2.
ステージに現れた鬼さまの威圧感と客の歓声に、ほへぇ、と酒寄が気の抜けた声を上げた。
「……すごい、ですねぇ……」
珍しく酒寄が圧倒されていた。ぼぉっとした目つきでステージの鬼さまを見上げている。
酒寄には確かにこれが初対面だった。
真っ白い酒寄に対抗しているわけでもないだろうが、鬼さまが身に纏っているのは、黒尽くめの狩衣風の衣装だ。それこそ白ければ陰陽師風だったろうが、黒くておまけにサングラス姿なので、コスプレ感が半端なかった。そのせいか和泉は少し肩の力が抜けた。
ステージの上には小さなテーブルと、その上にスタンドに差してあるタブレット、他にもなにか置いてあるようだが、客席側からはその程度しか見えない。たまにタブレットを見ながらスタッフに指示を出している。
周囲の歓声が脳天を突き抜けそうに騒がしくなったところで、準備を整えた鬼さまが、しぃ、と人差し指を口元に当てた。
ぴたりと止む歓声。
ホントに教祖様かなにかみてぇなのな、と下を向いてため息を漏らした和泉に、サングラス越しでもわかる視線が向けられた。
ちりちりと全身の産毛が逆立つような悪寒に、顔が上げられない。でも、自分に向けられた視線が悪意と嘲りに満ちているのはわかった。
「……さ……かき?」
「大丈夫ですかぁ? 顔が引き攣ってますよぅ?」
ああもう、と和泉は酒寄の袖を握った。
こんな意識を向けられたのは、そう、あの山の中と同じ……。
はぁ~はぁ~、と深く短い呼吸を繰り返す和泉に、酒寄はとんとんと背を叩いて、その手を背に当てたままゆっくりさするように置いた。和泉も小さく頷き、大丈夫大丈夫と呟く。
「さぁて、なにか困りごとや悩み、或いはお願いを叶えたい、そんな君たちは、チャットにどんどん書き込んでくれよぉっ、どんどん叶えちゃうぜぇ」
スピーカーから聞こえる声が、視線とは別人のようだ。
鬼さまは耳に嵌めたマイク付きヘッドホンで話している。たまに落とさないように耳元を押さえたりしつつ、タブレットに流れているチャットでお願いを叶える相手を選んでいた。
「よぉし、この、彼氏を繋ぎ止めたいって書いてる、うさぴょん~? どこかなぁ? ステージに上がって来いよ」
手のひらを上に向けて人差し指でくいくいっと来い来いという仕草をする。和泉たちとは反対側にいる中学生くらいに見える女の子が、はいはいはいっと頬を真っ赤にして手を挙げた。スタッフが近付いて、道を確保しながらステージへと誘導する。
「いいねぇ、若いねぇ、ちょっと待ってな」
鬼さまは人差し指を立てて、ちっちっち、と左右に振ると、テーブルに向かった。
ふむ、と女の子を見つめてから、素早く手元を動かしている。呪いの札を書いているようだ。
それを見ていた和泉は、はっと気付いたように、ポケットからスマホを取り出した。
慌てて鬼さまが動画配信しているサイトを表示すると、ステージの上と客席を、時々スタッフがカメラを切り替えながら映し出していた。
それを見ると、テーブルの上も映っている。
酒寄も気付いてスマホを覗き込む。
「ほぉお、あたしもずいぶん独学ですけどぉ、この人も独特の呪を使うのですねぇ」
「え? 酒寄、自分で勉強して覚えたんだ?」
「当たり前じゃあないですかぁ。あたしをなんだと思ってるんですぅ? ただの紙切れですからねぇ?」
ふざけた声音で酒寄が言う。
「でもねぇ……こういうことをする人たちには、ただの紙切れが、お守りになったり、便利な道具になったり、武器になったりするんですねぇ……」
道具……武器……。
和泉はポケットを押さえた。ここにある札は基本的にはお守りの側だ。でも、悪用しようとしたら?
これはただの紙切れだ。でも、道具にも武器にも、それどころか人としても……軍隊として使うことも可能だということでは……?
鬼さまは、いったいなにを企んでいるんだ……?
険しい表情でスマホ画面を見つめる和泉たちは、微妙に周囲から浮いていた。
何人か女の子たちが選ばれて、きゃあきゃあとステージに上がり、お札をいただき握手もおねだりしたりして、夢心地で下りてくる。それを見た他の女の子たちも、どんどん気持ちが高揚してきたようだ。
公園は異様な熱気で包まれた。
「さぁて、ぼちぼち最後のお願い、いっちゃおっかなぁ~っ?」
ノリノリで鬼さまが人差し指を立てて頭上にかざす。あとひとり、ということか。
私も私も~っとぴょんぴょん跳ねたり、用意してきたアイドルの応援団扇のようなものを振ったりして、なんとか目立とうとする女の子たち。
はじまってからかれこれ一時間ちょっと。長いのか短いのかはわからないが、ハイペースでお札を配ったりしていたので、けっこう行き渡っているようにも見えた。
「なぁんか、気になりますねぇ……」
ぽつりと酒寄が零した。
「あの指……クセなんですかねぇ。たまに、印を結んでいるようにも見えるんですよねぇ」
言われて和泉は記憶を辿った。確かにいつもポーズを決める時には人差し指が動いているような気もする。
だとしたら、それこそ何のために?
和泉はただ混乱するだけになっていた。
ちりちり。
また総毛立つような視線。
恐る恐る見上げたステージでは、鬼さまがサングラス越しの視線を向けていた。口元が楽しげに歪んでいる。
来るか?と誘っているようにも見えた。くるくると人差し指を回している。
オレはトンボかよ、と唇を尖らせていると、鬼さまはぴゅっ、と小さく口笛を鳴らした。
「最後のひとりだからぁ~、趣向を変えてみよっかぁ~」
可笑しそうに笑っている……と、周囲がざわっと一気にどよめいた。
「やだ、チャンネル落ちたの?」
「回線繋がらないって?」
「どっこも回線繋がらないよぅ? 通信障害?」
周りの声に、和泉もスマホを見直した。この公園にはフリーWi-Fiが設定されていたし、全てのキャリアが一度に障害を起こすのはありえない。天候も問題ない。
「あいつ、なんかしてる、よな」
「えぇ~? あたしゃそういうのは、よくわかってませんからねぇ~」
「……あ。もしかして、あの指、そういうの指示する合図だったとか……妨害電波とか流してる……?」
外部ではこのチャンネル、どうなっているんだろう。
気にはなったが、見ていてくれそうな木山に電話すら出来なくなっている。
「あのですねぇ。式に伝言持たせてお友だちに連絡くらいは出来るかもですよぅ?」
あれこれスマホで試しているのを見た酒寄の提案に大きく頷いた……が、その時、鬼さまがぱぁんっと大きく手を打った。
ざわつきがぴたりと止まった。
一斉にみんなの視線がステージに注がれる。
「じゃ、最後だ。珍しいからそこの男子、ステージへどうぞぉっ」
鬼さまの指が、まっすぐに和泉に向いた。
合わせて客席の視線も突き刺さる。
音を立てて血の気が引くというのはこんな気分か、と改めて思うほど、意識がブラックアウトした。
「来れるかなぁ?」
挑発的な鬼さまの声ががんがん響く。
酒寄は和泉の耳元に、惑わされてますねぇ~、術中にハマってますよぅ~?と囁いた。
そして、す、とベストの内側に手を差し入れ、とんっと軽く叩いた。
「大丈夫ですよぅ~、衆人環視の中ですしぃ~」
軽く一度、酒寄の手を掴んで離した和泉は、重いのだがふらふら定まらない足取りで、ステージへと袖にある階段から上がっていった。鬼さまの視線はずっと和泉を捉えたままだ。それをいいことに、酒寄は和泉からいろいろ聞いていた木山の元へと式をこっそり向かわせることにした。鳩の形を取った式はとことこと客席を抜けたところで飛び立つ。
届くといいんですけどねぇ。
そう願いつつ、ステージのふたりに視線を戻す。
顔面蒼白になっている和泉に、あらあらあら、と口元に手を当てて、ちょっぴり不安になってしまう酒寄だったが、次の瞬間、あらら?と目を見開いた。
「さぁて、お願いはあるのかなぁ? それとも呪い返しでも考えてんのかなぁ?」
にやにやしているのがサングラス越しでもわかる顔つきの鬼さまに、表情の消えた和泉は呟いた。
「まじないじゃなくて、のろいなんだ? てか、のろいがえしってどゆこと……」
鬼さまがくくっと喉の奥で笑った。
「もしかしてもしかしなくても、なぁんにも知らずに来たんだぁ? お連れさんは知らなかったんだぁ? じゃあ、いろいろ教えてやろうかなぁあ?」
客席は状況を飲み込めず、なにあれ、とざわざわし始めるが、鬼さまは意に介さず、和泉に詰め寄った。そしてマイクのスイッチを切って、顔を寄せて言った。
「おまえはなぁ、あの式神に殺されるために存在してんだぞぉ」




