第三十一話 泣かないで篇
「私は吸血鬼。ロンドン生まれロンドン育ち。だから朝食もロンドン仕立て! カリッ!」
そう言って、吸血鬼が焼きベーコンを鋭い牙で噛みちぎってみせると、ミカが「血はぁ!?」と勢いよく尋ねた。
三人共が朝食が用意された席につき、吸血鬼とゾンビ嬢はそれぞれに食べ進めている。ミカはといえば、「怪物と同じ食べ物を食べるのはいけない気がする!」と、膝の上に両の拳を置いて、行儀よく座ったまま食事に手をつけようとしなかった。吸血鬼とゾンビ嬢が部屋の奥側で隣同士、ミカが入り口側に単独で座って二人に対面、という形で座っているため、配置とミカの様子だけ見れば企業の面接のように見える。
吸血鬼は自分の食事を見せびらかすように、掌を上に向けて両腕を広げた。
「ここに血なんて入ってると思う? 私はこの極夜の館で一度たりとも血を口にしていない。偶に生肉を食べることもあるけど、その時も、君には焼いた肉を出した。私は吸血鬼。しかし君を大切にする」
「この料理全部、あんたが作ったの?」
「そうだよ。でも変なものは入れてない」
「家族だから?」
「かぞく」
ミカはたった一言で、吸血鬼の食事の手も、喋る口も静止させた。ついでに、ゾンビ嬢の食事の手も止まった。
ミカは続ける。
「一緒に住んでるなら、家族なのかと思った。俺は何か事情があって、この館に預けられてるんでしょ。違う?」
吸血鬼は俯いて深刻そうに考える素振りをした後、ゆっくり頷きながら言う。
「……そうだよ。君は記憶喪失の治療のために、この館に預けられた。ここでは私がパパでレディ・アンデッドがマ……」
ーーパシンッ!
言いかけて、ゾンビ嬢の平手打ちが綺麗に彼の頭頂に決まり、身の詰まったスイカのような小気味いい音が鳴った。
「いいじゃない、もうそういうことにしておけば! 訳がわからないままより、この子が理解しやすいようにした方がいいでしょ!」
「うああ!」
「何が嫌なの、君がパパってこと? 叩かないで!」
ーーパンッ。
ゾンビ嬢がドレスの袖を揺らして、再度手を振り翳した時、他所で乾いた音がした。他所ということはもちろんミカだ。音自体は平手打ちに似ているが、それよりもっと軽い。柏手のように両手を打ち鳴らしたのだ。
二人してミカを見れば、彼の顔は晴れやかだった。
「そっか! やっぱり預けられたってことなんだ! だったら俺、ちゃんと飯食べなきゃっすよね!」
そう言って、一人納得した様子でフォークを握り、食事に集中し始める。スクランブルエッグをベーコンで包んで食べ、空いた左手でパンを掴む。やっと食事に手をつけてくれたのはいいが、料理はもう大分冷めてしまった頃だろう。食べ始めたタイミングが理解できず、吸血鬼は困惑して隣のゾンビ嬢を見た。
吸血鬼を叩くために立ち上がっていたゾンビ嬢は、吸血鬼とミカを交互に見て、最後に吸血鬼と目が合うと、ぶるぶるぶるぶる小刻みに、首を横に振り出した。怖い。首が取れそうである。
わかったわかった、と吸血鬼は彼女の肩を叩いて諌め、ミカに囁くように声をかけた。
「ミカ、ミカ」
「んあ? ごっくん……はい?」
「嘘だよ。嘘」
「え?」
「私たちは同居人だが家族ではない。君はここに預けられたのではなく、理由もわからないまま館に迷い込んだんだ。私たちも同様で、迷い込んだまま閉じ込められた。館の外は茨の森で、進んでも進んでも出られない。森は不思議な力で移動してるから、出たとしてもそこはもう君の故郷からは遠い場所だろう。そんな環境だ、ここは」
ミカは目を丸くして息を呑んだ。フォークとパンをその場に置き、先ほどのように両手を膝に置く。置いた拳を両目で見つめた。
「じゃあ、俺は捨てられた?」
震える声で飛び出た質問に、今度は吸血鬼が目を丸くして首を必死に振った。
「違う違う! 君は当時、自分で森に歩いてやってきた。本当にただ迷い込んだ、それだけだ。どうしてそんなふうに思ったんだい?」
「だって、預けられたんじゃないんなら、捨てられたんだと思う、すよ。帰れないんなら、捨てられたってことなんだって。何となく、そっちの方が納得できたから……」
たまらず、ゾンビ嬢が走ってテーブルを回って、椅子に座ったミカの上半身をぎゅっと抱きしめた。ううぇっ! と一瞬ミカが鼻穴を唇で塞ぐように表情を歪ませたが、その拍子に表情を保つための緊張が緩んだのだろうか。堰を切ったようにポロポロポロポロと泣き始めてしまった。
「だって、俺、思い出せないけど、頑張って考えてるのにぃーーーー!」
「ああああ泣かないで〜! そう思ったんだよねえ、でも違うものは違うから……」
ミカの子供がえりしたような泣き方に、吸血鬼は慌てて立ち上がる。ゾンビ嬢の真似をするようにミカに近寄ろうとしたが、ゾンビ嬢とミカを挟める位置に辿りつく前に、ゾンビ嬢に威嚇されてしまった。
「うあう!」
「なんで!」
がうっ!と、ゾンビ嬢は、噛み付くような仕草を吸血鬼に向けてしてみせた。ちょうど、犬が牙を向いて主人を敵から守ろうとするようだ。吸血鬼が渋々後ろに退がると、ミカがまたぐずぐずと鼻を鳴らして言った。
「俺、何にもわかんないから、わかんないから、わかることをね……、考えてね……。ううっ、わかんないから……」
「そうだね、わかったわかった! 私が何とかするから! 君の記憶は私が戻すから! だから泣かないでよ!」
ゾンビ嬢に威嚇されたため、吸血鬼はミカから離れた場所から片腕をミカに向かって伸ばし、掌を向け、ストップ! のジェスチャーをする。もう少しミカを落ち着かせるような手振りはできないのかと呆れたゾンビ嬢がミカの目を塞いだので、吸血鬼の必死な様子はミカには見えなかった。それが見えただけでも彼の為人がわかっただろうにね。日頃の行いである。
ミカの様子はといえば、目を塞がれて視界が暗くなったために、少し落ち着きを取り戻したようだった。ゾンビ嬢の掌の向こうで瞼をパチパチとさせて言う。
「吸血鬼さん、なんとかしてくれる……?」
その声は小さな子供のように高く、喉の奥からやっと絞り出した感じの、痛々しいものだった。見かねたゾンビ嬢がミカを丁寧に椅子から剥がし、その体をそっと縦に抱いた。
「うっ、うっ」
「どこ行くの……?」
「うっ♪ うっ♪」
ゾンビ嬢は、ミカの顔を優しく自分の肩に埋めさせる。不安げなミカの背を摩り、彼自身が頭をもたげかけても、その後頭部を再び押さえつけていた。そうやって彼を抱っこしたまま食堂を出て行くところを見るに、ミカがいつもの調子を取り戻すまでサロンにでもいるつもりなのだろう。
彼も立派な男の子だ。背はゾンビ嬢の方が高いとはいえ、フリフリドレスの女の子に赤ちゃんのように抱えられる気持ちを慮ってあげてほしい。彼に情けを。以上の一連の流れを見れば、吸血鬼なんかはそんなふうに思ってしまうわけだが、余計なことを言うとまた威嚇されるに違いないので、憐れみの目で見送るだけだった。
ミカの鼻を啜る音が食堂から消え、吸血鬼はミカが座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろした。
「‥‥フゥ」
息を吐く。背もたれに全てを預けて、宙を見上げた。
「なんとかするって言っちゃったなぁ……」




