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第十二話 クローゼット発掘篇

§


「なんてね」


 つぶやく、吸血鬼の顔色は少しだけ悪くなっていた。


 平穏が崩れる。それは、約束された未来である。


 この居場所を手放さないために、自分は何をすべきなのか。


 いや、何をせずにいるべきなのか。


 飲み干したティーカップを持って、静かにキッチンへ消えた。


§


 所変わって、二階のゾンビ嬢の部屋では、人数に見合わないほど賑やかな女子会が行われていた。テンションの高い会話の裏で、ガサゴソ、段ボール箱が積みあがる。バタバタと、ひっきりなしに足音が往復する。

 ゾンビ嬢の自室はサロンの隣。青年の寝室に対しては、廊下を挟んだ正面に位置する。青年の寝室は、廊下に四つ並ぶ客間の一つだが、ゾンビ嬢の部屋は、元々館の令嬢の部屋だったようだ。客間に比べて面積が広く、サロンと反対側の突き当りにある主人の部屋と比べても、見劣りしない大きさである。ここを彼女の部屋と決めたのは、吸血鬼だ。理由は他でもない、種々多様なドレスが揃う大きなウォークインクローゼットが、ここに備え付けられているからである。


「帽子の箱、ここに置いておきますよ」

「わかったぁ。あ、その靴はヒールが高すぎるから、中に戻しといて」

「はいはい」


 女子会に一人放り込まれた青年は、人魚から、「クローゼット発掘係」に任じられていた。華奢な装飾が彫り込まれた両扉を全開にし、中のドレスやら靴やら帽子やらを、取り出しては仕舞い、探しては運び。額に浮かんだ汗を拭って、クローゼットの外で衣装を広げてキャッキャしている女子二人を、気おくれしながら見つめた。


「ゾンビちゃんはフリフリのやつが似合うから、シンプルなのはわたしが貰ってもいいよねぇ?」

「うああ」

「え? こっちのも貰っていいの? フワフワしてる生地で可愛いのに……、ああ、青はあんまり好きじゃないんだ?」

「うう」


 人魚に仕舞うよう言われた靴をクローゼットに戻した後、青年は一度休憩しようと、二人の近くの床に腰を下ろした。


「盛り上がってますねぇ。そんなに沢山要りますか?」

「お前は、人魚が服というものに持つ憧れってもんをわかってないな。これは宝の山なんだ。それなのに、今までは大半が眠ったままだったわけよ、勿体ない」

「そりゃ、ゾンビの姉さん一人でこの数を全部着ることはないでしょうね。クローゼットっていうか、衣装部屋って感じっすもん」

「元の持ち主は全部着てたのかなぁ」

「うああ!」

「着てたと思う?」

「うあ」


 ゾンビ嬢は、両手いっぱいにドレスを抱えたまま頷いた。手に持っている分の服は、全部人魚のものにするのだろうか。まるで自分の服を選んでいるかのように、ソワソワと楽しげなゾンビ嬢は、今日は濃い緑色のフリルドレスを身にまとっている。

 一方、人魚が着ているのは、赤いタイトなスリットドレスだ。今はパンプスを脱いで裸足になっていて、白い肌が腿からつま先までまぶしい。


「かっこよくて、人魚さんっぽいドレスっすね」

「おう、人魚だからな。スレンダーにいくぞ」

「今の姿で人魚さんって呼ぶのも、変な感じっすけど」


 青年がそう言うと、人魚は「確かに」とつぶやいた。それから視線を上に逸らして、少し考えこむ素振りを見せた後、青年に向けてビシッと人差し指を立てた。


「じゃあ、わたしのこと、セレーンって呼んでいいぞ」

「セレーン? どういう意味っすか?」

「わたしの名前」

「……」


 名前。あっけにとられて、青年の口が開いたままになった。チラリとゾンビ嬢を見ると、彼女は何やら訳知り顔で頷いて、こちらを見返してきた。それから、呻き声しか出ない喉を器用に使って、「ぜぇあーん(セレーン)」と、その名前を呼ぶ。姉さんがしゃべった……。人魚のカミングアウトについて一緒に戸惑う仲間を求めていたのに、逆に更なる驚きが追加されてしまったわけだ。いやしかし、どうやら、ゾンビ嬢にだけは既に伝えられていたらしいぞ、人魚の名前。

 あんぐりと開いて塞がらない口のまま、青年は搾り出すように言う。


「あんた名前あったんすか」

「あった」


 あっけらかんと、人魚……改め、セレーンは頷いて、それから、柔らかく微笑んだ。


「初めて人間になったとき、浜辺で倒れていたところを助けてくれた男がいてさ。そいつにつけてもらった名前なの。だからこれは、人間としてのわたしの名前」


 セレーンがなんでもないように明かした情報に、青年は面喰って口を噤んだ。ドレスの仕分け作業に気を取られてすっかりその話を振るのを忘れていたが、目下不可解なことと言えば、人魚が人間になれること、そしてその方法。今のは、その原点の話だろうか。

 青年の狼狽した様子に気付いているのかいないのか、どこか遠い目をしたセレーンは、半ば独り言のように続ける。


「言われてみれば、これから人間として生きるなら、名前があった方がいいよね。うん、よし。セレーンって呼んでもいいよ」

「セ、レーン、さん」

「はい、セレーンだぞ」


 落ち着いた笑みを浮かべながら、名前の音の響きを愛おしむような声音で、セレーンは青年に応える。

 セレーンって呼んでもいいよ。……これから人間として生きるなら……。

 彼女の発言が、青年の頭の中をぐるぐると回る。

 そうだ、確かめるなら、今かもしれない。緊張に苛まれながら、青年は勇気を出して言った。


「あの、食堂で話した時からずっと気になってたんすけど……、急に人間の姿で生活するって言いだしたのって、もしかして、俺に見られたからっすか?」


 若干脈絡のない話に、セレーンは眉をひそめた。


「え?」

「今日の朝……、多分、風呂場に行こうとしてたんすよね。その途中で、俺が、人間になってるとこ見ちゃったから。だから、しょうがなく正体あらわして……」

「違うぞ」

「……」


 青年は息を吸い込んだ。


「違うんすか……」


 そして、吐き出す息と共にそう返した。

 セレーンは続ける。


「うん。今朝お前が部屋からチラ見してきたときね、あれは、単に風呂場にタオルを取りに行ってただけだよ。わたしが人間になるって決めたのは昨日の夜だし、その理由も、もうちょっと自立しようと思っただけ」

「は?」


 セレーンは、「見てて」と言うと、まだおぼつかない足取りでゾンビ嬢に近づいていく。そのまま、半ば倒れ込むようにしてゾンビ嬢に抱き着いた。


「ほら、ちょっと危なっかしいけど、一応自分で歩けるのに、わざわざ誰かに運んでもらうのが馬鹿馬鹿しくなって。ていうか、甘ったれすぎかなって、気づいてさ」

「に、セ、セレーンさんに、そんな考えが?」

「失礼かよ、わたしは本来真面目なんだぞ」

「うああ」


 ゾンビ嬢が、セレーンの手を取って支える。セレーンは、心配げなゾンビ嬢の顔を見上げて言った。


「それに、ゾンビちゃんも応援してくれたしね」

「うああ」

「大丈夫だよ。これからはいっぱい遊べるね」

「うああ!」

「そうだ、わたしトランプやりたい。人間の手なら、カードを持っても濡れないじゃん」


 ゾンビ嬢が、セレーンの希望に対して、腕で大きくマルを作って返事する。わたしトランプやりたい。なるほど。脈絡のない要望の出し方が、まるきり今まで通りの彼女であって、ああ、やっぱりこの人は人魚さんなんだなあと、青年は今やっと実感したような気になった。

 様子を見る限りでは、人間の姿で生活すると言い出したことについて、何か深刻な問題とか、事情とか、特に心配するようなことはなさそうだ。何やら、ゾンビ嬢とセレーンの二人の間でだけ了解されたやり取りがあるのを雰囲気で感じるが、追求する必要まではないだろう。女子二人だけでこそこそ話していたりするのは、いつものことである。

 少し安心した青年は、じゃあ、と、もう一つ気になっていることを聞いてみた。


「じゃあ、どうやって人間になったんですか? 確か、昨日の夜に足を生やしたって言ってましたけど」

「ああ、尾びれをハサミで真っ二つに切る」

「ぶうああああああああ!!!!!」

「え」


 セレーンの回答にかぶせるように、ゾンビ嬢はひどい悲鳴を上げた。青年は思わず耳をふさぐ。


「なんて?」

「だから、尾びれをハサミで切ると、……」

「ぶうえあああああああ!!!!!!」

「どうしたんすか、姉さん!」

「ごめん、昨日、ゾンビちゃんに無理言って人間になるの手伝ってもらったんだけど、大量出血したからトラウマになったらしい」

「え、た、大量出血したんすか!?」

「切ったところから人間の肌に変わるから死にはしないよ、痛いけど」

「いや痛いんすか!? ほ、他に方法ないんすか!?」

「ない」


 その後、何も知らない吸血鬼が、サロンの大水槽の水が血で真っ赤に染まっているのを見つけることになる。

 サロンとゾンビ嬢の部屋は、彼の悲鳴も十分聞こえる、お隣同士。

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