第47話:亀裂
月明かりと青い粒子が照らす廃墟のテラス。
蒼の指が香子の淡く煌めく割れ目をなぞる。
「あっ……」
今までにない感覚に、思わず声を漏らす香子。
「大丈夫か? 痛くないか?」
「ん……痛くないけど……変な感じ」
亀裂の位置を指先で確認した蒼は、今度はそこに軽く爪を立て、滑らせる。
「ふっ……きゃうう……」と香子は小さく悲鳴をあげた。
「こんなの見たことねぇ。気づかないわけだ……」
「やっぱりちょっと割れちゃってるよね……。アタシの宝玉……」
彼女の胸に青く輝く宝玉には、それを真一文字に分断するような細く、長い亀裂が一直線に入っていたのだ。
双四角錐型の頂点に沿うように入った亀裂は、光の屈折に隠れ、パッと見では分からないようになっていた。
「これ、いつからだ?」
「分かんない……。カラインに捕まった時かもしれないし、キメラゼルロイドに焼かれた時かもしれない……。カエル、ゴリラ、クモネズミ、ウツボカヅラ、コウモリ……。思い当たる戦いが多すぎるよ」
「確かにお前結構手ひどくやられてたもんな……。その上でエネルギー負荷の激しい必殺技撃つ機会も多かったし……」
二人の気まずい沈黙が流れた。
蒼も香子の火力に頼っていた節があることを自覚しており、彼女の現状に関して負い目を感じているようだ。
「最近、戦った後の疲れが酷かったり、光線の軌道がブレたりしておかしいなって思って、鏡で見てみたらこんなことになっちゃってたんだ……」
自分の宝玉をなぞりながら、香子は言葉を紡ぐ。
再びの短い沈黙の後、彼女は蒼の胸に縋りついた。
「ねえ……どうしよう!? アタシ……戦えなくなっちゃうかも……。そしたら蒼にとってアタシは……」
その先の言葉を香子は言うことができなかった。
代わりに、蒼の胸に顔を埋めて声を上げて泣き始めたのだ。
蒼は突然の行動に面食らいながらも、彼女の頭に腕を回し、何も言わずに優しく撫でる。
香子がこうやって泣きだしたら、落ち着くまで好きに泣かせてやるのが一番だと経験で知っているのだ。
ほんのりと良い香りのする美しい青髪を撫でながら、彼は小さい頃、彼女が泣くたびにこうやって宥めてやったことを思い出す。
優しく、気弱ながらも負けず嫌いで正義感が強い彼女は、何かと泣くこと、泣かされることが多かった。
高校生のイジメの現場に首を突っ込んでボコボコにされた挙句、助けに入った俺が散々な目に遭わされた後、現れたゼルロイドに高校生たちが食い散らされた時にはこれくらいの泣き具合だったかな~……
などと蒼が懐かしんでいると、香子は徐々に落ち着きを取り戻し、ヒクヒクと体を震わせ始めた。
「大丈夫か?」と蒼が声をかけると、香子が顔を上げ、赤く腫れた目で蒼を見上げる。
「ごめん」と言いながら涙を拭う彼女を蒼がそっと抱きしめると、彼女もまた、蒼の背に腕を回してきた。
「大丈夫だ。たとえ戦えなくなったとしても、お前が大切な人であることに変わりはないよ」
「でもアタシ……」
「分かってる。そのヒビ、何とか修復する方法探そう。お前の夢……いや、俺とお前の夢を叶えるためにも、その力は必要だろうしな!」
そう言って力強く笑って見せる蒼に、香子は体中が熱くなるのを感じた。
ドクドクと昂る鼓動と、熱く、荒くなる吐息。
「力を失った魔法少女がいただろ? あの子の復帰のために宮野さん達と色々とやってて……」
と、講釈を垂れている蒼の唇目がけ、香子は思い切り自分の唇を重ねた。
「蒼……! 好き! 大好き!!」
そのまま蒼の肩に手を回し、彼に全体重を預けた。
「うわっ!? お前……重……!」
生憎、蒼は彼女を軽々と支えられるほどのパワーは持ち合わせていなかった。
彼女の重みを感じるがままに転倒する。
そのままちょうど蒼が香子を押し倒すような形で二人は倒れ込んだ。
頭を強打したものの、魔法少女に変身しているためか、香子は軽く顔を歪ませた程度で、すぐに笑顔に戻り、再び蒼へ熱を帯びた視線を送り始めた。
彼女がゆっくりと瞳を閉じ、蒼に口づけをねだったその時。
ガラガラ! ガッシャーン!!
突然階段の下で大きな音がした。
蒼と香子は素早く立ち上がり、身構える。
同時に、
「うわぁ!! やばっ!」
「ちょっ!? 何やってんだ!」
「お二人とも声出しちゃ駄目です!」
という、聞きなれた声が展望台に飛び込んできた。
■ ■ ■ ■ ■
「だってよぉ……いきなり香子のエネルギー場が出たから、敵が来たのかと思うじゃん! なのにオメーらはよぉ……!」
響が胡坐に頬杖をつき、不貞腐れている。
その顔は真っ赤だ。
当然である。
仲間の戦闘を援護するために駆け付けたら、その二人は廃墟で内緒話の後、魔法少女プレイに興じていたのだから……。
「いや、別にそういうことしてたんじゃねーよ!? ちょっとはしゃいでコケただけだ」
「嘘ですね。香子さんの思考が真っピンクです」
「っ――――――!!」
相変わらずケロッとしている蒼と、声にならない声を上げて恥ずかしがる香子。
「いや、今はそれは置いときましょうよ。香子先輩大変じゃないですか。大丈夫ですか?」
「そうそう! それだよ問題は!」
詩織の言葉に、響が思い出したように身を乗り出し、腕を組みなおした。
足元に転がしていたランタンを皆の座る円の中心に置き、いかにも「一言喋らせろ」という雰囲気を醸し出す。
「か……隠しててごめんなさい! アタシ……この力が無くなったら皆に認めてもらえなくなるんじゃないかって不安で……」
「いや、香子の気持ちはよく分かる。今回の問題はウチらの方だろ」
「え?」
隠し事について責められると思っていたのか、香子は面食らう。
「ウチらお前の火力に毎回助けてもらいながら、変調に気付いてやれなかったんだ。ちょっと考えりゃ最近やけに狙い外したり、戦った後倒れたりが多かったよな」
「香子先輩って責任感強いから、自分の調子が悪くて戦えないなんて絶対言いませんもん。私達が知らず知らずのうちに無茶させちゃってたのかなって……」
「香子さんの強さに甘えてばっかりでごめんなさい! わたし……頑張って香子さんを助けられるようになりますから!」
「佐山さん……新里さん……ティナちゃん……」
仲間たちの気遣いに、思わず目頭を熱くする香子。
「オイオイ泣くなよ!」と響が香子の背中を叩きながら茶化してみせる。
「なあ蒼。暫く香子を戦いから遠ざけてやることって出来ねぇか?」
「うーん……」
「ちょっと待ってよ! 今これだけ厳しい戦いが続いてるのに戦力減らしてどうするつもり!?」
響の提案に香子が慌てて食い下がる。
どんどん強く、厄介になっていくウボーム魔獣、キメラゼルロイドとの戦いにおいて、メインにして最大火力の彼女は必要不可欠の存在だ。
よほど素早かったり、光線を無力化する特性持ちの敵でもなければ彼女の必殺光線で大体倒せるし、複数の敵を纏めて相手にすることも得意。
彼女が欠ければ、魔法少女部の戦力が大幅に下がるといっても過言ではないだろう。
「お前が抜けた穴はウチが何とかする。香子には助けられてばっかりだからな。少しは力になりてぇんだ」
「でも……」
「安心しろって! ウチだって破壊力ならお前に負けねぇぞ! デカい奴相手でも倒せる自信はあんだ」
そう言いながら、響は健康的な二の腕をポンポンと叩いて見せる。
響は本気で香子を休ませたいようだ。
ティナも響に同調し、宝玉の修復法が見つかるまではSST本部からのサポートをすべきだと進言し始める。
2人の圧に、香子はオロオロとし、蒼は響、ティナと香子の顔を交互に見ながら腕を組んで考え込んでいた。
彼自身、愛する香子を安全な場所に置き、万全に戦える状態まで回復させてやりたいという想いがあり、同時に、彼女が言う通り、厳しさを増すウボームとの戦い、世界規模でのゼルロイドの跳梁を考えると、彼女を戦闘メンバーから外すのは無茶ではないかという想いもありで、珍しく迷っているようだった。
「響先輩が香子先輩の代わりになって戦うのは無理だと思います」
そんな中、詩織が小声で、しかしはっきりと言い放った。
「お前何を……!」と、食いつこうとする響を蒼が手で制する。
そして、詩織に「続けて」と目で合図を送った。
「いくら攻撃力があっても、敵に届かなければ意味がありません。飛行する敵や、素早い敵、遠距離攻撃を得意とする敵が現れた時、響先輩では厳しいです」
「なっ……!? ……まあ、その通りだ。反論できねぇ。でもそういう相手なら詩織が」
「私は先輩達に比べて攻撃の威力が全然足りません。大きい敵や、堅い敵が相手だとまともに戦えないんです」
「じゃあ香子にこのまま無茶させ続けろってのかよ!?」
「そうは言ってません! でも……これまで一人でも欠けていたら勝てなかった戦いもいっぱいありました! そう簡単に誰かが誰かの穴埋めを出来るような環境じゃないと思います!」
声を荒らげる響に、譲らない詩織。
部活始まって以来の内部紛争に、蒼もまた困惑している。
蒼は人の気を知れないだけで、冷血漢では決してない。
また、人情を度外視して考えるにしても、ウボームとの戦いがひと段落するまで香子に多少無理をして戦ってもらうのも、彼女を戦線から一時離脱させ、宝玉修復技術確立までの間待機してもらうのも、どちらも合理的である。
ヒートアップする二人と、煮え切らない蒼、火種を撒いてしまった自責の念で涙目になるティナ。
その全ての原因たる香子は、その様子を心底悲しそうな表情で見つめ、意を決したように叫んだ。
「もうやめてよ!! アタシのことで喧嘩しないで!!」
その一言で辺りに静寂が訪れた。
これまでは殆ど聞こえていなかった崖下の波の音がいやに大きく響き渡る。
「ごめん。先戻るね……」
そう言うと、香子は魔法少女の姿のまま、遠方に見えるSST保養施設へと飛び去って行った。
青い輝きが失われた廃墟には、ポツンと置かれたランタンの明かりが寂しげに灯っていた。





