episode 29 生きた証
朝を迎えたあたし達にグリフレットが部屋を訪れ、その足で湖へ向かうと既に女王らが待っていた。
「あら、グランフォート。
あなたも来たのね」
「戻ったのですね、アテナ。
やはり貴女が鍵になっていたのですか」
「鍵?
よく分からないけど今こそ明らかにするときが来たのよ。
任せておいて」
グランフォートに笑顔で片目を瞑ると、ミューを連れて女王の傍に歩み寄った。
「始められますか、アテナ」
「えぇ、いつでも……よね、ミュー」
「はい、大丈夫です。
騎士の方もお話したがっていますよ。
……では皆さん、私の周りに集まって下さい。
広範囲でありますが、湖に向かい術を施しますので」
すると、女王が数人の名前を呼び自分の周りに集めたが、その中にアーサーや宰相の姿はなかった。
十人ほどがミューの周りを囲み静寂が湖を包むと、静かに滑らかな声があたし達の体に響き渡る。
どんな言葉を連ねているのか分からないが、それは美しく心穏やかになる心地よさだった。
「あ、あれ?
目がおかしい?」
ぼんやりと湖の上に人の形がいくつも浮かび上がり、あたしは目を擦っては瞬きを繰り返した。
「いえ、アテナだけではありません。
私にも見えますよ。
人ですね、あれは」
「やっぱりそう!?
なんか段々とはっきりしてきたわね」
あたしだけではなく、女王にも見えているなら全員に見えているのだろう。
揺らめく影形から人の姿になり、徐々に顔までもはっきりとしてくる。
「って、こんなにも居たのね。
あの真ん中に居るのがミーニャの言ってた人かしら?」
「そうです、あの方です。
あの方がブレフトさんです」
他にいる霊達とは違い、全てにおいてしっかりとした身なりだった。
「……ふう。
終わりました。
どうぞ、話しかけて下さい。
そんなに長くは続きませんので」
詠唱が終わるとミューはあたし達に向き直り湖に手を伸ばした。
「ブレフト!
あたしよ!
約束通り戻ってきたわよ!!」
あたしの言葉が届いたようで、水面を滑るようにこちらへ近づくと頭を下げた。
「私の姿が見えるのか?」
「えっ!?
何?
声が頭に響く……。
……え、ええ、後ろにいる霊も見えているし、こうして話すことも出来るわ」
口は動いているが、耳ではなく直接頭の中に入ってくる感じがする。
嫌な感覚ではないが、何か引き込まれるような今までにない不思議な体感だった。
「では、私の望みを叶えてくれるというのか?」
「そのつもりで連れてきたわ。
今の王様をね」
「初めまして。
私がマグノリア王国の女王、メイル・マグノリアと申します」
一歩前に出たメイルは、毅然とした態度でブレフトに話しかけた。
「はっ!
あなたが……。
そうか、よく見ると似ている……。
これ失礼致しました陛下。
このような場所まで」
「良いのです、頭を上げて下さい。
話はアテナから聞いております。
長きに渡り待たせてしまったようで、私の方が頭を下げねばならぬ身です」
「いえ!
滅相もございません。
こうしてお会い出来たことが、何よりの喜びでございます」
「ブレフト……。
我が王国が誇れる騎士よ。
貴方の名は、我が父、先代の王より聞かされておりました。
しかし、こうして対面するまでは私も半信半疑で此処に来ました。
ですが、これで私の思いも決まりました。
……ブレフト。
今までご苦労様でした。
貴方の願いは聞き届けましょう」
メイル女王の言葉はブレフトだけではなく、あたしの心にも響き、それはこの旅の終わりを告げていた。
「では、我が陛下のご遺体や兵達の遺体も……」
「ええ、私が責任を持ち正しき場所へと運びましょう。
それと、真実を民へとお話致しますが、何故賊と手を結んだのか調べる必要があるかと思いますので、貴方達の誤解だけは先に解けるように致しますね」
思っていたようにメイル女王は話が分かる人物のようで、あたしは胸を撫で下ろした。
「そのような配慮までして頂けるとは、私も兵達も言葉がありません」
ブレフトが畏まると、今まで視線がバラバラだった後ろの霊達が一斉に女王へと畏まった。
その光景に一瞬おののいたが、これが忠義を尽くし亡くなった者の想いだと感じると、少し感動にも似た感情が沸き上がる。
「いいのですよ。
貴方達のおかげで曾祖母のしようとしていた事を調べられるので。
こうして先の英雄らの姿を見ることが出来、お話出来たことが何よりの宝です」
「ほぉぉぉ。
これが上の者が下の者を敬うことで出来る信頼関係ってやつなのね。
ねぇねぇ。
ところでさ、一つ聞いてもいいかな?」
あたしはブレフトに向かって前のめりになり人指し指を立てると、ずっと不思議に思っていた事を口にした。
「この場にブレフト達の王はいないのよね?
あなた達はこの場にいるのに、何故いないのか気になってたのよね。
あなたの話からだと、神の加護を受けていないならこの場に現れても不思議じゃないのに。
冥界にはいないの?」
「簡単に言ってしまえば、我々でもそれは分からないのだ。
単なる死者である我らに全てを知ることは出来ない。
が、この地に未練などの強い想いがあるとこうして姿を保っていられるのだが、強い想いがないと姿を持ってこの地に現れることは出来ないのだよ。
それに、冥界はただただ広い。
その一部である冥府ですら、広く暗いのだ。
だから、陛下がどこにいるのかは知る由もないのだよ」
「死んでも面倒くさいのね」
途中からよく分からなくなりただ聞くだけ聞いていたが、要するに人界と冥界は似て非なる場所といったとこなのだろう。
「それよりもアテナ。
我らの悲願を叶えてくれたことに感謝する。
何か礼でも出来ればと思うが、想いの和らいだ我らは最早姿を保っていられない」
少し寂しそうな笑顔を浮かべるブレフトの体は、腕や下半身は既に消えていた。
「お礼なんて良いのよ。
あたしはもう貰ったつもりだもの。
あなた達は人として『亡』くなったけど、国を民を友を守りたかったその想いが『無』くなることはない。
それは、生きる者が紡いでいく限り存在した証にもなるってことを教えられたわ」
「幼い見た目と違い、立派なものだ。
その小さな体には溢れんばかりの愛が、優しき心があるようだな。
これで思い残したことは無くなったよ。
我々の英雄であるアテナと仲間達よ、これでお別れだ。
メイル女王。
我が陛下の想いを繋ぎ、民が幸せである国をお願い致します」
「我らが偉大なる騎士達よ。
皆の意思は私が受け止めました。
……今まで御苦労様でした」
女王の言葉を最期に、穏やかな笑顔で霊達の姿は消えてしまった。
それは少し悲しくもあり、女王達にとっては重圧に感じてしまうかも知れないが、今それを口にする者はいなかった。
「……あっ!!
ちょっ、ちょっと!
勝手に消えないでよ!
まだ聞きたいことがっ!!」
「アテナ、もうこの場にはいませんよ。
私の神秘術はまだ消えていないのですから、ここから旅立ったのは間違いないです。
ただ、魂の叫びでしたら冥界にも届くかも知れません、今でしたら」
「そ、そうなの!?
よし、それなら。
……ブレフトーーー!
あたしとの約束守るのよーー!!
破りでもしたら消滅させちゃうからねーーー!!」
あの時の約束をすっかり忘れていた。
「アテナ?
何を約束したのですか?
ねぇ、約束ってなんですか?」
メイルはにやけ顔であたしに詰めよって来るが、あたしは視線を反らし空を見上げながら何でもないと言い放った。
「あ、お嬢様。
もしかして、裸の……」
「くぉらぁ!!
ミーニャっ!
え!?
あんた――その汗どうしたのさ!!」
「え?
あ、いえ、大丈夫ですから。
暑いだけではないでしょうか」
そんな鎧でも纏っているならいざ知れず、軽装のあたし達にはちょうど良い暖かさだ。
それなのに青白い顔に滝のような汗が流れているミーニャに異変を感じ、あたしはメイルに振り返った。
「急ぎ城へ戻りましょう。
グリフレット!
彼女を頼みます」
メイルの号令の元、素早く行動を起こしたグリフレット達に従いあたし達は湖をあとにした。
あれから四日後。
ミーニャの体調を案じ、メイル女王は城内で休むことを許してくれていた。
その間にディバイルが亡くなっていたことを知らされ、更には人羊を保護下に置くことが決められた。
そして、それに伴って突き付けられたあたしへの処遇は、人羊を説得し無事に連れてくることだった。
十数名の兵士を引き連れ山道へ差し掛かると、グリフレットと兵士二名だけを連れ小川に沿い泉の元へと向かっている。
「この感じ、もうすぐ着きそうね。
なんとなく分かるようになったわ。
ミュー、あなたはマグノリアに属することでいいのね?」
「はい、私はそのことに関しては喜ばしいと思っていますよ。
人間と仲良くする機会を国が取り持ってくれる訳ですから。
あとは、父上と皆様が納得して頂けたらと」
「説得するしかないじゃないの。
悪い条件じゃないんだし、いつまでもあそこには居られないでしょ。
あとは、レンが納得して受け入れてくれるかだと思うけどね」
「そうだねぇ、あいつが首を縦に振るかだね。
気難しそうだしなぁ」
不問にする条件を出された時、あたしも簡単には頷くことが出来なかったのだが、ミューの後押しもありその話を仕方なしに飲んだ。
そして、それを話す時を報せるように滝の音が静かに聞こえ出した。
「レン!
いるんでしょ!?
あたしよ、あたし!!」
絶対近くで見ていると呼んではみたが何も返事がなく、聞こえてくるのは草木の囁きだけだった。が、間を置いて何かが降ってきた。
「どわぁー!
えっ?
レン、いるんじゃない」
「後ろの者は何だ?」
「何だじゃないわよ。
びっくりしたぁ。
あぁ、グリフレット達?
話をつけてきて、人羊達の護衛に連れてきたのよ」
「裏切った――ということか?」
片膝を地に付け上から降ってきた状態のまま右手を懐に入れると、あたしを見上げながら低い声で話す。
「あんたさぁ、どう解釈したらそうなるのよ。
詳しくは長に話すけどさ、マグノリア王国が人羊を受け入れてくれるって。
利益の為じゃなくね。
もし疑うなら、あんたがグリフレット達といなさいよ」
「そうさせてもらう。
アテナとミューは先に行くといい」
「はいはい、どうぞお好きに」
蓮と会えたことで何事もなかったのだと確信し、そのまま森を抜けると長を捜した。
「アテナ、あそこに父上が」
ミューが指差すと人羊の小さな輪の中に長の姿を見た。
「お父様、今帰りました」
「ミュー、帰ったか。無事で何よりだ。
そしてアテナ、娘を送り届けてくれたことに感謝する」
「いいのよいいのよ。
こっちだって感謝してもしきれないくらいなんだから。
それよりさ、話があるんだけど。
ミュー、お願いしていい?」
「そうですね、私からお話しますね」
ミューは女王から出された提案を細かく話し、自身は承諾したが話し合いをして決めると伝え王国の使者を連れてきたと話した。
「なるほどな。
蓮と、あそこにいるのがそうなのだな」
長の視線の先には、森を出たすぐのところで蓮とグリフレット達が向かい合っていた。
「お父様。
安全な場所を探すより、王国に護って頂いた方が遥かに安全だとは思いませんか?
ただただ刻が流れるより、亜人界への道も模索して頂けるのですし」
「ミューよ、お前の意見は最もだ。
しかしな、それで皆が納得するだろうか。人間達と交わらねばならないのだぞ」
「そう!
その為にもレンの協力が必要なのよ。
レーン!!
こっちに来て!」
あたしの声に振り返ると、グリフレットらを意識しながらゆっくりと向かってくる。
すると、森の中から颯爽とレイブンが姿を現しすぐに蓮の隣に並んだ。
「レイブンもいるんじゃない。
レン、あなたに大事な話があるの」
間髪入れずにあたしは説明をし、あたしを逃がした蓮への処遇を伝える。
人目の付きにくい所へ人羊が住める場所を造り、そこに兵士を配置し国が責任を持って護るとの話なのだが、人間と人羊の橋渡しとして蓮を女王直属の部下に迎え入れたいのだと。
これを断るなら、賞金をかけ斬首刑に処するといった内容を。
「……我が、か」
二度三度瞬きをすると、話を呑み込めたのか眉間に皺を寄せた。
「あんた以外にいないでしょ。
どう?
どっちがいい?
斬られるか、人羊を護っていくか」
「究極の二択じゃねぇか、そりゃ。
そんなんだったら後者を選ぶっての。
なぁ、蓮」
唐突にレイブンが口を挟むと、蓮に同意を求め出したがそれは蓮が決めることで、あんたには関係ないと少し苛立ちを覚えた。
「そう……だが……。
しかし、我に務まるだろうか」
「何言ってんだよ。
オマエにはオレがいるだろ。
これからは一人じゃないって言ったじゃないか」
「はぁ?
レイブン何言ってんの?」
あたしは目を見開き、レイブンの言ってる意味を全く理解出来ずにいる。
「何って……。
そのままの意味なんだが。
ちょっとは察してくれよ、姉御」
「はぁぁぁ!?
察しろって……まさかあんた達……?
そういう関係!?」
これ以上は敢えて言わないが、敵対していた二人が数日の間で何が起こったのか今は驚くしかなかった。
「ま、まぁな。
証拠に――ほら」
レイブンが蓮の口元を覆っている布を優しくずらすと、顎を持ち上げ口づけをした。
「なっ!!!!
――分かったから!
二人ともあっちに行って!!」
生々しい光景を目の当たりにし、あたしの鼓動は胸を張り裂けんばかりに強くなった。
二人の顔を見れないほどに恥ずかしく、長に向き直ると話を進めた。
「んっ!
んんっ!!
あーーー。
レンは引き受けてくれるみたいだから、後はあなた達次第ってとこね。
悪い条件は一つもないでしょ」
長は腕組みをしながら二度三度頷き、近くの人羊を呼び寄せると全員を集め出した。
その中にはグリフレットら兵士も含まれ、あたし達も呼びに行くことになった。




