第39話:タイ編5 永遠の旅路
「ハァ…ハァ…グッ…」
どことも知れぬ闇の中。
詩織の猛攻から命からがら逃げ延びたヴルペースが血反吐を吐いて倒れ伏している。
「クソッ!!!」と地面を叩き、再び激しく鮮血を吐いた。
彼女は苛立っていた。
幾度とも繰り返した勝利とリセットの果てに、あわや肉体を失う深手を負ったものの、中途半端な形で再生された世界で、事の元凶たる黒い魔法少女を抹殺し、さらにその体をも乗っ取って、今度こそ完全な勝利を確信した。
だが、そこからの展開はかつてない屈辱的敗北だった。
全身をグチャグチャにして乗っ取ったはずの魔法少女の肉体には、強力な「何か」が残っていた。
その「何か」……人が恐らく「魂」と呼ぶであろうそれに抵抗され、夢遊病のように徘徊し、己の使命すら忘れ、訳の分からない行動を続ける自身を見つめながら、彼女は巨大ゼルロイドの胃袋の中で溶け、再び肉体を失うに至る。
そして同じく前の世界で深手を負って眠りについていたベヒモスと一時融合して復活し、再び肉体を得るまでの間に、周回多次元世界群に封じられていたオピスがこの世界への再臨に成功したものの、その過程で狙いの男は姿をくらまし、気が付けば男の下僕どもが恐ろしく強化されていた。
その後、女神の名を持つ強力な魔法少女の肉体を手に入れ、ようやく見つけたあの男をついに殺せると意気揚々と挑めば、忌々しい黄色の下僕が何故か超時間流加速に追いついて……いや、追い越してきた。
そしてこのざまだ。
「なぜ……私達に敗北などあり得ないはず……!!」
世界の破滅を司る者、破滅の眷属。
この世界を統べる神の一柱にその名を受けた自分達が負けるはずはない。
所詮突然変異の楔が悪あがきしているだけのこと。
だが、なぜ、よりによって楔の下僕に深手を負わされるのだろうか。
屈辱的な記憶が彼女の脳裏を幾度もよぎる。
「ああああああああああ!!! 気に入らない……!! 次は殺す……!!」
激しく叫び散らしながら周囲の闇をドクドクと吸収し、追った傷を修復すると、ヴルペースは荒い息を整え、冷静さを取り戻した。
「熱くなっちゃったわね。再生の楔……タカセソウ。貴方は愛する魔法少女の醜態を見て、出てこずにいられるかしら……アハハハハハハハ!!!」
ヴルペースは奪い取った濃緑色の美しい髪をなびかせながら高らかに笑い、蒼を確実におびき出し、そして殺すための悪辣な計画を実行するため、闇に一閃の切れ込みを入れ、再びタイの喧騒の中へ舞い降りた。
そこへ、恐るべき速度の斬撃が飛んできた。
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「よし……。これだけあれば対策可能ね!」
時を同じく、御崎はタイ当局との協力体制の構築準備を概ね終えていた。
タイに到着して9日目、必要物資の輸送はほぼ終わり、簡易シャイニングゲートも既に稼働している。
シャイニングフィールド部隊も守るべき都市へ展開済みだ。
不思議なことに、各地の魔法少女強化現象がそれに呼応するように発生しており、この数日で相当数のカオスゼルロイドが撃破されたことが確認できている。
そして目下、最も警戒すべきゼルロイド、テラーゼルロイドに対しても、一つの仮説に基づいたプロジェクトが一つの山場を迎えつつあった。
「高瀬くん。貴方の仮説……きっと証明してみせるわ」
御崎は奇怪な怪物が羅列された電子マニュアルに目を落とし、「その時」を待った。
……。
………。
…………。
刹那、タイのゼルロイド対策室にいる全員のスマートフォンがけたたましく鳴り響く。
御崎は「来た……! 皆! マニュアル通りの対応をお願い!」と叫び、現地のゼルロイド対策チーム司令に視線を送った。
まだ若くしてこの重責を任された司令は、緊張した面持ちでマニュアルを素早く捲り、オペレーションBを発令した。
一瞬にして指揮系統が最適な形に再編され、カオスゼルロイド出現地域を囲むように、シャイニングフィールド部隊が展開していく様子が対策室のリアルタイムモニターに映し出される。
そして、その中心には、三つの輝点が輝いていた。
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「ぎゃああああ!!」
バンコクの一大商業地区、ラーチャダムリ通りに出現したヴルペース。
その右腕が一瞬で斬り飛ばされた。
燃えるような激痛にヴルペースは絶叫する。
だが、その一瞬の間に彼女は自身を超加速する時間流に乗せ、迫りくる二撃目に備えた。
「はぁ!!」
「また……お前か……!!」
迫る詩織の斬撃。
右腕を再生させ、ハープで受け止めようとしたヴルペースだが、なぜか腕が全く再生しない。
狼狽えた一瞬の間に、詩織はヴルペースの左腕を二の腕から斬り飛ばす。
「あぐあっ!!」
超加速時間流の中の一瞬、通常時間流なら最早数ミリ秒という時間のうちに、詩織はヴルペースの戦闘能力の大半を奪い去ったのだ。
その間、ヴルペースは走馬灯のように巡る疑念に苛まれていた。
なぜ、自分をあの黄色が待ち構えていたのか。
なぜ、同じ時間流に乗っているはずなのにこれほどまでの速度差を付けられるのか。
そしてなぜ、あの楔、タカセソウが超加速時間流に追いつき、自分に組み付こうとしているのか。
「捕らえた!!」
ヴルペースが押し寄せる疑念に当惑している隙を突き、蒼の両手が彼女の両肩をがっしりと掴む。
同時に、捕獲用エネルギーワイヤーが射出され、蒼とヴルペースの身体をガッチリと固定した。
「ぐっ……おおお……!!」
超加速時間流の反動によって全身から鮮血を噴き出す蒼。
だが、その怒りを宿した瞳はヴルペースの身体の一部を見つめて逸らされることはない。
「消え失せろ……! その身体から……! 跡形もなく!!」
蒼の胸に輝くXクリスタルから眩い閃光が放たれる。
ヴルペースの……いや、クラ・シリラックの胸で光を失っていた宝玉、魔法少女の魂を宿したエンブレムクリスタルに吸い込まれていく蒼のエネルギー。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!」
ヴルペースの恐ろしい絶叫が大気を震わせる。
詩織はその様子を緊迫した面持ちで見つめていた。
彼女は知っている。
以前のカラインによる事変において、殺すしかなかったカライン化魔法少女達。
蒼が彼女達の運命を悲しみ、怒っていたことを。
そして、再び類似の事態が起きた時、魔法少女を殺すことなく取り戻す手段を模索していたことを。
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「はっ!」
翠玉の女神、クラ・シリラックは混沌の眠りから目を覚ます。
彼女が覚えているのは、見たこともない姿の敵に襲撃され、撃破したと思った隙を突かれて、黒いスライムのような姿になった敵の反撃を受けたところまで。
その後、彼女の意識は深い闇の中に囚われ、何も見えず、何も聞こえず、何も感じることのない状態のまま、今の今まで眠っていたのだ。
「こ……ここは……?」
彼女の前に広がるのは、果てしなく続く銀河。
その遥か彼方まで、まるで糸のように細い光の道が続いている。
「初めまして、魔法少女、クラ・シリラック」
名を呼ばれ振り返ると、眼鏡をかけた長身の少年が立っていた。
「君は……」
「僕は高瀬 蒼。魔法少女と共に戦う旅人と思ってください」
「私を助けてくれたの? それとも……これは私が死の間際に見ている幻かしら?」
「助けられたかどうかは……分かりません。ですが、一つ聞いておきたいことがあります」
蒼はそう言うと、クラの背後に伸びている細い光の道を指した。
「人類の未来のため、あの道の果てへ共に歩む仲間を募っています。魔法少女クラ・シリラック。あなたは、僕たちと共に来てくれますか?」
クラは道の果てへ視線を向ける。
同時に、彼女の脳内に無数の情報が流れ込んできた。
「……」
「ありがとうございます。その気持ちだけ受け取って行きますね」
目を伏せたクラに、蒼はそっと感謝を伝え、眩く輝く球体をそっと彼女へ手渡した。
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「うぐぁ……お……あぁ……」
X型に輝き始めたクラのエンブレムクリスタル。
青黒く変色していた彼女の肌が、見る見るうちに健康的な褐色を取り戻していく。
そしてついに、その口から汚泥のような物体が噴出し、宙に舞った。
「シャイニングアンカー!!!」
詩織の刃が汚泥に突き刺さり、眩い閃光が走る。
激しくスパークする雷光に、汚泥は瞬く間に蒸発し、消滅した。
だが、詩織の表情は冴えない。
ヴルペースを仕留めた手ごたえと共に、未だ消えない気配を感じていたのだ。
それはこの次元の話ではない。
今だ自分達ですら未踏の異次元の彼方に潜む、恐らく彼女のバックアップのようなものの気配である。
それを潰さない限り、きっと彼女達との戦いは終わらないのだろう。
「何度来ても、私はお前を絶対に逃がさない」
虚空に向け、詩織は再び相まみえるであろうヴルペースを威圧した。





