第六十五話 一人篇
使用人の若い女を殺した。
街の若い女を捕らえて殺した。
十代の女がいなくなったと言って、状態の良い二十代女性を連れて来た下男も、頭蓋を引きちぎって殺した。
その頃にはアナもいよいよ痩せ衰えて、三十人目を殺す手前で、祭壇に凭れて息を引き取った。70年も生きていなかった。しかし、皺だらけの質素な顔面には、生前ついぞ見ていなかった穏やかな笑顔が浮かんでいた。
ウィリアムがアナの死体を背負ってどこかへ消えた。彼はアナのことも、エリザベスのことも、心から愛していた。夫として、父として、理想的な男だった。ただ、由緒正しき貴族の当主としては、模範的とは言えなかった。
ウィリアムは、精神疾患を患ったアナを軟禁したまま放っておいたわけではない。国中を回って腕の良い精神科医を探しては、床に頭を擦り付けてアナを救ってくれるようにと頼んでいた。だが、医師らはアナに対して数日間の精神鑑定を試みると、後は揃って匙を投げるのだ。アナは、相手が医者とみると暴れ出すようになっていた。ただでさえ、殺人鬼の診察などしたくない。彼女が人を殺すのは病気ではなく、ただの趣味嗜好ではないかと言う者もいた。
彼女が心に病を抱えていることを、ウィリアムだけが確信を持って知っていた。彼はアナの様子を注意深く見守っていたからである。というのも、アナはエリザベスに殺人を頼まれるようになると、気分の落ち込みがなくなり、精神的に安定するようになったのだ。食事も少しずつとるようになった。エリザベスに頼まれて殺人を犯すことで、徐々に健康になっていくアナを見て、ウィリアムはついに少女たちの無惨な死体から目を背け、二人を自由にさせることにしたのだった。
アナが祭壇の前でこう呟くのを聞いたことがあった。
「ごめんね。綺麗に産んであげられなくて」
ウィリアムは知った。アナは、母親としてエリザベスを救ってやれなかったこと、何もしてあげられなかったことを悔いていたのだ。その後悔が彼女を狂気に陥れたのだと、精神科医の分析を待たずともウィリアムは理解していた。ウィリアムの目には、それが母の愛であると映った。だから、ウィリアムはどうしても二人を止められなかったし、仮に止めようと思ったとしても、医者ですらないただの老父には不可能だった。
さて、アナとウィリアムがアドラー家の屋敷からいなくなると、エリザベスはいよいよ好き勝手に振る舞い始めた。その頃、リアムは全寮制の学校に入って、休みの日も決して家に帰って来なかった。リアムは、母に好いてもらおうという働きかけを、もうしなくなっていた。家にいると、母の狂気が自分に伝染してしまうと思っていた。
一人になったエリザベスは、まず少ない人手でも少女を殺せるようにと考え、特殊な拷問器具を作らせた。それは、人一人が入れるクローゼットのようなもので、扉の内側には棘が生えている、所謂「鉄の処女」である。
力づくで少女を攫える男手は減ったので、狙いをつけた少女を薬で酔わせて器具の中に歩み進ませた。
鉄の処女の床には血液を流し通す動線が掘られていて、エリザベスが浸かるバスタブのシャワーに繋げている。肌を移植するなら十代の女性のものでなければならないが、血液ならば二十代の女性のものでも効果があると考えた。フレベリンに言われた訳ではない。エリザベスが経験則からそう思った話だ。
館にひとりぼっちになって一年が経つ頃、エリザベスは「氷の美女」と呼ばれるようになった。ただの美女とは呼ばれない。表情筋が氷のように凝り固まった、顔の造作が美しいだけの、死人のような女である。




