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第十三話 トランプゲームと森散策篇

 オールドメイドで負けて、青年は極夜の館を飛び出した。


§


 夕食の後、サロンでは、セレーンの希望に応えてトランプゲーム大会が執り行われた。大会といっても、元人魚のセレーンにとっては初プレイの機会だったので、今回はオールドメイドのみで勝負をすることになった。つまり、順番に隣の人の手札を引いていって、最後にジョーカーを持っていた人が負ける、あのメジャーなゲームである。

 試合中は、向かいあったソファーに、男女で分かれて座ることになった。セレーンは、ゾンビ嬢の隣を譲らなかったのだ。

 で、青年は何というか、心理戦が少々苦手だった。


「なんでセレーンさんにまで負けるんだ? あんた初めてやるんすよね!?」

「元見る専を舐めるんじゃないぞ、小僧」


 極夜の館で住人たちがトランプゲームをやることは、これが初めてではない。青年と吸血鬼、ゾンビ嬢の三人は、度々、大水槽の前にカードを広げて楽しんでいた。館には、娯楽と呼べるものが少ないのだ。セレーンはいつも、そのゲームの様子を、水槽の中から覗いていたのである。


「お前らの癖や表情の変化は、この中の誰よりも詳しい自負がある」

「とんでもねぇ初心者モンスターだ……」

「それはちょっと気恥ずかしいねぇ」


 吸血鬼が、はにかみながらそう言った。彼は準優勝だった。ポーカーフェイスが得意で、常に一定の笑顔を浮かべて青年に手札を引かせる。


「あんたは、見ててつくづく思うわよ、小細工が得意な小賢しい野郎だってね。まあ、一番読めないのはゾンビちゃんだけど」

「あー、わかるっす。姉さんに本気出されると、もうなんにもわかんない」

「レディ・アンデッドの表情筋は、ほとんど死後硬直してしまってるものね」

「うああ」


 みんなに視線を投げかけられて、ゾンビ嬢は誇らしげに胸を張った。彼女は無表情の達人。吸血鬼といつも張り合っていて、今回はなんと優勝だ。


「レディ・メイドっすね」

「“レディ・メイド”は“既製品”なんだよ」


 吸血鬼は足を組み替えた。


「でも君、オールドメイドでこの有様なら、ポーカーなんてやると酷いだろうね」

「はっ、甘いっすね吸血鬼さん。あんな難しいゲームなんてね、ルールさえ覚えなけりゃいいんすよ。ルールわからなければね、やることもないじゃないすか。やらなければね、負けねぇんすよ」

「え、だから、私は何度も教えようとしてるじゃない? なんでそんなに態度大きいの?」

「ポーカーの役も覚えられないほど馬鹿だからでしょ」

「セレーンさんは知らないでしょうけどねぇ! カードの、あの、組み合わせとか全部覚えるのすげえ大変なんすよ!?」

「わたしは小僧の隣で勝手に覚えたけど?」

「えっ」

「小僧の教育してる吸血野郎の手元見ながら覚えたけど?」

「……」


 ツンと顎を上げるセレーンの横顔は、Eラインが出張って美しく、横目で青年を見る様子は、とても腹立たしかった。愕然とした青年の横にゾンビ嬢が座りにいき、肩を抱いてやる。


「これじゃあ、ポーカーやっても最弱は君だろうね」

「小僧がまともにできるの、スピードしかないじゃん」

「記憶ゲームも、レディと私の一騎打ちになりがちだしね」

「……」


 さて、結論から話せば、うつむいて黙りこくってしまった青年を、セレーンがニヤニヤとしながら煽ったのが悪かった。


「お? なんだ小僧? 逃げる? また、逃げるのか?」

「……」

「あは、いいよ。君ったら、最近はアレやらなくなちゃったから、ちょっと寂しかったんだよね、私。またタイム計るね」

「あっ、わたし、ついて行く! 茨の森も歩いてみたいの!」

「もう少し歩く練習しないと、危ないんじゃないですか?」

「ええ~?」


 青年は、肩にかかったゾンビ嬢の手を優しく退けて、それからガタンッ! と、音を立てて立ち上がった。


「そこまで言うなら、出ていってやりますよ。こんな館に居られるか! ……ってね!」


§


 そういうわけで、はい、現在。

 青年とセレーンは、二人で茨の森の中を歩いていた。


「ここの木の幹に手をついて、飛び越えてきてください」

「え!? どうやって!?」

「こう……、体を持ち上げる感じで」

「わかんない! できない!」


 館を鳥の巣のように囲む茨の木々。その間をくぐりぬけて進むことは自分にはまだ難しかったと、セレーンは痛感しているところだった。人間の体にまだ慣れていないというのもあるが、それ以上に、棘ある枝が網の目のようになった中を軽々進むには、青年くらいの高い運動能力が必要であるようだった。


「え~、じゃあ、手、貸してください」

「え? こう? どうするの?」

「よいしょっと」

「うきゃああああ!」


 青年は横たわった太い木に飛び乗ると、セレーンの両手を捕まえて引っ張り上げた。不安定な状態でふわっと体が浮く感覚に、セレーンは悲鳴を上げて目を瞑る。青年はそのままの流れで、木の向こう側にセレーンを下ろすと、自分は手も使わずに飛び降りて、音もなく着地した。


「お前やっば……」

「そうっすか?」

「やっぱ獣は違うな……」

「獣ではないんすけど……」

「しまった、これ言っちゃだめなんだっけ」

「え?」

「なんでもない」


 木を一本乗り越えても、すぐに次の障害物が目の前に現れる。今までに何度も脱走を図り、森を走ることにすっかり慣れた青年は、なるべく通りやすい大きさの隙間を探してはそちらにセレーンを導いていった。頭上注意です。おっけー、ガイドさん。


「いや、まだ吸血野郎に口止めされてんだよね」

「え~? なんすかそれ、すごい気になるんすけど? 吸血鬼さんが、俺のこと、獣って言ってたってことっすか?」

「うーん、まあそう」

「はあ~、悪口? 俺、そこまで言うほど馬鹿っすかね?」

「あいつに聞けば?」

「嫌っすよ、わざわざ自分の悪口聞きに行きたくないっす」


 軽口を叩くふりをしながら、それにしても、とセレーンは考える。館の住人は青年の鏡像を何度も目にしている。すなわち、自己申告では人間であるという彼は、鏡の中では服を着た狼の姿で映る。彼が狼男かもしれないことを、どうして吸血鬼は、彼自身に秘匿するのか? 青年がショックを受けないように等ともっともらしいことを言っていたが、そうとは言っても、いつまで黙っているつもりなのか。

 常々あいつって、何を考えてるのかわからないのよね。セレーンは、地面を蛇のように這う茨の枝を足先で避けながら、心の中でつぶやいた。


「セレーンさん、前!」

「え?」


 青年の声に顔を上げると、目の高さに大きな棘が迫っていた。驚いたセレーンは声を上げて、とっさに膝を曲げ避けようとする。しかし、その拍子にバランスを崩し、後ろに倒れかかった。


「あっ」

「っぶねぇ!」


 セレーンは、尻もちをつくギリギリの所で青年に抱きとめられる形になった。青年の片腕に背中を支えられている。彼のもう片方の手は頭上の茨の枝を無造作につかんでいて、なりふり構わず慌てて助けに来てくれたのが見てわかった。セレーンは、青年に支えてもらって体勢を整えてから、彼を見上げる。しかし、怯んだ肩は上がったままになった。


「ごめん、前見てなかった……」

「いや、俺も勝手に先行っちゃってすみません」

「怒らないの? 怒ってもいいのよ。わたしが森に行ってみたいって言ったから、ついてきてくれたんでしょ?」

「いやあ、なんていうか、あんたに煽られてむかついたっていうのも本当なんすけどね」


 そう言いながら手をはたこうとした青年は、そこで、片方の掌から出血しているのに気が付いた。彼が、あ、と言うのを見て、セレーンも気づく。


「血出てるじゃん! ごめん、さっき助けてもらったときだよね!? 枝を掴んだときに、棘が刺さったんだ!」

「全然止まらないっすね」

「ごめんごめんごめん! わたしのせいだよ! 早く手当しないと!」

「これくらい大丈夫っすよ、それより、ちょっとしか進んでないんで、もうちょっと行きましょう」

「全然止まらないって言ったじゃん! 止まらないってことは、危ないってことだぞ!!」


 館に戻ろう! どうせどこまで行っても森なんでしょ! いやそうっすけど、森の中を走るのも楽しいんすよ。

 血で染まる方の手首をセレーンに捕まれて、結局、青年は館に戻ることに頷いた。


「でも、そんなに気にしないでくださいね。吸血鬼さんとか器用だから、こういう手当も得意そうですし」

「うう、小僧が怪我したって言ったら、あいつにもゾンビちゃんにも怒られそう」

「怒らないっすよ、セレーンさんのことは。……ところで吸血鬼さんって、血を見たら狂暴化したりとかしないんすかね。吸血鬼って、そういうとこ大丈夫なんすか?」

「え? 知らないわよ、そんなこと。人外でひとまとめにするんじゃないって、何度も言ってるでしょ」

「え~」


 そんなやりとりを交わした後、青年は館がある方向に向き直って、帰りのルートを確認する。なるべく手を使わない道がいいな。どっちから行けばいいだろう。


「あいつ、ちょっと変に過保護なところあるし。大丈夫だと思うけどね」

「あ~、わかります。吸血鬼さん、結構世話焼きっすよね」

「お前には、特にね。何考えてるのか知らないけど」

「さあ~?」

「でも、少しくらいは、そうやって疑ってかかるのも大事かもしれないわよ」

「元からの性分だと思うんすけど……え?」

「あんた、心理戦苦手なんだから」


 ふと、セレーンの声のトーンが落ちた。振り返れば、彼女は後ろで両手をつないで上目遣いに青年を見つめていた。なんで急に悪口言われたの? 青年はとりあえず、まあそうっすかね、と言って頷いた。


「セレーンさん、帰り、こっちから行きましょう。疲れてないっすか?」

「大丈夫よ」


 青年が示した道は、先ほど通ってきたところから少し右に逸れたルートだった。頭をかなりかがめないといけないが、木を飛び越える必要がなく、手を使って体を支えなくても進んでいける。

 セレーンは、行きの時より真剣な様子で青年の後に続いていった。今度は転ばないように、前方と足元を順番に確認しながら、慎重に。進度は少し遅れ気味になってしまうが、青年は文句も言わずに、セレーンの様子を窺いながら待ってくれている。

 いい子だからな、小僧。あの野郎が気に入るのもわかるんだ、本当は。寿命の長い生きものは、多分、こういう純粋な輩に惹かれやすい。


 その時、セレーンの鼻腔に、ツンとする懐かしい香りが届いた。


 塩の香り。


 後ろからだ。館からは遠く離れたところから、水の気配を感じる。

 なんで。

 顔を上げれば、大きな驚愕に満ちた青年の顔があった。見開かれた目は、セレーンの背後の光景をとらえている。

 セレーンは青年の視線の先を勢いよく振り返った。そして大きく息を吸い込み、


「小僧……!」


 吸い込んだ息は、驚いた勢いに押し流されて、ほとんど声にならなかった。


 茨の木々がゆっくりと動き、セレーンの足元から一本の道を切り開いていく。やがて視界はまっすぐ遠くまで伸びるようになった。入り組んだ森が不思議な力で解けて、そこに現れた黄土の小道は、かつて見た、森の入り口を開く尖った黒門に繋がっていた。

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