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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
記憶の水の中で溺れ死んでごらん
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第三十六話 コウモリ換気扇篇

 大広間の扉を薄く開けて、その、たとえ視界が明るくともきっと真っすぐ直線しか見えないだろう隙間から、集中して中を覗いている、フリフリ緑のお尻に言葉を投げかけた。


「部屋でゆっくりするんじゃなかったのかい?」

「! う、うあ……」


 慌てて振り返ったゾンビ嬢が、目を丸くして呻いた。大広間の両開き扉を、背中でドンと雑に閉める。


「洗濯をしてぐるど言いまじだわね。あ゛れは、嘘だったのでずか? 洗っで干しで来たにじでは、あまりに早すぎる仕事でずわね」

「そんなの、コウモリにやらせているにきまってるでしょ。それに、毎日洗濯するものなんて、このメンツの服装じゃあ、下着とシャツくらいしかないんだから、洗濯妖精コウモリたちに任せた仕事も、すぐに終わるだろうさ」


 吸血鬼は腕組みを解いて、ゾンビ嬢に歩み寄る。ゾンビ嬢は大広間の扉を背にしたまま、後退ることも逃げ出すこともできずにいた。


「酷いじゃないか、後でミカと一緒に来ようと言っていたのに。一人で来なくちゃいけない理由が、何かあるのかな?」

「ぞれは……」

「何をしていたの?」


 ゾンビ嬢はうつむいて、それから、チラと吸血鬼の顔色を窺った。いつか見た光景だ。というか、よく見る光景な気がする。吸血鬼は、最近「何でも知っている風」の言動を見せすぎたかなあと後悔した。ゾンビ嬢は、どうやら自分を必要以上に警戒してくる嫌いがある。実を言うと、吸血鬼だって、彼女のことやこの屋敷のこと、それにミカのことだって、上手につかみきっているというわけではないのだけれど。


「あの、レディ・アンデッド。私は確かに、君が大広間に行きたがらない理由について、君が自己申告した以上に深い理由がありでもしないかなと、疑ってはみたよ。だって君が、『大広間は怪しい』ということを言うためだけに、わざわざ『大したことではない』と付け足したからね。『大したことではない』とは、本題について相手に深く立ち入らせたくないときに使うものだろう? けれど、その本題が何で、どうして大広間に行きたくないと言ったのか、までは、さすがに他人にわかりっこないさ。私は、君に純粋に質問しているということだよ。ここで、何をしていたの? 本題は何さ、レディ・アンデッド」


 レディ・アンデッド。そう、ゾンビ嬢が吸血鬼に続いて呟いた。


「え?」


 気づけば、ゾンビ嬢はおさげに編み込んだ金髪を撫でていた。三つに分けた束を斜めに、斜めに繰り返して編んで、左右から中央に向けて方向を揃えた毛流れを、いつから解いていないのかも思い出せない。本当に元々の話をすれば、生前、罪を問われた時に、罰として髪を切り取ってしまうために編まれたのだ。しかし、結局は情けで許された。許されたのに、この館に閉じ込められている限りは、この髪を降ろして櫛で梳かして、人前に立つ機会もない。


 そう思っていた。


 もう、自分がいつ頃死んだのかすら思い出せず、ただ自分が死んでいることだけが確かな事実となった頃、吸血鬼が館に来た。それから、セレーンが来て、ミカが来て。


 ここは、とても楽しい館になった。


 この楽しい館を守るために、この大広間の秘密だけは守らないといけないと思っていたのに……。


 この館の主人は、わたくしなのだから。


「レディ・エリザベスと、お呼びなざっで」


 ゾンビ嬢は大広間の扉に手を掛けた。


「ごごの元の名は、『血のエリザベス邸』、わだぐじが主人でございまじで!」


 大広間の扉が、勢いよく外側へ開かれた。

 カビ臭い空気が、広い部屋いっぱいに閉じこもっていた量だけ解き放たれて、吸血鬼は反射で顔を背けて鼻を腕で抑えた。酷い空気だ。目までジンとして涙が出てくる。


「レディ……!」

「わだぐじが館の主人として、パーティー会場にご招待いだじまずわ」

「ていうか、こんなに勢いよく開いてはいけないよ! ここの部屋は、まだ誰も掃除をしたことがないんだから……! ……っ」


 目を細めながらもしぶとく抗議をしつつ、涙でぼやける視界で大広間の中を見て、吸血鬼は驚きに思わず息を吸った。


 吸って、カビに喉を焼かれてしっかり酷く咳こんだ。


 もしミカがこれだけ苦しんでいたら心配して飛んでくるだろうに、ゾンビ嬢……、いや、本人が呼べと言った名前で呼ぶなら、エリザベスだ。エリザベス嬢は、吸血鬼の方を、一切振り返らなかった。彼女は呼吸を必要としないのか、大広間の入り口に凛と立ち、部屋の中を見回しながら、吸血鬼に話しかける。


「ずっど扉を閉じたままだっだので空気は悪いでずげれど、ホコリは、思ったよりも溜まっていまぜんわね。やっばり、ごごに、何かが住んでるんでずわ」

「……」


 吸血鬼は大広間から少し遠ざかって、息が整うまで胸を何度も撫でた。その位置から動きたくなかったが、残念ながら、確かめなければいけないことがある。あまり声を張らずともエリザベス嬢に声が届く距離まで、吸血鬼は大広間の中に入りかけている彼女に近づいた。


「血のエリザベス邸と言ったね。それなら、そこにあるものは、全て君のものなのかい」

「え゛え、わだぐじの私物です」

「そう、それで、血のエリザベスというわけだね」


 脈絡のない叫び声が聞こえた。

 ミカだ。


 吸血鬼とエリザベスは、同時に上を見上げた。正確には、二階のミカの寝室の様子を、天井板と床板の層を透かして見ようとした。


「なにがあったのかな……」


 真っ先に動いたのはエリザベスだった。エリザベスはドレスの裾を抱え上げて、階段がある玄関ホールまで走ると、途中で吸血鬼を振り返って怒声を浴びせかけた。


「何があっだが、気にする暇があっだら見に行ぐんでずのよ! 本当にミカを大事に思ってるのがじら! 口先だけではないのがじら! そういうどころが、嫌いでずのよ!」


 一方的にそう言った後、ゾンビ嬢は足音を響かせて二階に駆けて行ってしまった。

 彼女の姿が見えなくなり、大広間の前には、吸血鬼だけが取り残される。


「……本当に思っているよ、大事に。君とは、愛情表現の方法が違うだけ」


 すぐにエリザベス嬢の後を追いかけた方がいいと思う一方、大広間にまつわる彼女の直感に共感できないことが、吸血鬼にはちょっとした気がかりでもあった。

 つまりは、彼は、大広間に何かがいるという予感をまだ覚えていない。ウィジャボードの最後に、交霊遊びじゃ済まない何かが起こったという感覚はあったが、それが、この先に待つ悪い可能性に、なぜか結び付かないのだ。

 しかし、こういう霊的なことに関しては、自分よりも前時代に生きたエリザベス嬢の方が得意だろうと、勝手な期待を寄せていた。


「エリザベス邸って言うけど……。私より先に館に来ていたわけではなくて、はじめから、館に住んでいたというわけなんだね」


 吸血鬼は、暗い大広間の中をじっと見つめた。大広間の中、入って正面に見える大きな機械のようなものを。

 しかし、その広い部屋の中に、何か怪しい生物か霊体じみたものは見当たらない。


「とりあえず、鼻のいいミカをここに連れてくる前に、空気の入れ替えをなるだけしておこうかな」


 吸血鬼は、パンパンと手を叩いて払った。すると、汚れの代わりに小さなコウモリたちが両手の隙間から落ちてくる。彼らは大広間に大群で突入すると、空中をぐるぐるとかき混ぜ始める。

 大広間前の空気が大変な混ざりものになる前に、吸血鬼はその場を離れた。玄関の扉を開けておけば、悪い空気が外に逃げていくはずだ。ミカを落ち着けて戻ってくる頃には、大広間もマシな空気になっているだろう。

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