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「嵐星、なんかシャンプーの匂い。お風呂入った?」
「ああ、サウナで会談したからな。チャリだからビールは惜しくもノンアルだったけど」
「サウナ行くことあるんだ。初めて聞いた」
「中田と前からたまに行ってるよ。会談してー、汗掻いてー水風呂入ってー、呑んで、また会談してだらけて……」
「なーんか嘘くさーい」
「妹、なぜそう絡む?オッさんのルーティーンがそんなに気掛かりなのか?」
「ふざけないでよ!」
まだ二十五になったばかりのくせに、超絶イケメンが自分をオッさんとか言う?
こんなカッコいいオッさんとか、本当のオッさんが聞いたら怒るよ!
私には嵐星を疑う理由があった。
前に朝の情報番組だったか、『私が夫の浮気に気づいた時』っていうのを見た。
そのキッカケとして挙がってたのが、まさにさっきの嵐星の言動。
なんか妙にテンション高い。
サバサバしてる。
そして口数が多い。
これだ!
加えて女の勘、的な何か。
夫の浮気とは違うけど。
「イラついてるなあ。もしやお前、血塗られた安息日か?」
「何それ?」
「前に伊勢が言ってた」
ある時、会社で伊勢さんが『お腹痛くて仕事になんない、帰る!』と言った。
「大丈夫か?医者に行けよ」って嵐星が言ったら、『うっさい!血塗られた安息日なんだよ!ほっとけ』って捨てゼリフを残して去った。
生理痛が辛かったらしい。
「違う、嵐星の馬鹿!」
「馬鹿とはなんだよ!」
ここで伊勢さんを持ち出すとは火に油だから。
「嘘くさーい!あー、なんか全てが嘘くさい」
「なあ愛夏。いつの間にか籠から消えたインコがいたとして、それを街中探し回るのだけが愛情か?」
「はあ?いきなり何の例えですか」
「窓と籠を開けておいて、パタパタと戻ってきたら『お帰り』って手に載せてチュってすれば、自分から籠に入るんだよ。わかるか?」
「わかんない、意味不明。あ、そうか。例え方がオッさんだからかも」
嵐星の詭弁に思わず憎まれ口を利いてしまう。
考えてみたらその例え、やっぱり浮気したみたいじゃん!
「お前うるさい。あー、マジ超めんどくせえ!」
嵐星は自分の頭をワシャワシャ搔きまわすと、急に私を抱き締めた。
「!……」
ドキドキして声が出ない。
「お前病んでるぞ。どうした、情緒不安定か?」
頭の上で声がして、耳を寄せた胸に響いてる。
「もうやだ!ウチのと違うシャンプーとか、この匂い大嫌い!」
でも私の腕は、体は勝手に伝わって来た温もりをギュッと抱き返してしまう。
強く、もっと強く。
ところが嵐星は鼻で笑った。
「ふん、お前さあ。言ってることとやってることが違くないか?」
悔しい。
「嵐星の意地悪!嘘つき!エッチ!」
急所の脇腹をつねってやった。
「痛ってえ!だが恐れながら、男からエッチを取ると約半世紀で世界が滅亡するだろうな」
「ほら絶対そう。エッチ!遊び人、嫌い!」
「ふん、なんとでも言え。俺が嫌いだ?嘘つきはどっちだよ、本当のこと言えよ、ほら」
懲りてない、どころか開き直って調子づいてる。
「嫌いだよっ!」
ドン、と胸を叩いてやった。
でも安心する、この腕の中にいると。
落ち着いてくる、こうされてると。
責めたい気持ちが溶けそうになる。
嵐星、……嵐星。
嫉妬したり疑ったり、怒ったりするのは馬鹿げてるって思いそうになる。
「そうか嫌いか?上等、もっと来いよ」
その口調が妙に静かでハッとする。
あれ、腕が解かれない。
ずっと私を抱きしめたままだ。
「嫌い!嵐星なんか」
もう一度、顔を上げて彼の目を見て言った。
「面白れー。じゃあなんでくっついてる?お前おかしい。嫌いなら早く脱出したらどうなんだ。ああ?」
でもそうやって煽ってくる嵐星の顔が、どこか優しく見えた。
散々私に「嫌い」って言わせておいて。
どうして優しいの?
嫌いなんて嘘、全部嘘だよ。
本当に言いたいのは別の言葉。
いつだって嵐星だけ見てたの。
嵐星が好き。
こんな事、他の誰にも言ったことない。
した事もない。
じゃれてなじって、くっついて安心したい。
私、嵐星じゃなきゃダメなの!
言えない言葉がひたひたと心に溢れて、押し寄せて、もう無理。
私、もう限界だよ。
「もういい。嵐星、……お帰り」
抱きついたまま彼を見上げて、背伸びした。
「あっ」
小さく声をあげた嵐星。
私を抱きしめていた腕が解け、体が離れた。
左の頬に。
私、嵐星にキスしてしまった。
「愛夏、俺は脱走インコじゃないぞ」
右手の甲を左頬に当て目を伏せた嵐星。
「わかってる」
「ブスが感染るからシャワー入る」
嵐星は自分の部屋に入ると、着替えを抱えて風呂場に消えた。
どうしよう、でも今さら遅い。
このまま避けられてしまうかも。
もう抱き締めてくれないかも。
悲しくなる。
でも、いつかこうしてしまう気がしてた。
それに頬にキスなら私もされてる、埼玉で。
あれを勝手に封印しておいて、嵐星。
ブスが感染るなら、もうとっくに感染ってるって!