episode 18 可愛さ余って
「ちょっと、しっかり持っててよ!
……おわっ!!」
蓮と交代で夜を過ごし、日が昇ると同時にあたし達は絶壁へと手をかけた。
しかし、慣れないあたしは思うように登ることが出来ず、蓮の持つ細い縄を補助にしつつ足場を確認しながらゆっくりと登っていた。
「大丈夫だ、木にも縛ってある!
アテナが離さない限り落ちはしない!」
先に登りきった蓮は縄を木に縛りあたしを引っ張ってくれているが、足元の岩が少し崩れただけでも若干の恐怖を感じる。
「それでも怖いものは怖いわよ――っと。
こんな岩ごときに――あたしが負けるハズない、のよっ!」
あと人一人分というところまで辿り着き少しの安堵感と共に下を覗くと、あたしがこんな場所にいるのが信じられない不思議な感覚を覚えた。
「スゴイわ、この景色。
あたし、なんて所にいるのかしら。
ふふっ」
「何をしているアテナ。
もう少しだ。早く登ってこい」
「あぁもぉ!
分かってるわよ」
促される形で二歩三歩と登ると蓮の腕が延びてきた。
「さぁ、掴め」
「レンはもうちょっと見守ることも覚えなさいよねっ」
お互いが腕を掴み、あたしは全身の力で跳ね上がると力強く引き上げられた。
「よく頑張ったな。
こんな弱い縄一つあるだけでこうも出来るとは」
と、縄の端を両手で引っ張るといとも簡単に千切れた。
「は?」
「いや、そんなに強くて長い物なんて重くて旅は出来ないだろう。
これは一時しのぎの物だからな」
「だって、木に縛りつけたり引っ張ったりしてたんじゃないの?」
「いや、強く引っ張ったら千切れてしまうからな」
あたしが騙されてたっ!?
「なんなの!
それじゃあ自力で登ったってことじゃないの!?」
「まぁ、そういうことだ。
だからこそ、アテナは頑張ったと言えるのだろう?」
頑張ったは頑張ったかも知れないが、始めから己れで登ったのと思い込まされてたのでは気持ちの持ちようが違ってくる。
「あぁ~もぉ!
いいわよ、騙されてたってとこ以外は自力で出来たことに変わりないのよね!
はぁ、もう喉が渇いたわ」
「水ならあそこにいっぱいあるぞ」
そりゃあ滝の傍を登ったんだから川くらいあるのは分かっている。
あたしが言いたかったのはそういうことではなかった。
「別に良いんだけどさ、優しさというか気遣いというか、そういうのが無いのよね。
別にいいのよ、自分で飲みに行くからさ」
疲れた体に鞭を打って綺麗な小川に足を運ぶ。
その間、蓮は呆然と立ち尽くし、あたしの背中に痛いほどの視線を浴びせている。
「ふぅ、さっぱりしたわ。
ねぇ、だから別に気にしなくていいわよ。
責めてるんじゃないからさ」
と、蓮に向かって笑顔を見せると目尻から一筋の涙がこぼれ出した。
「えぇ!?
な、何で泣くのよ。
だから気にしなくて良いのよ」
「……ごめんなさい。
こういったことに慣れてなくて……」
恋も知らず、遊んだり誰かと一緒に過ごすということが少なかったらしく、言葉の裏にある想いには相当疎いというのが話を聞いて分かっていた。
「もぉ、ホント疲れるわ。
でもまぁそれはこれから経験していけばどうにかなるわよ。
大丈夫、安心して!
あたしがいるんだからお手本にするといいわっ」
「……ありがとうございます、アテナ。
一緒に旅を出来て光栄に思う」
「よしっ! じゃあ再開するとしましょ。
案内して、獣人の元へ」
細くなった眼差しは笑顔を表し日の光を浴びて美しいものとなると、あたしは蓮に付き従い広大な草原を歩み出す。
小川沿いにある程度行った所で、遠くの方にうっすらと人影が見えてきた。
「あれがそうだ。
ここには人など来ないそうだからな」
「あれが羊人なのね。
なんだか動きがゆっくりに見えるけど?」
「あぁ、彼らはのんびりとしている。
そして、怖がりでもあるから、まずは私だけで行った方が良いかも知れない」
蓮の足取りが次第にゆっくりとなるとその足を止め、あたしにも止まるように腕を延ばす。
が、それに従うつもりはなかった。
「おい、アテナ!」
「ん?
何であたしが待ってなきゃいけないのよ。
もう待つのはこりごりよ!
あたしの道はあたしが切り開く!!」
振り返らず蓮の言葉にあたしの想いをぶつけると、追いかけてくる足音が聞こえてくる。
「そういうことではないだろう。
臆病だから知っている私がまずは行くと」
「臆病だからってあたしも一緒じゃダメな理由なんてどこにあるのよ。
……あら?
あれは子供達?」
近づくにつれ身体的特徴が露になると、向こうもあたし達に気づいたようで顔を向けたまま止まっている。
「あぁ、子供達だな。
彼らしかいないから遊んでいるのだろ」
「か、か、可愛いじゃないの!」
白いフワフワ頭に小さなクルクルの角。
羊というより大羊を人間にした、というのが正しく思う。
あまりの可愛さに気持ちを抑えることが出来ず、気づかぬうちに駆け出してしまっていた。
「待て、アテナ!」
蓮の言葉で体が止まることはなかったが、あたし達に気づいた羊人の子供は後退りすると逃げ出した。
「何で逃げるのよっ。
あたし何もしてないわよ」
「アテナ、私の後ろにいろ。
何とかする」
あたしを追い越し子供らとの距離を一気に縮める。
「待て、チェロ!
私だ、蓮だ!!」
本当に知り合いのようで子供の一人であろう名を叫ぶと、足を止め振り返るとはっきりと顔が見え、声も普通に届く位置に着き子供は華やかな笑顔を見せた。
「蓮!?
蓮だぁー!!
どうしたの?
何で戻ってきたの?」
「色々あってな。
すまないが、長を呼んで来てくれないか?」
「分かったぁ!
ちょっと待っててね。
行こう、みんな」
少年か少女か見分けることの難しい容姿の子供達が、足早に丘を駆け上がって行く。
残されたあたし達はその場に腰を下ろし一息ついた。
「ねぇ。
長ってさ、どんな感じなの?」
「直に分かる」
足を伸ばし、いつもより近い空を見上げながら気になっていることを聞くが、素っ気ない口調で感情すら感じられない返事だった。
「うん、そうよね。
ならさ、羊人ってどのくらいいるの?」
「直に分かる」
「まぁ、そうね。
こんなところに何でいるのかしらね」
「直に分かる」
「そうよねぇ。
あの羊人、貰えないかしらねぇ」
「直に分か……バカかっ!?
貰えるわけないだろ!」
上の空からやっと戻ってきた。
驚き半分、怒り半分といったところか、蓮の顔が目の前に迫っていた。
「近い近い、近いってば。
だって、あの子達すっごく可愛いんだもの。
有り得ない可愛さよ!
連れて行けないのは分かるけどさ、近くに置いておきたくもなるわ」
冗談半分、本気半分の率直な気持ちは分かってくれたらしい。
顔を離し、深いため息が聞こえるが目元は柔らかかった。
「可愛くて一緒に居たい気持ちは人間ならば当たり前だろうな。
私はそんな気持ちにならなかったが。
ほら、長が来たようだぞ」
子供達の行った方に顔をやると、大人が数人こちらに向かって来るのが分かった。
が、遠くからだと皆が似た感じで誰が長なのかはまるで分からなかった。