隔世の感
半年も経たぬうちに世相は変わった。彼の人の馘首が成った後、まるで地獄の釜が開いたかのように、様々な言説が人々の口から漏れるようになった。それは市井の人々がごく日常的な生活のうちに発するものでもあれば、テレビやネットなどのメディアによって拡散されるものでもある。後任の首班指名を受けた政治家の寸評が悠長に行われたかと思えば、最も警戒すべき事態が何故起こったかという一見すると建設的な議論が全く些細な論点を軸に進んでいったりもした。非常事態を前にして人々は意識を後ろ向きにして、しかし言葉だけは前向きなものを取り上げる。そのちぐはぐさを笑う勇気を、今の龍馬は持たない。
龍馬は今や持てる者である。何をかといえば、それはもちろん絵里のことである。ただ、持てる者ともなれば捨てなければならないものもあった。人には二つの手しかないのだからと、龍馬は無謀に等しい勇気を捨ててしまったのだ。
首都に隣接する県にありながら都会的な装いのないこの田舎町に住んでいると、色々なことを俯瞰しながら見ることができた。駅前の小さな本屋に足を運べば、雑多な言葉で装飾された不細工な表紙の週刊誌が売られている。天地を揺るがす例の事件の直後であっても発売が自粛されることはなく、それどころか言論の自由という看板のおかげで内容はますます過激になってきている。与党と野党の駆け引きや軋轢が扇情的に綴られている同じ雑誌の中で、世間が自粛ムードにある最中に芸能人の誰彼が海外旅行へ行ったなどとつまらない糾弾をしてみせている。異常事態にあっても物流が滞ることなく田舎町に届けられる週刊誌と、何食わぬ顔でそれを売りながら生計を立てている中年女性、そうした週刊誌への偏見がありながらも一種のものさしだと思って購入していく自分自身を思えば、滑稽という言葉すら生ぬるい。言うまでもなくこうした感情の様々はそれこそ些細なことであり、経済活動の冷え込みはあるだろうが、それでも日常生活が決定的に壊れるという事態は未だに到来しておらず、むしろそんな経済の動きが退潮の予感を覚えさせることは皮肉である。エコノミックアニマルという古めかしい言葉が龍馬の脳裏をよぎった。
結局のところ、政治的空白は生まれなかった。それが何を意味するかについては、龍馬は恐ろしくて答えることができない。宰相の死が一人の政治家の死に過ぎず、姿の見えない官僚たちの働きによってこの国が生き延びるのだとすれば、それは果たしてどのような結果を生むのだろうか。それが単にリーダーを失っても機能する制度や組織の強固なことを表しているのであれば良い。しかし、政治的空白を埋めたものが何か別の空白、例えば文化的空白であるとするなら、最終的には何が待ち受けているのだろう。それが恐ろしいのだ。
龍馬がどうして文化的空白という言葉に思い至ったか、本人にもしばらくは判然としなかった。絵里の奏でるテルミンを聴きながら夜を過ごしたある日、龍馬はあることに気付いた。今や文明にとって当たり前となった電気が、テルミンという楽器を動かしている。音楽が、文化という言葉を呼び寄せたのかもしれなかった。
ところで文明と電気とはどちらが先にあるものかは分からないが、彼がここに戻ってくることがあるのなら、きっと光のない暗闇の中を伴ってくるだろうと思われた。彼は今や文明の破壊者となったのだから。
実は不比等の行方については未だ詳細が分からない。発表がされていないのだ。茫洋たる海の中に消えてしまったものと思うしかないのだが、その霧の中を彷徨わずにはいられないのが人の性である。龍馬は口にしなかったが、絵里もまたその疑問を口に出さずにいる。この男女は世の人がするような形で疑念を表明し合うことがなかった。その代りとして、愛情を表現する手段は豊富にあった。その甘い口吻の中に毒のような苦味が混じっているのが得も言われぬ美味なのである。
その年の師走が近付いてきた頃、電力の供給が不意に途切れることが何度かあった。電力会社に問い合わせてみても紋切り型の回答が返ってくるのみでその原因は杳として知れない。具合の悪いことに黄昏の頃から停電になることがあって、そんな晩にはどちらからともなく肌を合わせた。重ね着した衣服を脱いで触れ合わせる身体の温もりは秘密めいた倒錯のような何かを感じさせた。
あるとき、その後でしばらく見つめ合っていると、急にがたがたという音がした。母屋に通じる廊下の方からだった。絵里がどこかの映画で見たように慌てて胸元を隠すと、龍馬はせめて肌着だけはと慌てて着込んで布団を出た。こんな時間に絵里の両親が、しかも停電しているというのに歩き回っているとは思えない。だから龍馬は何か身を護るようなものを持っていきたかったが、枕元には小さな辞書しかなかった。丸腰で廊下へ向かう。物音に混じって、何か動物の鳴き声のようなものが聞こえるのが分かった。近所の野良猫が紛れ込んだのだろうか。暗闇の中にあってその音以上に鮮明な何かが龍馬を捉えた。月明かりの中に光る、それはナイフだ。
このとき、龍馬の中に生まれた感情を観測することは不可能だろう。そのナイフには、実によく見覚えがあったから。