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嵐星じゃなきゃダメなの!  作者: 秋月小夜
10/25

10

『節目の誕生日だもの、父さんとそっちに行くからお祝いしましょう』

 母さんが電話で言った。


 七月で私は二十歳になり、そのお祝いに今日は田舎から出てきた両親と嵐星と外でお寿司を食べている。

「早いもんだなあ。我が家もついに末っ子が二十歳か」と相好を崩す父さん。

「ここまで育てて貰って感謝してます。父さんも母さんもありがとう」私も素直に答える。

「愛夏が元気に育ってくれて何より。今度帰ってきた時、振り袖着て写真だね。前撮り頼んであるからね」と母さん。


「嵐星は仕事の方どうだ?最近は忙しいのか」と父さんに聞かれた嵐星は最近忙しくて深夜帰宅が続いていた。

「立て込んでたけど、まあ山越えたとこ」ちょっとテンション低めの様子。


 しばらくぶりに家族でご飯を食べてとても嬉しい。でもそこにチクチク違和感のトゲが刺さってる。


 お互いの近況を話すのに春兄の話題だけは会話に上らない。

 六年前に春兄が家を出た時からだ。

 たとえ五人揃って会えなくても近況を知って話題に乗せたら繋がりを感じられるのに、それすらない。


 中学生だった当時は春兄が余程父を怒らせることをしでかしたせいで、その一件にはノータッチという空気に流されていた。

 時が経っても私たちの上に、その湿った重い空気は停滞し続けた。


 でもやっと春兄に会えて何があったか知った今は、もうそこから抜け出したい。

 春兄のことを否定して家族写真から切り取るみたいにしているのは嫌。


 長く君臨してきた暗黙の了解をついに破って私は言った。

「みんなにお祝いしてもらえて私、嬉しい。これで春兄も一緒だと良かったのになあ」

 そしてチラッと両親の方に目を走らせる。


 父さんは何も聞かなかったように黙ってお茶をすする。でも箸を止めた母さんがぽろりと言った。

「そうねえ、春星はどうしているかねえ」

 やっぱり母さんも。垂れ込めた黒雲に切れ目ができて光が差す。


 母さん、春兄は元気だよ。

 結婚を考えてる彼女だって居るんだよ。


 思わずそう言いかけて咄嗟に隣に座る嵐星の顔を見たら目が合った。


 愛夏、待て。stay!


 こちらを見つめた嵐星の目がそう言って、彼は口を開いた。

「春兄は元気だよ」

「え?」と母さん。

「会ったのか」途端に父さんの表情が険しくなった。


「少し前に会ったよ、愛夏も。春兄は仕事でS市に来たんだ」

「仕事だと?アイツまだ同じ生活を続けてるのか。それに嵐星、お前アイツを愛夏に会わせたのか!」

 父さんの声が少し大きくなった。

「もういいだろ、愛夏だって二十歳だ。十八歳未満お断りの話だってもう解禁だろう。愛夏が春兄に聞いて自分で考えることが大事だって俺は思ったんだ」

「愛夏、もしかして聞いたの?春星の……」困惑顔の母が探るように私を見る。


「仕事のこと?聞いたよ、私」

 そのやりとりを聞いた父さんの険しい顔が赤らんだ。

「嵐星!勝手な真似をして。嫁入り前の娘にできる話か?お前だけならまだしも愛夏とは会わせない。そう言ったはずだろう!」

「父さんちょっと、声が……ここではこれ以上は」と母さんがたしなめる。

 和やかな食事会は一転し私たちは無言で店を後にした。


 街中のホテルに一泊する予定だった両親は嵐星と私が暮らす部屋に来た。

「ここも春星と嵐星が暮らしていた頃からだから長いね。綺麗にしてるじゃないの」と懐かしそうに母さんは部屋を見渡し、父さんはリビングの床に胡座をかいた。

 嵐星は黙ってみんなにコーヒーを淹れている。


 店からずっと表情が硬いし喋らない。

 実のところ嵐星と父さんは気性が似てると思う。

 どっちも一本気なところがあって譲れないし、こういう緊迫気味の時の表情とか似てる。


 私は父さんに尋ねた。

「父さん、春兄は家に戻れないだけじゃなくて私とは会わせないって決められていたの?そのせいで私、六年も春兄と会えなかったの?」

「当たり前だ。お前も聞いたならわかったろう。女を食い物にするような真似が仕事と言えるか?いかがわしい!」

「女を食い物に?最初は私もびっくりしたけどそれはひどいよ。それに私、訳もわからず春兄と音信不通だった頃の方が辛かったし心配してた」

「お前、うまく言いくるめられているんじゃないのか?それにこの時代、興味本位でアイツの素性を探る輩がいないとは言えない。その結果家族が傷つくことになったらどうする?お前にどうこう言われる筋合いはない」

「言いくるめてなんか!仕事の大変なことも聞いたよ。でも時間を置いて春兄と話してくれても良かったじゃない。嵐星だって私に隠し続けるのは辛かったと思う!」


 私に内緒で春兄と密かに連絡を取っていたことを『黙っててごめんな』と済まなそうに言った嵐星。


 でも父さんは言った。

「私はアイツのしている事を仕事と認めてはいない!」

 母さんがハンカチで目元を押さえた。

「母さん、私色々考えたけど春兄が後ろめたい事してるとは思えなかった。人と違ったことではあるけど一生懸命仕事してるって思ったよ」

「でも愛夏、私たちにしてみれば春星は長男で、ちゃんと大学までやって勤め人になって、やれやれと思った矢先の事だったんだよ」と母さん。


 これまでヤンチャしたこともなく穏やかで家族にも優しい春兄だった。

 だからこそ母さんがどれほど衝撃を受けたかは理解できる。


「春兄は父さんたちの期待を裏切ったんだよね。せっかく就いた仕事を辞めちゃって。でもやっぱりそれだけ真剣なんだよ」

「愛夏、春星を庇う気持ちはわかるが、これ以上若い娘が破廉恥な世界に首を突っ込むような真似だけはしないでくれ。だからお前には知って欲しくなかったんだ。嵐星、今後もうアイツを近づけるな!」


 父さん、ちっとも聞いてくれない。変わらない、噛み合わない。

 春兄はいかがわしいとか破廉恥とか言われて嵐星は悪者扱い。

 話せば話すほど空回りで悲しくなる。


「父さんのイメージするものを変える何かを春兄は作りたかったんだと思う。自分がその世界に飛び込んで、体張って新しいものを作って来たんだと俺は思う。俺はもう世間体やら何やで春兄を遠ざけたくない」

 そう言った嵐星に母さんが反論した。

「嵐星!世間体やらって、お前はそれでよくたって父さんには立場があるでしょう!私たちの地元は世間の狭い田舎町なんだから」

「もういい、よしなさい」父さんが手を伸ばして母さんを止める。


「父さんは私がショック受けると思って春兄を遠ざけたんでしょう?学校のお勤めもあるし。でも少なくとも私は大丈夫。ただ人に傷つけられたりしない。偏見で私を遠ざける人には私も近づかない。だから春兄を許してあげてくれない?春兄はちゃんと生きてるもの」

 父さんは腕組みして黙っていたけど、私がそう言った時少しだけ困り顔になった気がした。


 もしも、少しでも父さんの気持ちが動いてくれたら。

 美波さんとの結婚について希望と憧れ、それに羞らいを見せて話す春兄は素敵だった。

 嵐星曰く「エロに真剣」の仕事をずっとしてきた人がだよ。

 いっそのこと春兄が結婚を考えてる事を今話してしまえれば……。


 結論は出ないまま両親はタクシーを呼んでホテルに引き上げた。


 両親を見送りがてらコンビニで買った棒付きアイスを食べながら嵐星に尋ねる。

「私が春兄を許してって言った時の父さんの顔見た?」

「ああ。なんか微妙な顔してたな」

「もしかしたらチャンスって気がしない?母さんは父さんを立ててるからきっと父さん次第だと思う」

「どうかなあ。父さん頑固だし立場もあるしさ」

「私は今日ので春兄を許すハードルは下がった気がするけどな」

「俺はわからん。だといいけどな。でもお前、結構言ったな父さんに」

「私、春兄のこと認めてるもん。結婚式見たいし皆んなに祝福されて幸せになってほしいよ」

「愛夏、お前が妹でよかったよ」


 頭に彼の手が伸びてポンポンされた。

 小さな食卓テーブルの向こうでアイスの棒を咥えてる嵐星と目が合う。


「なんで?」

「だって父さんが心配したみたいに、春兄の仕事の話聞いて怖いとか、ありえないとか思ってもちっとも不思議じゃない。もう会いたくないとか言われることだって俺と春兄は想定したから」

「そうだったの」

「ああ。女の子だし、お前春兄の事大好きだしさ」

「大好きだなぁ、春兄」

「お前が理解者なのは心強い。ただ一つ引っかかるのはさ、本当にわかって言ってんのかってとこだけど」

「なにを?」

「だってお前これまで一度も男いた事ないだろ?寄ってきても断っててさ」


 経験値ゼロってこと?だってそれは。

 嵐星がそばにいたらそれでいい、二人で暮らしてる今が幸せだから。


「だって私彼氏欲しいと思わないんだもん。楽しい人と友達でいられたらいいの。嵐星が居るし」

「俺?」

「うん。ダメ?嵐星大好き。今日父さんと春兄のこと話してた時、カッコよかったよ」そう言ったのに。

「俺とじゃ何の練習にもならん。今後のために実戦を積め」

「彼氏要らないって言ってるのに、実戦とか言わないで。そんなこと言って、この間は慎二君を威嚇したくせに!」

「めんどくさいなあ、ただお前の中の謎のハードル下げろってこと。それにお前のことが本気で好きって奴なら、あの程度の威嚇に負けるわけないだろう」

「ハードルなんて……」


 それなら嵐星以上にも以下にもなりようがない。


「そうだ愛夏。ボーナス出たし誕生日の何か買ってやる。欲しいものあるか?」

「え、急に何?埼玉も行くのに」

 なんか誤魔化された気もするけど。


「それは春兄が援助してくれるって。だからお礼言えよ」

「はい、そうします。うわあ嬉しい。どうしようかな」


 春兄も嵐星も優しい。こんな兄たちで私はなんと幸せなんだろう。

 それなのに、誰にも秘密の欲張りな別の私が言う。


 もし手に入るものならただ一つ、「嵐星が彼氏」っていう人生がほしい。

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