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部屋に戻った私たち兄妹はリビングのローテーブルを囲んで床に座り、嵐星が淹れてくれたコーヒーの香りが辺りに漂っている。
お店で話せない事って一体何なの?
ずっとその疑問が私の頭を占めていた。
「さてと、じゃあ愛夏に僕の空白の六年間の事を話すよ」と春兄が言った。
「全部?」と嵐星。
「そのつもり。愛夏だってもう十九なんだから、きっと愛夏なりに考えるよ。その上で僕のことをどう思うか、だよね。それでいいと思ってる」
「わかった」
「じゃあ話すよ。愛夏、僕は今につながるこの仕事を選んだせいで父さんや母さんを傷つけたし、そのせいで絶縁状態になった。でも今もその事を後悔はしていないんだ」
「春兄は仕事のせいで勘当になったの?」
「仕事と言うか、僕の生き方のせいって言えばいいのかな。今日この街に来たのも仕事絡みのトークイベントに出るためなんだ。愛夏、AVってわかる?僕はね、これまで女の人向けのアダルトビデオに出演して来たんだ、男優として。アダルトビデオはわかる?」
「え、アダルトってあの、……エッチな内容のって事?」
「そうだよ。でも男性向けのじゃなくて女性が見て楽しめるように作られたものなんだ」
「女の人が見るの?それに春兄が……」
頭が真っ白になる。
「出演してるって事は、そういうことをしてる春兄の姿が世の中に出回っているの、例えばレンタルとかでも?」
「そうだよ」春兄は穏やかに答えてマグカップのコーヒーを飲んだ。
「嵐星が淹れたコーヒー。久々だな、美味しいよ」
落ち着いた様子の春兄と対象的に私はドキドキして掌が汗ばんできた。
「あの、春兄それってたくさん出たの?でも本名じゃないんだよね、芸名とかあるの」
「うーん数的には何本だったかなぁ、まあ三桁だけど。本名ではなくて芸名での活動だよ。相模春って言うんだ」
「どうしてそんな、……意味わかんない。春兄がそんな事してたなんて私怖いよ、……沢山の人と。ねえどうして、なんでそんな事しているの?誰かに誘われて始めたの?まさかお金とかでトラブって、やれって言われたとか」
サガミハル、という名で春兄がAV出演を仕事にしていた。
人懐こい笑顔が素敵で声が良くて清潔感があって、大好きな春兄が。
私は顔を上げられず、さっきから春兄の顔を正面から見られない。
「いや違うよ、トラブルでも誰かに強要されて始めた事でもない。スカウトは受けたけど。ねえ愛夏、ショックなんだろう。もうこれ以上聞きたくなければ、この話はやめにして僕は帰るよ。父さん達のように愛夏が嫌ならもうこの先会うこともしないよ、どうしたい?」
春兄は全く変わらない調子でそう言った。
「愛夏大丈夫か、どうする?」
傍でずっと黙っていた嵐星が問いかけてきて、顔を上げると私を見つめる真剣な表情があった。
その顔を見た時はっとした。
そうか、そういうこと?
「嵐星はこの事、ずっと前から知ってたの?」
彼はうなづいた。「ああ知ってた」
「あの時も、六年前春兄が父さん母さんに叱られてたあの日も嵐星はもう知ってたの?」
「うん、でもお前にはまだ言わないって約束を春兄としてた。だからごめんて、……愛夏」
そう言って私の頭を撫でた。
嵐星は知ってて、あの日両親に激しく責められる春兄をどう思っていたんだろう。
春兄は当時同居していた嵐星を巻き込むまいとし、嵐星は私がショックを受けないよう巧みに争いの場から遠ざけたんだ。
だからあの日私が気持ちをぶつけた時に曖昧な答え方をしたんだ。
私がまだ中学生で思春期の子供だったから。
今私は十九歳だし、あの頃より少しは大人になった。
それにさっきご飯を食べていた時、春兄は結婚したいって言ってた。
頭が回り出して気持ちが少しずつ落ち着いていく。
私は一つ息をついて言った。
「春兄、こうして自分から私達の元に来てくれたのは将来の事を考えて家族に理解して欲しいからなんでしょう。なら私もっと聞きたいな。ちゃんと知りたい、春兄の考えてる事」
今度は真っ直ぐに私は春兄の顔を見られた。
さっきまで春兄は心配そうな、どこか寂しそうに見える表情を浮かべていた。けれど私の言葉を聞くと小さくうなづいた。
「ありがとう。話すよ、そして愛夏の知りたい事にもちゃんと答えるからね」
大学を卒業した春兄は、ごく普通のサラリーマンとしてS市内で働き始めた。
「僕は元々女の子が好きだし、女の子が喜んでくれるのが嬉しいんだ。だから大体彼女が居たんだけど、その頃はフリーだった。仕事帰りのある日に大人を気取ってあるバーで呑んでいたら、一人で来ていた女性が僕に声を掛けてきた」
「へえ、何て?」
「一人なら一緒に呑みませんかって」
「女の人から、それって逆ナン?」ドラマのワンシーンみたい、と思いながら聞いてみる。
「うん、綺麗で僕より年上ぽい落ち着いた感じの人でさ。呑み始めたら意外と話も盛り上がって楽しくて、結局その日彼女とセックスした」
「初対面なのに急展開だね」
「そうだね、でもさすがに僕も初対面の人とはあまりね。やっぱり気持ちの合う人とセックスしたいから」
「じゃあそれだけ気が合ったの?」
「そうなんだ。誘われて、お互い初めてと思えないくらい気持ちも体もぴったり合う人だった。また逢いたいって僕から言ってオッケーして貰った」
エッチから始まる付き合いかー。春兄、私なんかとは生きてる次元が違うよ。
ここまでだと、ギラギラ感は出てないのに春兄はモテる人と言うしかない。
私と嵐星はコーヒーを飲みながら春兄の話を聞いていた。
そうして次に春兄が彼女と逢った時に言われた。
『君って優しいね、それにセックスすごく好きでしょう?気持ちいいだけじゃなくて楽しかったもの』
「好きだよ。楽しかったの?初めての人にそう言われたら僕も嬉しいな」
『君となら大丈夫っていう安心感があって、笑ったりふざけあったりしながら気持ち良くなれる感じが最高だった。夢があって』
彼女はランジェリーデザイナーの仕事をしている、と言った。
『春星君になら私の夢を聴いてほしい。私ね、実はこれからしてみたい事があるの』
「僕に、それはどんな事?」
『女の子が観て楽しめるAVを作りたい、と私思ってるの』
春兄は驚いて彼女、早坂美波さんのキラキラする瞳を見返した。
「え、女性向けの?」
『そう。女の子が観たいAVがあってもいいでしょう?私ね、その為に力を貸してくれる人を少しずつ探してきたのよ』
「本当に?すごいなぁ美波さんは」
『それで春星君に相談なの。君をメインにした作品を撮りたいなあって思っちゃった。協力してくれない?』
きっかけはこんな展開だったそうだ。
「すごいねその人。春兄と付き合いたい、とかじゃなくてスカウトしてきたの?」
「そうなんだ」目を伏せた春兄はくすっと思い出し笑いした。
ここまでの話を聞いたせいなのか、そんな春兄の仕草とか話し方がやけに色っぽい気がする。
「愛夏、度胸あるな。結構落ち着いて聴いてるじゃん」と嵐星。
「だって……、もうここまで明け透けに話されたら何かが壊れちゃうよ」
「俺は最初聞いた時、ただ絶句だったな」
「愛夏に冷静に聴いてもらえてありがたいと思ってるよ。六年前に実家で父さん達に話した時はもうちょっとオブラートに包んだけど、この段階でもう父さんがブチ切れたからね」と春兄は言った。