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悪食な式神は呪われている。  作者: 桐谷雪矢
出会い。或いは「出遭い」
6/25

4.

 それは最初、仔猫かなにかの鳴き声かに思われた。

 だが、助けてぇ……と、か細くも言葉として聞こえてくると、ふたりは、え?と顔を見合わせ立ち上がった。


「ここ、不審者でも出るのかよ」

「いちばん不審なのは、あたしじゃあないかと思うんですけどねぇ~」

「……ま、そりゃそうか」


 急いでスニーカーを突っかけて飛び出そうとする和泉の横を、酒寄はふんわり風のように、素足のまままま通り過ぎていく。スニーカーの紐は結んだまま脱いだり履いたりしているが、それでも踵に手を添えたり、爪先を地面にとんとんさせてみたりと、素足の素早さにはかなわない。


「酒寄ぃ、裸足で出歩いて、部屋にもそのまんまとか、ばっちくねぇ?」


 ツッコミながらも急いで酒寄の後を追うが、狭い神社だ、すぐに鳥居まで辿り着いた。

 おやおや、と手を口元に当てて鳥居の向こうを見ている酒寄。


「どうした? 外になにが……」


 問いかけるがすぐにわかった。

 年の頃は小学生、それも低学年のおかっぱ頭の女の子が、真っ青になってぶるぶると傍目に見てわかるほどに震えて脅えている。目には涙が溢れそうに溜まっていて、ゆっくりと後退っていた。その少女の見据えた先には。


「……なんだ、あれ……鬼……?」


 下から生えた大きな牙、顔の真ん中にある大きな目、その上からにょっきり突き上げる角、髪はなく、ごつごつした赤黒い地肌が剥き出しになっている。なにも身につけておらず、背丈は和泉よりもずっと高い。そして、ごぉおお、と地鳴りのような呼吸音。

 イメージしていた鬼という物の怪そのものであった。

 その周りには、数匹の小鬼。横断歩道で和泉を突いていた小鬼に似ていた。


「そうですねぇ、それにしても、大きな鬼ですねぇ~、これは食べきれないかも知れないですぅ~」

「喰うのかよっ」

「だいじょうぶですよぅ、食べきれないようなのは、封印とかいうのでぐるぐるにしてちっちゃくして食べちゃいますから~」

「ほら、やっぱり喰うんだろっ」


 気にせず大きな声をだしていたせいで、外の鬼たちもふたりに気付いた。


「た……助けてくださいいいいっ」

「ぅおまえるぁ~なんどぉあ~? じゃまぁするぬぉなら~おまえるぁ~まとめてくぅらうずぉ~」


 鬼の声は濁って響いて聞き取りにくかった。邪魔するなら喰っちまうぞ、と言っているような気がした。

 酒寄はちゃんと聞き取れていたようで、あはははは~と緩く笑っていた。


「とにかく、あの子を助けないとっ」

「助けるんですかぁ?」


 和泉の呼びかけに、きょとんとして目を丸くする。

 当たり前だろっと指差した先の少女は、助かるかも知れない安堵からか溜まっていた涙をぽろぽろと零して、懇願の表情でふたりを見つめていた。

 白いブラウスにはフリルがついていて、サスペンダー付きの短めプリーツスカートが鬼の呼気に合わせて揺れる。鬼が腕を伸ばせば届きそうな距離にいた。

 これはもうダメだ、助けないと。

 和泉は拳をぐっと握り込んだ。

 自分の膝も笑い出しそうになっている。それを、だんっと力を入れて地面を踏み、黙らせた。


「和泉くん?」

「今、助けられるのは、オレらしかいねぇじゃんっ」


 あ、この台詞キマッた、とちょっと思った和泉は、勢いよく走り出した。

 鳥居を越えて、外へ。

 中から見ていたよりもたくさんの「なにか」が見えたが、気にしてはいられなかった。


「ぅおおおおおおおっ」


 雄叫びを上げて、助走を付けてのドロップキックを鬼に繰り出す。


 が、その両足は、がっつりと鬼に掴まれてしまったのだ。

 それも、片手で。

 よく見れば、鬼の身体はアンバランスで、身体に比べて、手足は先に向かってデフォルメされているかのように大きくなっていた。軽く和泉など握れてしまうし、握り潰せもできるだろう。


「う……そだろ?」


 掴まれた両足は、鬼の頭上高く掲げられ、目線の位置が自分の背よりも高くなった。

 このまま手を離されただけでも、打ち所次第では大怪我だ。

 もがいてみるが、掴んでいる鬼の手は黒鉄の足輪でも嵌められているみたいにがっちりしていてびくともしない。

 圧倒的な力の差。


 ああオレ、そうだ、見えるだけだったんだ。


 いきなり今まで以上にいろいろ見えるようになった。

 普通ではない事態に慣れつつあった。

 酒寄の万能さを目の当たりにして、自分もなんでもできるようになったような勘違いを生んでしまったのかもしれなかった。

 ぐぉおおお、と轟音のごとき鬼の吐息が顔に吹き掛かる。

 生臭い。

 鬼の顔が、目の前にあった。

 そしてその顔がにやりと笑ったように見えた。


 鬼に両足を掴まれて逆さ吊りにされている状況は、物の怪だのが見えない人間にはどう見えているんだろうか。

 逆さになって宙に浮かぶ人間なんて、どんなトリックがあるのだろう、と手品のネタとして考えるくらいのことだろうか。

 それとも、目の錯覚として見なかったふりをされて終わるのだろうか。


 この和泉の場合、どちらでもなかった。

 神社の前は普通の路地で、近所の人が当たり前のように通りすがるのだが、誰ひとりとして和泉の方を見ないのだ。

 正しくは、和泉ごと見えなくなっていた。


「さ……酒寄……?」


 助けに入って助けを求めるのも癪だったが、目の前で大きく口を開いていただきます体勢の鬼をどうにかしてくれるのは、今は酒寄だけだろう。

 足元というのか、頭上、いや頭下とでもいうのか、地面には小鬼のようなものが、おこぼれをもらおうと和泉に手を伸ばしている。

 視線を酒寄に向けたが、視界にはいない。

 え?と一気に不安と恐怖が押し寄せた和泉だったが、声が聞こえた。


「受け身は自分でとってくださいねぇ~」

「……って、受け身ぃ?」


 それはいったい、と思うも、とにかく真っ逆さまに吊られた状態だ。どうにでもできるように身構える。

 鬼の陰にいるらしい酒寄の声は、なにか呪文のような言葉を呟いていた。


「悪鬼消滅、急急如律令~」


 間延びした口調が、言葉の意味と噛み合わない。

 それでも札は反応した。

 しなやかな繊維のように伸びて、和泉を吊り下げている鬼にまとわりついていったのだ。

 まるでそのまま包み込むようにくるくるっと巻き付く。

 鬼はそれを振り払おうと、両手両足をじたばたと振り回し始めた。


「おわっ、ちょっ……っ」


 鬼は自分のことで精一杯になり、和泉を掴んでいた手を離す。

 しかし、焦って振り回しながら離したので、和泉の身体は宙を舞った。

 風を切る音がする。

 目を閉じかけて、慌てて開ける。

 と、目の前にあったのは、鳥居のいちばん上、笠木の部分だった。

 思わず手を伸ばしてがっちり抱きかかえ、ふぁ~、と脱力しきった声を漏らす。が、それどころじゃないっ、と自分がいた場所を振り返った。


 伸びた札はぐるぐると鬼を巻き込んでいく。

 その様子に脅えた小鬼は、蜘蛛の子を散らすように姿を消した。


 あの女の子は……っ?


 辺りを見回すと、木々の枝葉の隙間から、女の子のスカートがちらりと見える。それに安心して、和泉はそろそろと下へ足を伸ばし、ぶら下がる恰好から地面へと飛び降りた。

 掴まれていた足首が衝撃にずきりと痛んだが、我慢できない痛みではない。


 和泉が飛ばされていた間に、鬼は札でぐるんぐるんにされていた。札は完全に鬼を巻き込むと、元のサイズに戻ろうと収縮する。あんなに大きかった鬼は、悲鳴を上げながら小さくなっていく。


「酒寄~っ、女の子は大丈夫か~?」


 駆け寄ってくる和泉をちらりと見遣って、はぁい~、だいじょうぶですよぅ~、と相変わらず緊張感のない声で返す。

 その間にもどんどん小さくなって、札に包み込まれた鬼は、ピンポン球サイズになっていた。


 ぱくり。


 酒寄は札ごと丸めた鬼を口へと放り込んだ。

 飲み込むには大きすぎるかと思われたが、噛まずにごくりと嚥下する。

 一方、和泉の意識は女の子の方に向いていた。酒寄がごっくんしているのには目もくれず、真っ直ぐに女の子のところへ向かった。


「どこか怪我してないか? 怖かったよな、でももういないからな、大丈夫だぞ」


 しゃがみ込んで女の子の目線でやさしく語りかける。

 女の子は、涙で顔をくしゃくしゃにしていたが、うん、と頷いた。


「ありがと、おにいちゃん。こわいのにひっぱられて、こわいとこにつれてかれちゃうんじゃないかって、こわかったの」

「そっか、でももう大丈夫だからな、おうちまで送ろうか」

「ううん、ひとりでかえれるからいいの」


 そう言った女の子の輪郭が輝きだした。

 眩しさが増すにつれ、和泉は目を細める。


「おいおい、コレはなんなんだ?」


 急にイヤな気配が漂い始めて、和泉は立ち上がりながら後退った。

 女の子は、手を胸の前で組んで、祈るようなポーズで続けた。


「こわいのがね、ぢごくにつれていってやるって、つれていこうとしたの。いきたくないのにね、いこういこうって……」


 言い終わる頃には泣きじゃくっていた。

 大泣きしているのに、言葉はちゃんと伝わっていた。


 喋ってなかった。


 和泉の表情が固まっていた。泣きじゃくる女の子に負けないくらいに泣きそうな顔つきになっていた。頭が真っ白になった和泉が視線をスライドさせた先に、にこやかな酒寄が見える。鬼を食べて満足げだ。


「さ、酒寄~……」


 情けない声で助けを求めると、はいはい、と和泉の方へ歩み寄り、女の子に向き合った。


「もういいんじゃあないですかぁ? これ、お迎えの光ですよぅ。今、行かないと、また鬼さんが捕まえに来ちゃいますよぅ」

「いかないと、だめなの? そこにいると、ままがいつもおはなをもってきてくれるの。ままに、あえなくなっちゃうの?」

「ですねぇ。お母様は、あなたのこと、見えていないと思うんですよぅ。だからもう、お迎えがきているうちに行った方が、いいと思うんですよぅ~」


 あまりにもストレートな物言いだったが、酒寄ののんびりした口調が幸いした。女の子は更に涙を零したけれど、納得はしたらしい。こくり、とゆっくり頷く。


「じゃあね、おにいちゃんたち……さよなら」


 女の子は、きらきらとした光に溶け込んで、その姿を消した。


「ど……どういうこと……かなぁ……?」


 引き攣った表情で酒寄を見つめた和泉に、酒寄はゆらぁりゆらりと首を傾げる。

 ぞわぞわしますねぇ……と、誰にともなくぽつりと呟いた。




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