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第二話 人魚さんの足篇

「人魚さんって、どうやってここに来たんすか?」


 頬杖をついた青年が、上目遣いで問う。四人掛けの、長方形のダイニングテーブルだ。飴色の木目調で、揃いの椅子の上には、花柄のクッションを敷いている。


 吸血鬼はタキシードの上着を脱いで白いエプロンをかけ、頭巾を被って、夕飯の配膳をしているところだった。この部屋はキッチンの隣にあって、廊下に通じるドアとは別に、キッチンと直通の出入り口がある。キッチンを挟んだ向こう側にはちゃんと、館の元の主人が使っていたであろう大変に広いダイニングがあるので、こちらはおそらく使用人の休憩室であったと思われる。広さはそこまでなく、せいぜい四畳半といったところか。テーブルセット以外は小さな食器棚があるのみという簡素な部屋だが、大食堂と比べると掃除も気構えも楽なので、食事は専らこっちで済ませていた。


 話は戻って。吸血鬼がサラダボウルを両手に抱えてキッチンからこの食卓に入って来た時、既に席についていた青年が、先のように唐突に問いかけた。


「何を藪から棒に」

「いや、急に気になったんすよ。俺の場合は、たぶん森まで普通に歩いて来たけど、人魚さんは海の中にいたわけじゃないっすか。ふらふら歩いてたら森に迷い込みました~ってことはないだろうし、そもそも歩けないし。とか考えてたら、キリなくて。吸血鬼さんなら知ってるかと思ったんすけど、どうっすか? 人魚さんより先に、館に住んでたっすよね?」


 青年が、丸っこい目で彼を見つめる。吸血鬼はボウルをテーブルの中央に置いた後、右手を顎に添えた。


「ふむ。確かに、この館の今の住人で、最も古いのは私だけどね。ああいや、レディ・アンデッドがいるか。まあとにかく、人魚さんが館に来た当時、出迎えたのは私だけれど。彼女がどうやってここに来たかに答えるには、少々難しいものがあるよ」

「え、なんでっすか。見たまま教えてくれればいいのに」

「見たままと言われてもねえ、という話だよ。人魚さんに直接聞いた方が確かなんじゃないかな?」

「ええ~……、俺、あの人と話すの苦手なんすけど」

「何甘ったれてるのかねぇ。ほら、丁度いいから彼女の分のサラダを取り分けてくれよ。まだ料理も揃っていないようなテーブルに、だらしなく座ってないでさ」


 青年は渋々と席を立った。素直なところが、この子の美徳だよね。吸血鬼はニコリと微笑んで、すぐにその笑みを消した。キッチンに戻り、フライドポテトとキッシュの大皿を持ってくる。青年は食器棚から大きめの平皿を四つ取り出していた。そのうちの一皿に、トングでサラダを盛っていく。ちゃんと皿の端の方だ。サニーレタスからラディッシュ、トマト、順番に。几帳面だね。

 吸血鬼がテーブルに追加した二皿を見て、青年は眉間に皺を寄せた。


「またポテトとキッシュ……」

「え? なんで? ちゃんと揚げたてに焼き立てだよ。本当なら、キッシュは焼いて少し経ったものの方がおいしいと思うけど……君の好みに合わせてる」

「マジで全然そんな問題じゃないんすけど……。あんたレパートリー少ねえよな」

「ええ~?」


 吸血鬼の眉がハの字になった。


「君ねえ、まず吸血鬼に人間の食事を作らせていることに疑問を持ちなよ。そして、感謝するんだね。私がいなきゃ、生活力皆無の君は野垂れ死にだ」

「生活力って、どこからともなく食材を持ってくる能力です?」

「どこからともなくじゃない。可愛い妖精たちが運んできてくれる」


 吸血鬼は、エプロンの前掛けの部分をばさりとはためかせる。すると、エプロンから埃が落ちるように、小さなコウモリが何匹かはらはらと現れて、舞い散るように消えていった。


「使い魔じゃないすか」

「彼らは可愛い。寝ている間にお使いに行ってくれるんだよ。どこに行っているのかは知らないけど」


 語尾に笑いが滲んでいる。吸血鬼が今言ったような事情はよく考えれば怖いことなので、青年はよく考えないようにしていた。人魚の分の平皿に、今度はフライドポテトとキッシュを取り分けていく。全て適量、皿の真ん中を避けて。人魚は人間の食べ物を珍しがって食べるが、量はそれほど欲しがらない。


「そうだ、今日はお肉もあるんだよ。ステーキにしたから食べようね」

「え、急に豪華じゃないっすか~!」


 その時、激しい音がして、二人は同時にそちらを振り返った。部屋の外、玄関ホールの方からだ。ガタガタガタガタと、連続的な重い音。ひと際激しい音が止めば、今度はカラカラカラ……という、間違いない、車輪の音だ。馬車についているような、木製の車輪が回る音である。その音は順調に近づいて、休憩室の前で止まった。


「うああ~」


 ドアを開けたのは、ゾンビ嬢だった。相変わらずかっ開いた目の無表情だが、心なしかうめき声のトーンが高い。脹脛までのドレスの裾も、ルンルンと揺れていた。


「やあ。ご機嫌だね、レディ・アンデッド。人魚さんを呼んできてくれたのかな?」

「うああ」


 ゾンビ嬢が入室し、入り口の前から退くと、その向こうに現れたのは四角いシルエット。元気な声が響き渡る。


「取り舵いっぱーい! はーい、わたしが通ります! わたしが通ります! ドアしっかり開けといて!」


 魔物のような登場だな。吸血鬼もゾンビもいるのにこれが一番怖いんだよ。今朝これが導入されてから今まで早何回目か、青年は心の中でぼやいた。

 部屋に賑やかに入ってきたのは、「うごくシャワー水槽号」。台車に水槽が乗った、人魚のための移動用車両であった。


「うん、問題なく動いているようだね」

「今の所はね~。ただ、移動中はシャワーを使えないのがネックかな。あと、二階から降りてくる時、やっぱり階段を無理矢理進むと怖いんだよね。さっきはゾンビちゃんに支えてもらいながら降りたんだけど……壊れそうだもん。車輪と、あと館が」

「うああ」

「そうだね。次はエレベーターの導入も考えようか……」


 「うごくシャワー水槽号」は、昨日の人魚が風呂を独占していた騒動の際、吸血鬼と彼女の間に交わされた約束を元に作られたものだ。曰く、「私の妖精たちが一晩で仕上げてくれました」。

 水槽は薄型の長方形で、その幅は丁度この部屋のドアを通れるくらいだ。館内の部屋ならどこに入るにも困らないだろうジャストサイズである。高さは、人魚が尾ヒレを床面につけて立ち上がると鎖骨から上だけが出るくらいで、台車と合わせると2m弱になる。最大の特徴はシャワーがついていること。台車に搭載されたポンプで水槽の水をくみ上げる仕組みだが、このポンプ、出力の切り替えによって車輪を動かす動力となる。台車の天板の下で流水を作り、その力で車輪が回るのだ。舵は人魚の手が届く辺りに設置され、丁度車のハンドルをきるように、どの方向にだって進める。人魚は、どこにでも行ける足を手に入れてしまったのだった。


「なんで余計な機能つけたんすか」

「人魚さんが言ってたじゃない。たまには、自室の水槽以外の所にも行きたいんだって。確かに、人魚さんだけ引きこもらせておくのは可哀そうだと思って」

「あの、シャワーなんすけど……」

「ああ、大丈夫。走行中使えるようには絶対にしないから。そこらへんびしょびしょになっちゃうもんね」

「よかった……」

「なんだ、小僧。わたしの愛車に文句でもあるのか~?」


 人魚が、水槽の縁に両肘をついて青年を見下ろした。胸と腹がガラスにペタンとつく。


「無いっすよ。いいもんもらえてよかったっすね」

「ふふん、だろう。もうゾンビちゃんに部屋までご飯を持ってきてもらうこともないね」

「ううああ」


 人魚の言葉を聞いて、ゾンビ嬢は首をブンブンと横に振った。どうやら、別に嫌ではなかったよ、ということらしい。人魚は「ありがとう~」と言いながら、笑顔で彼女と握手を交わした。


「ご飯と言えば、これ、人魚さんの分っすよ」


 青年が、先程から取り分けていた平皿を持ち上げる。人魚に差し出す前に、吸血鬼の声がそれを遮った。


「あ~、待って待って、まだステーキ乗せてないから」


 フライパンとフライ返しを片手にキッチンから登場した吸血鬼は、慌ただしく青年の横につく。平皿にカットステーキを数枚乗せてから、フライ返しを持った方の手の付け根で、青年の肩をトンと押した。


「はい、いいよ」


青年から皿を受け取った人魚は、感嘆の声を上げた。


「今日はステーキがあるじゃないか……!」

「どうやら、運よく手に入ったようですね」


 人魚に答えながら、吸血鬼はテーブル上の皿にもステーキを乗せていく。まずは青年の皿に、人魚と同じ茶色いステーキを。向かいの吸血鬼と、その隣のゾンビ嬢の皿には、真っ赤なステーキを。

 人魚にフォークを手渡しながら、青年はその赤い物体を見た。喉がかゆくなるような感触を覚えて、つい渋い顔になる。


「それはもう、生肉じゃないっすか」

「ん? 生肉だよ。いわばスーパースーパーレアだよね。ソースは君と同じ」

「ゾンビの姉さんも生肉なんすか」


 既に席についているゾンビ嬢は、待ち遠しそうに、食事をじっと見つめている。青年は、彼女にもフォークを握らせた。館のカトラリーは全てステンレスである。


「そうだよ。どうやら彼女も血を好む」

「わたしは焼いている方が好きだよ」


 そう言う人魚は、既に食べ始めている。皿は水槽の角の縁に置いて、器用に立ちあがったまま食事をとっていた。青年は席につき、横目でその様子を眺める。ちょっと滑稽だなとか思っているわけだ。

 人魚は続ける。


「小僧が来る前の食事は酷かったんだよ。ねえ、吸血野郎」

「確かに、味気なかったね」


 吸血鬼がエプロンと頭巾を脱いで席につき、待っていた二人はやっと夕飯に手を付けた。大皿から平皿に、自分の分は自分で取り分ける。青年とゾンビ嬢が料理を取り終えるまで順番を譲った吸血鬼は、人魚の言葉に同意して、懐かしむように目を伏せた。青年は「ふ~ん」と、ポテトを皿に盛りながら頷く。人魚は、サラダをごくんと飲み込んで、フォークの切っ先を吸血鬼に向けた。


「味気ないっていうか、味なんか無かったじゃないの。小僧、あのね、わたしの元々のご飯は、でかい水槽の中に生肉をポチャンだったんだよ」

「生肉ポチャン?」

「そう! そいつ、上から餌を落としてくるの! たまにふら~と部屋に来て、肉塊を一個だけ放ってくるわけ。飼育じゃねえんだぞって感じ! だから、そいつが料理をするようになってびっくりしたんだよ。わたしは人間の食べ物がまあまあ好きだからね! この野郎、小僧には気を遣うから、わたしにとっちゃ棚ぼただよね」

「ちょっと人魚さん。あんまり生肉の話をすると、青年がご飯食べられなくなっちゃうでしょ」

「いや、目の前で生肉食ってるやつが何言ってるんすか」


 青年はポテトでいっぱいの口のまま言った。こら、お行儀が悪いよ、と、向かいの男が目で伝えてくる。

マナーまで弁えているくせに、なんだか不思議なものだ。話を聞く限り、吸血鬼たちに人間の料理は馴染みがないらしい。それにしては、フライドポテトは塩気がきいてカリカリで、青年の好きな味だった。もうちょっと太目に切ってくださいよって、今度言ってみてもいい。青年が館に来て最初に出された食事は、ちゃんと食べられるものだったと記憶している。確かに人魚が言う通り、初めからかなり気を遣われていたのかもしれない。


「まあ、海に住んでいたころは、生肉……っていうか、生魚を丸かじりっていうのが、普通だったけどね」


 半ば独り言のように人魚が言う。その言葉に、吸血鬼が反応した。


「あ、そうだ。人魚さんはどうやって館まで来たんですかって、さっきこの子が聞いてきましたよ」

「あ、ちょっと!」


 勝手に訊かないでくださいよ! と青年は抗議の拳をテーブルに落とす。だが至って軽くだ。青年は先の人魚の言葉を聞き流しかけていた。そういえばそれを知りたいんだった、というのと、もっと秘密裏に探りたかったのに、という気持ち。

 人魚は青年の様子を見て、にやぁと意地悪く笑った。


「何~? 小僧、わたしのことが気になるの~?」

「いやそういうわけじゃなくって。ほら、そういう反応するから直接聞きたくなかったんですって。もう」

「ごめんって」


 青年が恨みがましく睨むと、吸血鬼は困ったように小首をかしげて微笑んだ。


「で、やっぱり人魚さんは、元々海に住んでたんすね?」

「おう、エーゲ海だぞ、エーゲ海。お嬢様だから」

「いや、それ冗談かどうかもわかんないんで……。人魚間の出身地ブランドとか知らないし」

「なんだ、陸では通用しないの?」


 人魚は、キッシュをちまちまと崩しながら食べていた。三角に切られた、小さい一切れだ。ほうれん草の緑がちらちらと見える卵色。人魚の皿には、もうキッシュしか残っていなかった。


「わたしがどうやってここに来たか、吸血鬼は答えなかったわけ?」

「私に答えられることなんて、たかが知れているでしょう」

「それもそうだね。で、それはわたしも同じ」

「え、どういうことっすか」


 青年は、ステーキの最後の一切れを口に運ぶ手を止めた。青年の皿には、まだサラダとキッシュが少し残っている。

 人魚は、青年を見返して言った。


「小僧だって、自分が元の家からどうやって森の近くまで来たのか、覚えてないでしょ」


 青年は視線を落とした。


「確かに……」


 そもそも、自分の家がどこにあったのかすら、青年の記憶には無かった。

 青年の記憶の始まりは、あの場所からなのだから。

 森の外から森の中を見た、最初で最後のあの場面。そうだ、確かあの時、周囲は黒い霧に覆われていて、森の入り口だけが見えていた。


「森に辿りついてから、わたしは腕で這いずって館の入り口まで来たんだよ。そこで気を失ったの。その次に目が覚めたときは、館の二階、サロンにある大きい水槽の中だった。ゾンビちゃんが運んでくれたんだよね」

「うああああ」


 ゾンビ嬢がまっすぐに挙手をした。よしよし、と人魚がその頭に手を伸ばす。しかし、椅子に座っているゾンビ嬢にはいまいち届かなかった。


「わたしを発見してくれたのも、運んでくれたのもゾンビちゃんだから、吸血野郎が何も答えられなかったもの頷けるって感じ」

「そういうことっすか……」


 ゾンビ嬢が立ち上がり、人魚の手が届くところまで近寄っていく。吸血鬼は、静かに席を立った。いつものように、食後のローズヒップティーを淹れに行くのだろう。青年は人魚の笑顔を見上げた。


「じゃあ、海から森にどうやって来たのかは、誰もわからないんすね。俺、人魚さんは歩けないのになあって、そこがすげえ気になってたんすけど」

「うーん……そうだなあ。そういうことなら、一つ面白い話があるよ」


 人魚は、残りのキッシュを一気に掻き込んだ。綺麗になった平皿をゾンビ嬢に渡した後、一度水槽の中に頭まで沈んで、それから勢いよく飛び出す。水槽の縁に手をかけて、改めて青年に向きなおった。


「その道中のことはよく覚えていないけれど、森の入り口に来た時点のことは鮮明に覚えているの。わたし、あの時はとても疲れていたけれど、どちらかというと気疲れで、体力的にはそれほど弱ってなかったよ。もちろん、人魚が陸を移動してきたわけだから、それなりにしんどかったと思うけど、例えば三日三晩移動し続けたとか、そんな疲れ方じゃなかったってこと。どういうことかわかる?」

「……どういうことっすか?」


 人魚は、頬杖をついて目を細めた。青年はその目をまっすぐに見つめる。見下ろされるその角度が高圧的に感じて、目の前の生き物が、急に恐ろしいものに変ったようだった。


「わたしがここに来たその時、この茨の森は、海から近い場所にあったってこと」


 今は、この森の周辺に海は無いよ。

 人魚はまた水槽に潜って、今度は水の中から青年を見つめた。

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