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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
記憶の水の中で溺れ死んでごらん
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第三十三話 ウィジャボード篇――その三

「今度は何を訊きます?」

「そうだね。こういうのはどうかな。ミカのお姉さんはどんな人?」


『勇敢』


「勇敢だって。強いお姉さんだったんだね?」

「強いお姉さんか。強いって言い方、なんかしっくりきます」

「じゃあ、お父さんとお母さんは?」


『祈り』


「祈り……? 教会にでも通っていたということ?」

「あ。そういえば。村に一つだけ、小さい教会があったんすよ。俺の誕生日には、家でお祝いした後、父さんと母さんに教会に連れていかれて、それで、博士が、待ってたんです」

「博士だね。さっき、大食堂でちらりと出てきた人だ」

「さっきって、俺、なんか言った?」

「その博士という人に、教会で会っていたという話は、今初めて聞いたよ。でも、博士という言葉自体は、既に君から出てきていた。ふって湧いて出た発想らしくね。その博士は、君に何をしてくれたの?」

「博士は……」


 ミカは、前を向いた姿勢のまま、吸血鬼の顔をとおり越して、何も無い部屋の壁を見つめた。何かモノを見ているような風体をして、その実、自分の頭の中の、奥の部分を覗いているのだ。


 しかし、ミカの言葉はそれ以上続かなかった。彼は緩やかに首を振り、「覚えてないっす……」と言った。


「そっか。まあそう肩を落とさずともね。ちょっと気分を変えて、別の系統の質問にしよう。この館に来てからのことを思い出してみようかね。さて、何て訊こうかな……」

「じゃあ、俺がここで、普段は何をしてたのか、とか?」


 ミカの、質問にもなりきっていないような言葉に、ウィジャボードは目敏く反応した。


『脱出、謎解き』


 遅滞なく回答を示したプランシェットを見て、吸血鬼は眉を顰める。


「ちょっと、私が質問するって言ったでしょ」

「質問したつもりなかったんすよ!」

「しょうがないね。次は私だ。こういうのはどう? ミカが、毎日欠かさず身に着けているものは?」


『赤いスカーフ』


「これっすね」


 ミカは、首に一周巻いて結んだそれを、プランシェットに置いていない方の手でちょんとつまんだ。今朝も、記憶を失くしてすぐであったにも拘らず、何一つ説明されないままに、自然と首に巻いていたものだ。


「それだね。随分大事にしているみたいだった。なぜ大事に思うのかは、君自身もはなから覚えていなかったようだし、少し不思議な話だよね。君は物にこだわるタイプでも無いし……もしかして、誰かからの贈りものなのかな」


『姉』


「まだ質問してない」

「なんて?」

「姉だってさ。お姉さんからもらったってことかい」

「姉さん、スカーフなんてくれる人だったかな……?」

「勇敢な人でしょ?」

「強い人なんすよ。ゾンビの姉さんとはまた違う感じで、ここにはいないタイプの……」


 ここで、ミカの頭の中に、黒光する雫が落ちた。

 いや、そんな汚い雨漏りのようなもの、本当には落ちていないかも。しかし、ツヤツヤとしたインクのような液体がミカの脳に染み渡って、霊感を受ける預言者のように、彼へ一つのアイデアをもたらす。


「そういえば、もう一人いたんすよね、確か」

「何?」

「館に。もう一人、いたんすよね」

「何のこと?」

「ああ待って。今、すっごい頭が回ってて、ちょっと、ぼんやり、感覚が取り戻せそうな感じです。うん、やっぱり、館には一人、結構気軽に話せる人がいた気がします。姉さんといるときと、似たようなやりとりができて、そうだ、やっぱりいましたよね。もう一人、女の人が!」


『人魚さん』


 ミカは、ウィジャボードを見ないまま、笑顔で両手を叩いて言った。


「そうだ、人魚さんがいたんだ! あんな強烈な人すら、頭から抜けるもんなんすね! とんでもないなあ、記憶喪失って」

「なんで知っているの?」


 吸血鬼は、ゾンビ嬢の方を見ていた。


「もう一人居たこと、なんでこの子が、知ってるのかな? レディ、教えた? 青年が記憶を失くす前、館にもう一人いたなんて、ジェスチャーだけじゃ伝えきれないような話、レディが教えたの?」


 ゾンビ嬢は、口を半開きにした平常時の顔のまま、二、三度首を横に振った。


「ふうん、君がそう言うなら、これは、ウィジャボードの影響で、芋蔓式に記憶が呼び起こされたってことなのかな。そうだね」


 吸血鬼は、自分の眉間を人差し指の第二関節でグリグリと押した。それをしばらくやったのち、「再開するよ。ミカ、プランシェットから手を離さないで」と、軽く嗜めるような口調で言い、ミカが素直に従ったのを確認してから、言葉を続けた。


「そうだね、ミカの言う通り、館には昔、人魚さんがいたよ。だけど彼女は、突然、茨の森に飲み込まれて消えてしまった。そこも思い出した?」

「……ああ、たぶん、少し。でも、走っていく背中を追いかけようとしたら、森の小道が消えちゃったところまでしか、思い出せません」


 思い出そうとした記憶が、外枠のぼやけた視界が作る光景の形で、ミカの頭に、浮かんでは消えていた。


「思い出せないんじゃないよ、それで全部だ。人魚さんが森の奥の門に向かって走り出した時、茨の木々が動き出し、彼女が門から出た時には、森の中にあった小道は、ほぼ完全に閉じられてしまっていた。最後に見た彼女の姿は、門の外から、こちらに向かって何かを必死に叫んでいる様子。この意味が分かる? 門の外は、人魚さんが期待したような場所ではなかったんだよ。森の外は、人魚さんの故郷ではなかったんだ。あれは、森からの脱出劇じゃないよ。森から、追放されただけだ」


 吸血鬼は、以上の言葉を、まっすぐミカに向かって聞かせていた。まるで、生徒に戦争の歴史を聞かせる教師のようだ。はたまた、いい子にしていないと悪魔に取って食われるぞというような、恐ろしい迷信を聞かせて、子供を躾けようとする親のような。


 彼女と同じ過ちを犯さないように、無駄な希望は持たないように、先手を打って杖をついてやろうとしているわけだ。その転ばぬ先の杖の使用者は、誰だか知れないが。


 ゾンビ嬢は、吸血鬼の視線が、ミカから一瞬だけ自分に移るのを確認した。「森からの脱出劇じゃないよ」というフレーズのほんの文末のあたりのタイミングで、一度だけ。本当に一瞬だけのことだったが、きっと、相手は、自分のノンバーバルコミュニケーションの腕前を評価し、伝わることを信じて、あえて一瞬にしたのだ。


 彼の、その視線の意味をバーバルで表してみれば、「君は間違っている」。

 もしくは、ちょっとヤクザな感じに、「わかってんだろうな?」。


 やっぱり不味かったんだと、ゾンビ嬢はいよいよ、しっかり、疑いようもなく悟った。

 

 吸血鬼が、ゾンビ嬢の自室にウィジャボードを持って入ってくる直前ーー、ミカと二人で遣り取りしていた会話の内容を、彼に聞かれている。

 ミカと、自分の、言葉を。自分が、言葉を使って会話していたことが、吸血鬼にばれてしまっている。


「ってことは」


 と、ミカが言った。

 ミカが、犬のような丸っこい瞳をぱちくりとさせて、茶色い毛が生えた頭を、周囲を警戒する動物のように、右に左に小さく揺さぶって言う。無論、本当に警戒をしているわけじゃないだろう。彼の周りの空気中には、何も浮かんでいないのだから。それもそのはず、だから、そのあたりを見ても、何の答えも書いていないだろう?


「この館からは、誰も思い通りに出られないんだ」

「正解だね。だがしかし、君にとっては、些細な幸運とも言えるはずだ。なぜなら、君は、もうあの故郷に帰らなくてもいいことになったのだから」


 ミカは、その犬のような目で、吸血鬼の赤い瞳の奥を見ながら言った。


「吸血鬼さんがそう言うのはなんで? 吸血鬼さんは、俺の故郷のこと、知ってるわけじゃないでしょう?」


 このタイミングでミカが喋ったのは、隣のゾンビ嬢が軽く体を強ばらせたのを感じとり、彼女をさりげなく庇うためだろうか。なぜ、彼女が緊張状態に入ったのか、その理由については思い至っていないだろう。それでも、ミカの口調は畳み掛けるような力強さがあった。健気なこと。吸血鬼の注意を自分に引き寄せようとしているのだろうね。


 しかし、実際にミカに注意を寄せて反応したのは、ウィジャボードの方だった。


 プランシェットは、ミカとゾンビ嬢、吸血鬼の右手を乗せて、ささくれのない木の板の上を、「YES」の文字の上まで動く。なんでイエス。いいや、イエスか。私はミカの故郷がどんなところで、そこで何があったのかを完全に知っているわけではない。それは事実なので、ミカが言った先の質問に対する答えは、イエスでも間違いはない。


 だがしかし、ここでの「YES」は、今までの傾向から考えると、何か違和感を感じる回答じゃなかろうか。吸血鬼は、自分の思い過ごしだろうかとも考える。あるいは、自分の中の知識人への欲求が、「吸血鬼は何も知らない」という回答に、勝手ながら腹を立てたのか。


 まさか。本当にそうだったとしても、記憶喪失であるミカはおろか、館から脱出したいというミカのこともまともにサポートしていない自分が、ミカの無意識の回答に腹を立ても仕方がない。だって、ミカも、極夜の館に来る前に、人を殺してるんだろうなんて、まだ、ミカには言ったことないのだし。


「ミカ、」


 吸血鬼が、「YES」で止まったプランシェットを見つめてフリーズしたミカに声をかけた時、吸血鬼とゾンビ嬢の手は、プランシェットから弾き飛ばされた。


「っ……! いッッッたア……!」


 吸血鬼とゾンビ嬢の掌に、見えない空気のナイフで切り裂かれたような感覚が走ったのだ。しかし、痛みに反射で手を退けるというよりは、物理的な衝撃によって退けられたような、他者による明らかな誘導が、二人の後退に介在していた。


 衝撃に遅れて右手に訪れる火傷のような痛みに、吸血鬼は呻く。ところが、右手の様子を窺っても、血が流れていることも、傷つけられた様子もなかった。


 吸血鬼の斜め前で、掌を腹と太ももの間に挟んだゾンビ嬢も、痛みはないにしても、ショックで高く呻いた。しかし、そんな反応も束の間、ゾンビ嬢は、未だプランシェットに手を置いたままのミカを心配して、ウィジャボードが置かれたテーブルの上に目を走らせ、そこで、恐怖に声を張り上げた。


「ううううううう……! う、ううううううううう!!!」


 ゾンビ嬢の目は、プランシェットに乗ったミカの手を上から片手で押さえつける、黒い人影を捉えたのだった。いや、人か? 人かどうかも怪しいような、でも確かに、元の形は二足歩行の人間だったんだろうと予想できる形の影だ。その影の片腕には、地面を擦るほどの長い爪が生え、一方、ミカの手を抑える側の手は、全体の歪んだ造形には不釣り合いなほど整った細長い指が生え、美しい。


 この目の前の影に、似た化け物を見たことがある。ゾンビ嬢は、影の姿形をよく覚えていた。

 大食堂の天上画だ。あの絵の、主人公の魔物が、どうやら目の前に居るのだ。

 魔物は、ゾンビ嬢に背を向ける角度で、テーブルの横に立っているように見える。つまり、吸血鬼の方に腹側を向けているわけだが、顔だけは、ミカの手を見て不動だった。


 ゾンビ嬢は両手で口を押えて、何も吐き出さず、何も吸い込まないことを心に決めた。


 吸血鬼の目に、ゾンビ嬢が見ているような魔物は見えていなかった。

 ただ、どうやら、ミカがその手で抑え込んでいるプランシェットは、その場を動こうとしても動けず、プルプルと小刻みに震えているようだった。これはどういう状況なのだろう。ミカの意識と無意識が、彼の中でせめぎ合っているのだろうか。いや、それより、さっき手に受けた衝撃は一体?

 

 吸血鬼は、ミカの様子を窺った。ミカは、唇を薄く開いたまま、両目を静かに閉じていた。顔色は、先ほど楽しくウィジャボードをやっていた時に比べて明らかに青白くなったようだ。米神のあたりに、脂汗まで浮いているように見える。

 吸血鬼が、事態の異常性に気付いて、それから、解決のための行動に移れるようになるまで、幾分か時間を要した。それから、やっと、「ミカ!!」と叫べるようになったと同時、ミカが自ら瞼を開いて、プランシェットに向けて「待て!!」と吠えた。


「今の続きは、どうすれば見られる!!??」

「ちょっと、何を言ってるの? それから手を離しなさい」


 吸血鬼の制止する声には、勢いが足りなかった。

 プランシェットは、ミカの質問に応じて独りでに動く。その上に乗っているのは、ミカの右手だけだ。ミカの手は、もちろん、乗っているだけである。彼は、はじめに吸血鬼がウィジャボードのルールを説明した時、話に聞いた通り、己の手に一切の力を込めていなかった。プランシェットは、ウィジャボードのアルファベットの上を、遅滞なく滑り進む。木目にそるときもあれば、逆らうときもあり、木に刻まれた円状の模様に従って、曲線を描くときもあった。


 吸血鬼、ゾンビ嬢、そしてミカが黙って見守るプランシェットは、ただ一言、


『大広間』


とだけ示し、最後にここに落ち着いた。


『GOODBYE』


 途端、ゾンビ嬢の視界から、黒い影は、煙が上空に溶けてなくなるようにして、跡形もなく消え去った。

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