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第十五話 男篇

 しかし男はあからさまに訝しげな顔を作るや、鬱陶しがるように否定した。


「は? 何? 違うけど」

「……嘘ね。わたしそのやり方知ってる。あんたが話したくないことを誤魔化すときにたまにやるのよ。わざとらしく人を馬鹿にするの」

「……」


 部屋に入ってきた男は、デスクに備え付けの木製の椅子に反対向きに腰かけた。組んだ腕を背凭れに乗せ、探る目でセレーンを見つめる。デスクはちょうどベッドの枕側と向き合う場所にあり、二人は絶妙な間合いをとって正面から対峙する。


「僕を、知っているような口ぶりだけど。初めて会うよね、お姉さん?」

「は? 何言ってんの? 何その口調。ていうか、あんたいつ森から出てきたのよ。 わたしと一緒にじゃないわよね? それなら、全然気づかなかったけど……」

「あの、待って待って。これはしらばっくれてるとかじゃなく、本当に意味がわからないんだけどさ。さっきから何の話をしてるの? 森って何? 出てきたも何も僕は近年ずっとこの街で暮らしてる」

「えぇ……?」


 セレーンは困惑して黙りこくった。もしかして人違いだろうか。よく見れば、既知の彼とは服装が全然違う。彼はいつも派手な装飾がちりばめられたタキシードを、さも吸血鬼であることをひけらかすかのごとく律儀にしっかり着こんでいた。目の前の男が着ているのは……何と言うのだろう、セレーンはその服の名前を知らなかった。褪せた藍色の丈夫そうなズボンに、ダボッとした上衣。上衣には帽子がくっついている。なんだか、あの狼疑惑の青年にでも似合いそうな軽い服装であった。

 しかし、顔はどう見たって彼の吸血鬼の顔である。こんなにも美しい男の顔をそうそう見間違うはずもなかった。とはいえ、この様子では本当に人違いか、セレーンのことを忘れてしまったか、何か正体を言えない事情でもあるか、あとは……現在は、森で二人出会う前の時間であるか――。

 とりあえず、一旦この場をしのげればいいか。一番あり得ないだろうなという説をセレーンは口に出した。


「ごめん、人違いかも」

「ふうん、そう」


 あほらもう絶対人違いじゃないわ。この「君が言いたくないなら私だって深くは聞かないけれど、その代わり私のことも多くは聞かないでよね」みたいな態度。「ふうん」だ。「ふうん」に、そんな意思が全部表れているのだ。このままでは永遠に誤魔化されるままだろう。それでは埒が明かないことを、セレーンはこれまでの付き合いの中で心得ていた。

 だから。


「わ、わたしは人魚よ!」


 こちらも人外であることを明かすことにしよう。


「人魚? いや、確かに君、川を流れてきたけど。人魚なら海に住んでるんじゃない?」

「あの、あの川は海水交じりだったでしょ? だから間違えたのよ!」

「海に住んでて、間違えることある?」

「間違えたのーーーー!!!!」


 実際、間違えたのである。森の門の外に現れた川を、自分の故郷の海だと思ったからこそ飛び出したのだ。それで、今こんな全く知らない場所にいる。


「わたしも人間じゃないから、あなたが吸血鬼だってわかったわけよ」

「僕は君が人魚だと言われてもわからな……」

「わたしにはわかるの!!!!! そうだ、あんたちょっと水を持ってきて」

「何? 飲むの?」

「なんでもいいわ。あ、でも喉は乾いてるからせっかくなら飲み水持ってきて」


 セレーンに急かされ、男は不審がりながらも部屋の隅にある背の低い冷蔵庫に向かう。新品のペットボトルの水を取り出してきて、わざわざ蓋を開けてやってからセレーンに渡した。


「ありがとう」


 セレーンはその水を一口飲み、まずは喉を潤す。それから毛布をガバッとまくりあげ、一糸纏わない足を露わにした。


「うわ君、上半身だけじゃなく下半身まで……」

「うるさいわね、ちょっと見てなさいよ」


 セレーンはペットボトルの水を掌へ、肌を濡らす程度に垂らす。その濡れた手を、ボディクリームでも塗るように足先に擦りつけながら、念じるようにこう繰り返し始めた。


「戻れ~、戻れ~」


 その怪し気な行為の様子を若干遠巻きに見ていた男は、驚愕に目を見張ることとなった。念じながら水を塗り付けた足の指が、きしむような音を出しながらくっつき、平らに形を変えていく。

 セレーンは続けて同じように、ふくらはぎから太ももまで、その内側をなぞるように水を塗っていった。塗った水が接着剤になるかのように皮膚と皮膚をつなぎ、両足を一本の形にしていく。


「ふんっ、ふんっ」


 足の付け根まで塗り終わると、次には、両足の間をしっかりくっつけるように両手でプレスし始めた。するとみるみるうちに色まで変わって、人の形を失っていく。


「そんな……力技で」


 最後、男に向かってセレーンが差し出したのは――まぎれもなく、ハナダイに似たピンク色の尾ひれだった。


「はあ、はあ、どうよ……」


 一仕事終えたと言わんばかりにセレーンは、軽く息切れした様子を男に見せつける。


「想像と大分違う感じだけど、君は人魚だね、確かに」

「言ったでしょう? 嘘じゃないのよ。さっき言った話もね」

「今の映像が衝撃すぎてさっきの話とか忘れた。え、それ、水の中にいなくても平気なの?」

「多少は大丈夫。でも、苦しくなるのは嫌だからすぐに戻るわ。お前、鋏持ってる?」

「……まさか」

「早く~!」

「は、はいはい」


 鋏を手渡すと、セレーンは尾ひれの別れ根に刃をあてがった。手首の角度がきつそうだが、それでも慣れた様子で鋏を動かす。軽く切り込みを入れた後は、布でも割くかのようにシャーーーッと一気に股まで切り裂いた。

 尾の断面からは大量の血が噴出し、白いベッドシーツに血溜まりを作りあげた。しかしそれもすぐに止まり、患部は人間の皮膚に覆われて、健康な足の形に整えられる。


「できた。ごめん、いっぱい血が出るの考えてなかった。ベッド汚しちゃった……。わっ」


 セレーンの顔が、白いタオル地に覆われた。広げてみればバスローブだ。男がバスローブを、セレーンの顔に向けて投げてよこしたのだ。


「いいよ。どうせ洗濯はホテルがしてくれる。彼女が生理になったってことにするから」


 言いながら、男はセレーンにそこをよけるように手で促した。その指示に大人しく従い、セレーンはバスローブを羽織りながら横にずれる。男は床に膝をつくと、ベッドにできた血溜まりに口をつけた。


「……!」


 チュウ……ッ……。ベッドシーツに吸い付き、貪欲に血を啜る音が続いている。セレーンの顔は知らずものすごい形相になっていた。引いたのだ、純粋に。普通に。

 チュパッと鳴らして、男はシーツから口を離した。こちらを振り向きはしない。顔面はきっと真っ赤に染まっているだろう。セレーンにその鮮烈な様を見せないよう、男は黙って洗面所に向かい、顔を流し、前髪が湿った状態で戻ってきた。


「君のドレスからは血の香りがしていた。怪我をしているならちょうどよくご相伴にあずかろうかと思っていたから、体を見て残念だと思っていたんだよ」

「ああ、あれはわたしの血じゃないわ……」


 青年の掌から出血したものだ。セレーン自体は全くの無傷。もし怪我をしていたら、今のように、自分の体から吸われていたのか。

 吸血鬼が血を啜るところを見るのは、たしかこれが初めてだった。彼はいつも生肉などで済ませて、いわゆる血液らしいものを求めたことはなかった。


「わたしのドレスは?」

「洗濯中だよ。終わるまでそれを着ておいて」

「わかった」


 吸血鬼は、先ほどまで血を啜っていた口を三日月型に曲げ、目を細めて微笑んだ。


「僕はジャクソン。吸血鬼」


 そう言って、男は手を差し伸べる。その手を一度じっと見てから、セレーンは力強く握り返した。


「セレーンよ。元、人魚」

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