた。


「代わりに、天井画の話に関連するかもしれない本を見せたいと思うよ」

「関連……?」

「するかもしれない本」

「こっちの黒いのより、ちょっと新しいっすね?」

「うん。これは、宗教にまつわる逸話の概説書だよ。君の御両親が信仰していただろう宗教の、偉人の話が説明されている。この中に、逆十字の由来となる話が載っているんだ」

「逆十字の由来って、悪魔信仰じゃないんすか?」

「実は違うみたいなんだよね。もしかしたら聞いたことあるんじゃない? 聖ペトロ」

「ないっすね……」

「そう? ……ほら、これ」


 吸血鬼が開いたページを見れば、真っ白でつるつるした紙に、一枚の絵の写真が印刷されている。半裸の男性が逆さまの状態で逆十字に磔にされ、大勢の人に囲まれている絵だ。青年はこれを見て、あっと声を上げた。


「天井画で見たやつ」

「気づいたねぇ。君、十字架っていうのがそもそも、磔刑の道具だってことは知ってる?」

「いや、そんくらいはさすがに」

「いやあ、ごめんね、確認しただけだよ。それで、教えの祖が磔刑を受けたことから、十字は聖なる象徴になったわけだけど。この絵の聖人は刑を受ける際、自分は祖と同じ十字を背負えるほど価値ある人間じゃないみたいなことを言って、あえて逆十字を背負うことを申し出る」

「……」

「逆十字は無価値を意味する」

「なるほど……」


 青年は首を反らして宙を仰いだ。そこに天井画があるわけじゃないが、考え事をするとついつい上を向いてしまう。しばらく沈黙が続くと、どこからか、「うごくシャワー水槽号」の車輪の音が聞こえてくるようだった。いや確かに聞こえるな。結構近いぞ。吸血鬼は、頑張って思考を巡らせる様子の青年をいじらしく思いながら眺めていた。膝に頬杖をついて、その横顔をじっと見つめるのである。


「どうかな? 館の謎は解けそうかい?」

「あ、そうだ。それ考えてるんでした……」

「あら……」

「えっと、じゃあ、とりあえず、天井画の黒い人は、罰を受けてるってことっすよね。それも、すごい謙虚な感じの……、あ、悪魔信仰なら謙虚ってわけじゃないのか?」

「そこの解釈は少し難しいね」

「やだっすよ! 難しいとか言わないでもらいたいんすけど! 余計に考えられなくなる!」

「今からそんなこと言って、君、ここを脱出できるの?」

「やるしかねえからやってんすけど! あんた協力してくださいよ!?」

「してるじゃん、今まさに」

「じゃあもったいぶらずに教えてくださいよ。この本とこの本で何がわかるんすか!?」

「だからあ、……」


 吸血鬼は、青年の膝から黒い本を取り上げて閉じ、自分が持っていた概説書と、背表紙をそろえて重ねた。

 その時頭上から、ガタガタガタと喧しい音と、館を揺らすような振動が伝わってきた。


――ガタガタガタガタ、ガ、ガ、


「天井画の物語は、聖ペトロの逸話を模したものかもしれない。けれど、館の主は悪魔信仰者のようだったから、その物語の意味はまた違ったものだと思われる。ペトロは磔刑を受けて生涯を終え、結果聖人と呼ばれることになった。天井画の黒い人物を悪魔と仮定し、ペトロの逸話と比較してみれば、悪魔が逆十字で磔刑を受けて人間になることはどういった意味を持つのかな、というのが、当面の問題だよね」

「すいません」

「はい」

「上がすげえうるさいんすけど、何なんすかね」

「ああ、人魚さんが部屋に帰ってきたんだろうね」

「部屋?」

「大きい方の水槽だよ。図書室の二階の扉は、水槽があるサロンに繋がっている」

「えっ、そことつながってんすか?」


 青年は立ち上がって、二階部分の回廊を見上げた。くるりと振り返ってみれば、今まで座っていた側の二階の壁に、小さなドアが見える。サロンは、どうも館の主人が趣味の部屋かリラックスルームとして使っていたようで、二階の端っこに位置していた。図書室は一階の端で、二階まで吹き抜けになってるわけなので、なるほど、そこからサロンに直行できるというのか。


「え、めっちゃ行ってみたいんすけど今いいっすか?」

「君、仮にもレディの私室だよ」

「いいっしょ、半分魚じゃないっすか」

「都合のいいことを」


 青年は二階に続く梯子に駆け寄った。回廊に向けて垂直に伸びたそれを、両手を使って身軽に上っていく。


「ちょっと、この話やめるの?」

「休憩っすよ、行ってみるだけっすから」

「本どうしよう」

「置いといてください、後で取りに来るんで」

「置いとけっつって、君ねえ」

「きゃああああああああああああ!!!」


 青年が梯子を上りきった辺り、金のドアノブに向かって手を伸ばそうと思った所で、人魚の悲鳴が轟いた。ドアの存在なんて感じさせない必死な訴え、正に金切り声。青年の手が止まった。


「行くのやめましょうか……」

「いや、ガチのやつだったよ。何かまずいことがあったのかもしれない。私も行こう」

「人魚さんのガチとかマジ怖いんすよほんと……」

「ねえ!! 誰か!!! おい!!! 聞こえる!!!??? ゾンビちゃんが!!!」

「姉さんが!!!!????」


 勢いよくドアを開けた。押し開けてしまったが、手前に引く方だったのかもしれない。木製のドアが番にぶら下がってギィギィ鳴るのと共鳴するように、青年がたてた大きな音に驚いた人魚の、キィキィという悲鳴が響く。ボチャンと音がして、人魚が水中に潜ったのがわかった。青年から見て正面奥に構える水槽の、ガラスの向こうに人魚が現れ、青年に向かって指をさす。


「なんでそっから出てくんの!? 小僧あいつに連れ込まれたの!?」

「うっせえ! 姉さんは!?」

「なんで二人で出てくんの!?」

「人魚さん、ここは私のベッドルームではないんですよ」

「え!?」

「姉さんはって聞いてんの!!!!」


 サロンは、館の中でも比較的広い部屋である。図書室から通じるドアは部屋の最奥にあたるようで、目の前にはソファーとローテーブルのセット、右手には大きな窓が開き、ティーテーブルが添えられている。左手には、二階の廊下に通じる正規の出入り口があって、それら全てを越えた先に、人魚の水槽はあった。

 人魚の水槽はサロンのメインと言うべき代物で、壁一面にあらかじめ備えつけられたものである。水槽の上部は、下から見れば天井にくっついて見えるが、実際は天井の下に目隠しの壁がハリボテのように設けられていて、水槽の開口部を見えなくしているだけだ。壁裏の空間には餌やりのための足場があって、水槽横の階段から上がれるようになっている。そこで、人魚とゾンビ嬢がよくおしゃべりを楽しんでいることを、青年は知っていた。


「姉さん! 上にいるんすか? 一体何が……って、それ……」


 部屋を横断して水槽に駆け寄った青年は、言葉を失った。青年の目に映ったのは、大きな水槽の中腹あたりで、こちらを見つめて漂う人魚の姿である。ゾンビ嬢の姿は見えない。しかし、あのドレスの彼女の身を危ぶんで息を呑むだけの光景がそこにあった。


 人魚はゾンビ嬢の両腕を握っていた。しかし、その腕の肩から先に、体はくっついていない。呆然とした様子で水泡を吐く人魚の両手は、手錠でつながれたゾンビ嬢の両腕だけを、片方ずつ、しっかりと持っていた。

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