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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
記憶の水の中で溺れ死んでごらん
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第三十七話 大広間篇

 ――お腹の中がはちきれそうで、重くて、体を起こして歩くのもやっとだ。四つん這いになるといくらか楽だが、内臓の重さに耐えきれず肘や膝の関節が曲がるやいなや、四肢がハの字に広がってしまって、低い位置にきた膨らんだ腹が、地面を擦りそうだ。


 ――あっと思った時には、全身が冷たい流水に包まれていた。手足を突っ張ってそこに留まろうとしても、つっぱれるような地面も、壁もない。手を遠くまで伸ばそうとしても空を掴み、もがくばかりか、そもそも思い通りに肘を伸ばすこともままならなかった。足だってそうだ。どこを蹴ることもできないし、四肢を動かす自分の意思より、動作に対して外側から加えられる、不規則で暴力的な強制力の方が強い。


 重石になった腹が、全身を下方向へ引っ張っていく。下方向か? 今、自分の体が移動している向きは下方向なのか。上方向に浮いているんじゃないのか? いいや、この体は重いのだから、下へ行くに違いない。でも実際、君が感じている力の方向は、どちらに向いてかかっているかね? そんなのわからない。こんな状況で、そんなに悠長に考えられるわけないじゃないか。ここはどこかだって? え? 違う? これはどこに向かっているか、の間違い? どこに向かっているかなんて、


あー、俺、落ちているにきまってるじゃないっすか。


「あああッ!」


 靴も脱がずに、ベッドの上へ倒れ伏していたミカは、突然落下するような感覚に襲われて、大声と共に目を覚ました。ここはどこ? 自分の寝室。さっき、サロンから帰ってきて、気絶するように寝てしまったのだ。


 覚醒の引き金となった落下するような感覚だが、あれは、寝ているときにたまに起きるヤツだ。どこかに落ちる夢を見ると、感じるようになっているのかもしれない。目覚めた直後、その瞬間は、なんだか、息苦しくも感じた。

 いやいや、気にしたってしょうがないことだよ。だって、あの感覚の正体を探ったところで、正解を知る術がない。あれだけ大事が起こったような感覚に襲われて起きたのに、今となっては、夢を見ていたかどうかですら、思い出せないのだ。


「ミカ! ダイジョウブ!?」


 ゾンビの若き貴婦人、レディ・エリザベスが、ミカの部屋の戸を遠慮なく開けて顔を出した。ミカの大きな悲鳴を聞いて、慌てて駆け付けたのだ。安否確認の際に遠慮などできるわけがない。


「寝てたらちょっと、落っこちる感覚がして」


 ベッドの上に腰かけたままのミカが戸口を振り返ってそう言うと、エリザベスは処理落ちしたようにフリーズしてミカを見つめたが、しばらくして、心配な表情を隠しきれない顔でコクンと頷いた。


「疲れた時になるヤツでずわね」


§


 疲労を指摘されたミカだったが、その青年がそれ以上に休憩を取ることはなかった。一重に、先ほど「ウィジャボードの幽霊」が見せた(と思われる)ミカの大切な記憶の全貌を、早いところ確認しなければと気が急いていたためだ。一度寝たおかげで頭がすっきりしたのに加え、館一階の最奥に待つ、未踏の大広間への期待に覚醒させられてしまって、寝なおすことなど不可能だった。


 起きてすぐに、「大広間に行こう」と言い出したミカを、吸血鬼は止めなかった。まあ、当然そうするだろうね、という思いがあった。これだけ、明確にいざなわれているのに、その誘いに乗らないという選択肢がないだろう。わかっていたからこそ、空気の入れ替えまで澄ましておいたのだ。


「その前に、一つ聞いてみてもいい? あの大広間に、一体何があると言われたの? 君一人、ウィジャボードの最後の最後に、何を見せられたんだい」

「俺、故郷の記憶を見せてもらいました。吸血鬼さんの推理だけじゃわからない部分の記憶です。でも、途中まででした。その続きは、大広間に行けば見れるって。吸血鬼さんも見るでしょ?」

「……それが、私にも見せてもらえるようなものならね」


§


 吸血鬼が遣うコウモリたちが、大広間のシャンデリアに火を灯した。

明るくなった室内に向けて、ミカを先頭に、吸血鬼とゾンビ嬢が横に並んで続く。子供と引率の両親のようだ。

 大広間に入ると、ミカはまず眉間と鼻の付け根に当たる位置に、何重もの皺を寄せた。


「ちょっとカビ臭いっすね」

「これでも最初に比べればマシになったんだよ。キツいなら、その首につけてるもので顔を覆いなよ」

「なるほど」


 ミカは、赤いスカーフを一度外して、鼻と口を覆える位置に結びなおした。姉の匂いがするかもしれないと、わずかな期待が頭をよぎったが、当然、毎日着用する自分の匂いの方が染み付いていて、いくら嗅覚に集中してみても、せいぜい、何日か前に洗濯した時に使った、極夜の館の柔軟剤の匂いまでしか遡れなかった。


「……やっぱり、湿気にやられているとはいえ、部屋自体はあまり汚れていないし、壁や床が崩れているということもないようだね。誰か、これまでに、ここに入ったことがある人はいる?」


 吸血鬼の問いかけに、他の二人は黙って首を横に振った。


「最初に一通り全部屋のドアを開けてみたけど、ここの部屋は空気が悪かったんで、中にまでは入ってないっすよ」

「わだぐじも、ここが『極夜の館』になっでがらは、生活上用のない場所には一度も入ったごどありまぜんわ」

「そう。誰かが管理していた雰囲気なのに、不思議だね」

「! 姉さん喋っちゃってるっすよ!」

「もうバレちゃってまずのよ」

「え?」

「君、レディが喋れるようになったこと、ずっと私に黙ってたでしょ~」

「えっ、えっ」

「寂しかったんだからね~」

「えっ、えっ」


 えっ、と、何やら一通りの清算が終わった感じの年上二人の顔を、ミカはわけもわからぬまま交互に窺った。えっ、姉さんが喋れることは、吸血鬼さんに言わない方がいいって話で、でも、あれ、そもそもなんで言わない方がよかったんだっけ。俺なんか悪いことした?


 しかし、エリザベスが吸血鬼の前でも平気で喋るようになったという、印象だけで言っても複雑そうな経緯など、二人の顔を見比べたところで窺い知れないことだった。エリザベスはいつもの死後硬直顔だし、吸血鬼だって涼しい顔だ。

 自分が寝ている間に何があったのか、二人に尋ねたとしても教えてはくれないだろう。教えてくれるつもりなら、「寂しかったんだからね~」などと言いながらミカの頬をつついて、煙に巻いたりはしないわけだ。これ以上考えてもしょうがないことだな。最終的に顔を正面へ戻したところへ、視界に飛び込んできたのはアイアン・メイデンだった。


「何あれ」

「……(アイアン)処女(メイデン)だね」

「……アイアンメイデン?」

「あれ、レディの私物でしょ? 開けていい?」

「構いませんわ」


 吸血鬼は、大広間の赤絨毯にズカズカと踏み入って、入り口正面に鎮座するアイアン・メイデンの両扉を開けた。彼と同じか、それより少しだけ大きいくらいの背丈の拷問器具は、その頂点にニル・アドミラリな乙女の顔を戴く。鉄の腹の中身は空っぽで、内側に向かって伸びた錆付きの長い針は、開閉するごとに虚空を刺していた。


「うわ、本物だ」

「ちょっと待ってください? なんで姉さんの私物がこの部屋にあるんすか? もしかして、それクローゼット?」

「あ゛っ、ミカ! 不用意に入ってはダメ! ここには、沢山危険なものがございます!」


 吸血鬼の後に続こうとするミカを、エリザベスは慌てて追いかけ、その手首を捕まえた。わたくしと一緒に見て回りましょう、という言葉を承け、ミカは不安に眉根を寄せながら頷く。

 

 大広間を見渡すと、全体的に窮屈で、手狭な印象を受けた。とはいえ、部屋の造り自体で言えば、入り口から見た感じ横に長く伸びており、大人数でのパーティーが開ける程度の広さはある。ただ、その床に並べられたモノが多いのだ。アイアン・メイデンだけではない。その横には、四隅に四肢を拘束するベルトが備わったテーブルのような寝台があるし、その後ろには大きな機械とつながった拘束具付きの椅子がある。大きいものだけではなく、宝石箱のような大きさのものまで、雑多に床に転がっていた。


「これ何?」

「ぞれは指を詰めるモノです」

「ちょっとレディ、ミカに変なこと教えないでよ」

「姉さん、ここにあるもの、全部使い方わかるの?」

「まあ……」


 実際に、使っていましたからね。

 とまでは、わざわざ言わないことにする。


「あれ。これ……」


 ミカが、拘束台の横で足を止めた。手をつないでいたエリザベスもそれと同時に立ち止まり、ミカの視線を追って息を呑む。


「人魚さんの足だ」


 拷問器具の物色をやめて様子を見に来た吸血鬼が、おお、と驚きの声を上げて言った。

 ミカは、エリザベスを引き連れてその大きな仕掛け車を引っ張り出し、まるで拷問器具の一つかのように並んでいたそれを、周囲に何もない広い場所まで移動させる。全体をぐるりと観察して、その正体がやっぱり「うごくシャワー水槽号」だと確信すると、困惑に打ち震え始めたエリザベスの体をさすった。


「なんでシャワー水槽号がここに? サロンに置いてなかったっすかね?」

「彼女がいなくなった直後には、確かにサロンに置いていたと記憶しているけど……。隅に置いていたから、いつの間にか移動させられていたとしても気付かないね。ただでさえ、最近は色々忙しかったから……」

「俺も記憶喪失だったから覚えてないっす」

「そう、君の記憶喪失とかで忙しかったから」

「わだぐじは、移動させておりませんわ」


 そう呟いたエリザベスは、空っぽの水槽に手を当てていた。


「やっぱり、大広間には誰かいるんですわ。わだぐじだち以外の、良ぐない者が」


 ミカは少し目線を下げて、それから、言わねば損するかのように、思い立って言った。


「……ウィジャボードの幽霊っすよ。……なんて」


 エリザベスはハッとして、ミカの顔を見た。ミカは身を小さくして、胸元に両腕をキュッと抱え込んでいた。キョロキョロと周囲を窺う様子は、あたりを警戒する子犬のようである。

 ウィジャボードの幽霊だと言うのなら、ウィジャボードに関係のない悪さはしないでほしいものだ。いっそウィジャボードの幽霊程度なら、吸血鬼に無理を言えばなんとか対抗してもらえる可能性がある。

 ただ奇怪なのは、ウィジャボードの幽霊ごときが、ミカの過去を、わざわざこの大広間で明かしてやるとなぜ言えるのか。その謎が、あの真っ黒い霊体の正体を難しくしている。

 つまり、ミカは、ここに自分の過去の話を探りに来た時点で、「ウィジャボードの幽霊」が、ただのウィジャボードの幽霊ではなく、もっと得体の知れないものだとことを、心のどこかで認めていたというわけだ。

 それでいて、果敢に挑んだのである。

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