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第八話 タオルで脱水はだるい篇――その二

 ゾンビ嬢の腕の脱水は順調に進み、あとはドライヤーで仕上げるだけという頃合い。乾かす作業は青年に任せて、吸血鬼はゾンビ嬢の肩の断面を観察していた。


「やっぱり、神経が通っているわけじゃなさそうだね。そのまま縫合すればくっつきそうだ。アニメのゾンビみたいに、ぎゅっと押し付けただけじゃ治らないだろうけど……ん?」

「腕、乾きましたよ。こんな感じ」


 吸血鬼が眉を顰めたところに、青年がゾンビ嬢の腕を両手に一本ずつ掴んで持ってくる。両腕とも、すっかり元通りの硬質さだ。吸血鬼たちの作業場は、水槽の前に移動していた。ゾンビ嬢は引き続き椅子に座っており、人魚はガラスに手をついて、心配そうにこちらを窺っている。


「いいね。それ、ちょっと見せてくれる?」

「はい」


 青年から腕を受け取ると、吸血鬼はその断面を注意深く見始めた。つかの間の後、何か納得した様子で青年に断面を向ける。黄ばんだ骨を褐色の腐肉が包んでいるさまを見せつけられて、青年は二、三歩さがって顔をしかめた。


「なんすか、怖いもんみせんじゃねーですよ」

「君の大好きなレディの腕だよ?」

「それとこれとは別でしょ?」

「まあ、君の言い分もわかるけどね。でも、頑張ってこれを見てくれ」


 言って、吸血鬼は青年の手を引き、ゾンビ嬢の隣に導く。そして、今度は彼女の肩の断面を見るように指示した。更に、対になる断面を横に並べるように、取れた腕を持ちあげる。青年は、同じ色をした骨と肉の二つの円を、訝しげに見比べた。


「おんなじ断面でしょ? 普通に繋がりそうに見えますけど……」

「うん、同じ色に同じ繊維質だ。骨と肉の方はね」

「方は、ね? って? ことは……?」

「皮膚だよ」

「皮膚」

「皮だ」

「皮って……」


 それじゃあ、断面じゃなくて表面の話じゃないか。余計にめんくらいながら、少し身を引いて見てみる。不安げなゾンビ嬢と目が合いながらも、視線を落としてドレスから覗く肩のあたりを観察する。皮……、とつぶやくと共に気付いて、青年は「あ」と声を上げた。


「皮の色、背中側と胸側で違いますね」

「そうなんだ。腕の方も見てくれ。こちらの皮膚は、二の腕の裏と表と内側、三色に分かれている。境目には、継ぎ接ぎの縫い目があるよね」

「ほんとだ」


 ゾンビ嬢の全身には継ぎ接ぎがあった。つまり、違う色の皮膚が無造作に隣り合い、その境目には糸で縫合したような跡が残っているのだ。あるところは灰色、あるところは褐色、単に腐乱進度の差と理由づけるには、あまりにも色差がありすぎる。


「だけど、それがどうかしたんすか。別に初めて見るわけじゃないっしょ。姉さんの継ぎ接ぎ」

「君、不思議に思わないのかい。継ぎ接ぎされているのは、皮膚だけなんだよ」

「ん?」

「その下の、筋肉や骨は、すべてレディ自身のものだ」

「……ん?」


 青年は再び、ゾンビ嬢の肩を見つめる。混乱する青年の脳に、外側から追い打ちをかけるように、視界外の吸血鬼の声が聞こえる。


「君、継ぎ接ぎってどういうことか考えてみてごらん。他の人間や、動物の皮膚を移植しているということだよ」


 その言葉で、やっと青年の頭は吸血鬼の言いたいことを突き止めた。青年はすっきりとした気持ちに包まれ、晴れやかな驚きに満ちた顔で彼を振り返る。


「ああ、そういうことっすか!」


 しかし、吸血鬼と目が合うことはなかった。吸血鬼は、ゾンビ嬢を見つめていた。彼は立ち、彼女は座っている。その高低差分を鑑みても、彼の顎は少し引き過ぎに見えた。普段、どちらかというと微笑を浮かべていることが多い整った顔は、柔らかさを失っている。血を連想する赤い瞳の、睫毛が揺れるほど見開かれた様子が、緊張を表していた。


 青年は、その場が静寂に包まれていることに気が付いた。どうしたの急に。何があったの。せっかく話がわかったところなのに。取り残された気分のまま、しかし、今までの会話の中で、何かまずいことが起こってしまったんだなぁというのはわかった。何か、まずいことがわかってしまったのかもしれなかった。ここは、謎に包まれたモンスターの館なのだから。それから、振り向くと怖いものがあることも感じている。それでも、青年は吸血鬼の視線を追ってゾンビ嬢の顔を見た。


 ゾンビの姉さんは、青年にいつも優しかった。それは今この瞬間も変わらなかったのに、やっぱり、息を呑んでしまったこと。青年はせめて、彼女に悟らせたくないと思った。


 吸血鬼は、ゾンビ嬢からの訴えをじっと受け止めていた。それは警告だった。怒りの感情も見い出せる。しかし明確に感じるのは、獣の威嚇のような鋭い攻撃性だった。ゾンビ嬢は、吸血鬼をまっすぐに見つめてきていた。見つめ合っているだけである。彼女は確かに、唸り声を出していない。だが、もしここに青年がいなかったら、野犬のような声が、可憐な彼女の喉から漏れ出て聞こえたに違いなかった。彼女の顔は強張り、前髪の影を全体にまとわせている。瞼が攣るほど見開かれた瞳。顎を引いて、下から殴るようににらみつけてくる。対象は吸血鬼だけだ。彼女の触れてほしくない場所に触れ、その上、青年に余計な入れ知恵をしそうな、彼女の敵だけを。


 ドン、と、水槽のガラスを、中から叩く手があった。吸血鬼と青年、ゾンビ嬢も、そちらを振り向く。人魚は、吸血鬼の目線に合わせた高さで漂っていた。水槽を叩いた掌が、ガラスにペタンと張り付いている。人魚の顔もひきつっていたが、その雰囲気は、水槽の外の三人とは異なっていた。泣きそうな。今にも涙腺が。しかし、その時、顔の前を通って昇っていった水泡は、人魚がパッとリップ音を立てて開けた口から出たものだった。

 人魚は、口をぱっくり開けた間抜け面を数秒さらした後、クワッと怒りを爆発させた。


「てめえ吸血野郎!! さっさとゾンビちゃんの腕、直しなさいよ!!!」


 吸血鬼も、人魚を見返したまま、ポッと音を鳴らして口を開いた。


「……そうだね。ごめん。そうしよう。私の部屋に裁縫道具がある。持ってくるよ。君も手伝ってくれ」

「あ、はい」


 止まった時が動きだしたように、二人は慌ただしくサロンを出て行く。図書室に通じる方のドアではない。廊下に通じる方だ。二人が帰ってくるまでほんの少し、仲良し女の子が取り残された。

人魚は少し下に沈んで、椅子に座ったゾンビ嬢と目線を合わせた。


「うああ……」


 ゾンビ嬢はうなだれて、椅子の背に凭れていた。人魚は、ゾンビ嬢の目の前のガラスに掌をくっつける。


「ゾンビちゃんは悪くないよ。誰だって、触れてほしくないことはあるよね。吸血野郎が無神経だったんだよ」


 ゾンビ嬢は緩く首を横に振った。「ゾンビちゃん優しい~!」と叫ぶ人魚。長い尾を腹側に折り曲げ縮めて、小さく丸くなった。


「じゃあ、あの野郎とまた仲良くできるね。でもね、ゾンビちゃん。あいつに悪気があってもなくても、嫌なときは嫌って言っていいからね。わたしは、絶対ゾンビちゃんの味方だよ」

「うああ」


 ゾンビ嬢は、人魚の掌に指先を伸ばした。ガラスのひんやりに触れ、そのままペタンと掌全体をくっつける。ガラス越しに触れあって、どちらも笑顔になった。


 そう、ゾンビちゃんがどんな体をしていても、どんな罪を背負っていても、わたしはゾンビちゃんの味方だよ。

 人魚の水槽の底には、ゾンビ嬢の手首に嵌っていた、鉄の手錠が沈んでいた。水槽に落ちた腕を持って上がる時、二の腕側から手錠がスポーンと抜けたのだ。拾う余裕がなかったところまで全く偶然の話だが、あんな変なものなくてもいいかと、錆が出るまで放っておくつもりである。


§


「うああああ!!」


 一針、一針、丁寧に縫い付けて、ゾンビ嬢完全復活。自由な両腕を取り戻した彼女は、まずガッツポーズをして元気に雄叫びを上げた。その横で、青年が拍手をしてはしゃいでいる。心底安堵した様子が、その緩んだ顔から見て取れた。

 手縫いで腕を縫合する緊張の作業を終えた吸血鬼は一言、「私、天才外科医になれるかもしれない」。色々な事情で、手の震えを抑えての作業だった。違和感ないかい? うああ。ゾンビ嬢が普通に目を合わせておしゃべりしてくれてよかった。

 で、ひと段落ついたところで、そういえば、と切り出したのは、今回彼女の腕が取れた原因についてである。


「待って、何それ、ゾンビちゃんの腕が取れたのってわたしのせいじゃないの!?」

「わかりませんよ、そうかもしれないってだけで」

「反省しなさいよ!!!!!」

「ごめんねぇ!!!!!!」


 力仕事を押し付けすぎて、体が脆くなっていたのではないか。そう推察して謝る吸血鬼と、それに続く青年に、ゾンビ嬢は力こぶで答えた。


「うああ」

「姉さん、大丈夫って言いたいんすか? でも、今度は足とか取れちゃうかもしれないっすよ」

「そりゃ、ドアの取り付け作業中、支える役をやってくれるのはすごく嬉しいけれど。この子がよく壊すからね」

「俺のせいかもしれないでした……」

「うああ」


 ゾンビ嬢は首を振って、青年を抱きしめる。この子の顔は犬っぽいから、上目遣いが効くんだよね。吸血鬼は、青年をかわいがることにかけては理解が深かった。青年は甘えるように、下からゾンビ嬢を見上げる。それからくるりと反転し、背中を彼女のお腹にくっつけた。すみません。向き合っていると、ものすごく死臭がする。今も死臭に包まれている。抱きしめ返す代わり、腹に回った彼女の手に自分の手を重ねた。とてもざらざらとしている。よかった、健康的なゾンビの手だ。


「う、う、う、あああ」

「ふむ、力仕事はわたしの領分、任せろ、できることがあると嬉しい。そう言うわけだね」

「えええええ、ゾンビちゃん!! ほんとに!? ほんとにいいの!?」

「うああ」


 ともあれ、彼女は極夜の館一番の力持ちである。このメンバーで生活するのに、パワータイプは何かと入用であった。可憐なドレスのゾンビの姉さんは、両腕そろって健在である。






 まだ少し心配そうな青年に、再びガッツポーズを見せつけるゾンビ嬢を、人魚は水槽の中からじっと見つめていた。食いつくように見ていたせいで、ガラスに唇が当たってしまう。びっくりして少し身を引いた。

 嫌なことは嫌って言うけど、ゾンビちゃんは小僧を大事にしたいんだな。吸血鬼のお願いも、ちゃんと聞いてあげたいんだ。わたしのことも、いっつも運んでくれるし。「うごくシャワー水槽号」だって押してくれる。優しい。優しいんだ。


だったら。

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