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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

独白集

婚約者の独白

作者: 高槻いつ

愚者の独白、幼馴染みの独白に連なる最後のお話です。

彼女が死んだと。彼女を慕い、彼女が慕う騎士が言った。


「あんたのせいだ」


いつも澄ましたその気に食わない朱色の目に燃え盛る怒りを湛えて、被っていたはずの愛らしい仮面も脱ぎ捨てて、騎士は語気を荒らす。


「あんたが、あのひとを殺したんだ」


今にも飛び掛かりそうな勢いで拳を握り締めたその姿。押さえ付けるようにして横に控えていた同僚が彼を止めていなければ、きっとその握り締めた拳は剣を握ってこの首を刎ねていただろう。


「あ……の、ディー?」


息が詰まる剣呑を孕む空間の中で、やけに場違いに戸惑う声が震えた。


真っ白に染められた思考から逃れるようにそちらを振り向けば、戸惑うようにこちらを窺う灰茶の目がある。


「ああ、向こうに行っていておくれ」

「え、でも、」

「いいから」


いつものように政務中に横に立っていた彼女の存在。しかし今はこの場に立たせるべきではないだろうと執務室の横にある休憩室へ入ることを促せば、その眼は不安げに揺れている。


けれど、ちらちらと視線を交互に送る彼女を半ば強引に隣の部屋へと追いやった。そして同僚の騎士に連れられて部屋を出ていった彼の代わりにその場に立つ騎士団長へと、視線を向ける。


「…………本当なのか?」


第一に、そんな問い掛けが口から滑った。


それは、彼女が()()()()()で自ら命を絶つと思えなかったからだと、思う。


「はい」


口数少なく、あくまでも事実だけを伝える騎士団長の姿に、僕は、相槌を打つこともなく彼の言葉を聞いていた。


「ご自身の手で、首を」


ペンや針しか握らないその白い華奢な手で、彼女はナイフを握って首を掻っ切ったという。


「父君であるレナード殿が、最初に発見されたそうです」

「…………そう、か」


ご苦労、と辛うじて絞り出した言葉は震えていなかっただろうか。



「ディー?」


報告を切り上げて、早急に騎士棟へと戻っていった団長の背をずっと追うように閉められた扉を眺めていれば、ひょこりと休憩室の扉から顔を半分だけ覗かせる彼女と目が合った。


「だれか、亡くなったの?」


いつもと変わらない、何も知らない目で、彼女は僕を見上げる。


そう。無垢な瞳は、いつもと変わらないから。


「ああ……すまない、奥に行っていてくれないか」

「え、でも」

「すまない」


だから、再び強引に奥へと押し込め、自分の鼓動しか感じられないその部屋で、何が込められているのかがわからない息が零れた。


「…………」


到底政務など手に付くはずもなく、握っては戻すを繰り返す羽ペンを見つめて、ふと思い出す。


『こちらを。気に入っていただけると嬉しいのですが』


無表情に、固く張られた声。婚約者の役目としてか、一応誕生祭の後夜に個人的な贈り物として渡されたそれ。


『ああ、ありがとう』

『いえ』


責任感からくる物だとしても、彼女自らが選んでくれた初めての贈り物に少し胸を高鳴らせて開けば、二つの色彩が目に飛び込む。


朝焼けのような、夕陽のような、鮮烈な色でありながらも浅く、深い陽の色をした美しい羽と、反対に夕闇に包まれる日暮れのときを思わせる濃い青。一つだけでも美しく、二つセットになればそれは朝と夜の色を、黄昏のときを楽しめる、そんな趣向が凝らされたペンとペンスタンド。


『……ありがとう、大切にするよ』


先日話した、なんてことない一言を覚えていてくれたことが嬉しかった。口元を緩ませて礼を告げれば、自分の前でだけは笑わない彼女が、少しだけ微笑んでいる気がした。



「…………きみは、僕のことが嫌いだったんじゃないのか」


もうずっと昔のように思えてしまう記憶に蓋をして瞼を閉じれば、そんな感傷が口を滑る。


出会った頃から、その後も、ずっと。


自分が好かれている、などと思えたことはない。


何故なら、彼女はいつだって自分の前ではあの花開くような笑顔を、見せてくれたことがないのだから。


思い返す。


その微笑みに惹かれ、柔らかい声に惹かれた、その日を。



それは、あの子が齢12になろうかというときのことだった。次期王妃候補を選別する茶会にて、家柄と丁度良い年頃の息女が集まる、その日。


朝から何回も何回も開かれる茶会に、挨拶の繰り返しにうんざりしていた夕方頃。もう適当に選んでしまおうか、などと思い始めていた頃。


最後のグループにて、凛とした、静かな声が耳を掠めた。


「お初にお目に掛かります。スクリファット侯爵家第一息女、シュティル・スクリファットと申します」


金や銀等、浅い色をした髪を持つ令嬢が多いその茶会の中では一際目立つ赤茶の髪が、軽く礼を取ったその背を滑る。


「この度は……」


聞き慣れた挨拶口上を紡ぐ鮮やかな紅の引かれた唇からは鈴の音のように軽やかで、耳障りの良い声が紡がれる。


飽きる退屈な挨拶に思わず耳を傾けるくらいに心地の良い声と、頭を下げる前に一瞬だけ見えたグレーの眼が作り物かと間違う程に澄んでいたから。


相俟って、記憶に残った。


「……王太子殿下?」


一人挨拶をしたら、それに言葉を返すのが慣習。滞りなく行われていたそれが自分の番になった瞬間に行われなくなったことに不安を抱き少しだけ上げられた目線にかち合ったとき、はっとして慣れた挨拶返しを吐き出す。


「ああ、すまない。父君であるレナード殿には、良く世話になっているよ。君の話もとても可愛い娘がいるのだと聞いていた。短い時間になってしまうが、この場を楽しんでもらえたら幸いだ」

「ありがとう存じます」


掛けられた言葉に、儀式的に頭を下げた彼女。そんな彼女の番が終わればその横に座る令嬢がまた慣れた挨拶を始める。そしてまた、一言返す。


何度かそんなことを繰り返して軽い世間話をしていれば、もうとっぷりと日が暮れようとしていた。


「では、本日はこの辺りで」


唯一記憶に残るスクリファット家の令嬢以外、誰一人として記憶に残らない茶会を終えれば、疲労感と倦怠感が身を襲う。すっかりバキバキになった身体を軽く伸ばし、息抜きがてら庭園でも散歩して戻ろうと夜闇に包まれつつある、サロンから一番近い中庭へと向かうことにした。


「そうか、失敗はなかったか」

「ええ、特に何もなかったけれど、大きな失敗はしていないからまだ望みはあると思う」

「うん。選ばれるといいな」


開けた中庭。城内の人間であれば誰でも立ち入ることが許されるその場所で、先程の取り繕った表情からは想像出来ない程に柔らかく笑うその姿と、明るく語る弾けるような声が強く、目に、耳に、焼き付く。


「今日はご馳走にしよう。シェフに頼んであるんだ」

「もう、まだ顔合わせをしただけよ」


笑い合い、並んで中庭を歩くその姿を、惹き付けられたように最後まで見送った。月明かりだけが輝くこの場所で、何よりも輝かしく見えたその姿に、その横に、自分を重ねて。


「シュティル・スクリファット嬢。彼女を、第一候補として考えている」


だから、茶会を終えたその夜。中庭から父君の居室である最奥のその部屋で、そう告げた。


「ふむ、レナードのとこの娘か。良いんじゃないか?少々訳あって騎士の志を捨て、大臣として私の傍に付いてくれている程の者だ。そんな彼の娘が私の娘になるのなら、文句などないよ」


ゆらりとグラスを傾け、深紅の液体を飲み干す父。王である父君の承諾が得られるのであれば、候補はほぼ決まったと言っても過言ではない。それでも、様々な根回しをしておいて不足はないと、私は父の部屋を後にする。


母君である王妃が早くに亡くなり、以降妾すらも取らないが故に王の子供は私だけ。だから、正当な継承権を持つのも私だけ。


しかし、王子が一人では替えが効かないと、傍系の人間に数人仮の継承権を持つ者はいる。継承者候補が増えればそれだけ派閥も増えていく。正当な権限ではないが故に彼らを表立って次期王太子へと据える声はないが、水面下ではそんな動きが見える。


そんな彼らに邪魔されないようきちんと協力者に根回しをしておくのが政治の世界だと、父は言う。その言葉に従って行った根回しの結果、晴れて正式な場で次期王妃の名として、彼女の名前を呼ぶことが出来た。


「わたくしが、ですか?」


絞られた候補者の中、広場で名を呼ばれた彼女の声に、頷く。


「シュティル。いや、シュティ。これから、よろしく頼む」

「……は、い」


取った手が震えている。嫌われていなければいいなと思いながら言葉を掛けたときは、確かにそこに偽りなどなかった。彼女と二人、この国を、導いて行けたらと。


そう、思っていたのに。



「ディー様?」


次期王妃が内定し、何度目かの顔合わせ。今日も上部をなぞるような会話だけを交わす以外何一つとして発展出来ていない関係性の中、どうすれば親しくなれるだろうかと頭を悩ませていれば、戸惑ったように向けられたグレーの瞳。


まるでこの内心を見透かされたのかと思う程に澄んだその目を気恥ずかしさからまともに見れず、思わず逸らしてしまう。


「……っ」


意中の女性と話した経験がないからか、どうにも上手く彼女と関係性を作れなくて逸らす視線の先で悩む。


逸らしてしまったその視線の先、彼女がどんな顔をしていたのかも、勿論知らないまま。


ただ、どうすればもう少し仲を縮められるだろうかと、思案していたのだ。


仲良くなりたい。庭園で見掛けたあの笑顔を、自分にも向けて欲しい。そんなことだけを考え、朝を迎える日も多くあった。


午後には彼女との茶会がある。今度こそ、と意気込んで決意を固めた自分の横を、見慣れた赤茶の髪が横切った。


「おめでとう」

「ありがとうございます」


願っていた彼女の表情は、本当に綺麗だった。向けるそのグレーの瞳が、緩く弧を描くその口元が。


とても。


「…………?あら、何方かいらしたかしら?」

「気のせいでは?」


実際、二人でいた訳ではないだろう。古くからの幼馴染みとはいえ、未婚の、あまつさえ片方は婚約者を持つ立場。当然、二人きりで歩くなど許される話ではない。角の先、自分の死角となっていた場所に従者がいたのであろう。


けれど、今。自分が彼女と仲を深めようとしていたことが全て無駄だと思えるくらいに、彼女が、相手に気を許していたから。


付け入る隙さえない。そう強制的に思わされる程に、二人は、お似合いだった。


彼へ向ける好意が友愛であっても、親愛であっても、そうでなくても。


自分にはそれらさえ向けられていないのだと、知った。


「ははっ……」


彼女が誰を想っていたって、構わないと切り捨てられる感情なら、あの場面を見たって何も感じなかっただろう。ただの政治的婚約。そう、割り切った関係なら、何も。


「……ばか、みたいだ」


親しくなりたかったのは、自分だけ。


だって、自分には見せてくれない笑顔が、向けてくれない視線が、掛けてくれない声が。


その、証左なのだろうから。



「ディー、様?」

「なんだ?」


興味もない相手から話題を振られるのは苦痛だろうと、以降の茶会では挨拶だけを述べてただ茶菓子を頬張るだけのときが流れた。


「…………いえ、なんでもありません」


辛うじて自分の愛称を呼ぶ彼女のその声だけが、自分の婚約者であるのだと思える。それでも、やっぱり彼女は今日も笑わないし、話さないし、ただ困ったように自分を見やるだけ。そんな顔をさせてしまうのなら、いっそのこと茶会など開かない方が良いのだろうと、ただ思った。



「ディー様、こちらを。気に入っていただけると、嬉しいのですが」


茶会を開かなくなり、彼女と顔を合わせることがすっかり減った近頃。久々に顔を見た彼女から、誕生日の贈り物をもらった。


「……ありがとう、大切にするよ」


初めて自分に向けられた小さな微笑み。嫌われている訳ではないのかと、少し自信を持てたのも束の間で。


嫌われていないのなら、もう一度茶会を開いても許されるかと彼女を自ら誘うために出掛けた午後。


「もう、やめてったら」

「はは、申し訳ありません」

「悪戯が過ぎるぞ」

「本当ですよ!」

「全くだ」


再び見てしまったその景色に、ちょっとだけ抱いた期待は砕け散った。


仲睦まじく笑い合う彼女と、レナード殿と、彼女の幼馴染みである騎士見習いの少年の姿。それを見守るように微笑む、宰相とその娘二人。


「…………」


二回目は、前回と違ってそれ程痛む感情はなかった。ただ、ただただまた思い知らされただけ。


やっぱりあそこに、自分が立つことなど出来やしないのだと。



「好きなヤツがいるんだろう?なら、態々私と出なくても良いだろう」

「え……」


そんな一種の諦めを抱いて以来、彼女に近付くことを更に避けた。茶会の同伴、パーティーのエスコート。その辺りを避け続け、何故かとついぞ彼女に問い詰められれば、そう答えた。


単に自分よりも騎士の少年の方が好ましいのだろうと思って吐いた言葉であったが、思いの外刺が強い言葉として彼女に向けられたそれ。


挨拶回りの一貫を兼ねているとはわかっていても、隣に立つ度に自分と彼らとの差を突き付けられる気がして、気が進まない。それに、二人で出ることは、義務でもない。


「相手が必要なら、他に頼めばいいだろう」


幼馴染みであり、従兄妹である親族ならば、自分の代わりの用を満たせる。背を向け、そう考えて吐いた言葉に彼女の言葉が暗くなっていることさえ気が付かないまま、足早にその場を立ち去った。


彼女と顔を合わせない理由が幼稚な感情からくるような幼いもの。たったそれだけならば、初恋を拗らせた王子の馬鹿な話の一つとして、将来笑い話にでもなったのかもしれない。


見守りながらも関係性について少し触れてくる保護者のような宰相の言葉に、いつか折れて。


「……シュティル嬢、戻っていただいて大丈夫ですよ」

「……はい。それでは、その、ありがとうごさいました」


けれど、ここ半年から一年に掛けて自分が避け始めるようになった原因は、それだけではなかった。


「すまない、もう一度頼む」

「はい、勿論です」


国を背負う者として彼女と共に学び始めた場で、その優秀さを僕は突き付けられていた。


「……はい、問題ありませんよ」

「ありがとう」


彼女が一で物事の理解をするのなら、自分は三の時間を要する。それなのに、最終的な問題の失点は彼女の方が少ない。


「ありがとう、ございました」


同じ時間に始め、いつも先に退室する彼女から送られるこちらを窺うような視線。


羨望が、嫉妬に変わったのは、そう遅いことではなかった。


「では、その……」

「ええ、お疲れ様でした」


週に二、三度開かれる勉強会。今日も今日とて先に上がっていく彼女と、ふと目が合う。


一切柔らがない眼差しに、結ばれた口元。こちらを見つめる、その固い表情。


「いちいちこちらを気にしなくていい。鬱陶しい」

「殿下!」


上手く行かない関係性から、嫉妬に塗れた心情から、そんな剥き出しの悪意が、何かがきっかけとなって口から流れていった。


「……申し訳、ありません」


俯き、出ていく彼女。先程の言動を指導係である宰相にいくら咎められようと、謝ることが出来なかった。


ずっとずっと幼稚な自分に嫌気が差す。それでも、いつまでもたった一言が言えないまま、僕らはその日を迎える。



「ここ、どこ?」


中庭にて、見慣れぬ衣服を身に纏った少女が倒れていると、報告が上がった。


「貴女こそ、どちらから来られたのですか?」


他国からの諜報員である可能性が高い状況下で、少女はひとまず騎士達が生活する騎士棟の詰所へと運ばれた。運ばれてから数分程で目を覚まし、警戒を孕む騎士団長の問い掛けを理解しているのかしていないのか、きょとんとこちらを見上げるその灰茶の眼。


「……?!?」


パクパクさせ、何かを伝えようとするその口からは一言も零れてこない。しかし、慌てたように喉を押さえて懸命にこちらに何かを言いたがっているのは理解出来た。


「大丈夫だ、落ち着いて。名前は言えるか?」


前に出る自分に戸惑う団長を横に立たせ、少女の肩に手を置く。そうして投げ掛けた言葉はやはり伝わるのか、一旦一息を吐いた少女は、下を向く。


「……わからないの、ごめんなさい」


この状況下で、何処から来たのかも名前を言えないのもが重なるのは、流石に疑われると思ったのだろう。明らかに自分達とは違う顔立ち、衣服。他国から何かしらの理由でこちらへ送り込まれたとしても、彼女は明白に我々とは違う何かがあった。


「いや、構わないさ。今日はもうゆっくり休んでくれ。また明日、話を聞かせてくれないか?」

「……わかりました」


彼女を間諜だとする決め手も、昔からお伽噺で語り継がれるような間人(はざまびと)だという決め手もない。しかし、演技だとは思えない落ち込みようを信じ、軽く見張りだけは付けるよう団長に告げてから詰所を後にしようとしたところで、彼女からか細い声が掛けられた。


「あ、あの、明日も、貴方が来てくれるの?」


身分も証明出来ぬ者が、気安く国の王子を呼び止め、あまつさえ許可もなく話し掛ける。そんなことを咎めようとする騎士団長を手で制し、私は首肯する。


「ああ。私が明日、また来よう」

「しかし殿下、明日は……」

「一日くらい構わないだろう。彼女の方も、予定がなくなって喜ぶだろうから」

「殿下……」


幼少期に剣の指南役も務めていた師の言葉を遮って、私は今度こそ詰所を去る。



「……ディー様」


名も知れぬ少女のことについて心当たりのある私は、離れにある図書棟へと向かっていた。そんな最中、いくつかの本を抱えた婚約者である彼女と遭遇し、呼び止められる。


「……なんだ?」


彼女の方から声を掛けるなど珍しい。何か火急の用でもあるのかと視線を下げれば、びくりと震えた肩が視界に入る。


「何もないなら、行くぞ」

「あ……」


そんな様を見て、彼女にそうさせる程にいつの間にか嫌われていたのだと不意に突き付けられた。


苦い感情が滲まないように、必要以上に触れないように、彼女の言葉を遮るようにしてその場を立ち去る。


挨拶さえ嫌なら、いっそ初めから話し掛けなければいいにと、そんな風に苛立つ心を抱えながら一日図書棟に籠って過去の文献を漁った結果、彼女は限りなく神々の悪戯で稀に現れるという間人という立場であるということがほぼ確定した。


数百年に一度か二度起こるという神々の悪戯の最中、それに巻き込まれるようにして我々人間には理解出来ぬ何かしらが起こり、世界の境界を越えてしまうというのが、間人という存在である。


彼らは総じてここではない世界で生きていた記憶はあるものの、その国の名を伝えることもそこで呼ばれていた名前を告げることも出来ない。ただ、かがくというものが発展していて、我が国よりも豊かで平和であるということは共通していた。


故に、間人を保護した場合は速やかに大聖堂か王宮内で囲い、国を豊かにするという名目で知識を奪い取り飼い殺しにすること、と文献には記される。


「……飼い殺しに、か」


国に繋ぎ止めるための方法、他国へ奪われないための方法等、生々しくなってきた歴史を閉じ、天を仰いだ。どちらにせよ、あの少女を城で保護することに代わりはないかと全ての文献を片し、父君へ報告を入れる。


国が繁栄するのなら構わない、という承諾を得た後、宰相や大臣達を集めて情報を周知、大聖堂の方へも報告の手紙を飛ばし、やっと一息吐けたのは、もう茜が昇る頃だった。


軽く仮眠を取り、雑用をいくつかこなした後にもう一度間人の元へ訪ねることが出来たのは、陽の落ちる黄昏時で。


「……あ、こんばんは」


監視の意味も込め、騎士棟の区分から出られない彼女は、詰所の前から空を見上げている。草を踏む足音でこちらを振り返り、かち合う瞳には昨日よりも濃い疲労が見て取れた。


「その、団長さんから聞きました。えっと、軽々しく話し掛けて、ごめんなさい」


シュティと、ほぼ同じくらいの年齢であろうその少女は、困ったように曖昧に笑って目を伏せる。自分が去った後、恐らく礼儀に厳しい騎士団長辺りが軽い叱責を行ったのだろうが、言葉通り生まれも育ちも違う人間に、端からここの生き方を押し付けるべきではない。そう思っている私は、彼女に気にするなと声を掛ける。


「ありがとう、ございます」


戸惑ってはいるものの、先程よりはいくらか落ち着いて柔らかくなった表情。話し掛ければ、返ってくる程度のテンポ。それでも、茜が藍に塗られたそのときまで話し込んでいれば大分打ち解けて、少ないながらも笑顔を見せてくれるようになった彼女。


自分の周りにはいない、ころころ表情の変わるそんな彼女が珍しくて、年の近いはずのシュティとはこんなにも違うのだなと思いながら、ただ彼女の話を聞いていた。



「彼女を王宮で保護することになった」

「よろしくお願いします、シュティルさま」


何日か夕陽が沈む時を彼女と過ごし、限りなくただの間人であるということが確認出来たことで、正式に間人として彼女を王宮で保護することになった。


故に、宰相や大臣などが集まる場にて彼女を紹介し、当然シュティにも会わせた。


「……ええ」


ずっと避け続けた結果、最近では一月顔を会わせないことも多い婚約者の顔には、歓迎の色は見えない。次期王妃として、異国で育ちながらもこの国で生きていくことになるであろう間人の彼女に少しでも指導を願えたら、とは思ったが、それは厳しいようだった。


「ああ、彼女のことを頼む」

「はい、お任せください」


少しでもこの国で過ごしやすくなるよう、年の近い令嬢を集めて茶会を開き、友人を作ると共にマナーを教えるよう社交界を仕切る侯爵夫人に頼む。


王宮の一室を与え、ちょこちょこ様子を窺うようにしてこちらを見に来ていた少女も数ヵ月立てば全く顔を出さなくなり、侯爵夫人から送られてくる手紙で彼女の様子を知る程度になっていた。


というのも、何度か王宮内で顔を合わせても割ける時間が少なく、軽い挨拶程度になってしまっていたというのも、彼女が自分に近付かなくなった理由の一つだろう。


しかし、それに対する申し訳なさよりも父君が近頃病に倒れて政務が滞っていて、それどころではなかった。


今日も今日とて父が抱えていた案件に目を通し、宰相や大臣達の意見を交えながら方向を決めていく作業に終われる中、久しい栗色の髪が視界に入った。


「……休まなきゃ、だめだよ」


誰もいない深夜の執務室。慣れていないというのもあるが、単に自分の能力不足で仕事が捗らずに押した時間の中で、ティーセットを抱えた間人の少女がそう呟く。


「ああ……わかっては、いるんだけれどね」


書類の山が自分を囲む机の先、綺麗に処理済みの書類が積み上げられた()()が座る席を見つめて、再び手が動く。


流石に一人では手が回らず、相変わらず優秀な彼女にも手伝ってもらった結果、毎日のように己の無能さを突き付けられている。だから、少しでもその差を埋めようとこうして遅くまで作業をしていても数時間経てば再びその差は開くばかり、で。


「あなたが、そんなに無理することないって、夫人が言ってた」

「はは……そうだね、出来る人間がやれば、いいんだろうけどね」


ペンを握る自分の手を覆うようにして止め、こちらを見つめる彼女の眼は、出会ったときよりもきらきら輝いて見えた。周囲にいる友人のお陰か、元気になった彼女の姿を見れて嬉しい反面、何処か引っ掛かりを覚えるその思考は椅子から離そうとする彼女に掻き消されて、強制的に始まったティータイムに埋もれていった。


そうして深夜から始まった密かな茶会は、時が経つに連れて段々回数が増えていく。


「ディー様!」


凝り固まった身体を動かそうと軽い散歩に出た際に重ねる茶会。


「ディー!」


何もない時に現れ、唐突にお茶をしようと誘われても拒まなくなったのは、いつからだったか。


彼女と共に過ごしていれば、シュティと同じ空間にいて覚える感情を忘れることが出来る。ただただシュティから逃げるだけの口実に彼女を使っていることを理解しながらも、ふわふわとした柔らかい好意を向けてくれるそれが心地良くて、いつしか、彼女を拒むことをやめていた。


「ヴァルディス王太子殿下」


今日も今日とて最低限の政務しか行っていない自分を呼び止めたその声。


毎日聞きながらも機械的な言葉しか吐かず、平坦なそのトーンに呼ばれる愛称は甘い声で口ずさんでくれる彼女とシュティとでは感情に圧倒的な差を感じるが故にとシュティには呼ばないでくれと頼んだ結果、婚約者でありながらも殊更他人感が強くなったその呼び名は、頼んでおきながらあまり気分の良いものではない。


「なんだ」

「最近、業務を抜け出す時間が目に余ります。異国の少女を気に掛けるのはご立派だとは思いますが、何れは彼女もここを出なければなりません。余り一人へ構うと良くない噂も立ちます。もう少しお控えください」

「何をしようと僕の勝手だろう」


だからか、いつだって柔らかく対応出来ず立ち去る自分はいつまでも子供で、そんな自分を嗜めるように周りの目を気にしろと叱責する彼女の言葉に頷けないまま、今日も彼女は私の代わりに執務室に赴き、あの山を片すのだろう。


いっそ、全てを放り出してくれればいいのに。


そうしたら、僕達の関係は全てなくなるのにと思ってしまう自分は何処までも卑怯。それでも、言い出せない言葉を願うその心は、未だに重たい未練を燻らせるまま。


けれど。


一月、三月、半年、一年。


どれ程の時が流れても、どれ程僕が彼女に仕事を押し付けても、彼女は自分から婚約破棄を申し出ることはなかった。そんな欠片さえ溢さず、淡々と役目をこなし続ける彼女との関係性はもう、表面上でさえ婚約者とすら呼べないものになっていた。


王太子の寵愛を受ける間人と、国王が認めた次期王妃とで派閥が出来る程に揺らぐシュティの立場。


父の体調が崩れる日が多くなり、いつどうなってもおかしくない日々が続く中で、周囲からどちらを王妃にするのかをさりげなく探られる。


傍に置きたいのは、当然栗色の髪をふわふわさせて微笑む彼女。いとおしくて、守りたい存在。しかし、彼女は王妃の器ではない。幼い頃から王妃教育を受けているシュティと違って教養もなければ心構えも違う。彼女が婚約破棄を申し出ないのなら、それは当然、シュティを王妃に選ぶ予定だった。


父が亡くなった、その日も。



「……まちがっていたの」


ああ、何故、こうもこんな場面に出会してしまうのか。


友人と茶会をするという彼女を見送り、一人空いた時間で今度は限られた人間しか入れない、中庭を彷徨いていたとき。


聞き慣れた声に誘われて足を進めれば、赤茶の髪をベンチに垂らして俯くシュティと、騎士見習いから騎士へと昇格し、正式にシュティの護衛として配属された

青年がそこにいた。


「王妃になりたいなんて、まちがっていたのだわ」


密会の邪魔をしたかと、静かにそこから去ろうとしたとき。確かに耳に残ったその声に、足が止まる。


「傍に、立ちたいだなんて、思わなければよかった」


幼馴染みにだけ吐き出される、彼女の弱音。ああ、そうかと、そして納得した。


厳格な王妃教育を受けた彼女が、次期王妃に選ばれた段階でどんなことを思おうと婚約破棄など願えるはずがない。


それなのに、自ら申し出ないから彼女は王妃になりたいなどということを考えていた自分の欲望が、そう見させていただけに過ぎなかっただけなのだ。


「でも……」


先を紡ぐ彼女の声を遮るようにして、僕は庭園を去る。ただ一言。家臣に、間人である彼女を王妃にするという決意を伝えるために。



そうして僕とシュティの関係は、消えた。


ないだろうが、望むのなら第二夫人の座も用意出来るよう、一応の婚約者という肩書きを残したまま。


王妃が決定して以降部屋に籠りがちだという彼女が気になったとしても、嫌う相手が見舞うよりは何もされない方が良いだろうという思いを抱えたまま。


「ディー」


跡継ぎを作ることが仕事だと聞いた彼女の言葉の通り闇夜で身体を重ね続け、無事懐妊したと産科医から聞き、彼女の披露目と併せて国民へ発表をしようと準備していた頃。



今日の訃報を、聞く。




「……何故、なのだろうか」


浅い夢を見るように、なぞった過去。眼を開けた先には、窓から青白い光が差し込んでいた。


何度思い返しても、彼女が命を絶つ理由がわからなかった。


宰相から葬式が開かれると聞いてもその場へ赴く気にはならず、ただただ政務に没頭する。重たくなる頭が寧ろ冴えて、それなのに目が霞む深夜。


ふと、騎士の青年の言葉が過った。


「……そうか。ぼくの、せいか」


彼女を、王妃候補に選ばなければ。そうすれば、彼女は自ら命を捨てることはなかったのだという結論に、行き着いた。


そして宰相に乞い、案内された彼女の眠る場所。長く婚約者であったのに、好きな花すらろくに知らず、ただ真白の花をそこに手向けて呟いた。


きみに惹かれなければ。きみを望まなければ。


そうしたら、互いに違う人生があったのだろうという、謝罪を込めて。



しかし前日に何があろうと、民へ王妃の御披露目と懐妊の報せがある以上、暗い顔など作っていられない。


高台でただ二人微笑み、送られる祝いの品々に寿ぎ、一日を終える。


これから迎えるであろう日々に互いに胸を踊らせ、眠る夜。けれどそんなことは許さないというように、()()は始まった。



「殺すことが目的ではないのでしょう」


国民への披露目を行って以来、毎夜自室にやって来る侵入者を捕縛した騎士団長が一言、そう呟いた。


「どういうことだ?」


眠る部屋を変えようが護衛を増やそうが減ることなく度重なる闇夜の襲撃に疲いて疲弊して眠る彼女を抱いて問い掛ける。


「送られてくる人間はどれも三流とすら呼べないレベルの輩ばかり。正直、暗殺者の肩書きすら名乗れぬような者が高い報酬金に釣られてやって来たのだろうなという印象です。これ程のスパンで金額に物を言わせて仕向けて来れるような相手ならば、もう少し手練れの者を送って来るでしょう。そうしないということは、それなりの理由があると思われます」


床を汚しながら回収されていく死体を見やりながら己の見解を語る騎士団長の声は固く、柔和な笑顔を浮かべていることの多い表情は険しく歪む。


先代の王が存命であった頃から騎士団長という立場を預かる彼でさえ、こんなにも多い侵入は初めてだという。まるで、送ることだけに重きを置いているようだ、と。


「……殺すことが目的ではなく、ただ人を送ることに何の意味があるというのだ?」

「それは、私にも」


首を横に振って切られた会話を、頭の中でなぞる。本来の目的は、殺すためだろう。けれどそうではなくて、ただただ嫌がらせのように人を送り続ける理由。


「おやすみになられてください」

「……ああ」


血で汚れるからと、もうカーペットすら敷かなくなった床を手慣れた様子で清掃するメイド。そんな様を眺めていれば、扉の前で今日も同じように待機する騎士団長に睡眠を促される。決して眠れるような環境ではないが、少しでも休まなければ明日に障る。


浅い睡眠を取っては起こされるような日々の中で、過ごす。そんな日々に終止符が打たれたのは、宰相が持つ一枚の紙。


「……では、()()()()()()

「……ああ」


濁された言葉。けれども、確かに通じ合う意図に、私は頷く。唇を噛み締め、震える声が了承の意を吐き出せば、その準備は着々と進んだ。


数え切れぬ程の売国の跡。ご丁寧に、私達でさえ追えるように跡の残してあるそれらでは、簡単に証拠が集められてしまう。


スクリファット侯爵邸の一室。全てを見通していたかのように自室で待つその姿に、息を呑む。


記憶に残る大臣の姿からはかけ離れた、生の感じられぬその姿に。


「…………わかっているよな?」


自分の娘を死に追いやった人間。そんな私を見上げて、彼は一言吐く。


「どうでも良い、ことだ」


先王の右腕として国に使えた臣下の言葉は、どうとでも取れた。だから、反射的に歪んでしまった顔。それを誤魔化すように彼から目を離し、地下牢へ運んだ後に尋問を科すよう指示を飛ばす。


「……」


けれど彼は、最初に語ったこと以外、何一つとして口を割らなかった。


「…………」


どれ程残忍な罰を与えても、甘言を囁いても、何一つとして。



結果、このままでは死ぬだけだという看守の言葉を受け、尋問はたった一つの供述だけを手にして切り上げられた。


処刑の時間が決まったと告げても顔色一つさえ変えない彼は、国民がショーとして楽しむ断罪の場に上がっても変わらなかった。全身に拷問の跡が見られながも、石と罵倒を投げ付けられる姿は、こちらが見るに堪えない程だというのに。


「……やれ」


それでも刑を、一因を担う者としてその場を終わらせれば、ごろりと転がったその骸は嗤っているような気がした。




レナード殿が最初に供述した通り、彼が亡くなってから夜間の襲撃はぴたりと途絶えた。


「陛下、こちらを……」

「ああ、すまない」


久方振りの静かな夜が続き、代わりに増えた仕事を今日も自室で処理していたとき。一休憩入れるよう促した従者の茶を口に含み、息を吐く。


「ディー……おつかれさま」


一息入れていれば、近頃はずっとベッドで寝そべる彼女が身体を起こしてこちらを見ていた。


「ああ、ありがとう。体調はどうだ?」

「ん、今は平気」


相変わらず体調が優れなさそうだが、落ち着いた夜を過ごすことで多少良くなってきているようだった。


このまま、何事もなく過ごせたらいい。


そんな風に思うことさえ許されやしないのだろうが、それでもそう願えるくらいに穏やかな日々を過ごしていたある日。


嘲笑うように、そんな日々は終わった。



「あ……」

「どうした?」

「来ないで!」


政務を自室で行う傍ら、今日もベッドで休んでいた彼女が、青ざめた顔でこちらを見つめている。何かあったのかと近寄れば、即座に拒絶され、躊躇う。


「ううっ」

「っ!宮医を呼べ!今すぐに!!」


けれども腹を抱えて蹲ってしまった彼女に無理矢理近付けば、白いシーツを染める朱が目に入って、扉近くで待機していた侍従へ声を荒げて指示を飛ばす。


自室に駆け込んできた宮医に追い出され、視界を染めた赤い色が目に焼き付いて離れなくて、仕事が手に付かない。ペンを握っては戻し、握っては戻しを繰り返していれば、漸く部屋への立ち入りを許可された。


「大丈夫なのか?」


一番にベッドに寝そべる彼女に近寄り、その傍で身体を見たであろう宮医に詰め寄れば、彼女はそっと目を伏せて小さく言葉尻を濁す。


「王妃様の御子は……」


消え入るような声で、多くは語らず、最後は静かに消えたその一言で、理解した。


「……そうか、ご苦労だった」


気を失って眠る彼女へどう説明をしようか。そう考えを巡らせていれば、何か言いたげにこちらを見上げる宮医がいる。何かまだ続きがあるのかと待っていれども、その口は開き掛けるだけで先を紡がない。


「陛下、あちらで。少し」


しかし覚悟を決めたのか、揺らいでいた眼は確個たる意思を持って向けられた。この場で話せないこと。それは、眠る彼女に聞かせられない話だということ。そう察して、自室の奥、執務室として改造した部屋に移動する。


「それで、なんだという?」


起きた彼女が入って来ないように内鍵を掛け、ソファに腰掛けて今度こそ離されるであろう題を待ち構える。先程に比べて比較的早く動いた彼女の口から告げられた言葉はいっそ聞かなければ良いと思う程に残酷で、ある意味報いのようなものかと、納得した自分がいた。



「ディー、ディー。ごめんね」

「君が無事で良かった」


平穏が訪れていた自室で、眠っていた彼女が目を覚ました。子が流れてしまったこと、それをなるべく彼女が傷付かないように伝えれば、柔らかい瞳は涙に濡れて、ただただ謝罪を繰り返していた。


君のせいではないと肩を抱き、君が無事で良かったと言葉を吐き続けていれば落ち着いて来たのか、少しだけ顔色に光が戻る。


「次は、産んでみせるから」


少しずつでも、元気になってくれればいい。そう思って浮かべていた表情は、彼女の一言によって崩れてしまったのだと思う。


「……ディー?」


機微に聡いとは言えない彼女が、僕の意図を汲み取ってしまうくらいには。


「…………ディー?」


デリケートな問題に、簡単に大丈夫と嘯くようなことは出来なくて、沈黙を守るしかなかった僕の態度で、彼女は自分の身体について察してしまった。


「もう、望めないの?」


泣き出しそうに震えた声で、こちらを見上げる彼女。


次は、難しい。そう宮医から告げられた言葉を、彼女に伝える気はなかった。例えこの先に子供が望めないとしても、その結果どんな手段を取らざるを得ないかをわかっていても、子を失ったばかりの彼女にする話ではないと、流石にわかるから。


「ああ"っ……」


身体を抱き込むようにして、喉から絞り出すような慟哭が漏れた彼女をただ抱き締めて、産科医の言葉をなぞる。


今回の件で彼女の身体にいくつか問題が残り、そうなったら経験上、もう一度子を望むことは難しい。望めたとしても、この世に生を授かることが出来るかがわからない。そんな、言葉を。


「…………ごめんなさい」


そして、その言葉の通り、彼女は子を産むことが出来なかった。


数年の間、何度か子を宿したことはあった。けれども、どの子も早期のうちに水子となってしまって、この世で産声を上げることは叶わない。


「せめて、せめてお一人だけでも」

「……わかった」


王妃に子供が望めないのなら、新たに妃を据えるか愛妾を取るかをせざる得ない。一人、たった一人でも良いからと進言する宰相に頷き、言い方は悪いものの手頃な令嬢を見繕ってもらう。


傍系で、血族の血を持つ養子に迎えられるような子供がいたのなら、それでも良かった。けれど、軒並み産まれたのは息女という報告ばかりで、子息が誕生したという報告は一切、聞かない。


まるで、何かの咎を背負ったかのように。



「…………いつか国が滅びることを願って、か」


何度目かわからない流産の報告。慣れたと言ってしまえば不謹慎だが、もう慣れて期待も失望も感じなくなった夜。


自室を改良して使っている執務室の窓から空を見上げ、思い起こす。


過去、レナード殿から送られてきた暗殺者から、いくつか話を聞くことが出来た。


目が飛び出る程の破格な報酬、添えられたメモには依頼内容と今しがた零れた一言が書かれていたという。


その当初に話を聞いたときは運良く暗殺が成功し、私達が死ぬことによって傾くであろう国の未来を考えての一文だと思った。


しかし今は、こうも子が流れてしまう今を知っては、その一言には違う意味が込められていたのではないかとさえ思ってしまう。


「子を望めぬ国母では、国は衰退していく」


王子王女による政略結婚は、不安定になった国家間を繋ぐための交渉の一つ。その切り札を持っているかどうかで、国が長生きするか緩やかに衰退していくかが決まるといっても過言ではない。結婚という契約、王子王女による他国との留学交換、そういった積み重ねが、仮初めの友好関係を作っていくのだから。


そんなものを気にしなくても良い程にこの国が大国であるのなら、何一つ気にしなくても良い。しかし、まだまだ発展途上であるこの国で、しかも一度臣下の謀反が起きたという情報が出回っている今は、少しでも他国との繋がりを強化しておく必要があった。


「……」


もし、仮に。暗殺者を毎夜送ることによってストレス等で彼女の子が流れ、このような事態に陥ったとき。


「……はは、まさかな」


考え過ぎだろう。いくらレナード殿が優秀な大臣であったとしても、自分がいなくなったときのことなどわかりやしない。


それなのに。


まるで、お前も子を失う痛みを知れというように。


そうした後に、昔と同じようにお前は国王として責務を果たせるのかと、問い掛けられるように。


重なる、全て。


「…………そんなわけ、ないだろ」


窓に映る自分の姿。情けなく表情を浮かべる、自分の姿。それが、あの日と被る。


墓の前で、すまなかったと吐いた言葉に贖罪を願った訳ではなかった。


けれど、何一つ彼の痛みを知らなかったそのときと今とでは、同じ言葉はもう吐けない。


歯を噛み、救いを求めそうになった自分を押し止めた。全ては、己が蒔いた種。彼を恨むことも、贖罪を乞うことも、決して許されやしないから。


「……陛下、こちらを」

「ああ」


ずっと準備していたであろう紙束を受け取り、私は後日、王としての責務を果たした。


息の詰まるような、深い、闇夜の中で。



「……君か」


王妃の承諾を得て行われた夜伽。見張り番として扉の外に立っていたのは、ここ数年の間で目覚ましい勳歴を上げて副騎士団長の座まで上り詰めた彼女の幼馴染み。


特に掛ける言葉もなくその横を通り過ぎ、用意された閨の部屋から自室へと戻った。


『シュティ様の代わりに国を支えたいのです』


そう言って婚約者がいた身にも関わらずただ子を産むためだけに身体を重ねる役目を背負ってくれた娘。


そんな彼女が無事懐妊したという報せと共に、王妃の子も望めたという報せを同時に受けた。


「一緒に頑張りましょう」

「うん……ありがとう」


同性の、年が近い女性と共にいるのが良い効果をもたらすのか、いつもと違って初めて一番子が流れやすい時期を乗り越えることが出来た。


「ね、触ってみて」


日に日に彼女の中で大きくなる存在。もう子が流れるという恐怖に怯えなくて済むからか、柔らかく笑う彼女。その手に伝わる確かな命は、あたたかかった。


そうして無事、二人とも男児を産むことが出来た。


まるで双子のように似つかわしい男児は王族らしく金の髪。けれども決定的に違ったのは、その瞳。


王妃の子は私に似て目が青く、予備として生まれたその子は、燃え盛るような朱色の眼をしていた。


「……」


王の独白は、残らない。誰の耳にも触れず、手記にも残されないそれは、彼の心の中にしか存在しない。








「そっか。おくには、なくなっちゃったんだ」

「ああ」


口伝で語り継がれる一つの物語。それを語り終えた一人の老人は、赤みの強い金色の髪をした年端も行かぬ少年へと笑い掛け、皺の多いその手で頭を撫でた。


大きな手が与えてくれる温もり。ごつごつしているけれど、いつもこうやって撫でながらお伽噺を話してくれる祖父が、少年は好きだった。


「父さん、戻ったよ」

「ああ、おかえり」

「とーさん!」


そして、まるで生き写しだと周りから例えられるような父も。


「何をしてたんだ?」

「じいじからおはなしきいてた!」

「そうか」


朱色の目が、自分を見下ろす。自分は違うけれど、祖父と同じ父の瞳は柔らかく揺らいでいて、少年はにこやかに笑った。


「あなた」

「ああ」


リビングの奥、寝室として使う部屋から一人の老婆が顔を出し、もうそんな時間かと立ち上がる祖父を、少年は見上げる。


「あ、あそこにいくの?」

「ああ。行ってくるね」

「行ってらっしゃい!」


少年に見送られ、二人は家のすぐ傍にある崖へと向かう。夕陽を浴びてきらきらと輝くのは、丁寧に磨かれた墓標。


「……」


眠る彼女達へ、掛ける言葉は今更ない。毎日この時間になれば行う日常の一環に過ぎないそれは、許しを乞うためのものではないから。


「行こうか」

「はい」


同じときを過ごし、同じように歳を取った仲間。幼馴染みであった彼女の師と良く似た微笑みを湛える伴侶の元に歩めば、あのときと同じように真白の花弁が風に舞う。



「……シュティ様」


幼馴染みとして彼女と過ごした日々は、かけがえのないもの。優しくて聡明な彼女を殺したあの男を、当然許せるはずもなかった。


だから二人で、誓ったのだ。


墓の前、いくつもいくつも彼女が好きな花が手向けられる、その場所で。



「どうした?」

「……いいえ」


思い起こして、滲む心情。


横に並ぶ生涯のパートナーへ首を振って何でもないと伝え、目を伏せて小さく微笑んだ。



未だ褪せることなく、墓にも手向けられぬ誓い。


『何があろうとも、決して許しなどしない』


それは、遠い昔に交わされた、婚約者達の独白。


愚者の独白、幼馴染みの独白、婚約者の独白と続いたお話もこれで最後です。長々とお付き合いいただきありがとうございました。


この独白集はあとで連載に纏める予定で、もし読み返される方がいらっしゃればそちらを読んでいただけると移動する手間が省けるかと存じます。


また、当初予定していた娘サイドでの視点は書かない方向にしました。読んでみたいと仰って下さった方々には申し訳ないのですが、この物語はここで区切りを付けた方が綺麗に終えられるだろうと判断してのことです。


そして想像以上に沢山の方にお読みいただき、様々なご意見をいただけたこと、幸せに思います。


ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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