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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
記録:不死の美貌・エリザベス
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第六十一話 リアムの誕生会篇

 それはリアムの九歳の誕生日に起きた出来事だった。


 その日、アドラー邸では、親しい他家の貴族や親戚筋の者を呼んで誕生日パーティーが行われていた。そのパーティーの最中、同じ年頃の従兄と軽くじゃれあっていたリアムが、近くにあったワイングラスを倒してしまったのだ。こぼれたワインはリアムの服だけでなく、新人使用人のルーシーの服まで汚してしまった。リアムつきの使用人がリアムの服を着替えさせる間、ルーシーもまた使用人室へ戻り、新しい服に着替えることになった。


 そうして使用人室に戻る道中、ルーシーとエリザベスは廊下でばったりと出会った。リアムの誕生日パーティーの主催は名目上リアムであるが、実質の主催者はエリザベスである。本来なら、エリザベスはパーティー会場を一時でも離れるべきではないのだが、彼女はこころところ体調が優れず、時々会場を抜け出して休憩を取りながらという形で、パーティーに参加していた。体調不良の原因は、心労であると言われている。


「奥様。パーティーに戻られるのですか? お体の方に無理はございませんか」


 廊下で主人と使用人が出くわせば、使用人は黙って一礼して道を開けるのが正しい作法だったかもしれない。しかし、ルーシーは、エリザベスに一言声を掛けずにはいられなかった。リアムつきの使用人であるルーシーには、エリザベスと言葉を交わす機会が少ない。だからこそ、偶然舞い込んできた会話のチャンスには飛びつきたかった。ルーシーは、使用人になる前からエリザベスに憧れているのだ。


「ルーシー。……どうしたの、その服」


 エリザベスは、ルーシーの問いかけには答えずそう言った。


「これは、お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。その……パーティーで、ワインをこぼしてしまいまして」

「ゲストの服にはかけていないわよね?」

「もちろんです、奥様」


 パーティーの主役の服にはかかってしまったが……それを言うと、ワイングラスが倒れた経緯まで話さなければならなくなる。ルーシー自身が直接仕えるリアムが、母親に咎められるようなことがあってはならないと思った。ここでルーシーが誤魔化したとしても、リアムが服を着替えているのを見れば、すぐに何があったか勘づかれてしまうかもしれないが、そこはまあ、ルーシーの優秀な先輩たちがどうにかするだろう。


「そう、ならいいわ。早く着替えていらっしゃい」

「は、あっ、お待ちください奥様!」


 行き違いかけたエリザベスが、足を止めて振り返る。ルーシーはエリザベスを思わず引き留めてしまったわけだが、エリザベスと再び目が合った瞬間、我に返って焦った。


「あっ、いえ、わたしったら! すみません、何でもないんです!」


 両手を振って発言を取り消そうとするルーシーに、エリザベスは微笑みこそしなかったが、口調は穏やかだった。


「何か言いたいことでもあったんじゃないの?」

「そんな! ……あー、実は、以前から奥様にお訊きしたいことがございまして。でも、ちょっとしたことですから」

「あら、聞かせてもらうわ。使用人の声は聞き逃さないのが良い主人だと思うの」

「そんな! 使用人の声という感じでは……! えー……その……お許しくださるなら、では……。奥様は、どうしてそんなにお美しいのですか?」

「……」


 エリザベスは逡巡するように視線を逸らした。ルーシーは慌てて言葉を続ける。


「いえ、奥様の美容法を習いたいとか、そんな大それたことを思っているわけではなくてですね! 純粋な疑問というか、なんというか。……わたしはアドラー領の出身なので、ずっと、奥様のことが憧れだったんです。だって奥様は、信じられないくらいお綺麗なんですから」

「わたくしが綺麗なのは、わたくしの努力よ」


 エリザベスがルーシーに答えたのは、それだけだった。それでも、その端的な答えがルーシーには「美しく強い女性」の象徴のように思えて、ルーシーは感嘆のため息をこっそりと溢した。

 それよりも、と、エリザベスは話題を変えるような口調で言った。エリザベスの細い指先が、ルーシーの頬に向かって伸びてくる。人差し指が白く瑞々しい肌にそっと触れた時、エリザベスから発された言葉を聞いて、ルーシーは予想よりも話題が逸れていないと思った。あのエリザベスが、こんな一介の使用人と雑談を続けようとしてくれているのかと感動さえした。


「それよりも……あなたの若々しい肌の秘密の方が知りたいわ。若く美しい肌というものは、どうやって作られるものなのかしら」

「……え、えっと……、どうなんでしょう? なんたって、わたしは、まだ若いですから……」

「アレも……『若い肌は若者特有のもの。加齢と共に、美しい肌を作る機能は失われる』と言っていたけれど……。その若い肌を作る機能とやらを再び付け加えれば、わたくしだってもっと美しくなれるはずじゃない?」

「そんな、奥様は今でも十分お綺麗です!」


 エリザベスがルーシーの瞳を覗き込んでいた。ルーシーは、エリザベスの目から発される魔力に囚われたかのように、そこから視線を逸らせない。その魔力の色は、闇のように暗くて、黒煙のようにルーシーを舐りながら広がっていくように感じた。


「わたくしのことがそんなに綺麗に見えるなら、今度一緒に、秘密の美容法を受けてみるかしら? その代わり、若い肌を作る機能を、わたくしにも分けて」


 ルーシーには、エリザベスが言う言葉の意味がよくわからなかった。けれど、エリザベスの口から耳の奥に直接響いてくるような声のせいか、頭の中を支配する黒煙にただ頷けばいいのだと囁かれたような心持ちになり、ルーシーはその黒煙の言う通りにエリザベスに答えた。


「仰せの通りに、奥様」


 そこへ、パーティー会場の方から激しい怒号が轟いてきた。ゲストに呼んでいた、他家の貴族の主人の声だ。遠く離れたこの場所からは、その怒号の内容を全てはっきりと聞き取ることはできなかったが、中でも一際大きく轟いた端的で悲痛な叫びの言葉なら、なんとか聞き取ることができた。

 それというのも、こうだ。


「娘を返せ!!!!」


 エリザベスはパーティー会場の方に顔を向けると、目を眇めて小さく息を吸い込んだ。それから、穏やかに息を吐きつつルーシーの頬から指を離した。


「着替えてきなさい。仕事が溜まるわよ」

「は、はい、奥様」


 二人は廊下を逆の方向に進み始めた。ルーシーは使用人室、エリザベスは混乱のパーティー会場へ。

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