1.
誰もが予想し望んだ通りに、好天に恵まれた当日。
会場になっている公園の近くを巡回しているバスに、和泉と酒寄は揺られていた。
自転車で来られる場所なのだが、酒寄が自転車に乗れないことが発覚し、だったら、とバスになったのだ。
バスの中は、同じく公園の鬼さまゲリラライブ目当ての若い女の子が多かった。「事前にこんだけわかってたら、ゲリラじゃないよね~」ときゃらきゃらと笑っているのが聞こえて、心の中で和泉は深く頷いていた。
その和泉はグレーのTシャツにポケットの多い多機能ベストを着ている。ポケットごとに札など詰め込んだおかげで、手ぶらで身軽だ。足元は靴底が厚めのスポーツシューズを選んである。
そして酒寄の方は、白いシャツに白いジーンズという真っ白な出で立ちで、妙に浮いていた。
「もうちょい色つきにすれば良かったのに……途中では変えられねぇの?」
「白が落ち着くんですねぇ。地の色だからですかねぇ」
のんびりと返す酒寄は足元のスニーカーも白だ。公園みたいなところではすぐに土の色がついてしまいそうだが、気にしてはいまい。実際、公園の地面は雨上がりでところどころに緩いところがあり、ぬめっているので、立ち入ってすぐにスニーカーは歴戦の勇士のような色合いになってしまうのだが、それは後の話である。
「それよりぃ、こういうのは気持ち……精神的に強い方が有利なんですよぅ。本来の和泉くんは、怖がりさんですからぁ、びくついたらやられますからねぇ?」
ゆっくり、言葉に力を込め、人差し指を口元に添えて戒める。和泉も、わかってる、と目に力を入れて頷いた。
窓の外は住宅街を抜けて田畑が見え隠れし始めた。ここを過ぎれば会場となっている公園だ。酒寄は相変わらずのペースで、バスの移動が珍しく楽しいらしく、目を煌めかせて外を見ている。そして和泉は何度も深呼吸を繰り返し、どうにかなるどうにかなる、とぶつぶつ呟いていた。
とにかく、鬼さまの正体を知りたい。
どうしてオレにああいう態度を取ったのか。
もしかして、酒寄に呪いをかけた側の関係筋じゃないんだろうか。
だったら、解き方も知っているんじゃないか。
でも、山での態度からするに、知っていても教えてくれるか怪しいし、それどころか危害を加えてきたら……。
楽しそうな乗客たちと、深刻な顔つきの和泉にマイペースの酒寄を乗せたバスは、墓地との共有駐車場前で止まった。
下りるときにイヤでも目に入った「市営墓地はこちら」の看板。
目から光が消えていく和泉の背を、ぽんぽんと酒寄は押した。
会場になっている公園のステージへと向かう若い女の子たちに紛れても、どことなく違和感が漂うふたり連れは、彼女たちの格好の餌でもあった。それなりのルックスは持ち合わせている和泉と、少し浮世離れしている感のある酒寄という組み合わせである。いったいどんな関係?とある種の期待を持って見つめられたり、或いは、鬼さまの関係者かしらんと憧れを含んだ視線を送られたりで、微妙に居心地がよろしくなかった。
「な、なぁ、酒寄……ちょっとばかり、考えなしすぎたかな……」
「なにがですかぁ、もしかしてさっきの看板でびびっちゃったんですかぁ?」
「ちっ、ちげぇしっ、てか、酒寄、お前鈍感すぎ……」
はぁ、とため息を漏らす和泉だったが、おかげで少しリラックス出来たことには気がついていない。
と、そこへ、ステージになっている方から、大音量の音楽が聞こえてきた。
嬌声を上げたり、どよめいたりしつつ、女の子たちは足早になった。
「やだっ、もう始まっちゃう? 早くない?」
「え~? 始まるまでまだ余裕のはずだよ?」
「あれ、ただのリハーサルじゃないの?」
どうやら、いつも動画のイントロで流れている音楽のようだ。確かになんとなく聞き覚えがあった。
足早にステージに向かう女の子たちに反して、和泉の歩みは遅くなり、ぞくりと背を震わせて足を止めた。
なんだよ、この威圧感。
音だけじゃなくて……なんか、殴りつけてくる感じ……。
和泉は助けを求めるように酒寄を見た。
「和泉くん。だいじょうぶですよぅ。あたしがついてますからねぇ」
そういう酒寄の目は、もう笑っていなかった。
ステージは大がかりな音響システムを揃え、鬼さまはその調整に余念がなかった。いくら周囲は田畑を抜けた先にある郊外の公園と墓地とはいえ、ロックコンサートでもやるのだろうかという機材が組まれているのを見ると、騒音の苦情が殺到しないか心配になるレベルだ。
その割に、出力されている音は騒々しくもなければ、ずんずん響くような重低音でもない。
しかし、試験的に流れている音で、鬼さまは満足したようで、おっけ~、と両手で大きく輪を作って示すと、鼻唄混じりにステージから下り、袖に設えられている控え室に入っていった。
中にはいくつかモニタが置いてあり、墓地、駐車場、客席などが映し出されている。
椅子に座って、じ、と見つめていた鬼さまは、口端をにぃと吊り上げた。
「気付いてくれんかったらどうしようかと思ってたぜ。神沢の。ツレが例のヤツか。なぁんか、歴史ってヤツを感じちまうねぇ、うん、しみじみしちまうけど、呪いを解放してやんねぇとなぁ?」
鬼さまは、くっくと喉で笑った。
「あいつ、どこまで思い出してんだろうな。すげぇ仲良しさんになってっけど、呪い、解けるんかねぇ?」
堪えきれないように、わはははは、と腹を抱えんばかりに笑い始めたが、スタッフを務めている式が、扉をノックした音で、ぴたりと真顔に戻る。ぴたぴたっと両手で頬を軽く叩いて、おしっ、と立ち上がった。
「さぁて、鬼さまの鬼ちゃんたちに、ごはんの時間だよ~ぅ」
ふざけた口調で呟くと、胸のポケットから出した濃い色のサングラスをかけ、軽い足取りでステージへと躍り出た。
そのころ和泉たちは、誘導員の指示に従って並んでいた。あんまり真っ正面だとどうしようと不安だったが、幸いステージに向かって右手側でさほど目立たなさそうだ。
ステージの前の客席スペースは野外コンサートのように立ち見らしい。雨上がりなので多少ところどころの足場が緩い。和泉は真っ白い酒寄を心配したが、汚れが避けているのか、紙らしく重力が人間ほどかかっていないのか、きれいなものであった。
「来るには来たけど……どうしよ。動画サイトのノリとか詳しくねぇし、参考には見たけど……」
期待に満ちあふれた表情でステージを見つめる周囲の客に聞こえないよう、ぽそぽそと酒寄の耳元で囁くと、おやまぁ、と酒寄は首を捻った。
「大丈夫でしょう~、こんなに人が多いところで、あたしたちを見つけたところですぐにはどうこう出来ませんよぅ。不安は悪い結果しか招きませんからねぇ~って、ずっと言ってますでしょう~?」
そりゃそうなんだろうけど、と和泉は唇を尖らせて黙り込んだ。
ぐるりと周りを見回せば、九割方は若い女性のようで、不安に加えて居心地が悪いのもあった。たまにいる男といえば、彼女に付き合わされているか、占い呪いマニアっぽく衣装からちょっと違うと思わせるタイプ、あとは関係者かも知れないスーツ姿、そんな感じだ。
もう帰る、と言いたくなるのを我慢して、とりあえず今日の目的は鬼さまの正体なのだから、と自分に言い聞かせる。
と、大きなドラのような音がした。
続いて中華のような雅楽のような不思議な楽曲が、じわじわと音量を上げながら迫ってきた。
重低音は足元からも直に響いてくる。
リズムが速くなってくるに従って、周りの客は待ちきれないと言いたげに手拍子を始めた。
はやく、はやく、と急かすように。
異様な熱気に、和泉の不安と緊張も増していく。
無意識のうちに呼吸も速くなり、足元からの重低音に心臓もばくばくしている気がした。
ヤバい、なんだこれ、ロックだののコンサートだのライブだのじゃなくて、これ、まるで新興宗教かなにかみてぇじゃん……。
とんでもないところに来ちまったんじゃあ……と酒寄に困惑の視線を向けかけたその時。
たんっ、たたんっ。
ひときわ大きな音がして、客席はぴたりと手拍子を止め、静まりかえった。
和泉もびくっと肩を揺らして固まった。
「レデイース、あぁんど……ジェントルマンもいるかぁ~? ライブだけれども、いつものようにお願いはスマホからチャンネルの方へプリーズだぁ~。それじゃ、はじめよっかぁ~っ」
マイクを通して聞こえるのは、確かに山で聞いた、そして動画でも耳にした、鬼さまの声だった。
一斉に黄色い声を飛ばす女性客たち。
その声に応えてステージに現れたのは、黒尽くめの衣装に身を包んだ鬼さまだった。




