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第十七話 知ってるタキシード篇

 辺りをぐるりと見渡してみる。そこは、先ほどのショッピングストリートに比べれば閑静な街並みに思えた。密集するような人込みも、きらびやかな看板も見当たらない。人通りはまばらで、三階建てくらいのレンガ造りの棟々が狭い道の全面を覆うように影を落としている。空気もどこか湿気たようであって、それを肺いっぱいに吸い込めば、人魚だからか知らないが、セレーンの胸は多少落ち着きを取り戻した。


 いや、迷子になったと思うから迷子になるわけだ。セレーンが図書館に行くというのは、そもそも義務ではない。要はジャクソンが帰ってくるまで時間を潰せばいいのだろう。あ、彼は図書館に迎えにきてくれるのだったか? それも大丈夫大丈夫、時間をかけて歩いていけばいずれつくはず。セレーンは大型ファストファッション店でスニーカーに履き替えていた。服も、動きやすいひざ丈のフレアワンピース。パンプスで茨の森を歩いたのに比べれば、楽勝。


 そう思うと、ここもなかなかいい場所ではないか。賑やかさはないが落ち着きがある。商業が盛んな表通りとは離れているからだろう、建物はさらに古く、哀愁を纏っている。まるで通り全体がアンティークの家具だ。極夜の館のニスが取れたタンスを思い出す。ああ、懐かしさを感じるのはそのためか。

 中央の道路を挟んで両側に歩道があり、さらにそれぞれ道沿いに建物が並んでいる。建物の一階にはテナントのテントや看板がぶら下がっているが、店の中は暗く、営業しているのか定かじゃないところも多かった。

 なんとなく、道行く人と同じ方向に歩いてみる。しばらく行くと、道を挟んだ対岸からいい匂いが漂ってきた。見れば、パン屋がある。オレンジ色のテントにクロワッサンの絵が描かれてあって、その下のドアからはみ出すように何人かが列になって並んでいる。行列ができるなんて、この辺りでは一番繁盛している店なんじゃないか。イートインスペースはあるだろうか。

 道路を渡る時は、右見て、左見て、もう一回右を見るのよ。覚えたばかりの約束を頭で復唱しながら実行する。さて、最後に右を見たとき、ふと今立っている道側にある店のショーウィンドウが目に入った。

 この場から、もう少し前方に歩いた場所にある店だ。ショーウィンドウといっても正方形の窓が縦に四つ、横に四つの計十六並んであるタイプで、つまり格子状になった窓枠が邪魔になって、遠くからは中の全体像は見えない。それでも、そのショーウィンドウの中に飾られていたものというのは、途切れ途切れに見える部分だけで、セレーンの目を引き付けるに十分な代物だった。


「……なんで?……」


 それは、セレーンになじみ深いタキシードだった。黒の上着に黒のズボン。上着の胸元には金糸の刺繍が施された上、裾にかけて装飾が施されたそれは派手で煌びやかだ。ドレスコードを満たすのかはわからない。格式高い式典などには着ていけないものだろう。趣味で着る分には妖艶で美しいが、しかし個性的な分、着る人を選ぶだろう。

 それは極夜の館で見た、吸血鬼が着ていたタキシードだった。間違うはずもない。セレーンが午前中に見た店では、同じ種類の服がハンガーに沢山かかっていた。人間の服はああいう風に売っているものなのよね? でも、あの吸血野郎のために繕えたような服が、この世に二点とあるのかしら。セレーンは、このタキシードを吸血鬼以外の人物が着ている様子を想像できなかった。


 チャリン、というドアベルの音がした。視界の端で、扉が開く。


「学生さんがこんな場所に珍しい。若い女性の一人歩きは危ないと、この辺りでは有名なんだが」


 開いたのは、ショーウィンドウ横の緑色の木製ドアだった。出てきたのは小柄な老人。白髪も随分細くなって頭皮がちらりと見えているが、なぜか品がある。姿勢がいいから。それに、服の艶もいい。しかし眼光は鋭い。言い訳を考えるため少し上に視線をずらせば、ドア枠の上部には、紳士もののスーツの絵が描かれた吊り看板がくっついていた。ここは紳士服屋さんなのだ。


「吸血鬼が出るからな」


 その言葉を聞いて、セレーンは驚いてパッと老人に視線を戻した。三角型の目と、ばっちり目が合う。質のよさそうな白いシャツを腕まくりしている老人は、そのしわがれた皮膚がむき出しになった手をすっと上げて、道の向こうを指さした。


「向こうにでかいショッピングモールができて、若いのはみんなこっちまで来なくなった。まあ、上等なスーツを仕立てようなんて齢じゃないんだろうが。……迷ったんならあっちにいきなさい。あの遠くに見えるバス停に乗れば、駅にだって行ける」

「……、あ、迷ってはいるけど、違うのよ。図書館に行こうと思ったの」

「図書館? この辺りならいくらでもあるだろう。どの図書館に行きたいんだ?」

「一番大きいところ」

「……そりゃあ、表通りから来たなら、この道を通ると遠回りじゃないか……?」

「バスから降りてわからなくなったのよ」

「バスで向かったなら本当にすぐそこだったと思うんだが。さてはバス停から背を向けて歩いたな。学生なら図書館くらい行き慣れなさい」

「学生じゃないわ」

「そうかい、若いお嬢さん。とにかく、図書館に行くにしても一度バスに乗りなさい。今度はバス停に降りたら、まっすぐ前を見るんだぞ」

「待って、聞きたいことがあるの」


 セレーンは、店に引っ込もうとする老人を引き留めた。それから両手にわけて持っていたショッピングバッグを片手に纏め直して、空いた手でショーウィンドウのタキシードを指さす。


「この服は、他にも何着かあるの?」


 老人は眉をひそめた。セレーンに答える声は少々不機嫌そうに低まる。


「いいや。一点ものだ。うちはオーダーメードの紳士服屋だぞ。しかも、それは非売品だ」

「やっぱり!」


 セレーンが確信したという風にポンと声を上げたのを聞いて、老人は目を丸くした。それから、一度視線を足元に落とし、次にドアノブを握る手を見つめる。セレーンがその老人の挙動を、首をかしげて見ていると、老人はセレーンを振り返らずにドアを少しだけ大きく開けた。


「少し、中に入っていかないだろうか。お嬢さん」


 老人の緊張が、その声を通してセレーンに伝わった。

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