拾われ娘の片思い
わたしにはお兄ちゃんがひとりいる。
血の繋がりはないけれど、一番大事なわたしの家族。
カッコよくて、頭が良くて、運動神経だって抜群。お金持ちでお料理上手、気遣い抜群でまるで漫画のヒーローみたい。学校に保護者として来てもらうと、きゃあきゃあ黄色い声が教室中を飛び交う自慢のお兄ちゃん。
本当に幸せだったの。このままずっと一緒に暮らせると思ってた。
わたし、バカだよね。全然知らなかった。お兄ちゃんには結婚したい相手がいるなんて。どうして教えてくれなかったんだろう。お兄ちゃんはわたしのこと、家族だなんて思ってなかったのかな。だから何年経っても、同じ名字の、本当の妹になれなかったのかな。
……それとも、拾ってもらった人間のくせに、お兄ちゃんに恋をしたから、罰が当たったのかな。
リビングで見つけた雑誌を握りしめて唇を噛む。ぽとりと、涙がこぼれた。
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初めてお兄ちゃんに会ったのは5歳のとき。ベランダで凍えかけていたところを助けてもらった。腹ペコのわたしにあつあつの肉まんをくれたんだよね。特大サイズのを2個も。
あの時は、大好きな肉まんをもらって喜んでいたんだけれど、それってスーパーモデルみたいなお兄ちゃんがコンビニに行って、肉まん買ってきたってことでしょ。コンビニの店員さんもびっくりしただろうなあ。
むしゃむしゃ食べている間も、お兄ちゃんはわたしの頭をいい子いい子って撫でてくれて。お兄ちゃんに抱えてもらったら、ふわふわぽかぽかあったかくて。
うとうとして気がついたら、大きくてきれいな新しいお家のベッドの上。そのままわたしは、お兄ちゃんと暮らし始め、人並みの生活をさせてもらっている。
いや、人並みっていうと嘘になっちゃうな。わたしがお兄ちゃんと一緒に住んでいるのはいわゆるタワマンってやつだし、幼稚園から通わせてもらっているのは、私立のエスカレーター式の女子校。そこらへんの同年代より、ずっと贅沢な暮らしをさせてもらっていると思う。
しかもお兄ちゃんは、心配になるくらいわたしに甘い。毎年恒例のお誕生日パーティーでは、おねだりしたら夢の国を本気で貸しきってくれそうな勢いだもの。
友達いないから、そんなのやらないけど。
毎年新しいクラスになるたびに友だち作りを頑張るんだけれど、毎回なんでか失敗しちゃうんだよねえ。悲しい。いじめられているわけではないのが、まだ救いなのかな。
悪い虫がつかないようにって、アルバイトの許可もなかなか下りなかったっけ。お兄ちゃんへのプレゼントは自分で稼いだお金で買いたいって話して、ようやくOKしてもらったんだよね。お兄ちゃんみたいな美人ならともかく、平凡なわたしに男の子が声をかけてくるわけなんてないのにね。
優しいお兄ちゃん。今さらわたしのことが邪魔になったなんて言えないよね……。新婚さんのお家に、居候なんてしないよ。もちろんお兄ちゃんの彼女さんをいじめたりもしない。ちゃんとここから出ていくから安心してね。
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大荷物を抱えて転がり込んだのは、誰もいない小さな神社。別に不法侵入しているわけではなくて、ここがわたしのアルバイト先なのだ。お兄ちゃんの知り合いらしいんだけれど……えーと、これもいわゆるコネになっちゃうのかな?
なんちゃって巫女さんのわたしの他に、本職の巫女さんもいるはずなのだけれどなかなか仕事中に会うことがない。ここの巫女さん、かなりの自由人なんだよね。滅多に参拝客もいないから大丈夫って言われても落ち着かないから、とりあえず暇なときはせっせと掃除をすることにしている。
家出セットを詰め込んだカバンから引っ張り出したのは、重量感たっぷりの分厚い雑誌。
勝手に持ってきちゃったけど、リビングに置きっぱなしになっていたから別にいいよね。まるで見せつけるように置かれていた結婚情報誌。何が重要なのかわからないくらいに貼られた付箋を見て、お兄ちゃんの浮かれっぷりが頭をよぎった。
よく見ると付箋は色分けされていて、食事の内容や、ドレスのイメージなんかも書き込まれている。しかもそのメモが結構細かい。
『衣装はすべてオーダーメイドで』
『ふわふわ、プリンセスラインのドレス、色は真っ白よりも薄いクリーム色寄りで』
『レースは手編みのみ可』
『ベールは妖精の羽根をイメージ』
『ドレスに縫い付ける真珠は本物で』
『食事はカニ、エビは抜きで』
『食事会の日程は要調整』
『魚よりも肉料理重視』
『ウエディングケーキは、すべて食べられるもの』
『クリームの間に挟むフルーツはいちごのみ』
等々。
うーん、数が多すぎて見るのが面倒になってきた。とりあえず彼女さんのことが大切なんだろうなあってよくわかるね。ドレスなんか一回しか着ないし、既存のレンタルでいいと思うけどねえ。お兄ちゃん、張り切りすぎ。
っていうか、付箋の大半が食べ物メインなの、ちょっとウケる。彼女さん、食いしん坊なのかな。まあ、お兄ちゃんってお料理上手だし、餌付けされた可能性は高いかも。
雑誌を見てたらなんかお腹が空いてきちゃった。そういや、今日はお兄ちゃんのお手製おやつも食べないで出てきちゃったんだ。
わたしは、ぽいっと雑誌を放り出した。あーあ、最近忙しいの、恒例のお誕生日パーティーの準備をしてくれてるって思ってたんだけどなあ。じわりと涙がまたあふれそうで、わたしは慌てて両目を擦りあげた。
泣くな、わたし。今までが幸せ過ぎただけなんだから、欲張っちゃダメ。大好きなお兄ちゃんの結婚なんだもの、ちゃんとお祝いしてあげなきゃ。まずは気持ちを切り替えるために、お掃除をがんばりますか!
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小さな本殿とはいえ、普通に背伸びしただけでは軒下に手が届かない。椅子でも届かなくて、結局梯子を持ってくる羽目になった。巫女さんって、なかなか大変だ。
そんなわたしのことを、境内のカラスたちが心配そうに見ている。カラスって悪いイメージが多いみたいだけれど、人懐っこいなんだよねえ。大丈夫、大丈夫。なんとかなるって。
それにしても柱のすみの汚れがとれないなあ。ちょっと背伸びしながら前のめりになった瞬間、ぐらりと体が傾いた。悲鳴をあげる間も無く、梯子ごと倒れていく。あ、これはやばいかも。ぎゅっと目をつぶる。掃除中に転落死とかカッコ悪すぎるよ。半泣きで落下したその時。
ふわりとした感覚と、聞こえる羽音、眠たくなるような甘い匂いは。
「明日香、大丈夫ですか?」
「お兄ちゃん」
普段は隠しているはずのお兄ちゃんの羽が、わたしの視界いっぱいに広がっている。わたしに甘いお兄ちゃんにしては珍しく、お願いしても滅多に見せてくれない、カラス天狗の黒い翼。
わたしのお兄ちゃんはカッコいいだけじゃなくって、なんとお空も飛べちゃうのだ。そう、あの日マンションの8階で凍えていたわたしを見つけてくれたみたいに。
わたしはすりすりとお兄ちゃんの胸元に頬を寄せる。こんなに優しくされたら、離れられなくなっちゃうじゃない。バカ、お兄ちゃんのバカ! ほっとしたのと、怖かったので、わたしは涙が止まらなくなった。
「明日香、どうしました? 痛いところはどこかありますか?」
「ううん、そうじゃなくって」
「ああ、お腹が空きましたか? おやつを食べずにアルバイトに出かけるからですよ。今日は肌寒いですから、明日香の大好きなクリームシチューにしましょうね。焼きたてのミルクパンも用意していますから」
「だから、もう、そうじゃなくって!」
鼻水と涙混じりでお兄ちゃんに返事をする。
「お兄ちゃんのバカ、わからず屋!」
「何か怒らせてしまいましたか?」
「だって、結婚するんでしょう?」
「まさか、結婚が嫌で……?」
お兄ちゃんの顔が悲しそうにゆがむ。そうだよね、妹にお祝いしてもらえないなんてショックだよね。わたし、どうして「おめでとう」っていうその言葉が言えないんだろう。
「うううう、お兄ちゃんがお嫁さんもらうのイヤだよ。お祝いしてあげられないよ。いい子になんてなれないよお」
ああ、言っちゃった。本当は笑って「おめでとう」を言って、家を出るつもりだったのに。お義姉さんになるひととも仲良くしたかったのに、全然できる気がしない。可愛らしいからは程遠い顔と声でおいおい泣いていると、お兄ちゃんが優しく頭を撫でてくれた。
「明日香。明日はお誕生日ですね。いくつになるんでしたか」
「16歳だよ」
お兄ちゃんったら何言ってるんだろ。毎年、わたしのお誕生日になったら気が狂ったみたいにパーティーをするのに。
「16歳になったら結婚できるんですよ。まあ明日香の場合はまだご両親の許可が要りますけれど、ちゃんともらってきてますから」
「ほえ?」
「ひどいですねえ。明日香ったら、忘れてしまったんですか。小さい頃はあんなに『おにいちゃんの、およめさんになる!」って言ってくれたのに。ちゃんと、指切りもしたでしょう? 妖精のお姫さまみたいなドレスを着て、いちごのケーキをみんなで食べるんですよね」
懐かしいなあ。将来の夢に「およめさん」って本気で書いていた幼稚園時代。「お兄ちゃんとは結婚できないんだよ」って誰かに言われてから、忘れようとしていたわたしの夢。それをお兄ちゃんはちゃんと覚えていてくれたんだ……。ひらひらと見せられた婚姻届にゆっくり手を伸ばす。
「ずっと違う名字だったから、家族にしてもらえないんだって思ってた」
「すみません、一度養子縁組をしてしまうと、結婚ができなくなってしまうので。明日香が心配してしまうくらい、愛情表現が足りなかったということですね。反省しています」
ちょっとだけふてくされていると。
ちゅっ。
リップ音とともに、お兄ちゃんの整いすぎた顔がドアップになった。ち、近いよお。見慣れているはずなのに、なんだか頭がくらくらする。
「お兄ちゃん」
「名前で呼んでください。ちゃんと教えたでしょう?」
「……きょ、京くん」
にっこり笑ったお兄ちゃんの笑顔。破壊力が高すぎて、正直死にそう。
「ちょっと、お兄ちゃんが美人すぎる」
「何を言っているんでしょうね。明日香の方が綺麗ですよ。『きょう』より『あす』が美しいのは当然のことでしょう」
さらりとくさいセリフを吐いて、お兄ちゃんは空へと舞い上がった。あ、これこのまま家に帰ろうとしているな。
「ちょっと早いですが、明日香、お誕生日おめでとうございます。明日になったら、朝一番で市役所に行きましょう」
「ちょっとお兄ちゃん、降りて! このまま帰っちゃダメだって!」
「名前で呼んでくれたら考えましょう」
「きょ、京くん、降りてってば!」
今泣いたカラスがもう笑った。
そう言われてもしょうがないくらいゲンキンなわたしは、にへらと笑ってお兄ちゃんをぎゅっと抱きしめる。いつもわたしを幸せにしてくれるお兄ちゃん。お兄ちゃん、大好き。
「お家で、結婚式の相談しようね」
「ええ、もちろん。やりたいことは、たくさんありますから」
お兄ちゃんに頭を撫で撫でされながら、わたしは幸せを噛みしめた。