第5話:闇に消えた詩織
夜11時。
と言っても、殆どの部屋に窓がないタカセベースでは昼夜の違いなど分からない。
唯一それを知る手段は、ベースセンターに備え付けられたデジタル時計だけだ。
まだインターネット回線や時計電波が生きていた頃に設定された時間を刻むこれは、人類文明の遺品と化しつつある。
「えっと……お手洗い……お手洗い……」
夜間の節電のため、闇に包まれたベースの廊下を詩織は彷徨っていた。
避難誘導灯と、自身のコンバータースーツに備えられたLEDライトを使ってトイレを探す。
久々に水分を十分とったり、シャワーを浴びたりで、トイレが近くなってしまったようだ。
明日、カオスノイドに埋め尽くされた発電所から電力を奪取する大作戦が決行されるという緊張感も手伝って、どうにも寝付けない様子である。
「あ、あったあった」
壁から突き出たWCマークを発見し、電気を点けて個室に入る詩織。
節水中だが、トイレの水洗システムは生きているようで彼女はホッとした。
生存者が少ないためか、水にはある程度余裕があるらしい。
ただ、ガスは完全に止まっており、手洗い場の赤い蛇口を捻っても温水は出ない。
ちゃんとした食事にありつけるのは、元の世界に戻れてからか……。と、詩織が落胆と共にトイレを出ようとした瞬間、フッと体が軽くなるのを感じた。
いや、軽くなるというよりも、浮揚感が全身を覆うような……。
「きゃあああああ!?」
自分の身体が急速に落下しているのに気づいた時には、既に彼女の身体は漆黒の落とし穴へ吸い込まれていた。
変身して脱出しようとしたが、突然襲ってきた眠気に阻害されて叶わず、彼女の意識もまた、闇へと墜ちていった。
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「蒼くん……」
「えーっと……笠原さん……? 重いんですが……」
一方の蒼は、香子の夜這いを食らっていた。
涙をいっぱいに蓄えた目で見つめられながら馬乗りにされては、蒼も抵抗することが出来ない……。
「私ね……頑張ったよ。蒼くんに助けてもらった日から……今日までずっと……二人の約束……守りたかったから……」
元の世界の香子と見た目はそっくりだが、やはり、個として全く異なる存在だと、蒼は彼女の言動から感じ取っていた。
弱さを抱えながらも、それを補って余りあるほどに意志が強く、それでいて少し奥手な元の世界の香子とは違い、この世界の香子はえらく弱々しく、消え入りそうなほどか細い声で話す。
その割には随分と大胆な行動で、今蒼を拘束しにかかっている。
どこか身勝手な……というよりは対人コミュニケーションに慣れていないような雰囲気さえ臭わせていた。
蒼でさえそれが分かるのだから、詩織や響が見れば全く異なる人物に見えることだろう。
「蒼くん……いつもやってくれたアレ……して……」
蒼の胸に顔を埋めながら、スリスリと頬擦りしてくる香子。
ふと、蒼の脳裏を懐かしい光景が掠めた。
ああ、あれか……。と、蒼は彼女の頭に手を置き、ゆっくりと、優しく撫でる。
二人がまだ幼かった頃、意地っ張りで泣き虫だった香子を宥める時、よく蒼が彼女にしてあげたことだ。
「ふふふ……蒼くん……。良かった……最期に一目会えて……」
「……最期じゃないさ。明日、俺と新里で発電所の電気を奪還してくる。それで俺達の次元にみんなを転送できれば、君含め、これ以上誰も死ななくて済むさ」
「やっぱり蒼くんは優しいね……。そういうとこ……大好きだよ……」
「あ……ああ」
そう言って、蒼の背中に手を回し、顔をゆっくりと近づけてくる香子。
「ねえ蒼くん……明日……作戦に行かないでほしいの」
「!? 何言って……」
「もう……いいよ。もうこれ以上、私の大事な人に傷ついてほしくないの!」
呆気にとられる蒼に激しく思いをぶつけながら、強くしがみ付いてくる香子。
この基地の魔法少女の一員として、仲間が次々に減っていく様を何度も見続けてきた苦しみを吐露しながら……。
「このまま、抱き合って最期を待とう? 私、蒼くんとなら……怖くないから……」
既に心身ともに衰弱してしまっている彼女は、最早戦いも、勝利も望んでいなかった。
彼女が願ったのは、最愛の少年と迎える終焉。
「短い時間しかないけど、君の世界の私よりも君に尽くしてあげる……なんでもするよ? 心も、体も、全部好きにしてくれていいよ……。だから……このまま私と……」
服をはだけさせ、そっと目をつぶり、口づけをせがむ香子。
彼女の表情は疲れ切っており、このまま衰弱死してしまいそうだ。
別人とはいえ、恋人と同じ顔をした少女が、自分を求めて苦しんでいる。
その事実が蒼の思考を惑わせた。
蒼は一瞬目をつぶり、彼女を受け入れかけたが、やがて彼女の胸に手を置き、そっと押し戻した。
ここで彼女を受け入れるのは、元の世界の香子に対しての裏切りに感じてしまったからだ。
それだけではない。
この世界の自分も、決してそれを望まないだろうと思ったのだ。
「俺は、君の知る蒼じゃない。悪いが、君の望む蒼にはなれない」
蒼には、戻らなければいけない場所がある、尽くさなければならない愛がある。
そして、その先、どんな残酷な結末を与えることになろうとも、腕の中の少女に何もかも諦めた終末を与えることだけはできなかった。
「この世界の俺もきっと、君にそんな結末を迎えてほしいとは考えないと思う」
香子がはっと目を開き、苦しそうな表情をしながら俯き、おずおずと蒼の上から離れて行った。
「……そうだよね。ご……ごめんね! 私、蒼くんと会えたって舞い上がっちゃって……おやすみなさい……!」
後ろを向き、涙声で話しながら部屋を出て行こうとする香子。
蒼はまた少し黙って考えた後、ベッドから飛び上がって、ドアに手をかけていた香子を後ろから強く抱きしめた。
「今日までよく頑張ったな」
「……うん」
「俺は君に何もしてあげられないけど……少しだけ、君の蒼になってあげる。だから、もう少し頑張ろう?」
「……うっ……ひくっ……。蒼くん……好き……」
「うん……」
「大好き……」
「うん」
小一時間、蒼は香子を抱きしめ、彼女の涙が止まるまでじっとしていた。
この世界の蒼が死んでから4年弱、ため込んでいた感情や想い、交わしたかった言葉の全てを香子が吐き出し切った頃、彼女は安心しきった顔で、すやすやと寝息を立てていた。
蒼は彼女をお姫様抱っこの体勢で抱きかかえると、彼女の部屋まで送り届けるべく、廊下へと出て行った。
その耳に、微かではあるが、詩織の声が聞こえた。
それは極めてくぐもった声ではあったが、確かに、こう言っていた。
「先輩 助けて」と。





