配信しました
天野陽太二十五歳。ある日ロリになりました。
何を言っているか分からないかもしれないが、俺にも何が起こってるのかまるで分からん。
しかし現実として俺が見ている鏡には苦い顔をした幼女が映っているのだ。
「なぜだ……」
思わず声が漏れる。こんな状況になって戸惑わない人間はいないだろう。
漫画やアニメでこういうシチュエーションを何度か見たことはあるが、あれらはなんだかんだ上手にやっている。
フィクションという補正があるから多少のご都合主義は許されていたのだろう。現実はそんなに上手くいくものではないのだ。例えそれがどんなに現実離れした出来事だったとしても。
「どうして上手くいかないんだっ!」
結った橙色の髪がぴょこんと跳ねる。
本来左右対称になるはずだったツインテールなのだが、左右で高さも違えば太さも長さもまるで違う。不格好なことこの上ないそれは理想のツインテールには程遠い。
「……いや、でもこれはこれで可愛いな。不器用系ロリ、萌える」
何をしても可愛い。それが今の俺である。
もっとも今求めていた可愛さはこれではないのだが。
と、何度やっても上手くいかないのでツインテールは泣く泣く諦め、輪ゴムを外して乱れた髪を手櫛で整える。陽ノ下ひかりはどんな髪型でも可愛いのだから問題ないだろう。
この姿になって真っ先にやることがツインテールなの、我ながらちょっとおかしい気もするが。いや、しかし大事な事だったのだ。可愛いは正義だから。
かれこれ三時間鏡の前で格闘しても上手くできなかったけど……。
まあ何にしても他にも問題は山積みだ。
そもそもこの状態は一時的なものなのか、それともずっとこのままなのか。個人的には後者の方がいいが、その場合仕事はどうする? 生活は? 知り合いにどう説明する?
幼女になりました! なんて説明したって誰も信じないだろう。俺自身いまだに信じられていないのだから。
ただそんなことよりもっと切実な問題がある。
着られる服がないのだ。
今俺が着ているのはTシャツ一枚だけである。上も下もそれだけで隠せているが、隠せているだけだ。下着だって身に着けていない。色々危うい。
この格好で外出すれば痴女もいいところだ。それは許されない。
陽ノ下ひかりは清楚な子だ。
とはいえ、せっかく超絶美少女になったのだから外を出歩きたいものだ。
通販で取り寄せるか?
いやしかし女児服を自分で買うのはなんだか気が引ける。悪いことをしているわけではないのに罪悪感がハンパない。今は俺も女児なのに。
「ふむ、どうしたものか……」
しばし考える。
買いに行くことはできないが、通販も罪悪感がある。
どれだけ考えてもそれ以上の考えは浮かばない。一人では完全に行き詰まりだ。
ではどうするか――
「そうだ、配信しよ」
弱小とはいえせっかくVtuberとして活動しているのだ。こんな面白いことを配信しない手はないだろう。
そう思って意気揚々とパソコンデスクに向かった。
届かないかもしれないという不安はあったが、ゲーミングチェアを限界まで上げると、ちょうど良いとまでは言えないがパソコンの操作に不自由はないくらいの座高にはなった。
【緊急】バ美肉おじさんがリアルで美少女受肉したんだが
「ま、どうせ人なんて来ないしこんな感じで適当に作っときゃいいか」
スマホで適当にした自撮り写真をそのままサムネイルに設定する。背景は、何かに使うかもと昔買ったグリーンバック用の布だ。
即興で作った配信枠。それを始める前に「あーあー」と簡単な発声練習をする。
出てくる声がいつもとまるで違うのでこれがいい声なのかどうなのかもよく分からないが、とりあえず可愛いのでよし!
唐突ではあるがTwitterで簡単な告知をしてYoutubeで配信開始してみる。
「こんばんは~、陽ノ下ひかりです」
いつも通り一切の捻りもない挨拶。
Webカメラで映すのはトラッキングソフトの画面ではなく実写の映像だ。これではVtuberではなくただのYoutuberなのでは、と気づいたのは配信を開始してからだった。
ヒモ太郎:え、どういう状況?
ロリコンじゃないよ:ひかり、さん??
常連の二人がすぐにチャットを送ってくれる。
「ヒモさんとロリコンさん、いつもありがとうございます」
ネコ:初見です。可愛いですね
りんごジュース:初見だよ。小学生かな?
「二人も初見さん! いらっしゃいませー。かわいい、ありがとうございます」
ふと同時接続人数を見ると十五人にもなっている。いつもはどんなに多くても一瞬五人になる程度なのに……。
「え、えっと、なんかいつもよりずっとたくさんの方に見てもらってるんですけど、今日はこうなってしまった経緯を説明します」
やや緊張しながら話し始める。
せっかく3Dなので身振りも交えつつ。
ヒモ太郎:すご、まるで実写
ロリコンじゃないよ:もしかしてひかりさん、ついにやっちゃいました……? 誘拐
「えーと、一応実写です。それとやっちゃってないです。正真正銘いつも通りの陽ノ下ひかりです」
ヒモ太郎:何を言ってるのかまるで分からん
「いや、まあ初見の方もたくさんいるので経緯を説明させていただきますとですね。私、陽ノ下ひかりはバ美肉おじさんとしてVtuberをやってるんですね。それがさっき起きたら本当に美少女になってたんですね。それで緊急の配信を始めた流れです」
ネコ:どういうこと? そういう設定なの?
ダイヤの女王:初見です。アーカイブ見てきたらマジでおっさんだった……。
ロリコンじゃないよ:妹さんとかかな? いや、それにしてもひかりさんの立ち絵によく似てるけど
まあそうなるよな。信じてもらえようはずもない。
「設定じゃないです。ひかり自身も何がなんだか分からないんだけど、マジで美少女になりました」
ヒモ太郎:良く分からないけど分かった。
「え、まってコメントめっちゃ速い……。てかなんでこんなに伸びてるの?」
その辺りからチャット欄の流れが速くなり始めた。一年近くやってきてこんな状況は初めてなのだが、チャットの流れが途切れない。
初見ですとか、Twitterから来ましたとか、かわいいとか、どこ住み? てかLINEやってる? とかそんなしょうもないものばかりだが、こんなにも多くの人が俺に何かを思ってくれていると思うと嬉しくなってくる。
コメントを見る限り、Twitterから来た人が多いらしい。
同時接続は五十人だ。
「と、とりあえずほとんどの方が初見だと思うけどゆっくりしていってね。見に来てくださってありがとうございます」
焦りながらもたくさんのコメントにまとめて挨拶をする。すべて読んでいると時間が無くなりそうだ。
「それでね、今日はちょっと相談したいことがあってですね。洋服をどうするかって問題です。ほら、ひかりついさっきまでおっさんだったのでちょうどいい服とか持ってないんだよね。かといってこの格好で買いに出るわけにもいかないし……。皆さんの知恵を貸してくださいなってことです」
マズいものが映り込まないように注意しながら立ち上がり、Webカメラに現在の服装を全て映すようにして見せる。Tシャツ一枚で下には何も履いていない。
チャット欄の流れがさらに加速する。ほとんど『かわいい』の四文字なのだが。
「回って見せて? いいけど」
かわいいの群れの中にそんなコメントを見つけてくるりと一周回って見せる。回らなくたって他に何も着てないことくらい分かるだろ、と思うけどまあそれくらいなら何の負担にもならないし。
しかしこれが運の尽きだった。
チャット欄の流れが変わる。
『猫のポーズして』『この間やってたしリングフィットの続きやろう!』『I字バランスして』『笑顔で「お兄ちゃんキモい」って言って』
などなどなどなど、もうリクエストが来ること来ること。
「きょ。今日はそういうのじゃないから! 真面目に考えてください」
ちょっと怒ってる風を装う。
ワンテンポ遅れて自分の配信画面に映った怒る幼女。いや、可愛いな。我ながら。
おっさんの時にゲームでキレ芸やっても面白いだけだったのに。まああれはあれで俺的には楽しかったが。
「と、まあ配信でこんなこと訊いても答えなんて出ると思ってないんだけどねえ」
知り合いでも何でもない人が服持ってきたりしたら怖いし。
と半ばジャンプするように椅子に座りなおす。
「何にしてもいつ元のおっさんに戻るかも分からないし、しばらくはこんな感じでいこうかなって思ってます。まああくまでVtuberだから3Dになったとでも思ってくれればって思います。普段できないこともできて便利そうだしね」
それはもう普通のYoutuberだろというツッコミがいくらか来ているが、俺もそう思う。
とはいえ、正直な感覚で言えばこの身体が自分のものであるという自覚はいまだにないし、アバターのようにしか思えないという面もあるのだ。
だからこれはVtuberでもいいのだ。知らんけど。
イヌ:ほしいものリストに服入れとけばいいのでは?
今度はそんなコメントが目に留まる。
「ほしいものリスト? あれって本当に届くんですかね?」
作ってみたこともないが、おっさんにものを買ってあげたいなんて稀有な人がいるのだろうか。アイドルとかならまだ分かるが。
ロリコンじゃないよ:ロリに貢ぐのは紳士の務め
という常連さんのコメントを筆頭に『送る』という旨のコメントがかなりの割合で流れている。
「ほんとですかあ? まあじゃあそこまで言うなら配信終わったらちょっと調べて作ってみますね」
まあ何にしても作っておいて損はないだろう。
それなら自分で通販で買えばいいのでは? と思わないこともないが。
その後はいつも通りおっさんっぽい雑談を三十分弱して配信を終了した。
少し古いアニメの話をしたら本当におっさんみたいだと面白がられた。
いや、本当におっさんなんだけど……。
最終的に同時接続は九十人後半に上った。これは陽ノ下ひかりチャンネル史上最も大きな数字である。
夕方まで寝ていたのに日付が変わる前にはまたうとうとしてきて、それでも動画を見続けていると、寝落ちしかけてデスクに頭突きをかます。
「どうしてこんなに眠いんだ?」
俺は基本夜型だ。なんなら日が出るまで起きていることだって日常茶飯事だった。
まさか幼女化の影響か……?
痛む額をさすりながら、仕方ないのでベッドへ向かう。
いや、広いなベッド。部屋も広いしなんだか豪邸に引っ越したような気分だ。
そんなことを思いながら潰れた枕で気分よく眠りについた。
――ピンポーン
インターホンの音で目を覚ます。
時刻は朝八時。
目が覚めてもやはり幼女だった。嬉しいね。
こんな起き方でもすっきり目覚められるのは、昼夜逆転の生活習慣が治ったからなのか、それとも単に子供の身体が元気なのか。
「はい、はーい」
と出ていくと宅急便のお兄さんが来ていた。
受け取った箱は一つ。今の俺が身体をたためば入れてしまいそうな大きさのものだが、大きさの割には重くない。今までの俺なら片手でも持てていただろう。もっとも幼女の俺ではそうはいかなく、両手で抱えるように持って前も全く見えない状況になってしまうわけだが。
「なんか頼んだっけ……?」
一応宛先を確認してみたがうちで間違いなさそうだ。ただ宛名が本名ではなく陽ノ下ひかりとなっている。
どうやらほしいものリストから届いたらしい。
こんなおっさんにもの買ってくれる人とか本当にいるんだ……。
と、箱を開けると中には洋服がいっぱい入っていた。Amazonで目に付く限りの可愛い子供服をほしいものリストにぶち込んだのだが、そのほとんどが入っているのではなかろうか。
中でもひと際目を引くのはプイクアの変身セットだ。
橙色のクアサニーというキャラクターのもので、一応太陽の妖精という設定になっているひかりにはぴったりである。おそらくこれを送ってくれた視聴者はそれを知っているのだろう。
「まあ、買ってもらったものだしな。着なきゃ失礼だよな」
誰にともなく言い訳をして、段ボールからプイクアの変身セットを取り出して開封する。
「きっとひかりがこれを着る姿を見たくて買ってくれたんだろうし、Twitterに自撮りでも上げてやるか。うんそれがいい。決して自分がひかりのコスプレ姿を見たいとかそういうのではないからな」
言い訳が止まらないまま着替え始めようとしてTシャツを勢いよく脱ぎ捨て――た時にパソコンのモニターに反射している自分の姿が目に入ってしまい硬直する。
あれ、これやばくね……。
Tシャツだけしか着ていなかったのだ。下着も何もつけていない。
まあ何が言いたいかと言うと、今の俺はすっぽんぽんである。
とっさにモニターから目を逸らして、極力素早く変身セットの袋を破いて身に着ける。
自分の身体とは言え、あまり見ていいものではないだろう。見るのも自分、見られるのも自分で倍恥ずかしいし。
下着はほしいものリストに入れ忘れていたので、結局ノーパンのまま着たクアサニーの変身セット。生地こそちゃちいがサイズは思いのほか寛容なようでぴったりだった。
それに女児向けのグッズであることもあり、長めのスカートでガードが固いのもノーパンには助かる。ただへそ出しなのはいささかエッチすぎませんかね……?
これ写真に撮ってTwitterに投稿したら犯罪では!?
おっさんが着てるってだけで犯罪感ハンパないのに。
「ま、まああれだ。撮ってみてマズそうだったらアップしなければいいだけだしな!」
と、俺はデスクからスマホを手に取ってカメラを起動し、クアサニーのポーズを真似てみる。
右手の親指と人差し指と中指を立てて、人差し指と中指で右目を挟むような位置に手を持ってくる。
そしてニコッと笑顔――
――ピンポーン
「た、逮捕っ!?」
インターホンに驚いて一メートルほど飛び跳ねてしまう。勢いよく手から離れたスマホが玄関の方へ飛んでいく。
罪状は笑顔気持ち悪い罪だろう。間違いない。
だって自分でもニヤついててちょっと気持ち悪いなって思ったもん。ひかりの顔だからそれでも可愛いとも思ったけど、中身はおっさんだしやっぱり許されなかったのかもしれない。
かくなる上は――居留守!
とも思ったのだが、さっき飛んで行ったスマホがアパートの鉄扉に当たってゴーン、と大きな音を立てる。そのせいで居留守も使えなくなってしまった。
――ピンポーン
また鳴る。
「……ごめんなさい!」
ぱたぱたと走って行って勢いよく扉を開く。
一瞬で汗ばむような夏の熱気が部屋の中に流れ込んでくる。
とすると目の前の景色は蜃気楼か何かだろうか。いや、夢みたいなできごとならもうとっくに間に合ってるからそういうのは本当にいらないんだが……。
えらい美人が立っていた。もともとの俺と同じくらいか少し上くらいの歳だろう。長い黒髪はしっかり整えられていて、前髪も綺麗に切りそろえられている。大和なでしこという言葉がここまで似合う女性は珍しいかもしれない。
しかし問題はそこじゃない。
汚れのない白衣と鮮やかな緋袴。巫女装束の女が立っているのだ。
ひとまず警察でないことは分かったので安心しつつも、理解できない状況に思わず眉を寄せてしまう。
「……は?」
プイクアのコスプレ幼女おじさんと巫女服のコスプレ女の邂逅だった。




