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かけ捨て令嬢、嫁ぐ


「くそ……何でお前みたいなのが俺の嫁なんだ……」

 がっくりと項垂れる夫に新妻は胸を痛めた。

(旦那様……私、我儘だったわ……)


「本当はお前を横に置きたくない。だが、つ、お前を同伴しないと……」

 その重い瞼から覗く目を逸らした夫は、最近多少肉付きがよくなった体をしなやかに伸ばし手を差し出した。

(観念してくださいな、ハウロ様。私はあなたの傍から離れるつもりはありませんから)

 まだ細い筋張った手に、妻はそっと、既婚女性の証に包まれた手を乗せた。


「……あいつに言った、あ、愛してるって、嬉しかった……」

 夫は、とうとう堪らなくなって――。

「旦那様……ハウロ様。ええ、愛しています」


 妻はその日、初めて夫の腕の中で泣いた――。


     ――――――――――――――――




 ミカル・アーティラは伯爵家の娘であった。今日、この日までは。

(ハウロ・ビルノーツ……いえ、ハウロ・ベッター様、か)

 輿入れ馬車の中、結婚が決まった日から丁寧に手入れしてきた紺碧の髪を手櫛で梳いているのは、嫁ぎ先へ向かう途中のミカル・ベッター。

 本日入籍を済ませ、会った事もない男へと嫁ぐ『かけ捨て令嬢』である。

 彼女は窓の外、流れる速さの違う外灯と木々を見ながら、少し過去を思う――。


――先触れのあった王城からの使者は、毅然とした態度でアーティラ家のリビングのソファに座っていた。

「婚約者候補から外れるのですね」

「はい。お勤めご苦労でした」

 一切の私情も挟みません。と言わんばかりな貴族然とした20代中頃の使者は、有無を言わさない空気を作り封書を差し出した。

「約10年の拘束を鑑みて、こちらで条件の整った相手をご用意しました。良い縁になると確約します」

 拒否権はない。

 だが、当のミカルは拘束と言われる程に制限されてはいない自覚があった。故に王家から結婚相手まで用意してもらい恐縮しきりである。

 ミカルは横にただぼーっと座る父の了承を得る事なく、釣書と小切手が同封された封書を受け取り、頭を下げた。

「隅々までのご配慮、感謝いたします」


 ミカルは10年間、9歳の時から王太子の婚約者候補の一人であった。

 年齢の近い子女たちを集めたお茶会にて知らず候補に入れられ、そして。

「髪の色が気に入らん」

 9歳であらせられる王太子のその一言が何処からか漏れ、ミカルは婚約者候補の末端、隅も隅の扱いになった。ミカルが地位的にも一番下であった事にも因んで。

 それ以降、ミカルは王太子と個人的に顔を合わせていない。

 それというのも当時、さすがに何もしない訳にはとミカルは手紙を一定間隔で送っていたが、全て無返信。王太子は最初から一人の令嬢に一途であり、当然のようにミカルはそのまま場外へ退いたのだ。

 幼いミカルは両親と相談の末、「好きにしなさい。ただ……」と許しを得て王太子を取り巻く輪の中に入らないと決めたのだ。

 伯爵が娘に言い含めたのは、その肩書きだけは個人で破棄できるものでもなく、時に公で名乗る必要もあるという事。

「ただ、候補として自分磨きだけはし続けなければいけないよ、ミカル。パパたちも手助けするからね」

「はい、おとうさま」

 相応しく在る事。ミカルはそれだけは約束させられた。補助金などないので諸々自腹だが。


 両親の教え通り、ミカルは自分なりに相応しく肩書きを自ら誇示せず振舞い、浮いた話など微塵もなかった。同年代の令息たちからは「美人だがつまらない令嬢」として遠巻きにされたから。

 そして現在、候補から外された理由としては『本人と当伯爵家の気質』が主であるが、王太子本人が拒否の構えを見せている。それが全てだろう。とミカルは思っている。気質云々に関しても全くもって正しい、とも。


 毅然としながらもやたら頭を下げていた使者を見送った後、落ち着いて現状の確認をしているアーティラ親子。

「正直、助かりましたね、お父様」

「そうだなぁ。僕らが王家と縁続きなんて面倒……恐れ多いものな」

 むしろ何故さっさと候補から外してくれなかったのか、とすら考えたミカル。彼女は忘れられていた気がしてならなかった。

「ミカルに妃が務まるとは思えんしなぁ」

 その通りだと思いながら、ミカルは釣書に目を落とす。

「ハウロ・ベッター男爵様、ですって。お父様、ご存じでしょ?」

「まあなぁ……色々悪い噂もあるけど」

 そう言いつつも、ジリオン・アーティラ伯爵はその呑気な顔に悲壮感は全く無い。それを見て、ミカルは心得たりと頷いた。

「お会いした事があるのね」

「うん。一度だけ。男爵の襲名披露の時お呼ばれしたんだ」

 そういえば、とミカルは2年前の記憶を掘り起こす。


 2年前。まだ年若い男爵子息が爵位を継いだ際、こじんまりと催された披露会。当時21であった子息――ハウロ・ベッターが主役のその会に伯爵は招待されていたのだ。

 ハウロ・ベッターは公爵家の元子息であった。男爵位を持つ大叔父――実父公爵の叔父――の養子に入ったのが18歳、正式に後継者となる。

 しかしハウロは『公爵家の出来の悪い弟の方』として有名であった。姓が変わっても未だ世間の印象は『公爵家の出来の悪い方、ハウロ・ビルノーツ』で固定され中々消えない。それは彼の外見が特徴的で悪目立ちしている事にも起因していた。

 人嫌いで一人酒に溺れ、常に腫れぼったい虚ろな目、不健康に痩せてこけた頬、顔色は悪いのに赤ら顔で、足元はいつもふらついている。くすんだ金の髪はだらしなく伸ばしっぱなしで身嗜みに気を遣わない男。

 そして、酒癖が悪いという噂に真実味が出始めた辺りで、もう一つの噂の信憑性も高まった。


「あの噂なぁ。ちょっと僕は疑ってるかな」

 それが、婚約者だった女性に日常的に手を上げていた。という噂だ。

「そんなに仲良くなられたの? お父様」

「いや、あんまり」

 肩透かしをくらったミカルだが、彼女は自分の父の「人を見る目」を割と信用していた。

 それだけではなく、「噂に聞く人でなし」よりも、「そこまで悪い人ではないかもしれない」と思う方が精神衛生上いいと楽をしたかったのもある。何せこれから結婚する相手なのだから無理もない。

「うーん、人嫌いねぇ。人嫌いというより、あれは」

 なにやらもごもごと考え始めた父親をいつもの事だと放っておいて、ミカルは再度釣書に一通り目を通した。

「23歳、身長はかなり高い、体重……」

 身長と体重の値に、ミカルはなんとなく衝撃を受ける。決して自分が身長の割に重い訳ではないと信じたかったのだ。

「態度悪し、持病持ち、趣味なし、好きな食べ物特になし……これ、本当にご本人が書いてる、のかしら」

 相手に好印象を抱かせようとする気が微塵も感じられないその自己開示。ミカルはどうしたものか、と父を見るが。

「……お酒、一口も飲んでなかった気がするなぁ」

 伯爵は未だぶつぶつと首を傾げている。

 溜息を一つ吐いたミカルは、自分も釣書を書くため立ち上がった。


 それから数週間後。ミカルは男爵領へと向かう馬車の中、という訳で。あまりにも早い出発には理由があった。

(自分の事なんて無視すればいいけれど、さすがに先方に悪いものね)

 支度金も貰い、ゆっくりと輿入れの準備をする予定であったミカル始めアーティラ家であったが、そうもいかなくなったのだ。

 王太子の婚約者候補末端であったミカルの噂が、社交界を漂い始めたために。

「『かけ捨て令嬢』……貰い手のない無駄を押し付けられたと周知される訳にはいかないもの」

 アーティラ夫妻、特に伯爵は、娘を貰ってくれる男爵への風当たりを気にした。元々悪い噂が纏わりつくハウロ・ベッターだからこそ、更に妻側の悪評を重ねるのは忍びないと思ったためである。

 ミカルの噂が大々的に面白おかしく広がる前に籍を入れてしまおうと、男爵側と書簡で相談の末、早めの輿入れが決定した。

 互いに、押し付け・押し付けられ婚ではない、と示したかったのだ。


 ミカルは当事者であるのに双方のやりとりを俯瞰で見て思った事がある。

(何だかお互い遠慮してる感じだった。向こうも、『其方に不都合がなければ』とか『居心地の良さは保証できないが善処する』とかやたら確認を促していたし)

 それとも嫁など本当は予定になく、遠回しに拒絶されているのかとミカルは思いもした。だがそれも最初の方だけで今は双方合意の婚姻だ。

(恋人とか愛人が居た、とか……駄目だわ、考えていても。実際に自分の目で見てみない事には)


 生家から新居までの移動手段はベッター男爵家側が手配。公共の交通手段を派遣する会社へ手配して貴族用と荷積み用の馬車を用意した。

 と、結構な厚遇であるのに男爵側からの条件はたった一つ。

「アーティラ家からの使用人はなるべく少数で」との旨だった。ミカルはこれ幸いと誰一人連れて行かない選択をした。

 何故なら伯爵邸、侍女がまず居ない。

 ミカルは幼い頃少女さながらの夢があった。絵本のお姫様のように朝起こされ髪を梳いてもらい、ドレスを持ってきてお召し替え。

 だが現実は甘くはなく「出来る事は自分でやれ」が信条、それがアーティラ伯爵家であった。侍女を雇う必要なし、使用人も少数精鋭。

 その中でも更に少ないメイドたちは伯爵邸に住み込みではなく、全員が経産婦。家族がいる身だった。

 ミカルは選ばなかったのではなく、誰一人として選べなかったのだ。

「一人も伴わない」と返事をしたら先方は馬車と共に、護衛を一人、いざという時の世話係を一人つけて寄越した。

 それが、30歳前後の生真面目そうな護衛。ミカルの乗る馬車に添うため御者も兼任する。ミカルと同乗するのは、目を合わせればにこりと目尻に皺を作って笑う、中年の人好きのするメイドだ。二人とも初見からミカルに好意的で、本人も、娘を預ける伯爵夫妻も安堵した。

 そんな一行の道のりは、アーティラ家から王都の中心街を少し南に迂回し、西門から先、整備された国道を馬車で半日。

 ミカルと荷を積んだ数台の馬車は予定通りに素朴な領地へ到着した。


 ベッターは領地に本邸を構えている。まるで別宅のような小規模で二階建ての邸宅は、白い漆喰壁で煉瓦の屋根が特徴的であった。

(可愛らしいお屋敷)

 酒浸り男爵が住んでいるとは到底思えない外観である。

 御者台から降りた護衛にエスコートされ馬車を降りたミカルは、門前で屋敷を見上げる。その白漆喰は経年劣化など感じさせず綺麗で清潔感があり、周りは青々しい芝生、手狭ではあるが新緑の垣根にちらちらと色鮮やかな庭園が見える。

「新築みたいだわ」

 ミカルの付け焼き刃な知識によると、屋敷の建築は約50年前であった筈だ。

「つい半年ほど前に改装を終えたばかりなのです」

 メイドがどこか得意気に言ってのける。ミカルが後ろに控える当人へ目をやると、彼女は人好きのする笑顔でにっこりと笑った。

「改築を終えたのはお二人のご結婚が決まる前、きっと天の思し召しなのではと私どもは思っているのです」

 ミカルはただ微笑みを返した。

(何だか……随分期待されているわ。私の噂の事、使用人は知らないのかしら)

 見初められなかった王太子の保険。無駄に金をかけたが捨てられた令嬢。そんな噂が囁かれる娘を女主人として迎え入れる事になる、男爵の部下や使用人たち。

 ミカルはそんな人の良さそうな彼らに罪悪感を抱いた。


 護衛が先んじて屋敷へ女主人の到着を報告し、数人の使用人が荷を運び始めた。それと共にメイドの先導でミカルは正面玄関をくぐる。

 本来ミカルはこの日、婚約者としての顔見せのために赴く予定だった。急遽入籍を早めたためにその予定が差し替わり「夫との初対面の日」になってしまったという訳だ。ミカルもさすがに緊張して一歩一歩進む。

 ここで新たな生活が始まるのだ、と期待と不安を胸に。


 その様子を窓からこっそりと覗く落ち着きのない人影があった。

「どんな女なんだ……よく見えん」


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