11 季節が変われば
「これからコーヒータイム行こうよ! 」
「お、良いねえ。私、ちょうど甘いものが食べたいなあって思ってた」
「この前食べたレアチーズケーキのキャラメリゼ、あれ美味しかったよね」
「日替わりメニューだからねえ。今日は何だろう? 」
長い講義で忍耐力を消費して疲れたのか、高揚感たっぷりにスウィーツ談義を始めるのは、長野市の北部にある巨大な団地群に門を構える星城女子大学のお嬢様たちがた。
「アフタヌーンティーって受付十五時までだっけ? 」
「そうだけど、あまり遅いとお茶菓子の種類が減っちゃうよ」
「それなら買い物はまたにして、せっかくだからコーヒータイムに行かない? 」
「そうねえ。もう気持ち的には買い物よりもお茶だよね」
午前中の内に家事を終わらせて、幼稚園に我が子を迎えに行くまでの間、春物バーゲンセールを行っている大手衣料品店に行くか、それともお茶するかで悩み、結局お茶の誘惑に勝てなかったのはママ友さんのグループ。
「そろそろ昼ですが、この辺で美味しい店ってありますか? 」
「そう言えば、君とこのエリアを回るのは初めてだったね。ならば県道に出て北に向かってくれ、行きつけの喫茶店を教えてあげよう」
「きっ……喫茶店ですかあ? 」
「わはは! そんじょそこらの店とは違うぞ。定食メニューは全てボリューム満点で更にサービスのオニオングラタンスープが絶品なんだ」
営業車の車内で会話を重ねるのは、久しぶりに同行で外回りをする上司と部下。絶品オムライスにナポリタンに日替わりメニューの揚げ物や生姜焼きなど、上司が目を爛々と輝かせて説明している。
長野市北部の大きな街、大小様々な団地が肩を並べて街となったその幹線道路上に、大手企業の郊外型店舗がズラリと並んでいるのだが、その中でぽつんと一件個人経営の飲食店がある。ーーそれが喫茶店『コーヒータイム』だ。
平成の半ば頃、コーヒー好きだった初代のマスターが純喫茶として店を開いたのだが、今時の格好で飲む「映える」コーヒーショップに勝てる訳がなく、苦労と苦心を重ねた上で今の「小さなファミレス」スタイルが完成されたのだが、マスターは身体を壊して長期療養。マスターが復帰するまでの間、雇われの女店長が店を切り盛りしているのだが、この女店長がなかなかの手腕を発揮し、店を繁盛店へと昇華させたのである。
ただ、田舎の夜は苦戦する
週末の若者以外に外を出歩く者はそうそうおらず、「今日の夕飯は家族で外食」と洒落込む風土がこの地域に無い事から、外食産業の大手チェーン店でさえ夜の営業は苦境に立たされており、もれなくコーヒータイムもその苦しさは味わっている。
揚げ物やソーセージなどの居酒屋メニューを充実させて、「枝豆セット」や「晩酌セット」などのセット販売でアルコール飲料の販売を促進しつつ、ビールにウイスキーだけでなくサワーなどの種類も増やして夜の営業に挑むのだが、いかんせん夜はタヌキさまと田んぼのカエルたちだけが元気になる長野市北部、苦戦がこれからも続く事は間違いは無かった。
四月も後半戦に差し掛かった金曜日の夜、時間にして世間一般的にはまだ夕飯時で食卓を囲む時間帯の事。
コーヒータイムの夜営業は、ボックスシートでオムライスとビールを楽しむ老夫婦一組だけと言う惨憺たる結果で始まっている。
「はあ……。週末だからと気合いは入れてみたものの」
「毎度毎度のこのわびしさ。春だと言うのに世間の風は冷たいですね」
「昼の部はアルバイトさん雇うまでになったけど、夜はまだまだ静かよねえ」
カウンター裏と小さな厨房で向き合い、ため息混じりにヒソヒソと会話を重ねるのは、雇われ女店主の池田祥子と、初代マスターの姪っ子でアルバイトの江森未央の二人。
日々覚悟はしているものの、努力と期待がこういう形の結果として現れるのはさすがに心が折れる。
“ああ、なるほど。藤巻博昭はこういう時間に賑わしてくれたんだ”ーー祥子や美央は、彼の存在の有無がこれほどまでに店の空気を変えていたのかと改めて気付いたのである。
「美央ちゃん、どうする? テレビとかコミックの本棚……導入するか考えてみる? 」
「いやそれは……藤巻さんが反対してましたし」
「だよねえ、あの人偏屈でひねくれ者だけど、主張する事には間違いはないのよねえ」
やっと人工的な黒髪を卒業出来たのか、艶やかなロングヘアーを後ろに束ねた理知的な趣の祥子が、メガネの奥から遠くを見つめながら、ひねくれ者語録を一つ口に出した。
「料理よりもお菓子よりも、コーヒーが美味しいと話題になる店を目指しなさい……か」
「テレビでナイター中継放送しながらマンガ読むって、定食屋さんですからね」
「奇策に頼っちゃいけないのよね、王道目指さなきゃいけないのは良く分かるんだけど……」
ゆったりとしたジャズのリズムが店内の隅々にまで行き渡り、焙煎されたコーヒー豆の芳ばしい香りが店内の剥き出しの木材にまで染み渡り、来店客の鼻腔を心地良く刺激する店。祥子にしても美央にしても、自慢の店である事は間違いない。
しかし悲しいかな時代は移り変わり、様々な種類のコーヒー豆を揃えた本格店よりも、今はSNSで自分のライフスタイルを「映え」させる事の出来る演出が店側に求められているのは否定出来ない。祥子も美央も、コーヒータイムも進化を求められていると言う強迫観念に駆られていたのだ。
迷路に入ってしまったのか、ため息を吐きながら頭から湯気を昇らせる二人を前に、食後のひとときをも満喫した老夫婦が笑顔で会計を済ませ、やがて店内に客はいなくなった。
「あああ! 美央ちゃん、スウィーツ大量に余っちゃたね、スウィーツ大量に余っちゃったよう! 」
「祥子さん落ち着いて、そう言う時もありますって」
「むううう、残しておいてもしょうがないし、美央ちゃん食べよ! 今日はもうスウィーツ女子会……コーヒータイムの今後を語り合う総決起大会だ! 」
そう言いながらストックしてあった菓子類をカウンターに並べ、祥子は在庫処分を宣言した。最初こそ「あんた一体何するんだ」と動揺していた美央も、ズラリと並んだ洋菓子を前にまんざらでも無い表情。甘い誘惑に打ち克つ術が無いのか、ふらふらと引き寄せられて行く。
その時だ、カランコロンとドアベルが軽快な音を響かせ店に来店客が現れた事を告げる。音に反応した二人が「いらっしゃいませ」と声をかけながら入り口の扉に視線を移すと……確かに客が来店した事に間違いはないのだが、その奇異な光景に一瞬動きを止めてしまったのだ。
奇異な光景とはすなわち、三人組の来店客の事を指すのだが、西長野女子高校の制服を着た三人の娘が並んで立つも、真ん中の子の両腕を左右の女子生徒が腕を回してがっちりと掴み、無理矢理連れて来たかのような格好なのだ。
「あら、姫子ちゃん! 」
まるで悪質な交通違反をしでかし、強引にパトカーに連れ込まれるような様。祥子が驚いて声を上げた通り、捕まった宇宙人状態になっていたのは都住姫子。
歳上の幼なじみである氷見ひまりと、西長野女子高校の生徒会長である中之条稜子がガッチリと姫子をガードして、一切逃げられないように入店して来たのだ。
涙目となって赤面する姫子は「あううう」と小さく唸るだけで言葉にならない。
逆に氷見ひまりと中之条稜子は悪戯っぽい笑みを浮かべ、姫子が困っているのを楽しんでいる様子。
二人に聞くとどうやら、姫子がまた店の駐車場でウロウロソワソワしていたらしく、ひまりが稜子に連絡を取って二人で押し掛けたのだそうだ。
相変わらず一歩が踏み出せないのかと小さく笑う祥子。ひまりや稜子はこの地元に住みながら店に来店した事が今まで無かった事を詫びつつ、三人でコーヒーか紅茶を飲みたいと申し出たのだが、祥子はここでミラクルな対応で場を盛り上げる。
カウンターに並べたままのスウィーツを指差しながら
「日持ちしないから、余ったスウィーツを食べて成仏させようと思ってたの。良かったら姫子ちゃんたちも付き合ってくれない? 」
もはや本日の営業は終了だとばかりに、祥子は店の扉にくくり付けたプラカードは「オープン」から「クローズ」へと架け替えつつ、乙女たちに貸し切り状態を宣言。ひまりや稜子だけでなく、姫子も交えて歓声が上がったのは間違いない。
ーーほどなくして祥子と美央、そしてゲスト参加の姫子たちを交えたスウィーツ女子会が始まったのである。
エクレアにガトーショコラ、クリームホーンにカスタードプリンにスフレにショートケーキ……。祥子がサービスで淹れてくれたコーヒーと紅茶で喉を潤しながら、乙女たちは歓喜に打ち震えつつ甘い幸せに酔いながら誰もが会話を重ねている。
以前から店に寄りなさいと促されつつも、気後れして敷居をまたげなかった姫子も、顔を真っ赤に照れながらもやがて甘味の虜となって行った。
バイクを買い替えたいだとか、家族や友人に内緒で同人誌作ってるだとか、ペットを飼いたいだの、海外の大学に行きたいだのと、互いの近況や願望などの雑談を重ねてやがて言い尽くすと、やはり会話は自動的に核心を突く話題へと変わるもの。
コーヒータイムの池田祥子と江森美央、そして女子高生の祓い巫女都住姫子と言う取り合わせが、何故ゆえこういう絆で結ばれたのか、ひまりも稜子も興味津々。
胸の内でグングンと肥大化して行く好奇心の魔物に勝てなかったのか、氷見ひまりが我慢出来ずにこう切り出したーー姫子が夢中になっている探偵さんとは、どんな人物なのかと
それを耳にした途端、やめてえええ! と悲鳴を上げつつ、まるで酩酊でもしているかのように顔を上気させながら目をグリングリンと回す姫子。
しかし祥子や美央は姫子を茶化す事無く、この店の常連だったその探偵が、どんな人物であったのかを語り出した。
ーー学年が一つ下で中学生時代からの腐れ縁だけど、色々辛い事があったにも関わらず真面目に生きてる人。クセが強くて言葉数が多いけど、純な自分をさらけ出したくないシャイな人。だから私は大好きーー
ーーこの店の常連さんとして知り合ったけど、とある心霊事件で友人ともども救ってくれた命の恩人。霊能力なんか持ってないのに頭脳だけで切り抜けたキレッキレのすごい人。その後も心霊事件で困ってる人たちを助け続けた尊敬する人で、私もあの人大好きーー
姫子が素直になれるようにと、祥子や美央は思うところを素直に語り尽くす。そこまで人を虜にする男がいるのかと、聞いていたひまりや稜子が逆に上気してしまうほどだ。
すると祥子や美央に偽りの無い言葉に動かされたのか、姫子がポツリポツリと語り出した。それが恋愛感情なのかどうかは自分でも分からないのだが、何故あの探偵さんにこだわるのかと言う、彼女の核心をさらけ出したのだ。
「……あの人に褒められたい」
ーー去年、最初の桐子事件の時に藤巻さんと知り合い、事件を追っていた私と叔母は、藤巻さんに助けられた。事件の解決を助けてくれたんじゃなくて、正真正銘二人の命を助けてくれた。
あの人の正義感、あの人の行動力、あの人の頭脳、全てが尊敬の対象です。私の憧れの人。
だけど二度目の桐子事件の時に、私は致命的なミスを犯してしまった。もう藤巻さんも私を歯牙にかけてくれないのではないかと言うミスを。
「頑張ったねって声をかけてもらいたい、笑顔で良くやったって褒めてもらいたい。あの人に頑張る姿を見て欲しいし、見てて欲しい……」
今にも泣き出しそうになる姫子を傍らで見つめながら、それってド真ん中ストレートの恋愛感情じゃねえのとはツッコまず、ひまりと稜子は終わった訳じゃないと肩をさすって慰める。
「ねえ姫子ちゃん。アイツ、全然店に来なくなっちゃったけど、何でか理由分かる? 」
「えっ、それは私がウロウロしてるから……気分が悪くて……」
「違う違う。アイツね、一回りもふた回りも下の女の子を怒っちゃったでしょ? 向きが悪くて顔合わせ辛くなってんのよ」
急にカラカラと笑い出した祥子に姫子は呆気に取られるも、それならば結局は自分のせいだと更に落ち込む。
「ほら、姫子ちゃん顔を下げない。あなたはあなたなりに良くやった、頑張ったの! それを分かってる上でついつい年甲斐も無く熱くなったアイツに責任がある訳で、コソコソしてるのがその証拠」
「祥子さんそれ分かる、藤巻さんて結構言う割には気にしてますよね。姫子ちゃんは気にしないで堂々としてれば良いと思うよ」
姫子を元気付けようとしているのか、祥子と美央は必要以上におどけながら、軽快に会話を重ねて行く。
「本来ならさあ、常連として通ってる店のマスターが倒れたなら、店が潰れないように協力したり知恵を出したりするよねえ。それが女の子怒っちゃったからってコソコソ逃げ回って」
「いつもは格好つけて“俺を頼りなよ”って空気放ってるくせに、姫子ちゃんが困ってるのに逃げ回ってばっかりなんて、チキンにもほどがありますよねえ」
出るわ出るわの悪態の数々
それはやがて姫子に笑顔が戻るまで続くのだが、祥子も美央も、そして姫子でさえも、笑い声の混ざったそれらの悪態が本心から出た訳では無いのは皆が心得ている。
何故なら、藤巻は未だに仕事の合間を縫いながら桐子事件の背景を探っているーー祥子や美央、そして姫子はそれを知っているからだ。
だから今は、姫子が深刻に捉えていた悩みを笑い飛ばす事で、井戸端会議の場で亭主の悪口を言って笑い合う程度の、ストレス発散を行なっているのである。
乙女たちの笑い声が絶える事は無く、看板の灯りが消えた外にも聞こえて来そうな勢い。
世代差をものともしない乙女の集いは、やがて誰もが笑い疲れるまで続き、店から退出する頃には憑き物が取れたかのように、皆が皆笑顔で家路についたそうだ。
だが、乙女たちは誰も気付いていなかった。
「藤巻さんてね」「あの藤巻さんが」と散々笑いのタネに使った人物が実は、店の扉の前で中を覗いていた事を。
時間にしてそれほど長くはなかったのだが、彼の中で何かが変わり、再びコーヒータイムの扉をくぐろうとした矢先に、固有名詞に花を咲かせる乙女たちを目撃してしまい、スゴスゴと帰っていったのである。
「……入るタイミングを失っちまったな……」
……くそ、帰ってサッポロ一番でも作るか……
……えっきしゅん!えっきしゅん!……
ムズムズする藤巻の表情から、前途多難の未来が透けて見えるようにも感じるが、何の事はない、それら全ては時が解決する話。
今の季節と同じように、その内穏やかになるだろうと言う期待を胸に、それぞれがそれぞれの目的を持った日々がまた始まるのだ。
~~春になると雪は不思議と消えるのである~~
死野狭窄
終わり