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極夜の館―怪物(まよいご)たちのほのぼの日常日記―  作者: 畔奈りき
記憶の水の中で溺れ死んでごらん
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第二十六話 青年の習慣篇

「吸血鬼さんは単純に様子がおかしいっすね。寂しいとかじゃなく」

「うああ」


 食後、ゾンビ嬢の部屋だ。

 ゾンビ嬢と青年は、部屋の隅の床に膝を抱えて座り込んで、二人きりの室内にも拘らず、コソコソと密談の態勢を作っていた。とはいえ、喋り声は別に小さいというわけでもなく、まあ座った姿勢だけが密会のポーズをとっていて、後は普段通りの会話というものである。


「殺生はよくない。はい、そうですね、それで? 俺の何が気に入らないんすか。俺らが肉食べたいって言ったことが、吸血鬼さんの目にはそんなに野蛮に映ったんすか。自分だって吸血鬼のくせに」

「あ゛れじゃあ、も゛う本人の話を聞かないがぎり、真意はわがりまぜんわ。急に菜食主義になっだどしか考えられまぜん。それで、食生活を変えだせいでイライラじているのですわ」


 ゾンビ嬢の頬は、死後硬直によって、しゃべる度にキシキシと鳴る。その感覚が気になるのか、ゾンビ嬢はムンクの《叫び》のように顔を両手で挟みながらそう言った。


「あ゛れについでは、一度様子を見まじょう。お肉が食べられないごと以外はむしろ贅沢をさせてもらっでいで、不便もないのでずじ。経過観察でずわ」

「わかりました」


 ひと段落したところで――実際何も解決していないのだが、今はまだ解決できないということはわかったので、段が落ちたと言えば言えるはず――、青年は上目遣いにそっとゾンビ嬢を見て言った。


「ほっぺ痛いんすか?」

「痛くはありまぜん。ただ、つっぱりまずわね。まるで、肌に合わない洗顔石鹸を使っだ時のよう」

「ちょっとよくわかりません。でも、無理しないでくださいね。今みたいな話し合いではともかく、日常のことならしゃべらなくても、姉さんの気持ちはなんとなくわかりますから」


 純粋な心配がありありと乗った青年の言葉だったが、しかし、ゾンビ嬢は明確な意思を感じさせるように首を振った。


「お゛気遣いありがどう。でも、わ゛だぐじも、あなだとお話しじたいのでずわ。ぞのだめに、声を出ぜるようになりだいど、かみさまにお願いじまじたの」

「え? 俺と? 照れくさいっすね。ほんとのことならうれしいっすよ」

「本当でずわ。本当に、あなだとお話しじだがったのでず」


 そう言うと、ゾンビ嬢は青年に少しだけ近づき、手を伸ばしてその頭をぽんぽんと優しく撫でた。上の方から後頭部を中心に髪を撫でつける手つきは、死体であるせいなのか少し不慣れなせいなのか、棒のように固く、そのため青年の顔は下にうつむけられたが、それでも十分優しさを感じるものだった。青年は、二人分の膝を眺めてこっそりはにかんだ。彼女の死臭は、以前に感じていたものと比べて、不思議と薄く感じた。


「それなら神様も、もうちょっと気を利かせて、しゃべりやすいように口元の皮とか伸びるようにしてくれればよかったのに」

「それはい゛げまぜん゛。望み過ぎでずわ。わだぐじは、本当ならかみさまにお願いをずる資格もない人間なのでず。それでも、喋れるようにじでぐれだのだがら、それだけで感謝するべきでずわ。特に、皮を柔らかくだなんで、今さらもっての他なのでず」

「そうすか……」


 ゾンビ嬢の謙虚な姿勢には感心するが、頬が軋む様子を見ていると、どうしてもかわいそうだと思ってしまう。とはいえ、本人がそれで満足しているんだからと、彼女の言葉を飲み込むように頭の中で反復すれば、ふと、「皮」というワードに、少し前の記憶がよみがえった。


――それから、女性の美貌への執着を加味したとき、私はこう考えるんだよ。レディ・アンデッドは、不老不死を手に入れるため、自らゾンビになったんじゃないだろうか。レディの肌には継ぎ接ぎがあるが、あれは死体からゾンビを作る過程で、肉体の腐敗した部分を取り換えたものではない。なぜなら、継ぎ接ぎされているのは皮膚だけで、腐食が広がるはずの肉の部分は全て彼女自身の体だったからだ。


 吸血鬼が以前、ゾンビ嬢の腕の断面を見たときに、口ごもりながら推理した内容。あれは、ここで彼女に直接尋ねてみてもいいものだろうか。

 頭からゾンビ嬢の手が離れて、青年はそれを追うように顔を上げた。濃い緑のドレスの袖に隠れた腕を見遣って、それから、ゾンビ嬢の顔と向き直る。彼女の丸く見開かれて固まった目と視線を交わした青年は、「まあ、その話はいっか」と心の中でつぶやいて、一人小さくウンッ、と頷いた。

 どっちにしたって、彼女はゾンビだ。もう死んでるし皮膚はこれ。死後硬直も激しいが、それでも青年に優しいのだ。


「かみさまといえば」


 ゾンビ嬢が、ポンと両手を打ち鳴らした。


「あなだ、生前のわだぐじと同じ神様を信仰じでいるようでずわね。いつも、食事の前に十字を切っているでじょう」

「十字を切る……??」


 青年が首をかしげると、ゾンビ嬢もまた首を青年と同じ方向に曲げた。


「あ゛ら、こうやっで」


 ゾンビ嬢は右手を青年の目の前に掲げ、人差し指と中指を揃えて、その先を親指の先にくっつけるような形をとった。しかし、――今のわたくしがやると不敬に当たるかしら。続きをするのに迷って逡巡していると、その様子を見た青年が「ああ!」と声をあげて、さささっと、先に自分で十字を切って見せた。


「これっすか?」


額、胸、左肩、右肩、最後に三角形に近い形で両手を合わせる。

 ゾンビ嬢は少しほっとして頷いた。


「ぞれ。お祈りの仕方が同じなので、てっきり同じ宗教なのだと思っていたのですけれど」

「あ……、これ、神様にお祈りするポーズだったんすか。知らなかったっす」


ただの癖みたいな感じでやってたんで……――その言葉にゾンビ嬢は驚き、驚かせたと察した青年は頭を掻いた。


「いや、確か親に言われてやるようになったんすけど、俺自身はあんまり神様に祈ったことないというか、あんまりピンとこなかったというかで」

「実は、喋れなかっだだめに訊けでいながっだこどは、まだありまずの……。あ゛なだの、館に来る前の記憶って、どこまで残っておりまずの? 名前はわがらないんでじょう?」

「え?」


 ゾンビ嬢と青年はハッと目を合わせた。正確には、ゾンビ嬢は青年の顔を、青年が話す間ずっと不思議そうに見つめていて、記憶をたどるように視線を泳がせていた青年が、弾かれたようにゾンビ嬢の方へ目を戻してきたのだった。

 青年は、二人目を合わせたまましばらく沈黙し、自信がないような様子で小さな声で言った。


「わっかんないっす……。名前も、家の場所も、何して過ごしてたかも全然わかんないっすけど……、さっきのお祈りの話とかは、なんか、自然と口から出てくる感じで話してたっす。飯の前にこれをやるのも、体が勝手にやってたんで、特に意識してなかったんす……」

「うああ……、習慣になっでるごとは自然に出でぐるげど、記憶の形で思い出そうとする゛ど思い出せないってごとなのでずわね……。それはなんとも、あ゛なだのことを知ろうと思うと不便ですごど。他に、習慣でやっでいるようなごどはございませんの?」

「思いつかないっす……、けど、そういえば前に、吸血鬼さんにも、何の宗教を信仰しているのか、訊かれたことがあったっす。俺は、そのときも普通に、今みたいな感じで答えて……、親は熱心に教会に行ったりしてたけど、俺はあんまり興味がなかったって。そんな感じで答えたんす」

「ぞれはまた、不思議な話ですわね……。宗教のごどは、習慣のように答えられまずのね」


 ゾンビ嬢は、顎に手を当てて考え込んだ。青年は、ゾンビ嬢が出す答えを黙ってじっと待っている。


「宗教のことを答えるのも、習慣になってたんじゃありませんの?」


 そう、待って出てきた答えがこういうものだったので、青年は静かに首をひねった。


「解説を……、解説をお願いします……」

「あ゛なだの話では、ご両親は敬虔な信者だったけれど、あ゛なだ自身はそうではなかっだのでじょう。例えば、両親が教会に行っている間に、あ゛なだだけが家に残ったままだったのなら、他の周りの人どが、そう、近所の人どがに、不思議がられるごどもあったんじゃないがじら」

「ああ、つまり、『なんでお前だけ教会に行かないの?』って訊かれるたびに、俺は神様に興味がないんだって話をしていたから、宗教の事情を話すことだけは習慣になってるんだってことっすね」

「あくまで想像でずわ。でも、もじこれが本当の話に近いなら、あ゛なだのご両親は、相当熱心な信者だったのでずわね。そうでないと、その受け答えが習慣になるほど、尋ねられるごどもありまぜんわ」


 それから、ゾンビ嬢は物理的に硬い顔を一所懸命動かして、わずかにニコリとほほ笑んだ。


「もしがじだら、我々が信じていた宗教のごどを調べれば、あ゛なだの記憶が少しずつ蘇るかもしれまぜんわ。あ゛なだがここから出て家に帰るためには、まず自分のごどを思いだず必要がありまずものね」

「自分のことを思い出す……。なんでだろう、何も覚えてないことに順応しずぎて、考えもしてなかったっす……。さすが姉さん、頼りになるっすね!」


 ゾンビ嬢が朗らかに出した提案に、青年は感嘆の声を上げたが、その後、あれ? と顔をこわばらせた。


「でも。姉さんさっき、俺に館から出て行ってほしくないって……。それなのに、こんなアドバイスみたいなことしてくれるんすか」

「うああ、それはね、わだぐじに黙っていなぐなるような、知らないうぢにいなぐなるような、そういうごどには耐えられないという話でずのよ。二人で一緒に、あ゛なだがごごがら出る方法を探して、あ゛なだの、家に帰りたいという願いを叶えるごどができるのなら、ぞれで本望でずの」


 宗教の話をしようと思ったのも、何も自分の仲間を見つけたと思ってうれしかったというだけじゃないんですわ。あなたの記憶を辿るきっかけになればと思いまして。そういいながら、ゾンビ嬢は青年の、膝の上で丸くなっている手を取った。


「わだぐじが、かみさまにお願いじで喋れるようになっでまで、あ゛なだに伝えたかったごどというのはね。あ゛なだの願いを一緒に叶えたいって。ぞんな話なのでずわ」


 青年の心に、暖かな日が灯った。その感覚は、この館に来て初めてのことかもしれなかった。今までだって、吸血鬼に、館から出る方法を調べてもらったことがあるのにな。

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