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後悔部屋

作者: 語谷アラタ

 何かおかしい。

 ふと、そんな違和感を覚えた。

 俺は今、もう7年は住んでいる慣れ親しんだボロアパートの202号室、つまりは自分の部屋で、椅子に座りながらタバコを吸っているようだ。


 そして目の前の机には週刊誌が置かれている。


 タバコを吸いながら、これを読んでいたのだろうか。


 だろうか、と言うのも俺は今の今まで自分が何をしていたか全然覚えていないのだ。


 タバコに火をつけた覚えもないし、こんな週刊誌を買った記憶もない。


「なんか変な感覚だな……」


 不思議に思いながらそう呟き、タバコを左手に持ったまま雑誌をめくる。


 グラビアアイドル、芸能人のスキャンダル、変な4コマ漫画。


「あれ、俺読んだことあるなこれ」


 何故だか分からないが、俺はこの雑誌に既視感を覚えた。


 一週間ぐらい前、いやもっと前か。

 最近読んだ気もするし、ずっと昔に読んだ気もする。とにかく、俺はこの雑誌を見た覚えがあった。


「んー、どうなってんだ。記憶喪失か?」


 そう独り言を呟きながらタバコの火を消して、腕を組みながら天井を見た。

 何か考える時、俺はよくそうやって上を見上げる事がある。


「うわっ……」


 そうやって、いつもの癖で天井に目を向けた俺は思わず声を上げた。


「なんだ……これ」


 このボロアパートの天井には、謎の木の柱みたいなのが横に備え付けられていて、俺はよくそれを使って懸垂なんかをしていたんだが、その柱に変な縄が括り付けられていた。


 それは木の横柱を一周して括られていて、先には輪っかが作られている。


 縄は輪っかを下にして垂れ下がっていた。


 まるで……、自殺するための縄……みたいな感じだ。


「なんだよこれ……、俺が吊るした?」


 自問自答してみるが、そんな記憶は一切ない。


 となると、いたずら?


 いや、どんないたずらだよ。


 となると、俺の仕業?


 いやだから記憶にないが……。


「……」


 んー、なんかさっきから変だな……。


 タバコとか雑誌とか、この縄とか、俺はここ数時間の記憶がすっぽり抜けているようだ。


 どうしてこんな状況に陥ったのか、俺はその縄と天井をじーっと見ながら、とりあえず自分の覚えている最後の記憶を辿ってみる事にした。


 今日は2018年12月17日だ。朝は普通にいつも通り起きた。朝飯はいつも通りなにも食べてない。

 それでバイクで仕事に行って、いつも通り過ごして、それで昼休憩で飯を食って、また仕事して……。


「あっ……」


 そこで、俺はある事を思い出した。


 仕事辞めたんだ。


 そうだ……、俺今日仕事辞めたんだった。


 なんでこんな事、今の今まで忘れてたんだろう。


 今日の仕事終わりに、上司のパワハラとか同僚のいじめ?というか無視に嫌気がさして、思いっきり暴れまくって辞めてやったんだ。


 確か、俺が自分の仕事を終えようとしている時に、いつものように変なイチャモンをつけてきて、そして俺に仕事を押し付けようとして来た、それで今までの不満とか全部溢れ出して……。


 とにかくブチギレて辞めた。


「はぁ……」


 そんな事実を思い出して、俺は一気に気分が落ち込んだ。

 たまに突然訪れる【このまま消えてしまいたい欲】がぐわっと押し寄せた。


 それでも、そんな欲は今の訳のわからない状況に消え失せて、俺は続けて記憶を辿った。


 しかし、どうにも上手く思い出せない。

 そのまままっすぐ帰ったんだったか、何処かに寄ったんだったか。

 そんな事すら、思い出せなかった。


「今、何時だ」


 思い出そうにも思い出せず、俺は何か手がかりになるかもと、机の上にある置き時計を手に取った。


 今日の19時ぐらいに仕事場から飛び出したことは覚えてるから、それから何時間経ったのかを知れば、少しは何か思い出すかも知れない。


 そう思いながら手に取った時計を見ると、23時42分を表していた。


「もうこんな時間かよ。てことは仕事先で暴れてから4時間以上経ってるのか」


 時間を確認したものの、この4時間自分が何をしていたのか思い出すことは出来なかった。


 仕事場で暴れて辞めた事が原因で、今まで茫然自失だったのだろうか。


 そんな事を思っていると、手で持っている時計の表示が23時43分に変わった。


 なんか、怖いなぁ。これ病院とか行ったほうが良いのかな。


 酒を飲んだわけでもないのに記憶が飛ぶなんて怖すぎる。


 それに、まじでなんだよこの縄……。


 俺はそう思いながら、天井に吊るされた縄を見る。


「もしかして、俺自殺とかしようとしてたのか?」


 茫然自失になりながら、無意識のうちにこんな事を……。


「ほんと、なんなんだよ……って、うおっ」


 そう呟いた瞬間、俺は突然、からだ全体が何かの力で押さえつけられたかのような不思議な感覚に襲われた。


「っなんっだよ!これ!」


 俺は咄嗟に立ち上がろうとしたが、身体が全く動かない。手も足も全く、ぴくりとも動かなかった。


「記憶喪失の次は金縛りかよっ」


 辛うじて動く目で周りを確認するが、何がどうなっているか全くわからない。


 手で持ったまま離す事もできない時計は23時44分をデジタル表示していた。


「あっ……ああっ!」


 その時間を確認した瞬間、俺の意識とは関係なく身体が勝手に動き出した。


「はぁ?おいなんだよこれ!おい!」


 俺の身体は立ち上がり、手で持っている時計を無造作に落として、そしてゆっくりと椅子の上に登りだした。


 俺の目の前には、俺が吊るしたかもしれない縄がちょうど首元にくる位置にあった。


 そして、また俺の意思とは関係なくゆっくりと手が縄を握る。


「なんだよこれ、くそ!!」


 必死で身体を止めようとしたが、まるでこの動きは決められているモノだと言わんばかりに、全く動きを止められない。


 そして、俺は両手で持った縄の輪っかに自分の首を通した。もちろん俺の意思ではない。


「冗談だろこれおいっ!!なんなんだよ!くそっ!夢か!?夢なのか!?やめろよ!おい、やめろ!!」


 そんな俺の必死の抵抗も虚しく、首に縄を通した状態の俺の身体は、そのまま自分が立っている椅子を蹴り倒した。


「がっっっ!あぁっっっ」


 椅子が倒れた瞬間に、俺の首が勢いよく締まる。


 訳もわからないこの状況で、俺は必死でもがこうとした。


 しかし、やっぱり俺の身体は俺のものじゃないみたいで、俺の意思とは裏腹にじっと苦しみに耐えるかのように動かない。


「がっ、あがっ……」


 激しい苦しみが襲う。


 そんな苦しみの中、突然俺の頭の中を様々な記憶が駆け巡った。


 そしてそれと同時に、俺は意識を失った。 


 ――――――――――――――――――――――――




「ああっ!!」


 気がつくと、俺は自分の部屋で椅子に座ってタバコを吸っていた。


 目の前の机には、週刊誌が置かれている。


「……」


 どうなってるんだ……、そう思いながら、俺は自分の首元をさする。


 もう身体は自由に動くし、触ってみた感じ首元に縄の跡はない。


 何だったんだ?今のは。


 それに、どういう状況なんだこれ。


 どうして俺は、まだ生きているんだ?


「俺は確かに、今日首をつって自殺したはずなのに」


 その自殺は、さっきのあの現象の事じゃない。

 さっきのあの現象で意識を失う間際に思い出したが、俺は今日自殺したんだ。


 上に吊るされている縄も、このタバコも雑誌も、全て俺が用意したものだ。


 今日の午後、仕事場で暴れてクビになった俺は、もうこの人生とか社会そのものに嫌気がさしてホームセンターで縄を買って帰った。


 そして、その縄をこの柱に括り付けたんだ。


 だがいざ死ぬとなると少し怖くなったから、気持ちを落ち着かせるためにコンビニに行ってタバコを買って、何故だかいつも読んでる週刊誌も買ったんだ。


 そして、タバコを一服して雑誌を適当にめくってから、腹をくくって自殺した。


 それなのに、なんで俺はまだここにいるんだ。


 それにさっきのあの現象、まるで俺の今日の自殺をリピートしたかのようなあの現象はなんなんだ。


 このタバコと雑誌も、俺が自殺する前の光景と全く同じじゃないか。


「勘弁してくれよ……」


 せっかく勇気を振り絞って自ら命を絶ったって言うのに、なんだってんだ?


 俺は生きてるのか、死んでるのか。


「と、とりあえず外に出てみるか……」


 こういう怖いのとか、訳の分からない状況とかとおさらばするために死んだっていうのに……。


 俺はそう思いながら、外に通じるドアの方に向かって歩いた。


 そして、ドアノブをひねり、外に出ようとする。


「あれ……」


 しかし、何故かドアノブを捻ってもドアを開ける事ができず、押しても引いてもピクともしない。


「くそっ……」


 それならば、と思い今度は窓を開けて出ようと試みて窓の方へ向かう。


 2階だがそんなに高くないし、飛び降りても死にはしないだろう。


「って、自殺したくせになんで死ぬこと心配してんだ」


 そんな独り言をブツクサ言いながら窓の鍵を開ける。


 そして、横にスライドさせて開けようとして、またしても同じ現象にぶち当たった。


 ドアと同じでうんともすんとも言わない。


「なんなんだよクソッ」


 ドアも開かない、窓も開かない。


 もしかして俺は、ここから出る事が出来ない……?


 そう頭の中で呟いた瞬間、体がピタッと動かなくなる。


 まるで、何かの力で自分の体を制御されているかのようなこの感覚、さっきと同じだ。

 ほんの数分前に体感したのと全く同じ感覚。


「もしかして……また……」


 予想通り、俺の身体は勝手に歩き出し、窓の方から離れさっきと同じ場所に向かう。


 椅子に登って、そこで棒立ち。


 そして両腕で目の前にある縄を持つ。


「くそっ……、やめてくれ……、なんなんだよ!どういうことなんだよ!」


 そんな俺の言葉なんてお構いなしに、俺の身体は首に縄をかけた。


 そして勢いよく自分が立っている椅子を蹴り倒す。


「あがっ……、ああっ」


 さっき感じた痛み、苦しみ。


 俺の首は地球の重力で勢いよく締まり、必死でもがいても身体は動かない。


 激しい苦しみの中で体を動かすこともできない俺は、まるで、自分の身体という殻に閉じ込められて感覚だけが生きているような、そんな気分を味わった。


 そしてそのまま、俺は意識を失った。


 ―――――――――――――――――――――


 気がつくと、俺はまた自分の部屋の椅子に座ってタバコを口にくわえていた。


 目の前の机には、さっきと同じ週刊誌。


「なんなんだよ!なんなんだよクソが!!」


 俺は激しい怒りを覚えて、思わず目の前の机をなぎ倒した。


 そして、そのまま俺は床に座り込んで頭を抱えた。


 訳がわからない……、死んだはずなのに、勇気を出して自殺したはずなのに。


 どうしてこんな訳の分からない状況になってるんだ……。


「……………」


 俺は少しの間、そうやって頭を抱えたまま考え込んだ。


 そして、ある一つの仮説が頭の中に浮かんだ。


 もしかして、ここは地獄なんじゃないだろうか。


 何度も何度も自殺するその瞬間を感じさせられる事で、自分で自分を殺した罰を受けさせられているんじゃないか。


「いやだ……、あんまりだこんな仕打ち……」


 俺はそんな仮説を思いついて、涙を流してそう呟いた。


 俺は真面目に生きて来たつもりだ。悪いことや犯罪なんて絶対にしなかったし、人が嫌がることもしなかった。

 困っている人がいれば声をかけたし、面倒ごとなんかも率先して引き受けた。

 子供の頃は、とても優しくて良い子だと近所でも評判だったんだ。


 それが、この社会はどうだ。人を蹴落とす事ばかり考え、人の嫌がることをすることでストレスを発散するようなクズばかりだ。


 みんな他人を見下して生きているんだ。


 みんな人の不幸を願って生きているんだ。


 俺は上京して社会に出て、そんなこの世の真実を知ってしまったんだ。


 この世界は、優しい奴が損をする、良いやつが苦労して、それを利用する悪いやつが得をするんだと。


 なら、それに気がついたなら、自分もそっち側に回れば良いじゃないか、初めはそう思った。


 でも、出来なかった。

 俺は人を利用してまで自分の幸せを求めることができなかった。


 人を蹴落としてまで、自分の幸福を望めなかった。


 そんな俺は優しい人間なんだ。他のやつとは違う良い人間なんだ、そう思って生きてきた。


 だけど、違う。

 俺はただ弱いだけなんだ。この世界で生きていくには、俺は弱すぎるんだ。


 だから俺は自分で命をたった。


 こんな腐った社会と、弱い自分に嫌気がさしたから首を吊った。


 それは悪いことかもしれない、自殺なんてダメなことかもしれない。


 でも、もっと悪い奴なんていっぱいいるじゃないか。

 俺は誰にも迷惑をかけていない、誰も不幸にしていない。


 自分自身を、自分だけを不幸にした。


 それなのに、神様はそんな俺を許さないのか。


 神様にとって、人の不幸の上に生きる人間の方が良い人間という事なのだろうか。


 死んでまで、そんな理不尽を味合わさせるのか……。


「くそっ!くそくそくそっ!!ちくしょう!!」


 俺は気がつくと、そう叫びながら床を壁を、机を椅子をとにかく蹴りまくっていた。



 そうしてしばらく苛立ちのままに暴れまくっていると、ふと体が動かなくなる。


「またかよっ!ふざけやがって!!」


 俺は、生きていた世の中とか神様とか、色々なものに苛立ちを覚えて悪態をついた。


 そんな俺を無視するかのように、身体は勝手に動きだす。


 倒れている椅子を立ち上がらせて、その上に登り、そして縄を手に持った。


「いやだ……、もうあんまりだ……」


 またあの苦しみを味わうのか。


 そんなに俺は、悪いことをしたのか、これが俺の罰なのか。


 俺の身体は、自分の首に縄をかけて、そして椅子を蹴り倒した。


 全てが憎い。


 苦しみの中で俺はそう感じて、意識を失った。



 ――――――――――――――――――――――



 気がつくと、やっぱり俺はタバコを吸いながら座っていて、目の前には週刊誌が置いてあった。


 あれから何度、死んだんだろう。


 自殺を繰り返すというこの罰に気がついた初めのうちは、外に出ようとしたり、神様に対して恨みを感じたりしたが、どうやってもこの現象から逃れられないと知った俺は途中から何も考えなくなった。


 ただ時間が経てば俺の身体は勝手に動き出して、あの苦しみを味わう。


 これが罰ならいつかは終わるだろう。

 何度もあの苦しみを感じるのは、恐怖なんて通り越して言葉には表せられないほどだが、どうすることも出来ないんだ。


 俺はそんな諦めを感じて、もう何度もただ時間が来るのを待つだけだった。


 だけど、今回はちょっと何かしてみようと、ふと思った。


 多分気まぐれだが、何度も自殺を繰り返すことで少し状況には慣れたのかもしれない。


 そんなことを考えて、俺はまず分かったことを整理する。


 一つ目は、俺はこの部屋からは出られないという事。玄関の扉も窓も完全に閉じられていて動かない。

 扉は何度蹴っても壊れないし、窓ガラスもどうやっても割れなかった。


 二つ目は、この部屋のものは壊れないという事。


 この罰に気がついた頃は、この理不尽に苛立ちを覚えて椅子や机を蹴りまくった。

 普通なら壊れるぐらい蹴ったが壊れなかったから、この部屋のものを壊すことは不可能なんだろう。


 三つ目は、あの現象以外では死ねないということ。


 俺はこの苦しみから逃れるために、あらゆる事を試してみた。その中の一つに首を吊るあの現象の前に死ねば良いんじゃないかと思った。


 だから俺は台所にある包丁を、勇気を振り絞って自分に突き刺してみたが、とんでもない痛みを感じるだけで意識を失うことも死ぬこともなかった。


 包丁を突き刺したまま、あの現象が来て首を吊って死ぬだけだった。


 そして最後四つ目は、俺が目覚めるのは23時38分で、あの現象が起きるのは23時44分だという事。


 俺の部屋には時計は二つあり、一つは机の上の置き時計でもう一つはスマートフォンの時計。


 この両方で確かめた所、俺がタバコを吸っていると気がつくのは23時38分で、俺の身体が動かなくなって自殺するあの現象が起きるのは、いつも23時44分ぴったしだった。


 つまりはこの6分間が俺が自由に動ける時間だ。


 この6分で自分の罪と向き合えという事なんだろうと、俺は勝手に考えている。


「あと、1分か……」


 そうやって頭の中で状況を整理していると、目の前の置き時計が23時43分を表した。


 それを見て、心臓がバクバクと音を立てて鳴り響く。


 何度あの現象で自殺を繰り返しても、この恐怖に慣れることは絶対ない。


 初めのように錯乱する事は無くなったが、怖いものは怖い。


「ふぅ……」


 ゆっくりと息を吸って吐いて気持ちを落ち着かせる。


 そうしていると、身体が動かなくなってあの現象が始まった。


 いつものように椅子の上に立ち上がり、縄を手に持って首にかけ、椅子を勢いよく蹴り倒す。


「ぐっ……あがっ……」


 何度感じても慣れない苦しみが俺を襲い、そして意識を失った。


 ―――――――――――――――――


 気がついて、俺はすぐに手に持っているタバコの火を消した。


 時間は6分しかないんだし、あまり無駄に出来ない。


 と言っても、もう思いつく限りの脱出方法は試していたから、何をすると言うこともなかった。


 そこで俺はなんとなく、普段触ることのない押し入れの中を開けてみた。


 押入れの中には、俺が上京する時に実家から持ってきたモノがダンボールに詰められたまま置かれている。


 俺は手前にあるダンボールを一つ取り出して、中を見た。


「はは、懐かしいなぁこれ」


 思わず、そんな声が漏れる。

 ダンボールから出てきたのは、俺が小学生の頃に作った工作や、絵日記。そして卒業アルバムだった。


 普通はこういうのって実家に置いておくもんじゃないのか。なんで持って来たんだ。


 そう思いながらも、俺は卒業アルバムを手に取り、パラパラとめくる。


 懐かしい顔ぶれがそこにはあった。

 仲の良かったやつや、好きだった女の子。そして俺のことを虐めてきた嫌な奴、みんな笑って写っていた。


 もちろん俺も、満面の笑みで写真に写っている。


 俺はそれらの写真を見て、懐かしい懐かしいと口に出しながら、またパラパラとめくる。


 生徒一人一人の写真や、クラス写真、運動会の写真とページをめくると、最後の方のページには全校生徒一人一人の将来の夢を題にした作文が載せられていた。


「俺、これになんて書いたんだっけ」


 もうずっと前の事で、自分が何を夢にしていて、何を書いたのか全く覚えていなかった。


 少しワクワクしながら自分が書いた作文を探すと、汚い字で俺の名前と将来の夢と書かれた作文を見つけた。


 冒頭の一文には、僕は将来、人を幸せにするような凄い人になるのが夢です。


 と、書かれていた。


 俺はそれを見て思わず笑ってしまう。


「俺、こんなバカみたいなこと書いてたのかよ」


 そんな事を呟きながら、人を幸せにするような凄い人ってなんだよと思っていると、続きには、お笑い芸人や俳優や漫画家や小説家みたいな人を幸せにする職業につきたいです。と書かれていた。


 なりたい職業が多岐に及びすぎだろ、なんて昔の自分に突っ込みを入れるも、昔の俺はこうして夢を見る程度には幸せだったんだなぁと感じる。


 そして、卒業アルバムを閉じて次の段ボールを開けてみようとした瞬間、俺は現実に呼び戻された。


「……」



 あの現象が始まったのだ。


 俺はなんだかいつもと違う複雑な気持ちを抱えながら、抵抗する事なく流れに従い、そして意識を失った。



 ――――――――――――――――――――


 気がついて、またすぐにタバコを消して押し入れに向かった。


 もう一度フスマをあけてダンボールを取り出し、前回最後に手に取ろうとした二つ目の段ボールを開けた。


 今度は家族アルバムが中に入っていた。


「だから、こういうのは実家に置いておくもんなんじゃないのか……」


 とこの前の小学校の図工やアルバム同様、そんな事を呟きながら中を見る。


 中には、家族で撮った写真や、俺の記念写真など懐かしいものがたくさん貼られていた。


 記念写真は中学入学までしかないところを見るに、たぶん卒業するあたりの頃の俺は反抗期だったんじゃないかと推測する。


 もう、昔すぎてあんまり覚えていない。


 そもそも、家族の顔を見るのも久しぶりで、俺はアルバムをめくるたびに複雑な気持ちになった。


 写真の中の俺も、両親も、兄弟も、みんな幸せそうに笑っている。


 もう何年もあっていないから、今はどうしているか知らない。


 よく、母さんから携帯にメールや電話が来ていたが俺は全て無視していた。


 最近も元気にしているか、とか、何かあったときのために住所ぐらいは教えてほしい、みたいなメールが来ていた。


 俺が自殺したと知ったら、悲しむのだろうか。


「メールぐらい、返せばよかったなぁ」


 そう呟いて、気がつくと俺は泣いていた。


 開いているアルバムに涙がぽとぽととこぼれ落ちる。


「なんで泣いてるんだ、おれは」


 アルバムをめくって写真を見るたびに、その時の思い出がおれの頭の中に蘇り、何故だかすごく悲しい気持ちになる。


 もう見るのをやめようかなと思ったが、それでも俺はアルバムをめくる手を止められなかった。


 だが、無慈悲にも例の現象が、そんな俺の手を止めた。


「あぁ……、俺はなんで……」


 なんでこんな……


 続きを言おうとした瞬間、俺の首は縄で締まり激しい苦しみが襲った。


 俺は涙を流しながら、意識を失った。



 ――――――――――――――――――――


 気がつくと、俺は泣きながらタバコを口に加えていた。


「あぁ……、ううっ……」


 俺はタバコを消してから、泣きながら押し入れに向かった。

 フスマをあけてダンボールを出し、アルバムの続きを見る。


 俺はそこに貼られている全ての写真を、一枚一枚丁寧に見た。


 その間に、何度もあの現象が俺を襲い俺を自殺させたが、それでも何度も何度も押し入れを開けて、続きを見た。


「ああぁ……、ああああっ……」


 そして最後の一枚を見終わると、俺はもう平静を装えなくなっていた。


 俺は、自殺を決意した時の俺は、何も見えていなかったんじゃないか……。


 こんな所にでも来なければ見ることのなかったアルバムを見て、俺はそう思ってしまった。


 あの時の俺はこの世の中のすべての人間が敵だと思っていた。


 みんなが人を蹴落として、人の上に立つ事だけを考えていると。


 だが、そんなのは俺の狭い社会で出会った、ごくわずかな人間だけなんじゃないか?


 少なくとも、俺の家族は、両親はそうじゃないはずだ。


 アルバムの写真を見ても、その写真を見て思い出す記憶の中でも、いつでも俺の味方で居てくれた。


 現に俺が上京してからも、何度も俺を心配して連絡をくれていたじゃないか。


 あの時の俺は、そんな両親ですら俺の敵だと思っていた。


 だがここで、もうどうしようもなくなったこの罪の中で、俺はようやく気が付いた。


 俺にはまだ自分を心配してくれる人が、助けになろうとしてくれている人が居たんだ。


「あぁああああっ……、あぁあ……」


 もっと早く気がつけばよかった。


 こんな事をする前に、一度でいいから誰かに助けを求めればよかった。


 俺は自分がしてしまった事に激しい後悔を覚えて泣き続けた。


 もう取り返しはつかないのに、俺は自分がした事を悔やんで悔やんで悔やみまくった。


 そして、あの現象がやってきた。


「……」


 俺は涙を流しながらも、何も言わなかった。


 もうどうしようもないんだ。

 これが俺の罪で、罰だというなら俺はそれを受け入れるしかないんだ。


 本当に俺は馬鹿な事をした。


 そうして、いつも通り俺の身体は椅子に登って、縄を握りしめた。


 それを首にかけて、椅子を蹴り倒す。


 そして首が閉まり、俺が苦しみに耐えるかのように目を瞑った瞬間


 バギッ、という何かが折れる音と共に俺の身体は床に打ち付けられた。


「え……?」


 いつもならこのまま首が締まって、気がつくとタバコを吸っているあの場面に戻っているはずなのに……。


 何が起きたんだ?


 そう思って上を見てみると、縄が括り付けられていた柱がポッキリと折れていた。


 柱が折れて、縄がそこから外れたのか……。



「一体どうなってるんだ……」


 いつもと違う状況に少し動揺していると、


 トュルルルルルルルルルルル


 と今度は電話のコール音が鳴り響いた。


 驚いて音のなる方を見ると、机の上に置かれたスマートフォンが揺れている。


「……」


 俺は恐る恐る立ち上がり、スマートフォンを持ち上げて画面をみた。


 画面には非通知、とかかれている。



「……どういう事なんだこれ」


 いつもの現象とは全く違う今の状況に、頭の中が混乱している。


 それでも、俺はゆっくりと画面をスワイプして電話に出た。


「……もしもし」


 こんな状況なのに、いや、だからこそなのか、いつも通りの言葉が出てくる。


「孝之……!?孝之っ……」


 スマートフォンからは泣き叫ぶような、悲痛な声が聞こえてきた。


 それは懐かしい声で、自分の名前を呼んでいた。


 母さんの声だ。


「母さん!?母さん!!!」


 そんな母さんの声を聞いて、俺も思わず声をあげる。


「孝之…!?なんで……、なんでこんな……」


 母さんの声は、すごく辛そうで悲しそうだった。


「母さん!?俺だよ!なぁ、俺、俺……一体……」


 俺はとにかく、自分の今の状況を説明しようとするが、あまりにも突然なことで言葉が詰まる。


「お願いだから……、お願いだから目を覚まして……」


 そして再び聞こえてくる母さんの声はそう消え入りそうなか細い声でつぶやいた。


 目を覚まして……?


「か、母さん!?聞こえてるんだろ?俺はここに、ここにいる!変な場所で……、なんども同じような現象が起こって……、俺の部屋なんだけど俺の部屋じゃないみたいで……」


 俺は必死で今の状況を説明しようとする。


「ごめんね……、孝之……。気付いてあげられなくてごめんね……」


 でも、まるで俺の言葉が聞こえてないみたいに、母さんとの会話は成り立たない。


「何言ってるんだよ……。聞こえないのか?なぁ!母さん!とにかく変な場所なんだ!本当に怖くて……、まるで……、まるで地獄みたいな所なんだ……、でも俺の部屋と全く同じで……、とっ、とにかく住所っ……、俺の家の住所を教えるからとりあえず来……」


「「ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」」


 そうして俺が助けを求めようとしていると、突然にスマートフォンから甲高い電子音が聞こえてきた。


 そして、それからは母さんの声も何も聞こえなくなった。


 電話が切れた音なのだろうか。


「なんなんだよ……。一体……」


 俺は何も聞こえなくなったスマートフォンを床に置いて、その場に座り込む。


 そして、どうすればいいのかと色々考えたが、結局、スマートフォンを握りしめたまま、再び電話が来るのを待つことしかできなかった。


 それからは、とにかくもう一度、電話が鳴るのをじっと待った。


 何日も何日も、とにかくとにかくずっと待った。


 あの現象が再び起きることはなかったが、何かが起きるわけでもない。


 腹も減らなければ、外に出ることもできないこの場所で、


 俺はただじっと。


「……母さん……」


 だんだんと時間の感覚が麻痺してきて、自分が何をしているのかわからなくなる時もある。


 それでも、またもう一度、このスマートフォンがなって


 母さんの声が聞こえるかもしれない。


 助けに来てくれるかもしれない。


 俺はそれだけを希望に、


 今もずっと、


 何も起きないこの部屋で、待ち続けている。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公視点だと、ある種のホラー小説の様に読めた。 母親視点だと、ただただ切なくて、感情移入して泣けた。 どちらも違う場所にいても後悔なんだな… "目を覚まして" が、意識不明なだけで母親の声…
[良い点] 異様な状況による、じわじわと忍び寄るような怖さが、もしも自分が同じ事態に陥ったらといった想像を掻き立てる怖くも面白い作品でした。 失ってしまったあとで大事だったことに気付くという展開自体は…
[良い点] 好きです、このお話。 何度も何度も繰り返す自殺。 何をやっても変わらないループに、一体この話は何処に向かうのだろうとドキドキしました。 けれど、押し入れの中の段ボールを見つけて、中身を見…
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