命懸けで理想郷まで来たのに○○扱いされるんですけど?!
長く、長い。そして暗く、暗い。そんな洞窟を私は歩いていた。
いつから歩いているかなんてとうに忘れてしまった。
ただ右手を壁に当てながら、そろりそろりと足を動かしている。明かりは左手に持ったランタンに灯った僅かな火だけ。火はちらちらと餌を食いながら懸命に燃えている。はじめは満タンだった燃料も今や終わりが見えてきた。必然的に焦る。…が、それでも歩みは変わらない。
いつまでたっても明かり一つ見えない。全て投げ出してこの場で寝そべり駄々をこねたい気持ちを押し殺して、私は歩く。いつかきっと出口に辿り着けるはずだと信じて。
その僅かな希望だけを胸に抱いて歩くのだ。
しかし絶望は絶望の味が大好物なようで。
か弱く燃え続けてきた小さな火が、とうとう消える。
辺りは何も見えないほどの暗闇に包まれる。それによって一層慎重になる足。
この一歩先に深い湖があったらどうしよう。次の一歩を踏み出したら地面の亀裂に真っ逆さまになってしまったらどうしよう。凶暴なモンスターが私のすぐ傍まで迫ってきていたらどうしよう。
私の頭には常に最悪の状況が浮かぶ。
もしも右手に岩肌以外の何かが当たったら?もしも道の先が土砂に埋もれていたら?
悪い想像は止まる事が無かった。
こうして歩いていればいつかは希望の光が見えてくるのではないか。そんな希望を頭の隅で思いながらも、大半は不安や恐怖でいっぱいいっぱいだった。
諦めかけたその時、風の流れを感じて私は思わず立ち止まってしまった。
前方から吹いてくる風は生暖かい。…これは、この風は。希望の風に誘われるように私は歩くペースを速めた。次第に足元が見えるようになってきて、とうとう目の前には目を焼くほどの明かりが見えてきた。…出口だ!
もうゆっくり進む理由はない。私は駆け足で光の中に飛び込んだ。
真っ暗な中から急に明るいところへ出れば当然目が慣れるまでに時間がかかる。
暫く目を瞑って、ゆっくりと目を開ける。
暖かな風が吹き抜けて、草木がさわさわと音を立てる。私の眼の中に飛び込んできたのは美しいまでの草原…長閑な風景だった。
長く、長い。そして暗く、暗い。そんな洞窟を抜けた先…ここはクーリディリア王国。豊かで華やかで美しい平和を象徴する国だ。
「揶揄じゃなかった!!」
「ちょっと、話の腰を折るのは良くないわよ」
私の語りを遮って、ユナが声を上げた。私は少し憤慨して優しく嗜める。
一体何の話だと思って聞いていたのやら。
「揶揄なんかじゃない。これは…私がこの国に亡命して来た時の話よ。最後までお聞きなさいな。まだ誰にも話したことが無い、私が一から人生をやり直した話よ」
「そうなんだ。ごめん、私…何かの喩えの話だと思ったわ」
「いいのよ。じゃあ続けるわね…」
その草原には、獰猛な人食い獣はおろか、低級モンスターすらいなかった。
風の噂で聞いていた。クーリディリアは理想郷。豊かで華やかで美しい平和な国だと。
クーリディリアにはとても優秀な魔術師がいて、国全体に結界を張っているのだそうだ。それに加えてこの国は険しい岩山と海で囲われている。そのため侵略者は滅多に入って来れないのだという。(入国するには私のように危険を犯してまで険しい山道と暗く長い洞窟を通らなければならない。)ただしそうなると貿易も難しく、必然的にこの国は自給自足を強いられる事となった。
国の始まりは今から約1500年前、この地に根を下ろし永住する事を決めた旅人…ライラック・リリアスフィールドが、もともとそこに住んでいた民達を束ねたところから始まったと言われている。リリアスフィールド氏はとても優れた魔法使いであった。150以上の集落を束ね、魔法を教え、それぞれに役割を分担し、村を作り、町を作り、そしてそれが王国となった。
国の名前はライラック・リリアスフィールドが治める理想郷、という意味で付けられられたと文献で読んだ。
なぜ亡命者である私がこんなにもこの国について詳しいのかというと、当然、死に物狂いで調べていたからだ。なにせ私が命を懸けて逃げ出す先なのだ。逃げた先が自国と同じでは笑えない。
さて、トンネルを抜けてこの国の領土に足を踏み入れた私が最初にしなければならないことがある。魔法という概念が無かった我が国では本来全くもって関わることの無い、魔方陣の作成だった。
私に魔力があるかどうかは別として、この国には足を踏み入れた時点で魔方陣を作成する義務がある。王国の魔術師は侵入者に対して敏感で、すぐに衛兵を現地に向かわせると聞いていた。この魔方陣は入国してから衛兵が来る前に書き終わらなくてはならない。
急いで何度も練習した魔方陣を地面に書き殴る。馬の蹄の音が聞こえてくる前に、私はなんとか書き終わることが出来たのだった。
「侵入者発見…何者だ?」
鎧すら纏っていない衛兵らしき人物がそう問いかける。私の格好を見て察しがついたらしい衛兵?の一人が「亡命者か…」と呟いたのが聞こえた。
兵士は全部で五人。最初に声をかけてきた男だけが少し違った服装をしているので、この男がこの中では一番偉い人なのかもしれない。
「私はイヴィディアンから亡命してきました。どうか私をこの国の民にしては頂けませんか」
豊かな理想郷と言えども、そう簡単に受け入れられるわけが無い。一か八かの思いで私は頭を下げる。普通は国境を越えた時点で囚われるだろう。
「兵長…この魔方陣ですが…」
「ああ、わかっている」
兵長と呼ばれた男はやはり、最初に声をかけてきた男だった。綺麗な長い髪を風に靡かせて私が書いた魔方陣を見つめている。
「イヴィディアンから来たと言うのは本当なのだろう。魔法が得意ではないようだ」
まるで歌を歌うように優雅に嫌味を言った兵長殿は、馬から下りて私の魔方陣にケチを付けた。数人の衛兵が小さくクスクスと笑う。
「ここはこうするのが正しい。まあ入学したての子供の中であったら最後から三番目くらいまでに入れる出来だろう。…貴様はどうやら大人のようだが」
「は…はあ」
この人無自覚なんだろうか。そう思った。こんなにも流暢に嫌味が言える人は今までに見たことが無い。もしかしたら私の語学力の勉強不足なのかも知れないが。
しかし魔方陣が失敗していたとは。書き直された魔方陣からは淡い色の光が浮かび、そしてすぐに消えた。敵意が無いことを示す、祝福の魔法。それがこの魔方陣の意味だった。
「亡命者と言うのなら先ずは審査だ」
審査…一体何をするのかはわからないが、ここでミスをしては私の命を賭けた旅が無駄になってしまう。思わず固唾を飲み込んで、相手の出方を見る。
「アレックス、手荷物検査」
「御意!」
アレックスと呼ばれた男が馬から下りてきて、私のリュック、マント、上着、ポーチを外させる。
「ローラ、身体検査」
「御意!」
身体検査は女性がしてくれるらしく、私は安心した。女性の兵士もいるんだ…。この国では魔法が主体であるので、イヴィディアンとは違い単純な力の差は関係無く、知識と技術さえあれば誰でも国仕えが出来るのだろう。良い身分ではないのかもしれないが…。それもまたこの国が豊かである理由の一つなのかもしれない。
武器の類が一つも無いことを確認したローラが兵長殿に報告をする。私の手荷物検査が終わったらしいアレックスは私のリュックから出した包みを持って、私に問いかけた。
「これは何だ?」
包みの中の銀色に輝く、拳二つほどの塊を見やってアレックスは首をかしげた。もしかしたらこの国では見た事無い人が多いのかもしれない。
「それはイヴィディアンでヒイディと呼ばれる金属です。もしもこの国に受け入れてもらえるのなら、国王様に献上しようと国から持って参りました」
イヴィディアンで取れる金属という意味を持つヒイディは、あの国では当たり前のように流通しており、加工のしやすさと丈夫さで様々なものに使われている。しかし便利な金属をそうそう国外に流す人が少なく、国外での認知度は低いのだろう。
「そうか。わかった」
アレックスはその包みを持ったまま兵長殿のところへ向かって行く。報告を終えたらしいローラが私のところに戻ってきて、まるで世間話をするように話しかけてきた。
「あなたホントにクソ真面目なのね。こんなに何も怪しいものを持ってない人は始めてよ」
少しだけ早口で言われた言葉に私は面食らって、「も、もう一度お願いします…」とお願いをした。今度こそ正しく聞き取ろうと集中する。
「だから、あなたってホント、クソ真面目なのね!って言ってんのよ」
少しだけゆっくり言葉を切って話してくれたローラ。どうやら聞き間違えではなかったらしい。この人たちは少し…なんて言うか、口が悪い。
「わりと上手におしゃべりするからもっと勉強してきているものだと思っていたわ」
溜息を吐きながらさらに嫌味を言うローラ。
「身体検査の結果は合格よ。後は手荷物検査ね」
そう言って笑ったローラだったが、私の方は不安でいっぱいだった。豊かな国だと聞いていたけれど、人格に難有り王国だったらどうしよう。この先私はやっていけるのだろうか。