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夫婦、準備する


 急に夫婦が寝室を別にした事で、数日間クレース始め使用人は嘆き恐慌状態に陥ったが、すぐに冷静になり首を傾げる事となる。

 当の二人の仲は別に悪くなかったからだ。


「旦那様、それならこの色はどう?」

「色……色はいいけど、そ、そんなに露出してどうする! お前一応ふ、夫人なんだぞ!? 背中なんか俺だってまだ……」

「着てみると意外とそうでもないと思うのだけど……旦那様が嫌なら、そうね」

「嫌とは言ってないだろ、他に見せるのがあれなだけで……こ、個人的になら」

「夜会のドレスを選んでくださいな、旦那様」

 仲は悪くないどころか、むしろ物理的にも距離が縮まっている。

 ソファに二人並んで座り、礼装のカタログを覗き込んでさっさと決めようとする妻とそれに口を出す夫。ミカルがさっと選んだドレスを、体の線が云々で却下され、じゃあこれと深緑のドレスを指すと、嫌な奴の目の色と一緒だから駄目と却下され。今度は色はいいが露出が過ぎると言われ――。

 堂々巡りの夫婦のやり取りを使用人数名は温かい目で見守っていた。


 王太子主催の夜会ではあるが、オーダーメイドのドレスを仕立てるのはよっぽどの上流だけだ。多数の貴族は様々な商会からカタログを取り寄せるか、店舗に直接赴き調達する。

「やっぱり最初に選んだこれにします。無難が一番ね」

「か、体の線が」

 難色を示しながらも満更でもないハウロに。「じゃあ旦那様が体を張ってお守りすればよろしいのに」とその場にいる使用人たちは心をひとつにする。

「既婚者はどうしてもこの形になりがちなので……そんなに心配しなくても私は旦那様の傍を離れるつもりはありませんし、マナーに反してまで誰も不躾に見やしないわ」

 使用人一同は心の声が奥様に通じたと微笑んだ。


 ハウロを安心させる事を言いつつもミカルは、視線が集まるとしたら同性からだと思っている。ミカルが『かけ捨て令嬢』と揶揄された元凶が王太子の元婚約者候補たちだからだ。

 彼女たちは世間の目を自分たちから逸らしたかった。王太子から袖にされ末端で一番地位の低いミカルを、生贄の羊にしたのだ。

 ミカルはこれをつい先日、王都住みである友人からの手紙で知ったのだが。

 それならば、とミカルは彼女たちと自分の噂については放置する事にした。そのような、自らの足元に唾を吐き続ける行為は長続きしない。「あなたも汚れてますよ」と言われて終わるだけだ。

 少々意地が悪い気もしたミカルだったが、今の彼女は夫がなにより最優先事項だった。これで思うように動けると。

 とは言っても彼女は。

(特別、何かをするという事もないのだけど)

 いつも通りに振舞おうと決めている。


 ハウロは光源による濃淡でピンクグレーにも見える薄灰色の礼服を引っ張り出してきた。

「オーダーメイドだが俺は夜会なんてあまり行かなかったしな」

 男爵家に養子に入る前仕立てたというそれは、一度しか袖を通されていない。ミカルはその吊り下げた一式をハウロの体に当ててみた。

「まあ! 重い色よりこういう色の方が旦那様には似合うのね」

 半信半疑な顔をするハウロに、ミカルと壁に控えているクレースが頷くものだから彼は信じるよりほかなかった。

「寸法も合わせずに勝手に作られてたから服に着られてたな……」

 遠い目をして、一瞬苦悩を浮かべたハウロ。ミカルは良い思い出ではないと察した。

「それはオーダーメイドと言えるのかしら……あ、でもお直しはしていないのよね? 今はぴったり合っていそうだけど」

 ハウロは首を傾げる。

「いや……何でだ? 18の時から体型は変わってないと思うが」

「いえ、変わられましたよ」

 クレースだ。幼い頃から今までハウロを見てきた彼が正常な判断を下した。

「背丈こそあまり変わられていませんが、肉付きも、そもそも佇まいから違います。背筋も伸びどこか堂々となされた今の旦那様ですから、その礼服もお似合いになられますよ」

 成程とミカルは頷いた。肩の位置ひとつ、背筋の高さひとつ、腕の伸びひとつで服などいくらでも見栄えは変わる。

 その起因となったのは、養子になり公爵家と兄から精神的にも離別した事と、男爵位を継ぐという目標を得た事だ。優しくも厳しい養父と使用人に囲まれ、内面が安定した故の目に見える変化だった。


 ハウロは礼服を一度試着してみて問題が無いかを確認する事に。

 長身で細身の体に合った寸法で、その装いはひどく彼に似付いた。

(素敵)

「……素敵」

 本音も建前も全てがつい口をついて出てしまったミカルだが、仕方がないではないかと開き直った。ハウロはいつものように表情は狼狽えているが、自然に伸びた背筋としなやかな立ち姿がとにかく無理がなかったのだ。

「やっぱり。スタイルが良いから絶対に似合うと思っていたけれど、想像以上だわ。ねえ、スイ」

「仰る通りですね」

 メイドのスイが目尻に皺を作りながら笑って同意した。

「も、もう着替えるぞ!」

 妻の純粋な褒め殺しに真っ赤になったハウロは衣装部屋へ逃げ込もうとするが。

「お待ちください、旦那様」

 針子資格も持っているスイが引き留めた。

「流行り廃りもありますからね。何年も前の礼服ですから、少し手を加えてみましょうか。丈も少し短いみたいですし直しがいるかもしれませんね」

 そうしてハウロはまるで自分に見惚れているような妻の視線に色々耐えながらじっと立って、メイドが調整の確認を終えるのを待った。


 そうこうして後日、スイの手で王都の流行りを取り入れつつハウロの礼服が直されている間に、ミカルのドレスも届いた。追加の装飾として、既婚女性用の細身のグローブ。ドレスに合うハイヒール。後、ハウロがどうしてもと言うのでミカルはストールも購入した。主に腰から臀部をゆったり覆い隠すものを。

 その他の細かい装飾品はミカルが実家から持ってきたものを使い回す事に。妻に色々贈ってあげたい夫は少し残念そうであった。


「どうでしょう。丁度いいと思うのだけど」

 深く沈んだ青のドレスを試着したミカルがゆっくりとターンする。別室で妻の着替えを待っていたハウロは。

(う、美しすぎる……こ、これを夜会などという獣の檻の中に連れて行かないといけないのか……)

 ぼうっとした後、慌てて一緒に届いたストールを持ってミカルに駆け寄る。

「くそ……案の定だ! 何でそんなぴっちりして……当日はちゃんと隠せよ……」

 ミカルの背から腹にかけてストールを巻くようにして寄せる。

「か、隠せると思ったのにかなり透けて……」

 普段意識して妻を凝視する事すら困難である夫。この時だけは、確認するようにドレス姿のミカルを頭の天辺から足の先まで見る勢いであった。

「旦那様」

 ミカルが何かを期待するように、今までになく目が合うハウロを見上げた。夫に褒めてほしいという妻の思いを察したのは、当人ではなく控えるスイだった。彼女の控え目な咳払いに、ハウロはぎくっとする。

 割と長い付き合いであるメイド。これはただの喉の不調ではなく、ハウロが何か不足がある時、間違っている時の密かな諌めだ。

 若干顔を紅潮させ夫に無言で強請る妻。

「に、にあってるし、その、綺麗だぞ」

 目を泳がせて明後日の方向に顔を捻ったハウロ。

 先程まで穴が空くくらい凝視していたというのに、意識し出した途端にこれである。

「い、言っておくけどな、俺は言わないだけでいつも思ってるからな!」

「ありがとうございます……嬉しい」

 ミカルは甘い感情で胸がいっぱいになる。想う相手に褒められる事がこれほど嬉しいものなのだと思い知った日であった。少し無理矢理言わせたみたいだとは思ったが。

「旦那様の横に立っても見劣りしないのなら……」

「お前っ……お前は何でそう……!」

 ミカルが気にしたのは身長差。彼女は平均も平均で、長身であるハウロの横に立った時にあまりに不釣り合いに、不格好に見えてしまうのではと危惧したのだ。エスコートをする夫が浮いてしまう虞があるから。

 彼女の髪の色こそ目立つ部類だが、既婚女性は結い上げるのがマナー。小さく纏まってしまって存在が薄くなる事を考慮した。

 ならばとミカルはドレスやその色で主張をしようと試みたが、これまた髪の色が弊害となって他の原色と中々合わせにくく、新王太子妃が主役の夜会という事で白も黒も着てはならない。

 結局ミカルは髪の色よりもずっと暗い青を選択したわけだが、その選択は間違ってなかったと夫や使用人たちの称賛で自信を持った。


 そして当日の朝。

 着替えて準備をして、片やどんよりと、片や気合を胸に、立って向かい合っている夫婦がいた。

「もう、旦那様。本当に……旦那様の事なら私が守ってみせますから」

「ま、またそんな事……違う、俺の事はもういい。あいつ……ラウノ・ビルノーツ公爵には気をつけろよ。絶対にあいつと二人きりで会うな」

 ハウロは今日までに元兄が接触してくる事をミカルに言い含めていた。だがミカルにはあまりぴんと来ていないらしく。それがハウロを焦らせる。

 公爵はハウロに何か恨みなどがあり、それで今まで散々な仕打ちをしてきた。公爵が何かするのならハウロだとミカルは疑っていないのだ。

「あいつは俺を貶めて絶望させるためなら……なんだってする男だ。それに、お前はあいつの……好……から……」

 最後の方はまるで血反吐を吐きそうな顔で呟いていて、ミカルは聞き取れない。

「旦那様?」

「ビルノーツ公爵だけじゃない。お前は、本当に自覚しろ……!」

 ハウロは真正面から真っ直ぐに、どこか切なく眉を寄せて妻に言い聞かせている。いつものように照れてそっぽを向き、まるで悪態をつくような彼ではなかった。

「絶っ対に一人になるなよ。今までは肩書きのせいで男が寄って来なかっただけなんだからな、か、勘違いするなよ……!」

「は、い」

 ミカルはハウロの静かな圧に負けて、ただぽかんと返事するしかなかった。彼の背後に仄暗い炎が燃え上がっている錯覚に陥るほど。

「いや分かってないだろ。しっかり危機感を持て! 自衛しろ! 俺の嫁だってだけで男は簡単に口実を作って寄ってくるぞ。愚痴を聞いてやるとか慰めてやるとか言って……!」

 ミカルは気を引き締めた。

「いいえ、旦那様。私決めているの。そんな隙は見せません」


 半信半疑なハウロは、ミカルの自意識が少し狂っている事に気付いている。あからさまに卑下する事はないが、自分が取るに足らない女だと決めつけている節があった。

 同年代の令息たちがミカルに近づく度、彼女は柔らかい拒絶を見せ、肩書きを知った彼らも簡単に引き下がる。この状況がミカルにとっては『通常』であり、その肩書きが外れて人の妻となった今も状況は同じだと考えてしまっている。

 更に王太子の友人たちからは妙に侮蔑混じりに見られる事もあり――。

 つまりミカルは世間、特に異性から見た自分の正しい価値を、他人の言動などから推し計る機会が全くなかったのだ。「つまらない令嬢」という同年代の令息からの批評も相まって。

 だがハウロはこの夜会で、確実にミカルが認識を覆すような事が起こると不安でしかない。


 それ以上に不安だった公爵の存在は、ハウロの中で恐怖の対象から警戒対象までに軽減された。

 ミカルがハウロに日々与える想いや言葉が、彼の心に宿る恐怖に徐々に積み重なっていく。自分を踏み台に兄に近づくのでは、彼に一目で心を奪われるのではという心的外傷(トラウマ)を優しく包み覆った。

 完全に消えたわけではない一生消える事のないであろう傷を抱えながら、それでもハウロはミカルを信じる決意をする。


 だがハウロにとって、それとこれとは話は別だ。

 妻が他の男に恋慕や淫猥の視線を向けられるかもしれない事が腹立たしい。自分という『ろくでなし』の横に居るだけで憐みの視線が妻に刺さってしまう事も。

 だが、此度の夜会――王都へは必ず朝から二人で行かねばならない理由があった。

「本当はお前を横に置きたくない。だが、つ、お前を同伴しないと……」

 その重い瞼から覗く目を逸らした夫は、最近多少肉付きがよくなった体をしなやかに伸ばし手を差し出した。

(観念してくださいな、ハウロ様。私はあなたの傍から離れるつもりはありませんから)

 細い筋張った手に、妻はそっと、既婚女性の証に包まれた手を乗せた。

(まだ妻とは呼んでくれないのね。嫁とは言えるのに。どうしてかしら)

 ハウロにとっての線引きにこだわりがあるのかと、首を傾げるミカルであった。


「じゃあ、親父殿。行ってくる。留守番頼んで悪いな」

「お義父様。行ってまいります」

 ハウロが屋敷を空けるのだからと、前ベッター男爵・ドナテロが屋敷の主代理を買って出てくれたのだ。彼は数日前から屋敷に泊まり、随分雰囲気の変わった息子に驚きながら喜んでいた。息子嫁にも堕ち初々しい息子夫婦に悶えた。

「ああ、ゆっくりしておいでと言いたいところだが。二人とも早く帰ってきておくれ。私は淋しいのだよ……」

 ドナテロは好々爺然とした顔で二人の行く手を阻む。

「か、帰りは明日だぞ、予定通りなら」

「分かっているよ。気を付けて行っておいで」

 わざとらしくハンカチを取り出し乾いた頬に当てる義父に、呆れるやら後ろ髪引かれる思いやらを抱え、二人は馬車に乗り込んだ。


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