4.
夏休み。
学生時代でいちばん楽しみな行事と言っても過言ではない。
今年の夏は猛暑でも冷夏でもない、普通の夏になりそうだと、どこの長期天気予報でも言われていた。
島井と木山は、背中にリュックを背負って待ち合わせ場所にやってきた。
中味は、着替えの他にはお菓子類ばかりだ。食べ物は現地にあって、バーベキューの用意も調っているらしい。
「いずみん、遅いな。遅刻とかしない方なんだけど……」
「あいつ、少し気乗りしない感じだったが、大丈夫なのか?……というか、お前いつも神沢のコト、いずみんって呼ぶけど、そういう仲か?」
「へ? 子どもん時からだから、変える方が気恥ずかしいっつーか」
「ふむふむ。今度、オレも使ってみよう」
「どやされるぞ~……にしても、来ないな~」
そんな会話が繰り広げられているとは知らずに、和泉は神社に寄っていた。
「おやまぁ、そんな、見えるようになったきっかけの場所に行くんですかぁ?」
いつものように拝殿前の石段に腰掛けていた酒寄は不思議そうに首を揺らした。
「で、念の為にってぇか、追加のお札が欲しいなぁって」
「もう全部、使われてしまったんですかぁ?」
「いや、小分けにしてあちこちに入れて持ち歩くんだけどさ、いつの間にか勝手に焦げてたりするんだよ。そもそも、使うもなにも、使い方、よくわかってねぇし」
なんだか心配だという酒寄は、懐から式神の札を取り出した。ちゃんと人の形に切り抜いてある。別に人の形にしなくてもいいのだろうが、気持ちの問題だと笑っていた。
拝殿へと入り、いらっしゃいなと手招きする。
「ホントはちょいとヤぁなんですけどねぇ~」
ちょいとと言う割にはずいぶんイヤそうに、式神の札を床に置いて、その前に跪いた。
そして、小刀のような刃物を帯の間から取り出すと、小さく指を傷つけて、札にわずかの血を吸わせた。
「おかしいですよねぇ~、痛いんですから~」
「……っあ、いや、なんか、だいじょうぶか?」
何をするんだろうと見守っていた和泉は、自分が指を切ったように顔を顰めている。
酒寄はひらひらと手で振って乾かすと、はい、と渡した。
「これをですねぇ、口元に添えて、急急如律令~って命令してくれるといいですぅ」
「……これ、は?」
「あたしを呼び出せますよぅ~。ホントのホントに困ったら、使ってみてくださいねぇ~……まぁ、絶対失敗やミスがないとは言い切れないんですけどぉ~」
「酒寄……本人をか?」
「あたしのコピーですけどねぇ~、ちっこい子よりも使えると思いますよぅ」
あっさりとある意味すごいコトを言う酒寄に、和泉は真面目に頭を下げた。
だが。
「あたしが元に戻れたら、持ち運びは便利なんでしょうねぇ~」
「……元に、戻れたら……こないだも言ってたけど、戻れないの、なんで戻れねぇんだ?」
「それがですねぇ。もう術をかけた本人はいないんですけどねぇ。どうも、他に誰かがいた気がするんですねぇ。もしかしたら、和泉くんといると思い出しやすいんですかねぇ~」
のんびり口調の酒寄につられてのんびりしかけていた和泉は、はっと時間をスマホで確認した。余裕がなくなっている。いくら急いでるからって、駅の傍のあの魔の分離帯を越える気はない。
「やべぇ、時間がねぇや。ごめん、帰ってきたら、ゆっくり話そうぜ。あ、札と式神さん、ありがとなっ。使わずに済むのを祈っててくれっ」
「はぁい、気をつけていってらっしゃいですよぅ~」
和泉は、多めの札と式神を、あらかじめ用意していた防水ケースに入れて首から下げると、後ろ手に手を振って走り出した。
そして、駅で合流した三人は大急ぎでホームに走り、ぎりぎりで電車に駆け込むハメになった。これを逃したら、乗り換えなどの時間が倍はかかってしまうのだ。かろうじて間に合いはしたが、ふたりは和泉に、帰ったら学校前のお好み焼きを奢る、と誓わせたのだった。
がたごと、電車に揺られること一時間、鈍行ローカル線に乗り換えて一時間、そこからバスで十分。自動車だったら高速道路を使って一時間半程度で直接キャンプ場に着いている。
しかし、免許もない高校生三人が、待ち時間込みで三時間ほどかけて目的地に辿り着いた時は、日中のいちばん暑い盛りだった。
電車が出た頃は、ややどんよりとしていた天気も、現地に着く頃には青空が広がり始めて否が応でも気持ちが高揚する。
山は山だが、人里離れたというほどでもなく、そこそこ観光地化されていた。キャンプ場は流行りのグランピングというもので、設備はほとんど揃っているようだ。
いくつかの大型テントとログハウスが点在して、近くには沢もあった。浅瀬で冷たい流れに入ることもでき、避暑地感もたっぷりである。テント宿泊者向けに管理施設ではシャワーを借りることもできるとあって、家族連れの姿も少なくない。
「小さい頃のイメージと全然違うじゃん」
島井は楽しそうに見回す。木山は早速スマートフォンで写真を撮り始めた。
ふっふっふ~っと、なぜか不敵に笑いながら、即座にどこかにアップロードしている。
和泉が覗き込むとささっと隠すが、すぐにまた撮影を始める。どうやらリア充アピールしているらしい。
「これならなんにも見えないんじゃないか?」
あまりに爽やかで、出るとしたら幽霊よりもイノシシとかじゃないかという雰囲気に、島井は和泉を突いて囁いた。確かに札も静かだし、おかしなものもいるにはいるが、意識するほどではない。
「なんにも、でもねぇけど、今んとこは楽しめそうな気がするな」
「気晴らしになるといいなあ。最近の和泉、ヤバかったし」
え?と和泉は怪訝な視線を向ける。島井は何でもなさそうに、うんうん、と頷いた。
「すっごくコワい顔つきでさあ。事情を知らないヤツとか、たまに引いてたよ」
「え? ええっ? オレ、そんなにおかしかった? 表にダダ漏れだった?」
「おう、ダダ漏れ。なんていうか、いつも剥き出しの刀みたいなぴりぴりしたヤバいオーラ出てたよ……なあ、木山」
急に話を振られた木山は、撮影の手を止めて振り返った。
「ヤバいっていうか、人でも殺したか?みたいな感じはしていたな」
きりきりと和泉の中の何かが締め付けられた。
周りに気を遣わせていたのか。こいつら、気遣ってオレを連れ出そうとしてくれたのか。島井も、わかっているから解決しようと考えてくれて、場所を決めてくれたのか。
目頭が熱くなるのをごまかすようにタオルで汗を拭き、うしっ、と気合いを入れた。
「とりあえずさ、泊まるとこチェックして荷物置いたら泳がねぇ?」
「賛成っ」
「悪くないアイデアだな」
三人は子どものようにはしゃぎながら、泊まる予定の大型テントへとダッシュした。
ざわざわ。
神社を囲む雑木林が、激しい風に怒り狂っているように騒いでいた。
酒寄は社務所でそのざわめきを聞きながら、こりゃ夜には嵐でもきますかねぇ、と呟く。
どこから酒を調達しているのか、ありふれたガラスのコップに日本酒を注ぎ、それをちびりちびりと舐めるように飲む。
酒寄は紙……式神なので、寝なくても問題はなさそうなのに、どういうわけか食べ物以外はまったくの人間だった。
本当に人間になっているのだと認識したのはいつだっただろう。
ぼんやりと考えながら、空になったコップを置いて畳に直接横たわる。
うつらうつらと、見るはずもない夢を見るようになったのは、和泉と出会ってからであった。
───お前に呪いを掛けてやろう───
───いつか、奴の子孫に出会ったら、呪いは解けようぞ───
───それまで人間として暮らすがよい───
───何年でも、何十年でも、何百年でも、生き続けて、子孫を───
ぱち、と機械のようにいきなり目が覚める。
周りはすっかり暗くなっていた。
はてさて……聞こえてくる声の言葉が増えてきましたねぇ……。
あたしのような半端もんが探すのは大変そうですよぅ……。
ああ、だから、和泉くんと出会ったのですかねぇ……。
「そういえば、和泉くんはとちらの方へ行かれたんでしたっけ。どこかの山だと言ってましたよねぇ」
ちくり。
胸のどこかが痛んだような気がした。




