5.
覚醒した酒寄に動揺している頃、数台のパトカーがライブが行われている公園へと向かっていた。
逃げ出した客たちが通報したのは当然のことだろう。
管理人などの関係者や周辺の人間には根回しをしてあったのだが、まさかこんな形で計画が頓挫するとは思わなかった鬼里は、さすがに警察までは考えていなかった。そうでなくとも、呪いだのなんだの、ある種の非合法手段で暮らしてきたのだ。
しかし、捕まったとしても、修羅場になってからの映像を見たとして、それがどういう罪状に問われるものか。
そして、パトカーの後ろをついて走る一台の軽自動車があった。
そんな騒ぎになっていると思う暇もないふたりは、動きが鈍くなった酒寄を前に言い争っていた。そりゃあなんだという鬼里の問いに、親父の形見みてぇなもん、と返すが、親父って何もんだったんだと言われると、死んぢまってるからオレだってわっかんねぇ、と喧嘩腰に返す。
「お前、なぁんも聞かされてねぇのかよ、なんで死んだのかもわかんねぇのかよ」
「わかんねぇよ、小学生ん時だし、あんたみてぇに恨み辛み聞かされて育ったわけじゃねぇしっ」
「知らねぇって言ってりゃ済むと思うな。なんで死んだ、それこそあいつに殺されたかもとか考えねぇのかよ」
「そんなはず……っ」
ない、と続けるつもりだった。しかし、和泉には否定するだけの材料がないことに気付かされたのだ。
知っているとすれば……架純だけだ。
「で、その動きをなんとか封じてる形見とやら、何が入ってんだ? 札か?」
「いや、開けて見てはねぇけど、たぶん、散けた数珠。かあさんが親父に買ってあげたって聞いたけど」
「数珠……? そいつぁいい。よこせ」
「はぁ? 聞いたよな? 形見って意味、わかってっか?」
「お前の生命を守れねぇんじゃ、宝の持ち腐れだろうがっ」
わかっていた。わかっていても、気持ちが無理だと告げている。
そこへ聞こえてきたのは、パトカーのサイレンだ。
舌打ちをして鬼里は和泉を酒寄に向けて押し出した。この際、とりあえず自分は逃げて、何かあれば和泉に押しつけちまおう、などと考えたのは言うまでもない。
「あんた、どんだけ身勝手なんだよっ」
叫ぶ和泉だが、押されて酒寄の腕の中に背中からすっぽりとはまり込んでしまった。
しまった、と振り返ろうとした和泉だが、がっちりと腕ごとホールドされて身動きがとれない。
鬼里は残った式鬼を使って警察を煙に巻こうと企んでステージから飛び降りた。予備の式も総動員させるつもりだ。人の形を取らせた式神に何もなかった風を装わせる。至極単純な手だが、鬼里も疲れていた。あまり複雑な術など使えそうにない。集団催眠じゃないかと言いくるめるしかなかった。
駐車場へ入って来るパトカーの前に出る。と、それをすり抜けるようにして、軽自動車が強引に突っ込んだ。
「……なっ?」
呆気に取られる鬼里だが、警察をどうにかするのが先だった。
ステージでは、まだ和泉は酒寄の腕の中である。
「はっ、離せよ、酒寄っ。なぁ、嘘だろ、オレを殺すとか、ヤツの脅しだよなっ?」
背中から締め上げる酒寄に、必死で叫ぶ和泉。その目から、ぼつり、と生暖かいものが滴り落ちた。まだ、酒寄は本気で殺そうとしていない、その気ならたぶんとっくに絞め殺されてる。どこかに躊躇する酒寄がいるはず。そう思うのに、信じたいのに信じられずにいる自分も悔しかった。
手に握り締めた小袋が、熱を帯びる。
「……かあ……さん……」
ぽつりと漏らしたそこへ、聞こえてきたのは───。
「なにしてんのっ、和泉っ」
駐車場はガン無視して、公園へと直接軽自動車で乗り込んできたのは、まさに母親の架純本人だった。
つい先日、夏休みを利用して普通自動車の免許を取ったばかりの島井が、おろおろしながらハンドルを握っている。架純は助手席から上半身を乗り出して、暴走族の箱乗り状態だ。
「お、おかあさんんんんっ、ちょ、ちょっと、もう、オレ、無理ですからぁあああっ」
情けない声で島井が叫ぶ。
まだステージ裏でこっそり隠れていた木山が、やっと来たかっと姿を現した。
ずっと隠れて取り付けたカメラの画像やらチェックしていた木山は、和泉が上がってきたのを見てステージの上がおかしなことになってきたと気付いた。そして急いで島井に連絡していたのだ。幼馴染みで和泉のあれこれを知っている島井は、真っ先に架純のパート先へ呼びに行った。お互いもう顔馴染みなので、その後は早かった。
軽自動車は公園に轍をつけてステージ近くまで突っ込む。
「島井っ、ナイスタイミングだなっ」
「なんだよ、木山、来てたんじゃんっ。なんだよ、どうなってんだよ」
「うむ、思ったよりさっさと法事を脱けて来られたのだ。というか、気になって途中で脱けた」
「おいおい~っ」
やいのやいのと騒ぐふたりは捨て置いて、架純は車から降りるとステージへと駆け寄った。
「ちょっと、そこの白っぽいのっ。和泉から手を離しなさいっ」
両手を腰に当てて仁王立ちになった架純が酒寄を叱りつける。酒寄の腕から力が抜けていくのがわかった。その隙に和泉は酒寄から離れて向かい合う。
「あんたでしょっ、おとうさんを殺したのはっ」
ステージの袖の階段から上がってくると、怒りを込めた口調で架純が詰め寄った。
架純には白っぽいの、としか認識出来ていないようだ。いや、出来ただけでもすごい、と和泉はぼんやり思いながら、目元をぐしぐしと拭った。
じわじわと人間の形に戻っていく酒寄。
「お……やじ?」
和泉は疲れ切った声音で呟く。
意地悪だと思おうとした鬼里の言葉は本当だったのか?
小さなパズルがかちりとはまった気がした。
霊感が鋭かった父親の死、曰く付きの土地への遠足、そして酒寄に出会ってから強くなった霊感。
「そう……その白っぽいのがおとうさんに、やっぱり纏わり付いてた。そのうち和泉に気付いて、そっちへ行こうとしてたのを、引っ剥がして、そしたら、おとうさんに……」
ぺらぺらと勢いで言ってから、あ、と慌てて架純は口を押さえたが、もう遅かった。
架純の威力か、元の姿に戻った酒寄を、和泉は呆然と見つめていた。
若者達の間では人気の鬼さまがライブをしていた、普段からオカルトっぽいネタで構成されていた生配信だと知っている警官も少なくなかった、そして式神たちを使っての擁護工作、若い女の子たちにはありがちな集団催眠のようなものだったのではないかとの誘導、どれもがうまく作用したようで、ぽちぽちとパトカーは去って行った。一応は簡単な事情聴取と、さっきの軽自動車は?というので、ひと組だけ警官が残った。
完全ではないにしろ、とりあえずはどうにか警察の目を逸らすことには成功した鬼里は、ステージの方へと戻って来た。
ステージの上では、放心している和泉と、いつもの姿に戻りはしたが目つきがまだ定まらぬ酒寄がいる。そのふたりの前に女性がひとり。母親の架純だとはすでに調査済みで知っている。
呆けたままの酒寄なら呪いは解けずとも封印できるかもしれないと、鬼里は早足でそこへと向かっていた……が。
ぱぁんっ。
ひと際大きく響いた音は、架純が平手で思いきり酒寄の頬を張った音だった。
「今さらもう、あの人を返してって言っても無意味なのはわかってる、でも、和泉まで取り上げないでっ。なんなのかは知らないけれど、もうやめてっ」
まだぼんやりしている酒寄に、続いて数発、思いきりビンタする架純。最初の一発で我に返っていた和泉が、ぜったい母親に逆らったり怒らせたりするのはやめよう、と思わせる強さと勢いだった。
息を切らせるほどに酒寄を張っていた架純が、ようやく手を下ろした時、酒寄の目に生気がというのも変ではあるが、焦点が定まってくるのが見て取れた。
ゆらり、頭を揺らして周囲を見回す。
ちゃっかり車に乗り込んでいつでも脱出できる状態で見守っていた島井と木山も、ステージの上にはまだ注目している。
ゆらり。ふらり。
しばらくして、あ?と酒寄が声を発した。
「……あれ? どうしてあたしが、ここにいるんです~?」
それは、いつもの、和泉が知る酒寄だった。
へたり、腰が抜けたように座り込む和泉と、それでもまだ許せないと更に張り手をかまそうと踏み出す架純、ようやくステージ下まで来た鬼里。
「許さない、ぜったい許さないんだからぁああああっっ」
再び酒寄を叩き始めた架純を、ジャンプしてステージに飛び上がった鬼里が腕を掴んで止めた。架純が鬼里を睨む。
「へぇえ、調べた時には半信半疑だったが、すげぇな。霊とか妖怪とかあやかしみてぇなもんと、正反対のもん出してる感じだなぁ。磁石みてぇに反発してんのが、びんびん来やがる」
「……き、さと……? どゆこと?」
「この女……母親だろ? こいつがいたから、お前が見つからなかったのか。一応は探したんだぜ、他に、俺以外に式がターゲットにする子孫ってのをよぅ。そいつに式を差し向けてる間に様子を見て手を打とうってな。だけど見つからねぇ。そらそうだ、こんな強ぇ女に守られてやがった」
ため息混じりに肩を竦めた鬼里の手が緩んだところを、架純は腕を引いて離れ、誰これ、と和泉にこそこそ尋ねた。
「……よくわかんねぇけど……おんなじ立場なのだけは、把握」
「あのですねぇ……どうして和泉くん、鬼さまと仲良くなってるんです?」
「和泉、この白っぽかったの、結局なんなの。おとうさんの仇なのに、なんで仲良くしてるの、なんなのもう」
「で、お前、こんなんなってもまだ、この式神とつるむのか? おとなしい間に策を練らねぇか?」
「えっと、順番に……てか、も、オレも許容範囲、越えてる……」
パニック状態の和泉たちを余所に、ステージ前の軽自動車の島井は、警官から「免許証は? 取り立てでもここ入っちゃダメなのはわかるよね?」と事情聴取を受けていた。




