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「仕方ないさ、衝撃すぎて受け止めきれなかったんだよ。最初は俺もひっくり返ったもん」と嵐星。
春兄自身も美波さんの申し出に驚き、からかわれているのだと思ったけどそれは違った。
『春星君驚いてる、不愉快にさせちゃった?』
「驚いたけど不愉快とは思わないよ。美波さん真剣なんだね」
『そうよ。だって例えばね、一人でエッチな気分になった時にお供として選べるものが男性には沢山あるけど女性にはなかなかないもの』
「そうか。でも僕をいいって思ったのは美波さんだからで、他の人も喜ぶような物が作れるかは別じゃないかなあ」
率直な美波さんに春兄も飾らず真面目に考えて答え、再会デートは性生活についての意見交換会になってしまった。
結局その後暫く美波さんに会っては考えた末に春兄は彼女に協力すると決めた。
「彼女が本気だとわかったし真剣さに打たれたのは確かだよ。でもつまるところ僕がセックス好きで好奇心があって冒険したい気持ちが勝ってしまったんだよ」
そうして春兄はAVの出演者を目指し歩き始めた。実際の撮影現場の見学にも行った。
何人ものスタッフに囲まれる中で作品の流れや見せ場を意識して自分をさらけ出す。
それは想像していた以上に過酷で体力と周りへの気遣い、そしてメンタルの強さが必要な仕事だとわかった。それに有名男優でもなければ出演料も微々たるもの。
その上でいよいよ自分が作品に出演すると心を決めた春兄は、勤めていた職場に辞表を出した。
「その頃嵐星と暮らしてたけど、打ち明けたのは心を決めて辞表出した後だったよね」と春兄は嵐星に向かって言った。
「だったな。俺は全然気づかなかった。春兄が悩んでたことも仕事辞めるって決めた事も。でも学生の俺に余計な心配させたくなかったからだろ」
「父さんが言うように、学生の本分たる学業に集中して欲しいし出来る限り巻き込みたくなかったからね」
学生の本分たる学業、この言葉は父がよく口にする言葉だった。
その名前の様にいつもふうわりと優しい空気を纏ってる春兄が人生の一大事を一人で悩んで一人で決めた。
せっかく就いた仕事を投げうち、どう転ぶかしれない別の道に足を踏み入れた。
「ねえ春兄、この仕事始めた時にもう美波さんと付き合ってたの?」
「いや、その頃はセフレでちゃんと付き合ってはいなかった。彼女は仕事のアイデアに夢中で僕の協力を取り付けたんだから必ず成功させてみせるって言ってたよ」
セフレで同時に仕事仲間だったの?ああカオスだ。
「でも付き合うようになったんでしょう。私は仕事だとしても好きな人が他の人と沢山エッチするなんて絶対嫌。考えられないよ」
「そうだね、愛夏の気持ちはわかるよ。でも僕たちの間ではそれとこれとは別の話なんだよ。僕は美波さんが大好きだし結婚は彼女としか考えられない」
「うわー、春兄も美波さんも不思議すぎる!」
「俺も」と嵐星。
「ただ僕は結婚するなら彼女へのけじめとして男優を引退しようと思ったんだ」
「うん、私ならそうして欲しいな。結婚て言うなら」そう言った私の隣で嵐星がうなづく。
「普通そう思うよね。でも美波さんはもう少し続けたらって言う」
「えー!ますますわかんないよー」
「一緒に創り上げた相模春のファンだし、きっと今とは違う魅力が出るって」
「じゃあ子供が欲しいって思ったら?」
「彼女は八つ年上で結婚するなら子供は早く欲しいって言う。僕もなんだ」
「そうなの」
「でもそれなら余計に引退した方がいいよな。子供に仕事の事はなんて話すの?」嵐星が尋ねた。
「同じ事を僕も彼女にきいたさ」
「そうしたら?」
「『大人向けのエンタテインメントのお仕事よ』だって。そこはまだ彼女と折り合ってないんだ。僕らは下着や雑貨を扱う会社もやっていて、今後僕はそちらをメインにと思ってるけれどね」
「私はそれがいいと思うな。それならきっと父さん達にもわかってもらえるよ。仲直りして孫の顔だって見せられるし、ね嵐星」
「俺もそう思う。父さんは頑固だからまずは母さんと話せばいいんじゃない?春兄は長男だし結婚は喜んでくれるさ」
年末に実家で集合して小さな甥っ子や姪っ子と遊ぶ、ほのぼのしたお正月を思い描く。
「そう簡単にいかないのは覚悟してるよ。今はアダルト動画は個人でダウンロードして見ることができるし、僕はデジタルタトゥを背負ってるわけだからね」
デジタルタトゥって言葉を聞くと気が重くなる。
春兄の仕事はほぼ永久に消えない刻印となって二次元の世界に存在している。
それをどう扱うのか。悪意を持って突きつけられたりしたら家族をどう守るの。
「春兄、父さんは来年定年だろう。それから話す方がいいと俺は思う」
「そうだね。また父さんが会ってくれるなら、そうするつもりだよ」
「私は美波さんに会ってみたいな。どんな人、今回一緒には来てないの?」
こんなにも春兄の人生を変えちゃった大胆で不思議な女性。
「他の仕事の兼ね合いで来られなかった。でも愛夏が会いたがってたって話すね。きっと喜ぶよ」
春兄は真顔からぱあっと明るい笑顔になった。
ちなみに今回開かれたAV男優相模春のファンミーティングは二十歳以上の女性限定で、サイン会もあって握手やハグもオーケーだって。
それに相模春には女性だけじゃなく男性ファンもいるんだって。
「ああすっかり遅くなっちゃったね、長くなってごめん。僕はそろそろホテルに帰るよ。イベントがもう一日あるしね」
もう夜も更けていて、帰り際の春兄と私はチャットのIDを交換した。
「こっちに遊びにおいで。愛夏の行きたいところがあれば案内するよ」
「うん、会いに行くね。嵐星も一緒に行こうよ、ね」見送りに立った私は隣の嵐星を見上げて言った。
「なんだお前、一人で行けないの?」
「迷子になりそうだもん。一緒に来てよ、いいでしょう?」と腕にしがみつく。
「めんどくさい奴だなあ、まあいいけど」
「やった!嬉しい」
その様子を見た春兄が言った。
「愛夏は昔から嵐星が大好きだなぁ、変わんないね。小さい頃は嵐星のお嫁さんになるって言ってたっけ」
「わあ、春兄覚えてるんだね」
「覚えてるさ。愛夏にしてみたら僕は十も年上だし、兄よりおじさんに近い存在だったんだろうな。可愛い妹なのに嵐星の後ばかり追いかけるから僕はちょっと寂しかったよ」
「そうなの?私は春兄だって大好きだよ」
本当に春兄が大好き。
でも私の一番大好きな人は変わらない。
いつだって私の一番は嵐星で、それは今まで誰が現れても変わっていないのだった。