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第十八話 昔語篇――その一

 店の中は、幅は狭いが奥行があって、しかし薄暗かった。照明の型が古いのだ。天井につるされた小さな三又のシャンデリアから、白熱電球の頑張りだけはうかがえる。奥に見える作業台にはテーブルランプが置かれていて、その周辺ならば明るく照らされているものの、部屋全体が明瞭に見渡せるほどにはならなかった。しかし、部屋の中に置かれた丸椅子や、壁面をことごとく覆う棚の数々はきっと上等なものだろう。暗い部屋の中、古いけれど綺麗な家具の木目が垣間見える様子が極夜の館と重なって、セレーンは懐かしい気持ちに満たされた。

 作業台の近くに三つほど並んで置かれた裸のトルソーを、セレーンは物珍しげに眺めていた。老人はそんな彼女を振り返ることなく、作業台の近くに置かれた丸椅子に座る。膝に片肘をついて背中を丸め、片手で頭を抱えるようにしながら、おもむろに切り出した。


「お嬢さん、あのタキシードを知っているのか」

「セレーンよ」

「はいはい、すまなかったセレーン。私はウィリアムだ」

「なんでわたしが、あのタキシードを知ってるってわかったの?」

「馬鹿を言いなさんな。君が言ったんだろう、あれは一点ものだと知って、『やっぱり』と。オーダーメイドの服屋でそんな質問をわざわざしておきながら、それでも、一点ものだろうと気付いていたんだろう」

「そりゃあ、そうよ。わたし、あんな派手なタキシードが似合う人、この世に何人もいないと思うわ」

「その似合う人に心あたりがあるのか」


 老人――ウィリアムは一度言葉を区切った。彼がつばを飲み込んで、息を吸う音が聞こえた。


「その人は吸血鬼か」


 セレーンは、はたと考えた。素直に言っていいものかしら。いいや、だめに決まっている。人外は人間に正体を知られてはいけないものだろう。それは人魚にとっても当然のことだったし、厳守される決まりだった。


「……いいえ、その、友達っていうか……友達じゃないわね。知り合いよ」

「そうか……その人は吸血鬼ではないのか」

「吸血鬼ではないと思うわ」

「それなら、このタキシードはその人にも似あうまい」

「え?」


 ウィリアムはようやく顔を上げた。こちら側に体を向け、作業台に背中をもたれさせて息をつく。セレーンに向き直ったのかと思ったが、いまいち視線が合わなかった。ウィリアムの視線の先を追えば、ショーウィンドウに飾られた、あのタキシードがあった。


「君の言う人が着てみたところで、何かしっくりこないはずだ。あれは昔、私が、吸血鬼の男のためだけに仕立てたんだ」

「それは、吸血鬼に、あれを作るよう頼まれたってこと?」

「……吸血鬼の話を随分易々と受け入れる。この話をすると、たいていの人間はまず、吸血鬼に会ったのか、とか、本当にいるのかと問う」

「なるほどね……確かに、そっちを聞くべきだったかもしれないわ」

「なんだ、面白いお嬢さんじゃないか。……さっきの答えだが、別に頼まれたわけじゃないさ。私が勝手に作ったんだよ。ある日、夜中に見た奴の美貌に、見合う一点が作りたくてね」

「夜中に……吸血鬼に会ったってことね」


 ウィリアムは玄関の扉を指さして、それからその指を円を描くように動かした。その周辺、を指す動き。


「ドアの横に、警告ポスターが貼ってあったろう。もう随分昔のもので、大して読めなくなっているが……」

「そんなのあったかしら?」

「あったさ、見てみるといい」


 一度外に出て確かめれば、なるほど、かなり古い紙が壁に貼ってある。端の方はボロボロになってしまっているし、色も茶色く褪せてしまっている。かろうじて見えるのは、タキシードを着た男の姿。パッと見では紳士服屋の看板に見えてしまうだろう。少し埃を払えば、何やら文字が書かれているのがわかった。セレーンが読めるものと言えば……1965……。


「あったわ」

「それだ。その吸血鬼に、私は会ったんだ」

「あれは吸血鬼のポスターなの?」

「それもわからないほどとは、あのポスターも古くなってしまったものだ。そうだよ。あれは、私が若いころ、この辺りで噂になっていた吸血鬼事件の警告を促すポスターだ」


 そこで、ウィリアムは片手で口元を覆った。たるんだ皮膚が、指に引かれてキュッと張る。


「……ここから先は私の気持ちの悪い幻想話に思われるかもしれない。君がその吸血鬼を知っているかもしれないと思っていたから、つい勢い余って話してしまいそうになったが、知らないようなら聞く必要もない」

「何よ、水臭いわね。話しかけたなら最後まで話しなさいよ。気になるじゃない」

「それなら、君はこの話を信じてくれるのか」


 セレーンは胸を張った。


「信じるわよ。もちろん。理由は言えないけれど、私、そういう話は疑わないの」

「なら、私はその言葉を信じよう」


 ウィリアムの語り口調は、始めのうちは、よくある老人の昔語りに思えた。

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