第16話:蒼と香子が結ばれた日
すっかり暗くなった大城市市街。
並ぶ街頭の下を縦に並んで下校する蒼と香子。
交通マナーを守るという意味ではなく、香子が蒼の背にしがみ付いているので、必然的にそうなるのだ。
「何回スキャンしても詳細不明かぁ……。やっぱり竜に変身してる最中を調べないと分からんのかな」
「ティナちゃん気の毒に……」
ティナが見せた竜への変身と、プラスエネルギーの生成。
その秘密は今日、明らかにならなかった。
何回か試そうと息巻く蒼に気圧され、哀れ、ティナは幾度もスキャナーにかけられてしまい、最後は完全に意識を失って、あえなくドクターストップとなった。
「んで、お前はいつまで背中掴んでんの……?」
「う……家まで……」
体内に注入された濃縮恐怖エキスが未だ抜けず、香子は腑抜けも同然だ。
やがて、蒼が家への近道のため、暗い裏道に入ると、彼女はますます強くしがみついてきた。
「なんでこんなとこ通るのよ……! 大通り行けばいいじゃない!」
「遠回りになるだろ。それにお前も普段この道通ってんじゃん」
「普段からちょっと怖かったのよここ……。電気付いてない家多いし……」
なるほど、確かに街中でありながら空き地や高い塀に囲まれ、おまけに道沿いに小川まで流れているというやたら不気味な道ではある。
別に謂れもないし、道沿いの家やマンションにはちゃんと人が住んでいるのだが、道側に窓がない家が多く、照らす明かりもまばらだ。
ゼルロイド対策に強化シャッターを備えた賃貸アパートもあるこのご時世、家屋が並ぶ道と言えども、明るいとは限らないのだ。
「ねえ……。あそこの柳怖くない?」
「あのマンション全室シャッター付きで暗くて怖いわよね……」
「川の淀みで何か動いてる!」
しだれ柳、マンション、鯉。
あらゆるものに怯えては、蒼の背に顔を埋めてくる香子。
思えば幼少期の彼女もこんなふうだった。
特にこの時期、家が近所だからとよく遊んでは、弱虫な彼女に振り回されていた気がする。
一緒に自由研究の虫取りに行けば、蜘蛛やムカデに慄き。
市民プールに行けば、足がつかない、怖いと泣き。
帰りが遅くなった日には、夜道に怯える彼女の手を取って家まで送った。
お化け屋敷に行ったときなどは大変で、パニック寸前で泣きじゃくる彼女を抱きかかえて脱出し、泣き止むまであやしつけたものだ。
いつからだったか、彼女が今のようなしっかり者になったのは……。
蒼がそんなことを思っていると、見慣れたマンションが見えてきた。
「んじゃ、また明日な」
蒼がマンションに入ろうとする。
だが、香子は彼の制服を掴んで放そうとしない。
「おいおい……。お前のマンションはす向かいだろ……。このくらいの距離は一人で歩けよ」
蒼背に顔を埋めたまま、香子はいやいやと首を振る。
「はぁ……。部屋の前まで送ろうか?」
「今日ね……お父さんもお母さんも出張でいないの」
「は……はぁ……」
高校男子が彼女に言われたいセリフトップ10には確実に入っているであろう言葉を吐く香子。
ただ、場所もシチュエーションも文字通り場違いである。
首を傾げる蒼を見上げ、擦り付け過ぎで赤くなった鼻を晒しながら、香子が再び口を開いた。
「今日アンタの家泊めて……」
「はい!?」
■ ■ ■ ■ ■
「ねぇ! いる?」
「へーい……」
蒼の家、風呂場前。
軽快なシャワー音と、定期的に聞こえる香子からのコール。
結局は蒼が折れ、彼女を家に上げたのだが、何をするにしても怯えて大変である。
リビングで夕食を取っていると、しきりにベランダや玄関を気にし。
携帯の着信に飛び上がり。
挙句の果てにこの所業。
風呂に一人で入るのが怖いと泣き言を漏らし、風呂の前で待っていてくれと言いだしたのだ。
心霊番組を見た直後の小学生のようだ。
蒼も、彼女がこんなことになった負い目を感じている手前、強くは断れず、香子の頼みに渋々ながら付き合っている。
勿論と言うべきか、明かりは全室全光で点灯中だ。
「あっ!」
不意にシャワーが止み、彼女の驚いたような声が聞こえた。
「ん!? どうした?」
「駄目だ……これヤバい……」
「だからどうしたんだって!?」
「シャンプー……流せないかも……」
「……」
2人の間に沈黙が流れる。
「蒼ちょっと入って……」
「却下」
「なんでよ! 幼馴染のピンチなのよ!」
「理由はないけどなんかヤダ。ていうかちょっと前まで疎遠になっててよく言うわ!」
「いーじーわーるー! 昔は一緒にお風呂入ってたじゃない!」
「記憶にねぇよ! それに今やお互いいい年頃だぞ! 俺もこんな形で異性の裸見たくないわ!」
「見なくていいから! 目瞑って背中に手置いてくれるだけでいいから!」
「俺ビショビショになるだろそれ!」
「だったら蒼も脱……」
「却下!!」
頑なに頭を流そうとしない香子と、意地でも入ろうとしない蒼の、のれんに腕押し的問答が続く。
しかし、既に香子の髪からシャンプーが滴り始めており、このままでは直ぐに彼女は目を瞑らざるを得なくなってしまう。
焦りと恐怖に苛まれ、生存本能が脳を刺激したのか、香子がある名案を絞り出した。
「君の希望~ きっと守るから~」
「あ~いい感じいい感じ! 平気だわ!」
シャワーの音をバックに熱唱する蒼。
つまるところ、蒼の存在を感じられればいいということで、髪を流し終えるまで歌っていてくれというのだ。
勇気づけるような曲が良いとのことで、子供の頃見ていた特撮ヒーローモノのテーマソングを歌っている。
「勇気を光に~ お前いつまで流してんだよ……」
「ああっ! ちょっと今ダメ! 止めないで!」
「お隣さんに誤解されるようなこと言うなよ! 明日への希望を~……」
「ちょっとリンスしていい……?」
「もう好きにしてくれ……。 輝け~」
シャワーの音は彼が3曲フルで歌い切るまで続いた。
■ ■ ■ ■ ■
「ん……」
「いや、流石にそれは……」
「ん!……」
蒼のベッドにいち早く潜り込んだ香子が、潤んだ目で見つめてくる。
風呂やトイレの前で待機されたり、逆にトイレ前で歌わされたりするのには渋々従った蒼だが、流石に一緒の布団に入るのは憚られた。
彼は詩織を呼びつけようかとも思ったが、この状況を彼女に明かすのもまた憚られる。
(絶対興奮するだけして来ないよなアイツ……)
人間観察に疎い蒼とはいえ、流石に彼女のフェチズムは察知したようだ。
「こっち向かなくていいから! 背中貸してくれるだけでいいから!」
別に彼女が嫌いというわけでもないが、健全な交友関係を続けてきた仲として、恋人でもなかなかしないような行為に至るのには抵抗があるのだ。
魔法少女にかけてはサイコの片鱗が露になる彼だが、交友、交際に関しての倫理観は人一倍お固いようだ。
「蒼……」
しかし、どうにも彼女の頼みを無碍には出来ない蒼。
彼女がこんな状態になってしまったのは自身の戦闘力の低さ、そして敵の術中にまんまと嵌ってしまった判断ミス。
その事実が彼を悩ませる。
それだけではない。
何より、幼少の頃から擦り込まれた、彼女を守らなければという使命感が、彼の良心をズキズキと刺激するのだ。
「はぁ……。止む無し……か」
結局、彼は自分用のタオルケットを取り出し、それに包まるようにして香子の横に寝そべった。
電気をつけたまま、並んで横になる2人。
「よかった……やっぱりアンタは頼りになるわね!」
背後から聞こえる能天気な声。
そして布越しに伝わる彼女の体温と、柔らかな感触、吐息。
「ねえ蒼……」
「……ん?」
ふと、香子が話しかけてきた。
耳元に吐息が当たり、謎の緊張感を覚える蒼。
「アンタって……戦うのは怖くないの?」
「うーん……俺は正直あんまり。俺ちょっと感性変なとこあるからな」
「そっか」
「何だよ」
「アタシは怖いよ。すごく」
「そりゃあれだけ毒液と恐怖汁注がれたらな」
「ううん……。いつでも怖いよ」
香子が背中から腕を回してきた。
蒼は彼女の思わぬ行動に体を強張らせる。
「1人で戦ってる時は、蒼と一緒に戦えたら怖くないのになんて考えてたけど、今はアンタがやられるのも怖い……。結局怖いこと増えちゃった」
「……」
「今はもうそれがはち切れそうで……怖くて、不安で堪らない。だから、アンタの勇気をほんの少し分けて欲しい」
「……どうやって?」
「こっち向いて」
先ほどまでとは明らかに雰囲気が違う香子。
伝わってくる鼓動が明らかに早くなり、背中から聞こえる吐息も、熱を帯びている。
その空気に蒼も飲まれてしまったのか、ゆっくりと体を翻す蒼。
直後、香子が蒼の胸元に勢いよくしがみつき、自身の唇を彼の口元に押し当ててきた。
「んっ! はぁ……はぁ……。抱きしめて……蒼」
柔らかな触感、熱く、甘い吐息。
もはや理性も倫理もあったものではない。
蒼は思わず彼女を強く抱きすくめた。
「蒼……もう1回……」
香子が目を瞑り、キスをねだってくる。
「笠原……!」
それに応えるように、彼女を抱きしめる力を強め、自身の唇を勢いよく彼女のそれに重ねた。
自分でも驚くほどに、彼は香子にがっついていた。
「んっ……。香子って呼んで……。蒼」
「香子」
唇を離し、互いに見つめ合う。
「蒼……。きっともうアタシ怖くないから……。電気消してもいいよ……」
「香子……」
蒼がリモコンに手を伸ばそうとした瞬間、その異変は起きた。
「うわっ!」
「何!?」
蒼の胸元から白い光の帯が生じ、それが香子の胸に吸い込まれていくのだ。
突然の事態に飛び起きる2人。
だがその光は蒼達の位置が変わろうとも、正確に互いの胸と胸を繋げていた。
「あったかい……」
恍惚とした表情を浮かべ、香子が呟いた。





