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「さて、今日は県内全域でよく晴れてお出かけ日和。紫外線が強めの一日になりそうです。日焼け対策が必要ですね」
元号が平成から令和になった五月半ばの土曜日。
テレビの情報番組ではエンディング前の天気予報が流れてる。
今日は嵐星と一緒に買い物して、それから二人して気になってたスイーツのお店に行くつもり。
けれどまだ彼が起きだす気配はない。
昨日の夕方に彼から電話があった。
「嵐星どうしたの?」
「愛夏、ちょっと仕事がトラブって今日中に帰れないかも。だから晩飯はいいから。戸締りちゃんとしてお前は先に寝てろよな」
「えー、そうなの。せっかく夕ご飯ハヤシライスにしようと思ってたのに」
「ハヤシライス?それは食いたいなあ。じゃあとっておいてよ。明日絶対食べるからさ」
実家の母直伝のトマトを入れた真っ赤なハヤシライスは嵐星の大好物、なのに今夜彼は残業になってしまった。
「いいよ。でも嵐星、明日のお出掛けは無理?」
「無理じゃないさ。明日はちゃんと休めるし、お前は心配すんな」
「本当?ありがとう。じゃあお仕事頑張ってね。帰り気をつけて」
私、片山愛夏は東北の地方都市S市の大学二年生。
進学を機にここよりもっと田舎にある実家を離れて、五歳年上の次兄でサラリーマンの片山嵐星と一緒に暮らしている。
嵐星はオンラインゲームを手がける会社のエンジニアで、彼の会社が最近手掛けたスマホ用ゲームアプリは目下人気が急上昇中。
会社にとっては一大チャンスだけど、そうなるとユーザーを惹きつけ飽きさせない為の工夫も絶えず必要になる。
ゲームキャラクターの性能を向上させたり新しいキャラを投入したり、ゲーム内イベント向けのアップデートが繰り返され、担当チームに居る嵐星は最近すごく忙しくてゴールデンウィーク中も出勤していた。
そんなわけで彼が家に帰ってきたのは日付を跨いだ今日、土曜の深夜。
帰宅には気付かなかったから、戻ったのは私が眠った後だったんだろう。
けれど今日こそは大好きな嵐星と出掛けて楽しく過ごしたい。
ずっと楽しみにしていた約束、それに外はいいお天気だしもう待てないよ。
冷たい麦茶のグラスを置いて立ち上がると私は嵐星の部屋のドアをそっとノックした。
そして中の気配を伺う。
けれど気を遣った控えめなノックに返事はない。
はい、じゃあもう突入ね!
ドアを開け部屋に入ると遮光重視の濃いブルーのカーテンが閉じられた薄暗い部屋のベッドで、嵐星が眠っていた。
毛布の端から長い指をした綺麗な右手が覗いて、寝顔は半分隠れてる。
私は物心ついた時から、いや、物心つく前からこの兄が大好きで、大きくなったら嵐星のお嫁さんになると決めていた。
重症のブラコン?そんなことわかってる。でも理屈抜きに大好きなんだから仕方がないもの。
ベッドの側に近づいてツーっと毛布を引き下げたけど、彼はスヤスヤ眠っている。
もともとインドア派で紫外線嫌いの嵐星は色白で、ゲーム好きで寝るのが遅いくせに肌は綺麗。
ツーブロックにした黒髪が乱れて額にかかり、ちょっと鋭い切れ長の瞳と羨ましいくらい長い睫毛。
飽くことなくずっと眺めていられる。嵐星の顔って……やっぱり好き。
そう思いながら私は安らかに寝息を立てる彼の頬を指先で軽くつついた。
「おはよ。ねえ、もう起きてよ嵐星」
「ん、うう……」
一瞬顔をしかめ軽く唸ったけど、まだ彼の目は開かない。
あーんもう、起きてくれない。
思い出すのは去年の夏、嵐星と街を歩いていて友達グループと出くわした時のことだった。
「愛夏じゃない。ねえ、そちらは?」
私と嵐星は、たちまち私の大学の同じ学部の女友達に取り巻かれた。
「うちの下の兄で嵐星って言うの」
その日は晴れていて嵐星はサングラスを掛けていた。
「えー、お兄さんなの?」
「私絶対彼氏だと思っちゃった」
「ランセイさんて、どういう字を書くんですか?」
ヒューっと上がる打ち上げ花火のように友達のテンションが高くなる。
「初めまして、いつも愛夏がお世話になってます。ランセイは嵐って字に星、と書くんです」
掛けていたサングラスを外して嵐星が答えると友達の視線が彼に集中する。
「わあ、素敵なお名前ですね」
「ねえ本当に愛夏のお兄さん?」
「嵐星君って超イケメン、やばいよ」友達の一人がそっと私の耳に口を寄せ小声で囁く。
そうでしょう?その通りだし私も同感、そう言いたいけど。
「そんなことないよ」と、あくまでも謙遜して私は答える。
「あんな人と同居とか、私だったら普通に呼吸すらできそうにない」
「いやいやそんな、兄だし普通のサラリーマンだし……」控えめに慎重に答える。
けど、かっこいい嵐星は私の自慢だし、昔から嵐星と居るといつもそんな感じに周りの女の子達はざわついた。
そうだ。
横に並んで寝顔を自撮りして友達限定のフォトブログに載せちゃおうかな。
『嵐星が起きない』って。
ベッドの横に膝をつきスマホを手に嵐星の寝顔に顔を寄せて、二人でうまく写真に収まりそうな角度を探す。いまいち部屋が暗いなあ。
起きない人の寝顔泥棒しちゃうよ、はい撮りまーす。
カシャ!
「ああ?何してんの、お前……」
しまった。
シャッター音が響いた途端、パチっと目を開けた嵐星がスマホを持つ私の手を掴んだ。
「だって呼んだのに起きないんだもん、だから寝顔写真貰った。嵐星、早く起きてご飯食べよ。それからお出掛けしようよ。約束でしょ」
「そうだ。ごめん、今何時?」
私のスマホを眺めて時間を確かめると嵐生はむっくり起き上がった。
「俺、速攻でシャワー入って来る」
「じゃあ私オムハヤシ作ってあげる」
「いいの?昨日ろくなもん食ってないし腹減った。オムハヤシ最高」
笑顔の嵐星は私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
彼がシャワーに入ってる間に私はキッチンに立ち、バターで炒めたご飯でオムライスを作り、昨日のハヤシライスソースを掛けてオムハヤシにする。
実家暮らしの頃から料理は好きだし、嵐星は好き嫌いがなくて何でも喜んでくれるから作るのが楽しい。だから時々二人分のお弁当も作ってる。
嵐星って沢山食べる割に全然太らないんだよね、自転車通勤をしているせいなのかな。
洗面所からドライヤーを使う音がしてオムハヤシも仕上がった時、インターホンが鳴った。
誰だろう、宅配便かな。
急いで手を洗っていたらもう一度鳴った。
「ねえ今、鳴った?」
黒いTシャツを着た嵐星が廊下に顔を出した。
「うん。私が出てもいい?」
「待って、俺が出る」
ここはマンションで集合玄関フロアのドアはオートロックだけど、部屋のインターホンは画像が出なくて相手の姿がわからない。
不用心だから心当たりがなければ出るな、と私は嵐星に言われていた。
「はい。あ、そうだった。今開けるよ」インターホンに向かって嵐星が話す。
「誰?友達だったの?」
「いや、昨日夜に連絡来てたの忘れてた。春兄だよ」