05「カムバック牢屋」
「ごめんね、もうお姉ちゃんも危険はないってわかってると思うけど……一応ね」
「ああ……いや、いい。当然だ」
アスカが申し訳なさそうに言葉をかけてくれた。いい子だ。
俺を牢屋の中に戻し、鍵をかけるとアスカは牢屋の外でしゃがみこんだ。
膝を丸めて腕で囲む――まあ体育座りってやつだな。
女の子が体育座りしてるのってなんかいいよな、いい。
「あたし、アスカっていうんだ」
「俺はカナタ。まあソラノでもいいけど」
「そっか。カナタ、よろしくね!」
アスカはにこっと屈託のない笑顔を見せた。かわいい。
向こうの世界だったらころっと恋に落ちていたかもしれない。いやここでも落ちそうになったけど。
俺は彼女なんて作ったことないし、告白してフられた回数は手の指の数で収まらない。
それ以来異性と距離を置くようになった。
アスカは何の気もなしにこういう仕草をしているのだろうが、俺自身が警戒してしまう。
男を何となくその気にさせてしまうような……こういうのを小悪魔と言うのだろう。
それからアスカはたくさんの質問をしてきた。全部俺の世界のことだった。
俺の世界の美味しいものを聞かれれば、俺はラーメンと答えた。
それを聞くとアスカはどういうものか分からないらしく、首を傾げていたから、この世界にラーメンはないのだろう。
小麦を細長い紐状にしたものを、肉や野菜と一緒に塩気のあるスープに入れた料理だよと教えるが、あまり美味しくなさそうだね、と一言。
すまんラーメン……お前のうまさを俺の貧しいボキャブラリで説明するのは難しいらしい。
ラーメンのうまさは魂で感じるものだからな。
俺の趣味も尋ねてきた、さすがにゲームやアニメっていっても同じだろうから読書って答えておいた。まあラノベしか読まないけど。
そうするとアスカは苦そうな顔を浮かべていた。
曰く本を読むのは嫌いらしい。身体を動かす方がいいかなあ、とアスカは言う。
どうやら俺とは正反対のタイプの人間のようだ。
向こうの世界ならこうして顔を向かい合わせて喋ることはなかっただろう。
ふとアスカは俺と合わせていた目線を床に落とした。
「……あたしね、カナタをはじめて見た瞬間、もしかしてこの世界の人じゃないかもって思った。
まあ勘だけどね。特に理由もなく見てそう思ったの。
そしたら本当にそうだって自分から言うからびっくりしたよ……お姉ちゃんは信じてなかったみたいだけど」
いや多分、ナギに関わらず大体の人間はそんなこと言っても信じないと思うぞ。
異世界とか向こうじゃファンタジーやメルヘンみたいなもんだし。
尋問の時を思い返すに、それはこちらでも同じようなものみたいだ。
「カナタはさ、やっぱり自分が居た世界に戻りたいって……思う?」
「それはないよ」
即答。迷うはずもなかった。
俺は望んでこの世界に飛んできたのだ。そこに嘘はない。
確かに、さっきは命の危険を感じたし、精霊が助けてくれるなんてのも嘘だと思ったけど。
まだこれくらいじゃ帰った方がマシとは思わない。
それにまだ異世界体験一日目だしな。
ここで帰ったら違約金がーとかあの精霊たちに言われそう。そんなことは何も言ってなかったけど。
即答したのが意外だったのか、アスカは驚いたように俺の顔を見ていた。
それからまた笑みを浮かべた。
さっきの屈託のない笑顔とは印象の違う、静かな笑顔だった。
「そっか……。うん、ありがとう!
フリーグ一家はカナタを歓迎するよ!」
アスカは立ち上がり、そういうと手を小さく振って「じゃあね」と立ち去った。
俺も手を振り返そうと思ったが、腕の拘束はまだ解けていないことを思い出し、同じように「じゃあ」とだけ言った。
一人になり、静かな牢屋の中、俺は状況の整理をすることにした。
ここの乗組員は現在確認済みなのは五人。
アスカと姉であるナギ。尋問を仕切っていたところを見るに、ナギはここのリーダーだろう。
尋問のとき後ろに控えていたのは、マリエル、ウルガ、ミシェラの三人。
恐らく彼女らにも役割があって、機関室のことをウルガ、食堂のことをミシェラに尋ねていた。
その二人はそこに詳しい人物。整備士と料理人ということになるのか。あくまで推測でしかないが。
マリエルついてはナギに信頼の置かれている人物なのだと思った。
尋問のときの進言の一つをとってそう思っただけだから根拠としては弱いが……補佐の役割を担っているのかもしれない。
この乗り物はいまだ全貌は掴めない。どういった乗り物なのか、ということもまだ分からない。
浮遊する台座で今回は上に移動したが、下にも階層があるかもしれない。
通った通路では個室の数が三つしか確認できなかったが、話に出てきた機関室や食堂といったところもあるらしい。
異世界に飛んで気付いたら牢屋で、いきなり尋問で泥棒扱いされ、また牢屋へ。
随分と前途多難な異世界体験だな。
「やあ! さっきは大変だったね!」
イラつくほど呑気な声が目の前から聞こえた。
ぽん、と景気のいい音と共に、あの胡散臭い精霊、赤トカゲのサラが現れたのだ。
今更何をしにきたんだこいつ。
俺は怒りが伝わりやすいよう、露骨に不機嫌な調子で尋ねた。
「命の危険があったら助けてくれるんじゃなかったか?」
「ああごめんね、精霊の加護っていうのはそういう意味じゃなくてね……。
君自身の戦闘力の上昇を指すのさ。
今の君は力も強いし、身体も頑丈、それでいて魔術も使えるようになってるんだよ。
だから君が本来命の危険であるような状況に対して、ある程度まで対応し得る能力を授ける。
それが精霊の加護だよ」
そういうことは先に言えと。
危なくなったら精霊が現れて助ける、っていうのをイメージしてたぞ、俺は。
要は荒事になったときにすぐやられてしまうところを対応できるようにするだけか。
まあそれでも十分加護なのかもしれん。
剣や銃を携帯しているような世界らしいし。そんなのと丸腰でやりあってたら命が持たないからな。
それにまだ聞きたいことはある。
「で、ここはどこなんだよ」
「そうだね。説明が遅れてしまってごめん。
君が体験する異世界は、空の世界スカイピア。
そしてここはどうやら空賊の船の中のようだね」
「空の世界……? 空賊……?」
「順を追って説明するよ。
空の世界スカイピア。この世界では君の世界と違って空に島が浮いていて、その島で人々が生活している。
君の世界でいう海がスカイピアでは空、ということになるのかな」
いきなりぶっ飛んだ話でよく分からない。
そりゃファンタジーの世界なんだから、島が浮くのもそちらとしては当然なのかもしれんが。
「人が住めるような島が浮くっていうのか?」
「スカイピアと君の世界で最も異なる点は魔力、だろうね。
この世界の島はすべて中心に核が存在している。その核の持つ魔力によって空に浮いているというわけ。
核の持つ魔力は有限ではあるけれど、人の一生は核の寿命と比べれば短いものでね。
島が急に魔力を切らして落下……ということはないよ。
この世界の常識だからあまり深く考えなくていいよ。そういうことだって理解してくれれば」
まあ既に俺は考えるのをやめていた訳で。
ご都合主義、という言葉があるが、説明のつかない事象はこの魔力とやらが何でも解決してくれるんだな。
魔力の力ってすげー。
「空賊、っていうのは?
この世界の空が俺の世界の海ってことなら、空賊は海賊。無法者の集まりってイメージがあるけど」
「ちょっと違うかな。
空賊は言ってしまえば何でも屋だよ。人々の依頼を受け報酬をもらうのさ。
頼まれた物資を離れた場所に運んだり依頼主に持って来たりといった運搬業にはじまって、
魔物駆除……ああそう、この世界には魔物っていう人を襲う生き物が居てね、それを駆除するといったものを空賊に依頼されることがあるね。
あとは商船の護衛なんかも請け負うこともあるんじゃないかな。
君の言うように無法者の集まりである空賊もいるから、商船も襲われるということは少なくないね」
「結構、危ない職業なんだな……」
「そうかもしれない。
でもこの空を飛び回り、いろんな町や島で、たくさんの人と出会う。
時には危険なこともある。それは魔物だったり、無法者の空賊だったり。
そういうのって、君の世界じゃロマンがあるって言わないかい?」
冒険。
俺の世界ではもうほとんどゲームやアニメだけのものだろう。
だがスカイピアは違う。
冒険に次ぐ冒険。ある者は富、ある者は名誉、ある者はロマンのために。
ようやく異世界っぽくなってきたな。実感が湧いてきた。
まあ危ない目に遭うのは嫌だけど。
「で、俺はその空賊ってのに捕らわれている訳なんだが。
これからどうなるんだ?」
「うーん、それについては僕も保障できかねるから何も言わないよ。
じゃ! 異世界体験を楽しんでね!」
そういうと、またぼんと音を立ててサラは消えた。
えっ、最終的には投げっ放しで終わり?
随分と無責任だな、精霊ってやつは。
サラのおかげで何となくこの状況も整理ができた。
空賊という連中の船の中、それが今の俺がいる場所だ。
無法者もいるという話だが、アスカやナギからはそういった印象はない。命の危険はなさそうだ、俺が余計なことをしなければ。
だが牢屋に捕らわれていることは変わらないんだよな。
まずはそこからか。
それ以上は考えてもしょうがないと悟った俺は身体を床に預け目を閉じた。
ひやりと冷たい金属だが仕方ない。
風邪をひくかもしれないが、俺はそのまま寝ることにした。




