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第五十三話 覚悟を決めろ篇

 ――もし、この鍵のかかった日記の中に、大広間からこれを持ち出して以降の出来事が書き足されていたら。

 例えば、「セレーンの日記を読んだ」出来事が書き足されていたら、吸血鬼の仮説はひとまず正しいことになるだろう。


 その仮説とは、極夜の館に閉じ込められたモンスターたちの半生を記したこの四冊の日記が、この世の条理が通じない存在によって書かれたものであるという考えである。


 いや、この世の条理が通じない存在って、吸血鬼の身で馬鹿なことをと言われるかもしれないが。人ならざるものの身で、何を恐れることがあると言われるかもしれないが。

 事実、吸血鬼には、本を開かずに中身を書き足すような芸当はできない。ミカはもちろん、ゾンビのエリザベスにだってできないだろう。モンスターの中には人知を超えた力を持つ者もいるが、それは怪力であったり、不死身であったり、羽が生えて空を飛べたり、別の動物に変身したりできるような、限界を決められた「能力」なのであって、決して「魔法」が使えるわけではないのである。

 自らの意思を際限なく実現するような力を、吸血鬼たちは持っていない。神だの魔女だのと言われるものたちより、彼らはよほど、生物寄りなのである。


 吸血鬼は「Jackson」と忌々しい名の書かれた日記を手に取った。どこの聖人の黙示録のつもりか、金銀宝石で飾り付けられた前後の表紙を、金具が厳重に繋いでいる。吸血鬼は日記の錠部分を下にして、テーブルの角目掛けて振り下ろした。


 彼は、錠が壊れて開くまで、何度も何度もテーブルに叩きつける所存だった。しかし、現実には一度も錠に衝撃を与えることはかなわず、彼の手首は、テーブルに日記が当たる直前で、背後から伸びてきた何者かの手指に捕まれ止められてしまった。


 背後から、何者かの黒い手指が。


「やあ、日記を物理で開けようとするのは、さすがにルール違反かね」


 吸血鬼は突然に姿を現した黒い手を、掴まれた手首とは反対の手でしっかりと捕まえた。その手は黒く、影そのもののような色をしている。質感はとても生物のものとは思えず、細い繊維が集まったような、鉛筆で何度も何度も線を重ねたような見た目だった。しかし、その怪しい手は実際に掴み上げることができて、その不安感からか、吸血鬼を一種の興奮状態にまで持って行った。


「君が、この日記の持ち主かい? 或るいは館の支配人か。とにかく、人の半生を勝手に覗き見ておいて、日記の扱い方まで自由にさせないとは、大層立派なご身分じゃないか。ああそうか……」


 吸血鬼はある者のことを思い出した。エリザベスとミカだけはその姿を視認していて、吸血鬼だけは未だ、気配を感じながらもその実在を疑っていた――そんな存在がいる。今、吸血鬼の背後から腕を伸ばしてきている謎の存在は、以前に感じた「それ」の気配と正に同じ、冷たい気配を纏っているのだ。


「こんなことをするということは、これだけは確実だ。これらの日記は君にとっても、私たちにとっても、とても大事な『鍵』なんだろう、ウィジャボードの幽霊君?」


 その時、サロンの扉が勢いよく開いた。それは図書室に繋がる方の扉ではなく、廊下と繋がる観音扉の方である。

 入ってきたのは、重厚感ある真っ赤なドレスを着たエリザベスであった。


 吸血鬼が戸口を振り返ると同時に、背後にいた黒い人影は塵を飛ばすように消え去った。吸血鬼は何もない空中を口惜しく手で撫でた後、いやに気合いの入ったエリザベスに声をかける。


「レディ・エリザベス。最近はずっと緑のドレスを着ていたのに、急にお着替えしてどうしたの? それに、ドレスの型は十六世紀、君が生きていた頃のものだ。華やかで似合っているけど、珍しいね?」

「ごれは、生前のわだぐじの最も気に入っていだドレス。戦闘服でずわ」

「戦闘服?」

「吸血鬼さあ~ん……」


 エリザベスの背後から、ミカが弱々しい声で吸血鬼の名を呼んだ。幅を取る絢爛なドレスの陰に隠れていたが、ドスドスと歩くエリザベスに続いて、疲れた顔のミカが入室してくる。

 青年の両手が空っぽなのを見て、吸血鬼が両眉を上げた。


「私の紅茶と蜂蜜は?」

「それどころじゃないっすよ。姉さんったらここを出たあと、キッチンには行かないで自分の部屋に戻ったんです。放っておくわけにもいかないから、ついていったんすけど、この人、泣きながらクローゼットの中に入っていって、そこでいきなり着替え始めたんすよ! 俺まで着付を手伝わされて……ドレスの着方なんか知らないのに!」

「また何を急に一念発起して」


 吸血鬼とミカは並んで、エリザベスを胡散気に見つめる。

 ソファーまでたどり着いたエリザベスは、ドレスの端を持ち上げてクルリと振り返り、「気合いを入れるだめでず。ぞじて、当時の再現と臨場感」と言った。


「セレーンの日記を読まぜでもらったのでずから、今度はわだぐじが誠意を見ぜる番でずわ……。わだぐじの日記を読むごどを、あなだだちに許可じましょう!」

「ええ!? いいんすか!?」


 ミカが驚きの声を上げる。当然だ。エリザベスは、自分の日記とセレーンの日記、どちらを読むか選択を迫られた際、友人に対して礼を欠こうともセレーンの日記を読むことを選び、彼女自身の半生について知られることを心底から拒んでいたのだ。それが今、生前に着ていた洋服を着て、自身の日記を見せつけるように掲げている。彼女の今のドレス姿は、日記の表紙に描かれた、赤いドレスの貴婦人図と、確かに一致しているようだった。


 エリザベスの考えはこうだった。


 セレーンの長く凄惨な半生を、自分たちは無断で読ませてもらったのだ。もしセレーン本人がこの場にいたら、その行為を簡単に許すかどうか定かではない。例え許されたとしても、彼女の心の古傷を抉ることになるのは確かで、いくらかの苦しみを感じさせることになったろう。

 エリザベスは、そんな苦行を友人に強いた己を悔いた。そして、自己満足の結果になってもいい、直接の贖罪にならなくてもいいから、セレーンの日記を読む選択をした恥知らずとして同じ苦しみを味わおうと、威風堂々名乗り出たのだった。


 さて、それはともかくとして、日記を声に出して朗読するのは誰の役目かね?


 吸血鬼は、急に全身を襲ってきた疲労感で失神するかと思われた。

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