その2 「柔軟店主から謎の箱を買う始末だよ」
午後七時。
疲れきった顔のサラリーマンとすれ違いながら家路に向かう。
辺りは居酒屋が多く「仕事終わりに一杯いかがですか?」と客引きに声を掛けられるものの、俺は無視して歩く。
一人飲みも悪くないだろう。もう大人の社会人なんだし経験しておいた方が良いかもしれない。
だが俺は方向音痴なのだ。酔っ払った状態で家に帰ることができると思うか? 答えは言わずとも簡単だ。だから俺はコンビニで酒を買ってから帰ることにする。
おつまみは何にしようかなとか、あの芸能人結婚したんだっけとか、割とどうでもいい考えを張り巡らせながら歩いていると、ある看板が目に入った。
『スマホ便利屋 より快適に使える品が勢揃い!』
スマホ……より快適に……!?
俺は立ち止まって、その看板に書かれた文字を見つめ続けた。
これは俺のためにあるような店なのではないか?
機械にはあまり詳しくないのでよく分からないが、スマホに取り付けることで性能がアップするような商品が世の中にはあるのだろう。
この安物ポンコツスマホが快適という夢へ近づける絶好のチャンスだ。
看板の売り文句にまんまと釣れた俺は期待を胸に狭い店内に足を踏み入れた。
◆
「いらっしゃい。仕事帰りかい?」
店主と思われる七十代くらいの白髪の男性に声を掛けられる。
「はい。……外に出ていた看板に惹かれて入ってみました」
「そうかそうか。いやぁ若ぇもんはみんなこのスマホっちゅうモンが大好きなんやなぁ」
頷きながら笑う爺さん店主に愛想笑いで返す。
売っている物こそ時代の最先端だが、店内はラジオの野球中継がBGMとして流れており、如何にも昔ながらの個人商店といった感じだ。
――時代に合わせて売る物を変えていく。変化の激しい昨今の現代社会で生き残るには当然の手法であるが、過去の実績に囚われて時代の波に埋もれてしまう事業者も多い。だがここの店主は柔軟な考えの持ち主なのだろう。俺も見習いたいものである。
……とまあ偉そうな事を述べてしまったが、これは俺が大学生の時、マーケティングの講師が言っていた言葉を引用しただけなので悪しからず。
どこか懐かしい匂いを鼻に受けながら並べられた商品を見やる。
スマホケース、タッチペン、メモリーカード……。残念ながら売り物はそこらへんの家電屋にあるスマホグッズコーナーとほとんど同じだった。スマホを快適にすると言っておきながら売っているのはただの周辺機器。でも普通そうだよね。こんな小さい店に物珍しい代物が売っている訳がない。
俺は諦めて店を出ようと振り返る。すると棚の端に値札以外に何も書かれていない段ボールが置いてあることに気付いた。
二十センチ程度の小さな箱だ。値段は……一万円!?
「ほほう、それ、気になるかい?」
謎の箱を興味深そうに見る俺に爺さん店主が声を掛けてくる。なんだろうこれは……まさか市場では流通していないレアアイテムとか!?
「これ……売ってるんですか?」
「もちろん。先日、顔見知りの物売りに渡されてのう。何やら凄いヤツらしいのじゃが、なんて言ったかな……「スマホを女の子に変える機械」だったか……」
「スマホを女の子に!?」
思わず叫んだ。スマホを女の子に変えるって……何だよそれ日本の科学技術ヤバすぎだろ。
「やはり凄いのか? わしが言うとみんな驚くのじゃが、どうせパチモンだろうと言って買ってくれなくてのう。ふふ、お陰で自分でもよく分からない物は仕入れちゃ駄目だって気付かされたけどな」
「そう……ですか……」
段ボールを見つめながら考える。確かに爺さんの言う通りスマホを女の子に変える装置が入っているのなら凄過ぎる。一万円で手に入るのなら今すぐにでも手に入れたい。でも中身は恐らくガラクタだ。ジョークグッズの一環に過ぎないのだろう。
それでも何故か俺はこの箱に惹かれていた。俺のスマホが女の子になったらどうなるのだろう。可愛い子になるのかな。
常識からかけ離れているって分かっている。でも……このまま帰ってしまっては絶対に後悔すると思った。
「これ……ください」
自然と口に出ていた。もう買うしかない。俺は社会人なんだ。一万円なんか余裕だろ?
ニンマリとした笑みを浮かべて財布を開く。だがそこに諭吉先生はおられなかった。な、なんたる不覚……。
「すみません、明日来るので取り置いてもらえると……」
「兄ちゃん、クレジットカードは持ってるかい?」
手ぐすねを引いた店主が笑顔で答える。
「ええ、一枚ありますけど……」
「わしの店、カードも対応しておるんじゃよ」
「……マジですか!?」
まさかのカード対応店。爺さん……時代に柔軟過ぎるぜ……。
そしてもう後戻りできないと思った俺はクレジット翌月一括払いで謎の箱を買うのだった……。
俺「あ、コンビニ寄るの忘れた」