第23話:詩織の劣等感
「先輩~。遊びましょうよ~!」
「駄目だ。することしてからだ」
夕食後、詩織が部屋でゴネている。
せっかくの夏合宿最初の夜、花火や夜釣りや女子のパジャマトークでもしようと意気込んでいたのだが、響も香子もティナも早々に部屋に引っ込み、夏休みの宿題に取り掛かってしまった。
香子は最初の週で宿題を終わらせるそうで、響も早めに手を付けていくらしい。
ティナは内容こそ異なるものの、この世界に順応するための教材が山積みとのことで、なかなか時間が取れそうにない。
蒼なら対戦ゲームくらいは付き合ってくれると思っていたのだが、残念なことに、蒼も生真面目な男であった。
「分からないとこがあったら教えてやるから、何でも質問してくれ」
そう言いながら、自身の宿題を進める蒼。
彼の手元で小難しい数学、意味不明な有機化学、難解な現代文、もはや外国語としか思えない古文の問題集が、まるで答えを丸写ししているのではないかという勢いでグングンと解かれていく。
下手をすれば、自分が一科目を終えるより先に全科目終わらせてしまいそうな勢いだ。
今更ながら、とんでもないところに来てしまったと思う詩織。
光風高校もそうだが、この魔法少女部も相当ハイレベルな部活である。
中学まで緩い学園生活と、孤独な魔法少女ライフを送ってきた彼女からすれば、自分より様々な面で各上なメンツに囲まれて過ごす日々というのは、初めての経験だ。
学力、運動神経、魔法少女としての実力等、詩織はこれまで自分が内心誇っていた部分がボロボロと崩れていくのを感じている。
蒼達は彼女を下に見ることも、下位の戦力として見ることもしない。
しかし、だからこそ辛いのだ。
自分は魔法少女部の一員になれるほど大それた人間ではない。
詩織の中では、はっきりと劣等感が生まれていた。
最近では光風高校に来ずに、一人で戦っていた方がこんな悩みに苛まれずに済んだのではないか。という想いすら脳裏をよぎる始末である。
「どした? 手が止まってるぞ。なんか分からないとこでもあったのか?」
詩織が久々にネガティブモードになっていると、丁度現代文の課題を完了させた蒼が覗き込んできた。
思えば先ほどから全く課題に手を付けていないことを思い出し、彼女は慌てて問題文に目を落とす。
「えーっと……。問2から後全部分かりません……」
「あ~。あと問1も間違ってるぞソレ。1はもっとこう……ガっとした感じの数式で、2はグルっとする感じで解くと分かりやすいよ」
「はぇ……?」
「いや、だから、ガっとするような数式あるじゃん? とりあえず答えを先に出して、そこから式を逆算すると簡単に解けるよ」
この男は何を言っているのだろうか。
「いや、これじゃ伝わらないかな……。こう……グイっと」等とますます意味不明な解法を伝授してくる蒼。
彼はやがて、ウンウンと唸りながら、勝手に詩織の問題集に色々と書き入れ始めた。
何が蒼の興に入ってしまったのか分からないが、目の前で分厚い数学問題集がパラパラと片付いていく。
とりあえず詩織はこの場を蒼に任せ、香子に助っ人を頼むべく、部屋を後にした。
■ ■ ■ ■ ■
「いい? 二次関数は慣れない間は一回一回展開して、式が合ってるかを確認することが大事よ。横着して一気にグラフの式に持っていくとミスしやすいからね」
「途中式でこんなにミスしてたんですね私……。というか正直式の意味全然理解してませんでした」
食堂の一角を使い、香子に教えを乞う詩織。
香子は蒼の意味不明な解法とは違い、授業中居眠りしていた詩織でもよく分かる、極めて模範的な解説をしてくれている。
「そんな小難しいこと考えなくても、もっとガっと解けばすぐ答え出るのに」
「アンタの解き方は意味不明すぎるのよ……。ていうかアンタ、なに新里さんの問題集一冊終わらせちゃってるのよ。意味ないじゃない」
「ああ……。それはすまんかった」
申し訳なさそうに頭を掻く蒼。
詩織は内心ガッツポーズだったが。
「おいーっす。詩織の勉強会か? ひと段落したら温泉入ろうぜ」
今日の宿題を終えた響がお風呂セット片手に食堂にふらりと現れた。
「そうですよ! みんなでお泊りと言えば温泉ですよね!」
突然興奮した詩織が立ち上がって叫ぶ。
「裸のお付き合いしながらコイバナとか、お悩み相談とかしましょうよ! 高瀬先輩が覗いてきたら風呂桶投げたりしましょうよ!」
「覗かねぇよ!?」
「ハイハイ分かったからあと5ぺージ済ませなさい」と、香子に促され、怪気炎を上げながらカリカリと鉛筆を走らせる詩織。
目の前にニンジンを吊るされた馬のようだ。
彼女は補習や平均点以下が多いと嘆いていたが、解説されればちゃんと理解できる辺り、元来頭は良いのだろう。
この調子なら2学期からは補習を食らうことも減りそうだ。
「ウチも最初の年はかなり補習食らったからなぁ……。ま、ウチみたいな馬鹿でも回避できるようになったんだから、詩織なら余裕で躱せるようになるさ」
響が自嘲気味に笑う。
「響先輩も補習組だったんですか?」
「1年目は7部掛け持ちしてたもんだから全然勉強できなくてさ。今では3部正規部員、4部臨時部員って形で掛け持ってるから、まだ勉強時間取れるんだよ」
「それ追いつくの大変だったんじゃ……」
「ああ、大変だったよ。でもさ、補習受けまくってたら結局部活も筋トレも満足にできない訳じゃん? 何とかしたくて、気合で追いついたよ」
そう言って笑う彼女に、詩織は尊敬の眼差しを向ける。
「それじゃ、ティナ呼んでくるわ」と、響は食堂を去っていった。
「まあ、結局は出来る、出来ないより、やるか、やらないかなのよ。今苦手放置したら、1年後には取り返しつかなくなっちゃうからね。今の間に頑張りなさい」
「はい! 頑張ります!」
響がティナを連れて食堂に顔を出す頃には、詩織は今日の分を完了させていた。
■ ■ ■ ■ ■
この施設には、天然温泉かけ流しの露天大浴場がある。
改めて贅沢な作りである。
「先輩! 覗いちゃ駄目ですよ!」
「だから覗かないっつーの!」
入口は普通の温泉施設と同じく、男女ののれんで分けられていた。
蒼が「男」と書かれたのれんをくぐると、その中は随分狭い更衣室になっていた。
まあ、そんな大人数で使用することはないだろうから、これが妥当なのだろう。
風呂桶にボディタオルと石鹸類一式を入れ、全裸で浴場へ出ていく蒼。
どうせ彼しかいないわけで、隠す必要もない。
「お~。これはなかなかに雅な雰囲気……」
蒼は思わず声を上げる。
天然のものと思われる岩場を削って作られたと思われる湯舟は、更衣室に対してやけに広く、綺麗にライトアップされ、非常に良い雰囲気を醸し出していた。
体を流し、浸かると、浴槽の中にいくつか段差があることに気が付く。
「おっ! 立って浸かれる場所もあるのか」
普通に座って浸かるスペースとは別に、深い温泉に立って浸かる「立位浴」用のスペースが設けられているようだ。
温泉好きの蒼としては、この配慮は嬉しい限りである。
泉質も良いようで、肌の表面が早くもヌルヌル、ツルツルと滑らかになってきている。
奥の方にも行ってみようと、立ち上がり、温泉の中を歩いていく。
不意に、何か壁のようなものが、足に当たった。
「ん? 何だこれ」
目を細めて見てみると、岩をくり抜いた湯船にミスマッチな、コンクリートの仕切りが、湯船の中に走っていた。
「泉質が違うのかな? 温度?」
その仕切りを跨ぎ、その先の湯船に足を入れてみる。
だが、特に温度も、泉質も違わないように思える。
よく見ると、その仕切りの上には、穴が並び、それは湯船の外、ちょうど蒼が出てきた更衣室の出入り口の横まで点々と続いていた。
そして、その更衣室のドアの横には、もう一つのドアがあり……。
「おお! すげえ良い雰囲気じゃねぇか!」
「すごーい! 本格的ですね!」
「へぇ~! 思ったより広いじゃない」
「これがオンセンですかぁ~! 初めて見ます!」
蒼が異常に気が付いた時、既にそのドアは開け放たれていた。
丁度入ってきた魔法少女達に、蒼は仕切りを跨いだ、蟹股状態で相見えることとなった。
当然、ぶら下がっているモノは彼女達へおっぴろげである。
「待て、話せばわかる」
蒼の言葉は、少女達の悲鳴でかき消された。
■ ■ ■ ■ ■
「何で衝立無くなってんだよぉ……」
蒼が頭から白い光を吹きながら呟く。
「しっ……知らねぇよ! 桶投げたのは悪かったけどよ……」
響が顔を赤くしながら応える。
「こっ……こっち見るなよ!? 今から体洗うからな!」
「へーい」
この温泉、本来あるべき衝立が撤去されていたのだ。
点検後設置し忘れたのか、それとも、これも宮野の思惑なのか。
仮に後者なら、宮野は自分に青年お色気漫画的な体験でもさせようとしているのだろうか、果たしてそれに一体どんな意味があるのか、と、蒼はますます思い悩んだ。





