師匠に出会いました
「ちっこいな、お前」
「会うなり失礼極まりないですね」
俺が保健室に入ると気怠そうな顔を上げた男と目が合った。
年齢は二十代後半だろう。桃花とは同級生らしい。百八十センチ以上ありそうな高身長だが、不健康に痩せているので細長い印象だ。おまけに猫背なので実際以上に小さく見えているだろう。
胸に赤ペンをさした白衣はダボッと着ているし、顔は眠たそうだしでなんていうかだらしない雰囲気の男だ。
そのデスクを挟んだ向かいに椅子があったので俺はそこに腰をおろす。ていうかデスクの書類の上に置いてあるのがゲーム機とコーラのペットボトルなんだけど、ここは本当に小学校の保健室ですか?
「一応授業中はこの保健室で待機な。事情は全部把握してるから歪物が出たらすぐに出てもらって構わない」
「はい」
桃花から事前に説明を受けていたが、この保険医は歪物のことはもちろん俺の正体も知っているらしい。
「それでお前、どれくらい歪みを使えんの?」
頬杖ついた保険医はあくびをしながら尋ねてきた。
「どれくらいって言いますと……?」
「離れたところで歪物が出てきた時にすぐに反応して修正に向かえるのかってことだな、ひとまず」
「そういう意味ならダメですね。近くなら分かるんですけど……」
「あっそ。まあ花藤は特別感知に優れているようだからあそこまでとは言わなくても、最低半径2、3キロ以内の歪物の存在は感知できるようになってもらわにゃ困るな」
「2、3キロ、ですか……」
今の俺が感知できる距離なんてせいぜい百メートルそこらだ。まながいればそれでも困らないが、まなが授業中で出られない時のためにいるのにまなに頼っていたら意味がない。
「まあ、なんだ。俺は歪みなんて操れねえからよく分からんがそんなに難しいことではないらしいぞ。今まで見てきた歪み使いはちょっと鍛えればそれくらい普通にできていたし」
なんか気怠そうなのに意外と対応が丁寧だなこの人。正直「全然ダメじゃねえか」みたいに怒られたりするものだと思った。人は見た目によらないな。
「歪みってどうやって鍛えればいいんですか?」
「まあ任せておけ。そのためにお前はここに来てるんだ」
どうやらそういうことらしい。ただ学校に通うなら公立の小学校でも良かったのになぜこんなお金持ち学校に通うことになったのか。まながいるからというのもあるがこの男の存在が最たる理由らしいのだ。
まあともあれ基本給食と休み時間しかクラスで過ごさない俺の保健室登校は、歪みを知る謎の保健医、飯田正太郎との修行の時間として幕を開けたのだった。
それからもう一ヶ月。格好よく修行と言っても保健室でやったことといえばゲームとアニメ・映画鑑賞くらいなものだ。
ていうかどうして保健室にこんな大きなモニターが置いてあるの? もしかしてお金持ち学校ならこれが普通なの……?
ともあれ魔法の要素が少なくて且つアクション要素が多い作品は戦闘の役に立つとかなんとか。まあ実際俺も以前の戦いでアニメの動きを真似てなんとかしたことがあったしこれは理にかなっているのだろう。
楽しみながらもアクションシーンはしっかり学習するつもりで鑑賞している。たまに真似してみちゃったりもして。
そしてさらに学校にいる間は常に変身した状態を維持するという少年漫画でよく見るやつもやらされている。
歪みを常に張り巡らせることによってその状態を自然にし歪物を探知できる範囲を広げることが目的だとか云々。それに歪みの制御も上達するので直接的でなくとも強くなるための近道になり得るとか。
もっとも特に難しくも苦しくもないので少年漫画で見るような過酷な感じではない。
なんとなく変身して、また制服に着替えてゲームをする。それでも歪物を探知できる範囲と精度は確かに上がっている。
飯田自身は歪みを扱えないのに彼の修行はとても的を射ている気がする。ていうかこの人、妙に歪みに詳しいんだよな。男だから桃花のように元魔法少女というわけでもないだろうに。不思議な人物だ。
「なんだかんだ言って飯田さんが実戦を教えてくれないのって、格闘技とかできないからなんじゃないんですか?」
ゲームに飽きてきたので冗談めかして言ってみる。この間「実戦的なことは後で教えてやる」などと言ったきり飯田からそれっぽいことは教わっていない。
「面倒なだけだ」
なんて飯田は相変わらず気怠そうに答えたが、単純に本職である保健室の仕事で忙しいというのもあるのだろう。たまに仕事の愚痴とか言われるし、割とデスクに向かっているし。まあ寝ていたり、俺と一緒にゲームやアニメを見ていることもよくあるが。
しかしそんなことより飯田の身体はどこを見ても細く、戦えるようにはとても見えない。実戦的なのは飯田じゃない人が教えてくれるのかもしれないな。
「まあでもたまに出てくる歪物でも実戦経験は積めますからね」
実際、この一ヶ月で何人かの歪物と戦ったが、自分で急激に強くなっているのが自覚できるレベルで成長している。歪みだって以前に比べて随分扱いが上手くなっているはずだ。
だからまあ無理に教えてもらって急いで強くなることもないだろう。今はただ経験を積む時期なのかもしれない。
「……お前、歪みを使う人間と戦ったことあるか?」
「なんですか、藪から棒に。ないですけど」
そもそも歪みを使う人間なんてまなと桃花くらいとしか出会ったことがない。どちらとだって戦う理由なんてないのだ。いやむしろ今後新しい魔法少女と出会ったって戦う理由なんてないだろう。
「そうだよな……」
飯田は仕事がひと段落ついたのかペンを置くと、おもむろに立ち上がった。
「陽ノ下、お前ジャージに着替えて第二武道場に来い」
そう言って飯田は保健室を出て行った。ほとんど同時に四時間目開始のチャイムが鳴った。
一見会話の流れでそうなったようだが、おそらく最初から四時間目は第二武道場を使うつもりだったのだろう。学校で突然許可なく施設を使うなんて普通はできないだろうからな。
武道場の重い引き戸を両手で開けると、体育館の半分くらいしかない比較的小さな畳張りの部屋。その中心に飯田が白衣のポケットに手を突っ込んだままの猫背で立っていた。案の定他には誰もいない。
ちなみにここは武道場という名前の通り剣道や柔道といった武道に使われる部屋だ。剣道にも使われるので畳は片付けられるよう軽いものが使われている。
「体育の授業ですか?」
「そういう歳じゃないだろ、お前」
飯田は呆れたように息を吐く。
「ひかり、なんのこといってるかわかんなーい」
最近小学生に馴染みすぎて自分でも自分の言動に「そういう歳じゃないだろ」と思うことも少なくないけど、そんな時はもう開き直るしかない。
元に戻る見込みもないし永遠に幼女として生きていけば問題ない!
「まあいい。始めよう」
「始めるって言うと……?」
「かかり稽古ってやつだな。俺を敵だと思って好きに攻撃してこい。武器は遠慮してもらいたいが身体能力は歪みで強化してもらって構わない。かかってこい」
不敵に笑った飯田は自信満々といった雰囲気だが、
「さすがに俺のこと舐めすぎでは?」
普通の人間が歪みを使う人間に殴られたりしたらあっさり死んでしまいかねない。ましてやこんな細い男だ。しかもかかってこいとか言っておいて手はポケットに入れたままで構えてすらいない。
「心配ならまずは素の状態でもいい。どうせお前はすぐ全力になる」
「んー、大した自信ですね。どうなっても知りませんよ」
言われた通り素の状態で殴りかかってみる。これはあっさり躱される。
そら女子小学生のパンチくらい俺でも避けられるだろうしな。それは想定内。むしろ躱されたことで上手く飯田の懐に潜り込むことができた。
慢心をちょっとだけ後悔させてやろうと、歪みを全身に巡らせて身体を捻りながら脇腹に肘打ちを入れてやる。威力は一般成人男性が本気でやった時くらいのものだろう。おそらく。
修行のおかげでかなり歪みの制御はできるようになった。加減だってお手の物だ。
「思ったより良い動きするな」
俺の肘は舞う花弁のような動きでひらりと躱される。
しかも喋る余裕まであるらしい。手はポケットから出さないままだ。
むっ、ちょっと悔しいな。でも俺だってまだ本気じゃないし。
握った拳を昇竜拳が如く振り上げる。さっきより少し歪みを籠めてみる。
が、これも状態を逸らした飯田にあっさり躱される。かすりもしない。もう人間の反射神経じゃないだろ、それは。
しかしそれは予想外だが想定内だ。万が一、億が一に備えられるのが大人ってもんだ。
昇竜拳で必要以上に跳んだ俺の足は今や飯田の頭より上にある。逸らした飯田の頭が元の位置に戻ってきたところで回し蹴りを――は?
頭は元の位置に戻らない。それどころか重力を感じさせないふわりとした挙動でのバック宙で距離を取られてしまう。
なんでこの人歪みを使ってる俺の動きに反応できんの?
ていうか動きがもう人間離れしすぎでは?
「悪くないが隙だらけだな……」
ふっと息をついた飯田に、俺は息を吸う間もなく畳を蹴って距離を詰める。足元にあった畳が落ち葉のように跳ね上がって裏返る。間合いに入ったところで全力を籠めた拳を腹に向けて放つ。
もはや手は抜かない。薔薇の歪物と戦った時のように歪みを空っぽにする程というわけではないが。
というかあれは特殊だ。身体能力を上げるだけならどんなに頑張ったってそうはならない。むしろ歪みの出力をある程度制御できるようになった今でもあれを意識して再現することはできないのだ。あの時自分が何をしたんだかよく分かっていないから。
ともあれ結局普通の人間(で本当にいいんだよな?)に対して本気で歪みを使うことになってしまったな。まあ寸止めすれば問題ないだろう。
さすがに避けられまい。
なんて思ったのが甘かった。いや、俺の目算が甘いのではない。この男の動きがぶっ飛びすぎているのだ。
「なんで避けられるんですかっ!?」
「なんでだろうなあ」
歪みを籠めた高速パンチ、キックを繰り返す。数を撃てば一発くらいは当たるだろうと。寸止めとかそんなこざかしいことは考えない。もうこうなったら自棄だ。
――と、まあ数分後に息が上がって先にギブアップしたのは俺の方だ。
両膝に手をついて、乱れた呼吸を整えようと試みる。
「まあ上出来だな」
「何が、上出来ですか……。かすりもしてないじゃないですか」
ぜえぜえと呼吸しながら悪態をつく。飯田はポケットから手も出していないのだ。上出来なものか。
「勘違いするな、お前が十分強いって話じゃないぞ。ただ使い方を覚えて二か月程度でそれだけ歪みを制御できれば強くなる見込みはあるって話だ。それに歪み使いの戦いは何も格闘だけじゃない」
「それでも歪みを使ってない人間相手に攻撃を当てられないとか、もう自信なくなるとかそんなレベルじゃないですって」
「まあそう落ち込むな、俺はちょっと特殊だ。それにすぐ俺なんか超えられる、そうでなきゃ困るし、そうなるようにしてやる」
「頼もしいんですね」
「お前には期待することにした。せいぜい頑張ってくれ」
「期待、ですか……」
正直歪物を倒せるだけの力をつければそれでいいと思っていたので、歪みを持ったまま飯田くらい強くなったら過剰な気もする。とはいえ強いに越したことないか。
薔薇の歪物は今まで戦った中で一番強かったが、あれより強いのが現れないとも限らないからな。
「これも気にするな。気にしなくてもお前はそれだけの歪みを持っているし、必ず強くなるからな」
「……飯田さんって何者なんですか?」
歪みは扱えないと言っていたし、そもそも歪みを使う条件だって全く揃っていない。それにも関わらずこの強さである。それでいて歪みにはかなり詳しい様子。歪み使いでも普通の人間でもないとなればいったい何者なのか、というのは当然の疑問だろう。
「いずれ知る日が来る。給食の時間だから俺は保健室に戻るからお前も教室戻れ」
飯田は質問には答えず、猫背のまま武道場を出て行ってしまう。結局彼については何も分からなかったが、確かな事は彼がめちゃくちゃ強いということだ。そしてきっと師事していればおれは強くなれるだろう。
「師匠ってとこかな」
もしかしたら歪みのおかげかもしれないが、小学生の身体は大人の時より疲れが抜けるのが早い気がする。この短時間で呼吸も整ってくれた。
飯田は息も上がってなかったな……。
誰もいなくなった武道場。俺は小さくため息を吐いてからめくった畳を直して三年一組の教室へと向かった。
「なんでジャージ?」
と加藤に突っ込まれて初めて自分がジャージのままだったことに気づいた。
期間が空いてしまいました……




