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第四十七話 あなたがこの世で篇

 復活大祭・夜半課を控える日暮れ。半分まで沈んでしまった太陽と、その反対側の空には、やっと目視できる程度に欠けた月が、忍び登っている。


 ハナダイは、聖域と呼ばれし半島の浜辺が見える距離まで海中を浮上し、水面から顔だけを出して、潮の満ちひきの加減を窺っていた。


「まだ早いかな……? もう少し潮がひかないと、わたしが腰かける岩がないか。どっちみち、ユーラスもまだ来ないだろうし、一旦近くで休んで……、ひゃあ!!」


 悲鳴を上げたハナダイは、そのまま海の中へ一気に引きずり込まれた。オトメベラが下からハナダイの尾ひれを引っ張ったのだ。沈まされて、抗議のため見合わせたオトメベラの顔は、何やら若干しかめ面である。


「何すんのよ!!」

「馬鹿、あっちに船が通ってただろ。今日は人間が忙しいな。半島で祭事があるからか」

「でも祭事って、明日じゃないの?」


 そう言葉を繰り返して首を傾げるハナダイに、オトメベラは一瞬、目を瞠って、それから、先ほどよりもはっきりとしたしかめ面、歯をむき出しにして唇をゆがめて、ハナダイから大きく顔を背けた。


「やだやだ、それは聞いてないのかよ」

「何よ、どういうこと?」


 顔を背けすぎてこちらへむき出しになったオトメベラの首筋を見ながら、ハナダイは問う。オトメベラはそのまま尾ひれを翻して、ウツボがねぐらにしている岩の傍に腰かけようとするので、ハナダイも不満ながら、彼女の後に続いた。


 二人並んで、岩を背凭れに海藻の上へ寝そべる。日に照らされた海面が頭上高くに見え、波が跳ねるごとに陰り、夜へと近づいていった。

 先ほどから、オトメベラが険しい顔をしているのは、どうやら自分に対して、真剣に話したいことがある故らしいと、ハナダイは横に並んで初めて気が付いた。


「数年に一度か、それよりもっと稀に、半島の人間たちが騒ぐ日があるって話……。三日前に半島に人間を見物しに行ったのは、俺がそういう話をウチのじいさんに聞いたからだったろ? 俺、その『人間の騒ぎ』の話を、もう一度じいさんに聞きにいったんだ」

「うん……」


 オトメベラは、大して視界の利かない海面を見つめ続け、ハナダイとは目をあわせなかった。普段、この海域にいる小魚たちも、人魚がいる周囲には近づかない。


「じいさんが言うには、半島を炎で焼いたり、人間が人間らしくない声で吠えたりする騒ぎがあってから数日経つと、半島には沢山の人が集まるようになる。その理由としちゃ、魔女さんの言うことには復活大祭のためで、今年で言うと、それが今日だ。で、その祭事、何時から始まるか知ってっか? 日付が変わる境の時。一番の夜深まる時だぜ。お前らが約束してる時間ってのは、一番、潮がひく時間、つまりは、ちょうど祭事が始まる時間帯だろ」


 ハナダイは一度、びくりと尾ひれを震わせた。


「今ごろだって、あの男は祭事の準備で大忙しだぜ。俺の見立てとしちゃ、あいつは結構な重要人物だ。だって、半島が燃えてる間中、何の仕事もせず、一人外へ逃がされてんだからな。きっと祭事のことで頭がいっぱいで、お前との約束なんてすっかり忘れちまって……」

「そんなことない! ユーラスは、また今夜って約束してくれた! 忘れてるなんて、きっとあるはずない!」


 ハナダイはガバッと体を起こした。オトメベラの顔を上から見下ろし、その顔に怯えたような表情を浮かべている。いや、怯えているとも言うのだろうが……、オトメベラは尾ひれを大きくばたつかせて水泡を作り、口に溜まった水泡が吐き出されるのを誤魔化した。うわあ、何、何急に動いて! と抗議するハナダイの声が聞こえる。


……怯えているとも言うのだろうが、あれは切なさの中にある顔だろうな。


「あーあ、ハナダイのが、どっかに行っちまった」

「は? っていうか、だから、わたしはセレーンなんだって」

「うるせー、ぜってぇ呼ばねえ。そんなに呼ばれたきゃ、あの男に呼ばれろよ、好きなだけな」

「なっ、え~? さっきは、ユーラスは今日の約束守らないみたいなこと言っといて? どうしたのいきなり。何が言いたいの」


オトメベラは勢いをつけて上体を起こし、そのままの自然な流れでハナダイの両手を取った。岩場を蹴って海中の波すらない層に踊り出て、二人、向かいあって漂う。


「お前、好きだよ、あの男が。ハナダイの、自分でも気づかず恋してやがる。よかったな! これで薬をもらえるや! よかったなハナダイ!」


 ハナダイはオトメベラに手を引かれるがまま、目を見開いて声を荒らげた。


「いきなり何言ってるの! それはわたし、魔女のところでちゃんと否定したわよね! 聞いてなかったわけ!?」

「聞いてたさ! 聞いた上で、心配もしたさ! だけどお前ら、どう見たって相思相愛だっただろ! それを、下らないお前の初心ごときで無かったことにされたらさあ……、俺は、俺は、逆にどうしたらいいってんだよ!」

「下らない初心ごときって何よ!」


 ハナダイの顔は、オトメベラの言葉と共に赤らんでいた。だんだんと高くなる体温を自ら否定するように叫ぶと、今度はオトメベラが肘を曲げて、ハナダイにぐっと近づき、その顔を至近距離で見つめた。その瞳が爛々と輝いているように見え、ハナダイはキュッと黙り込む。


「お前、気づいてないだけなんだよ。お前は、あのユーラスとかいう人間の男に恋してんだ。それは相手も同じだ。魔女は人間と結ばれないなら、お前が死ぬかもしれないって怖がってたが、俺の目から見ればそんなこと絶対にねえ。あいつが坊さんだろうがなんだろうが、そんな身分、かなぐり捨ててでもお前に着いてきてくれるさ」

「そんなことが、どうして、あんたにわかるのよ」

「たりめえだろ。お前ら二人を間近で見てたんだぜ? お前、信用できねえってのかよ。恋ってもんがわかる上で、お前らのこと知ってる奴は、世界で俺しか居ねえんだぜ。当時者のお前らだって、お前ら自身のこと何にもわかっちゃいねえ。なあ、ハナダイの、どうなんだよ!」

「……!」


 ハナダイの心臓は早鐘を打っていた。その脈が全身をめぐるごとに、体温を一度上げているかのように思えた。言われてしまえば、「お前は恋をしている」と、他でもない悪友の彼女に言われてしまえば、不気味で不確かな感情に知らんぷりをしていた事実を、認めざるを得なくなってしまっていた。


 そう、ハナダイにとって、「恋」とはまるで不気味で、不確かな感情であった。ただ人や物事を好きであることの延長というだけであるはずなのに、どうもそれは特別なもので、その特別さを、オトメベラや、魔女らのような、周囲の人々は、生まれつき感じ取っているらしいと。どれだけ魔女にクスリを頼み込んでも、その解せない感情の有無を理由に断られて。ハナダイにとってそれは、当然、自分の体の内には無いと思い込んでいたものだったのに。


 ただ今、確かだと言えるのは。

 ユーラスと離ればなれになってしまえば、もう自分のことを「セレーン」と呼んでくれる人はいなくなってしまう。たったそれだけのことが、心の底より嫌だという事実であった。


 しかし、オトメベラの言うことを実行に移すには、まだ心に引っかかることがあった。


「わかったらハナダイの。魔女にもう一度、人間になるクスリを頼みに行くんだ。覚悟ができたことを伝えりゃ、今度こそ渡してくれるはずさ。それで、クスリを持ったまま、半島の海岸で待つんだ。それで、祭事を控える時間に、あの男が来たらクスリを飲め。少ない時間に、それでもお前に逢いに来たってんなら、お前、あいつとの人間の暮らしが叶うってもんだろう」

「ねえ、オトメベラ」

「なんだ、まだ怖気づいてんのか?」

「違う……そうじゃなくて。なんでオトメベラ、泣きそうなの?」


 オトメベラは、ハナダイの言葉でやっと自分の表情に気が付いたようだった。あれ、おかしいな、笑ってたと思うんだが。その内心の動揺を、オトメベラは口を薄く開けるだけに留めて、言葉には一切表さなかった。


「なんでって、お前なあ、ハナダイの。さっき言ったろう。相思相愛のお前らを見て、それをなかったことにされちゃあ、俺はどうしたらいいんだよ!」

「だから、それはどういう意味なのよ!」

「わからねえか? わからねえよなあ。なあ、ハナダイの。俺はお前の友達として、ずっとお前を近くで見てきたんだぜ! 地上に憧れるお前を、月を見つめるお前を、星に願いを掛けるお前を! お前が地上に出たがってることなんて、俺は、お前の次に知ってんだ。ハナダイの、俺の大事なハナダイのの夢が、やっと叶う好機だなんて、そんなの俺は、お前の代わりに見逃せねえよ!」

「オトメベラ」


 ハナダイはオトメベラの両手の指の隙間に己の指を入れ、ぎゅっと握り込んだ。しかし、オトメベラは彼女の手をゆっくり剥がし、緑色の尾ひれを彼女の腰下に回して、ピンク色の尾ひれを魔女の家がある方向へ向けさせた。


「行って来いよ。俺のためにも。俺は、お前の夢が叶うことが、ずっと夢だったんだ」

「何それ、今日のあんた……」


 ハナダイが言葉を重ねる前に、オトメベラがその細い背中を押した。ハナダイの体は穏やかな海層から一段下がって波に運ばれ、ハナダイの上がった体温に連動するかのような勢いで、魔女の家に向かっていった。


「オトメベラ!」


 遠のくハナダイが、振り返ってオトメベラに叫ぶ。


「ありがとう!!! わたしも、オトメベラ自身が幸せになるの、ずっと願ってる!!!」


 オトメベラの激励は、人間になりたいと願い、実際に人間に恋をした、あのハナダイに届いたようだった。ハナダイはオトメベラに向けて大きく手を振り、それから、ピンクの尾ひれを元気そうに跳ねさせて泳いでいく。

 手を振り返し終わって、オトメベラは呟いた。


「俺の幸せは、だから、お前が幸せになることだって。なんて」


 オトメベラは緑色の尾ひれを翻し、半島とは逆方向にある無人島に向かっていった。顔を出せるところを求めたのだ。


「水中じゃ涙が出てこない。けど、涙は流した方がストレス解消にいいって、じいちゃんが言ってたからな」

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