第36話:タイ編2 刹那の死闘
止まった時間。
先ほどまでの喧騒も、走り回っていた子供たちも、そして、眼前の蒼も。
全てが詩織の視界の中で停止している。
(何かが起きてる……!)
詩織は試しに指先を小さく動かした。
動く。
全く普段と遜色がない。
(大丈夫……私は動ける)
テラーゼルロイドか、それとも何か別の存在か。
この状況にあって詩織は極めて冷静だった。
一瞬でも判断を誤れば死の危険がある中で、彼女は他の皆と同じように動きを止めている。
詩織は考えるのは苦手だ。
だが、彼女にはそれを補って余りある直感と決断力、そして反射神経がある。
静かに精神を研ぎ澄ませ、詩織は敵の動きを待った。
刹那……微かに空気が揺らぐ。
「そこっ!!!」
文字通り目にもとまらぬ速度で詩織が飛んだ。
既にその身は眩く輝く黄白のコスチュームを纏っている。
詩織の手に握られた刃が、不敵に笑う青黒い肌をした少女の首筋に突き立つ。
以前なら味方か、敵かで躊躇ったことだろう。
だが、今の詩織は迷わない。
自らに、もしくは守るべき者たちに向けられた敵意を彼女は見逃さなかった。
音を遥かに超えた速度で振り抜かれる斬撃。
ポロロロロロン・・・。
少女の首が跳ね飛んだ瞬間、優雅なハープの音が鳴り響いた。
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「詩織! 詩織!」
夏の眩しい日差しの中、詩織は名前を呼ばれてハッとする。
声の主は、同じソフトテニス部でダブルスを組んでいる美穂だ。
「行こっ! 絶対優勝するんだから!」
夢現のような感覚のまま手を引かれ、コートに走り出す詩織。
四方から聞こえる光風高校テニス部式の声援。
(そうだ……私は……美穂と全国大会に……行って……)
「違うっ!!!!」
ガキィィン!
詩織の光刃が、迫るハープ型の刃を受け止める。
「へぇ……やるじゃない」
「お前は……!」
止まった時間の中、バックステップで距離を取り合う詩織と青黒肌の少女。
「カライン。貴方は以前私をそう呼んだわね」
「今はヴルペースだっけ?」
「へぇ……知ってるんだ」
宮野が送付してきた映像で高瀬家地下を襲撃した複数体の敵。
その内の一体の声に酷似していたのだ。
そして何より彼女の直感が、以前対峙したことがあると告げている。
「言っておくけど私、あの時よりずっと強いから」
詩織が言葉を言い切ると同時に、ヴルペースの肩から腰にかけて斜めの斬撃が走る。
漆黒のエネルギーが噴出し、ヴルペースが表情を険しくさせた。
絶望的な戦いを強いられたあの時とは違い、詩織の直接戦闘能力はヴルペースのそれを凌駕している。
詩織の刃がのけぞったヴルペースに再び叩き込まれた。
その刹那、その姿が無数の黒い蝶に変わり、サッと霧散する。
「そこっ!!」
「ぐあぁっ!!」
蝶の幻影に紛れて上空へ逃れていたヴルペース。
その頭を押さえるように飛び上がった詩織が強烈なかかと落としを食らわせた。
かかとの刃がヴルペースの顔面を深々と抉り、その体は地面へ強かに打ち付けられる。
「なかなか……やるじゃないの……はっ!!!」
「そうはさせない!!!」
激しい閃光と共に無数の光弾を放つヴルペース。
周囲を十分に焼き尽くすことが出来る威力と数の拡散攻撃だ。
だが、それらは爆ぜる前に全て詩織が蹴り落した。
ヴルペースの表情に一瞬驚愕の色が映る。
しかしすぐさま体制を立て直し、ハープ型の剣で詩織に斬りかかった。
詩織も即座に短剣で応戦し、激しい斬り合いとなった。
ハープの音が鳴り響くたび、詩織の眼前に幼き頃の夢や、テニス部として思い描いた夢、結婚や子育てなど、人生の未来に思い描いた、もう叶うことのない夢、希望が詩織の眼前に現れる。
認識だけでなく、精神までかき乱してくるあまりにも鮮明な幻影に、あわや一閃を受けかける瞬間もあったが、詩織は精神力をもってそれらを全て斬り飛ばして見せた。
そして、かつて同じ夢に挑んだペア、美穂がゼルロイドに食われながら助けを求めてくる記憶の幻影を斬り飛ばしたとき、ついにその刃がヴルペースのハープを持つ腕を捉えた。
「はっ!!」
「ぐぎゃああ!!」
シュッという音と共にヴルペースの腕がハープごと宙を舞う。
ヴルペースが大きく姿勢を崩した。
詩織はその隙を見逃したりはしない。
一瞬で体を翻し、強烈な回し蹴りを食らわせる。
ヴルペースは声すら上げずコンクリート壁に叩きつけられ、クレーターのような窪みを作った。
「シャイニング……! テンペスト!!」
詩織のエネルギーが急激に集束し、無数の刃が空を埋め尽くす。
その光刃が暴風雨のごとく降り注ぎ、ヴルペースの身体を文字通り細切れに切り刻んだ。
圧倒的勝利。
しかし、詩織の表情は冴えない。
「取り逃がした……!」
どのタイミングで術中に嵌ったのか、詩織は自身に食らいつこうとしていたバク型カオスゼルロイドを一刀のもとに斬り捨てる。
既にヴルペースの気配はなく、時は再び動き始めていた。
詩織は一瞬歯ぎしりをした後瞬時に変身を解くと、突如出現したカオスゼルロイドの死骸に騒ぎ出す民衆の隙間を縫い、蒼の待つテーブルへと急いだ。
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「ええっ!? そんなことが!?」
「ヤベェな、ウチら全く反応出来てなかったぜ」
香子と響が詩織の報告に目を丸くした。
その手には料理が山盛りになったお盆が握られている。
「時間制御……というよりは恐らく時間流制御だろうな。新里が反応できたのは幸いだった。カラインとして出現した時より明らかに知能が向上している傾向はあったが、まさかここまで高度なことが出来るとは……」
「私……あと一歩まで追い詰めたんですが……くそぉっ!!」
詩織がテーブルを叩く。
以前ヴルペースが発生させた事件を思い起こせば、あの場で彼女を始末できるか否かで今後失われる命、生き残る命の数に格段の差が出ていたことは間違いない。詩織は重大な責任を感じていた。
「詩織。そう自分を責めんな。あいつらは元からウチらよりだいぶ格上だ。パワーアップしたとはいえ、一筋縄じゃいかねぇよ。むしろよく撃退してくれたぜ」
響が詩織の隣に座り、山盛りのマンゴーを差し出した。
詩織は悔しそうに唸りながら、それを勢いよく頬張る。
その様子に響がガハハと笑った。
テーブルの上の料理がすっかりなくなる頃には、状況の整理は終わり、皆それを飲み込み、一先ずはヴルペースの出現と戦闘の発生をSSTに報告する。
併せて、彼女と同格と思われるベヒモス、オピスらを警戒しつつ、テラーゼルロイド対策体制の継続を行う旨も御崎に送信しておいた。
「さてと、じゃあ今日はホテルに帰って、明日から魔法少女の捜索を本格的に開始しよう。テラーゼルロイドと戦うにはこの国の魔法少女の力が必要だ」
「ホントにお前のソレ、効くのかねぇ?」
「効かなかったらその時はその時さ」
「あ……あのっ!!」
蒼達が荷物を纏めて立ち上がろうという時、突然横合いから声がかかった。
見れば、やつれた表情の少年が、紙きれを持って立っている。
肩で息をしており、相当激しく走り回っていたことが伺える。
タイ語を話すことが出来る香子と蒼が応対すると、どうやら彼は姉を探しているらしい。
「僕のお姉ちゃんは……その……魔法少女で……少し前から行方不明になってて……」
その言葉に、蒼と香子は顔を見合わせる。
カオスゼルロイド出現の報を聞いて飛び出してきたらしいが、それが真実なら、恐らくその姉はもう命を落としている可能性が高いだろう。
だが、彼の年頃を考えれば、それを伝えるのは憚られた。
「この……この人なんです!」
必死の形相で、手に持っていたボロボロの写真を見せる少年。
そこに映っていた少女の姿に、詩織が息を飲んだ。
詩織の様子に、魔法少女部の皆は事態を把握した。
写真に写っていた少女の顔は、詩織が遭遇したヴルペースと瓜二つだったのである。





