第五十八話 娘にとって幸せなこと篇
変わり果てた娘の姿に、アドラー領主ウィリアム・アドラーは口をあんぐりと開けた。しかしその変化が、本当に妻が言うように悪いことなのか、はっきりと判断できなかった。
「エリザベス……綺麗になったな」
ウィリアムは震える両手をエリザベスの頬に当て、過酷な手術を乗り越えた愛しい娘を労わろうと思った。しかし、その愛の籠った手を、エリザベスは冷たく払い退ける。
「触らないで、お父様。何があるかわかりませんもの。崩れるかもしれない」
「あっ、ああ、そうだな……」
自分が不用意に触れたせいで、愛娘の顔面が崩れてしまう。そんな恐ろしい想像をして、ウィリアムはすぐに手を引っ込ませた。
「しかし、無事に帰ってきてくれてよかった」
そう言って微笑むウィリアムの背後では、苦々しい表情のアナが中央階段の陰に立ってこちらを睨んでいた。エリザベスは髪を背中に払う仕草で母の厳しい視線を受け流し、去り際に父へ微笑みを向けた。
「ありがとう、お父様。わたくし、本当に美しくなって帰ってきました」
§
「わからないのだ」
医師フレベリンの診療所は既に営業時間外であったが、この特別な客人のためならば仕事を続けないわけにいかなかった。
この客人の娘の顔面に手術を施したのは一週間前のことであった。それから、昨日に至るまでエリザベスは顔に包帯を巻いたまま、この診療所に入院していた。今日、顔の腫れが引いたエリザベスはアドラー邸に帰り、一般に美しいと呼ばれうる造形になった顔を両親に見せただろう。それを受け、父親の口からどんな苦情か罵詈雑言が飛び出してくるかと恐れたが、実際にフレベリンが聞かされたのは、「どうしたらいいのかわからない」という、純粋な父親の悩みであった。
「妻は怒り心頭で、エリザベスが無事に帰ってきたというのに一言も話しかけようとしない。エリザベスだけじゃなく……ああ、私のはっきりしない態度が気に入らないのだろう、私とも口をきいてくれないのだ。妻の意見も十分にわかる。先生には悪いが、確かに生まれ持った顔の形を変えるなんて神の意志に反している。人がやっていいことじゃない……ああすみません、こんなことを言っていますが、先生の気を悪くさせたいわけじゃないんです。私は本当に、あなたに感謝をしているんです」
ウィリアムの言葉に、フレベリンは少しだけ面喰った。眉間に皺を寄せたまま一度目を閉じ、低い声で「私は、お嬢様のご依頼にお応えしたまでです」と答えた。
「そのことこそを、感謝しているのですよ」
「……」
「手術を終えて帰ってきてから、エリザベスは明るく笑うようになった。社交会からこっち、笑顔どころか、気を沈ませてまともに食事すらできなかったあの子が。だから先生、いくらそれが神に逆らうことであったとしても、あの子が幸せでいられるなら、それでいいと思ったのです。あの子を笑顔にしてくださって、先生、ありがとうございます……」
ウィリアムの言葉は、フレベリンの中に少なからずあった罪悪感を払拭していった。彼の行動の免罪符は、今まで「貴族令嬢に頼まれたから」というものしかなかったが、ここで「領主にも感謝されている」という事実が加わった。
ウィリアムはフレベリンに頭を下げていた。しかし、その拳は苦しげに握りしめられている。
「ですが、先生、感謝の気持ちは本当なのですが、妻のこともあり、神の御前のこともある。私はこの度の善悪の判断に未だ迷っているんです。この情けない男にわかっていることがあるとすれば、これだけは確実にしておかなければならないというものが一つある。すみません、先生。あの手術は、娘の体にとって害のないものなのでしょうか?」
唯一、ウィリアムがフレベリンに厳しく確認をとった事は、エリザベスの健康についてだった。フレベリンは父親としてのその判断を限りなく正しく思い、ウィリアムに向けて力強く頷いた。
「ええ。お嬢様のご健康は、このフレベリンが心を尽くして観察して参ります」
今回、エリザベスの顔のパーツにおいて手を加えた場所といえば、目の大きさと輪郭だけであって、エリザベス本人がこれから幾程顔を変えるつもりであるか、フレベリンにすらわからないこと。彼女から伝えられる一切の要望に、フレベリンはその好奇心のみで応えていくつもりであること。
今回の手術に際し、麻酔が切れた激痛でエリザベスがどれほど苦しんでいたかなど。
ウィリアムに伝えるべきではない話は沢山あるように思えた。




