01「消えてなくなりたい」
目を開けると、少し薄汚れ白というよりかはグレーに近い天井があった。
右を向くと、同じような色をした壁。左を向くと、物が散らかりっぱなしの床が見える。
身体の下には買って3年が経とうとしている安物のベッドだ。
時計の針が動くカチッ、カチッという音だけが響き、外の音は聞こえない。
カーテンで外からの日差しを遮り、照明はつけていないが、昼間であるため薄暗い程度。
申し訳程度のキッチンも含めた六畳のワンルームに俺はいる。勿論、他人の部屋などではなく自室である。
仰向けになり両手両足を広げ、大の字の形で身体を極限にまでリラックスさせている……訳ではない。
力が入らない、これっぽっちも。
更に言えば頭は冴えていたが、身体を動かす気は一切ないというべきか。
無気力、一言で言えばそうなる。
「……消えてなくなりたい」
紛うことなき本音がぽつりと漏れた。
俺の名前は空野彼方 という。21歳の大学四年生……いや三年生二周目だ。
名前だけ見れば爽やかで、イケメンにも思われるかもしれない。
だが現実は甘くない。
髪は手入れもせずぼさぼさ、他人と比べると背は低くないが体型は少し痩せている方だろう。
ちょっとなで肩で、よく「頼りなさそう」とか「女と喧嘩して負けそう」とか言われる。ほっとけ。
大学に行くとき、というか春夏秋冬四六時中、服装はTシャツとジーパンだ。寒ければ防寒のために上に着ることはあるが。
つまり俺の見た目は冴えない男である。自分で言ってて悲しい。
性格は内向的で、ゲームやアニメが趣味だ。いわゆるオタクといってもいい。
大学に通い続けているが友達は出来ず、一人で長机に座り講義を受け、飯を食い、用がなければ帰る。
……思えばこれが今の俺の状況を作った最大の要因かもしれない。
先ほど二周目と表現したが、俺は単位を落とし留年した。
三年生から四年生に上がるために必要な講義の最後の認定試験に合格できなかったのだ。
特別体調を崩したわけでもない。この講義は出席をとらないから出席をしなかった、そのため試験の問題が解けず不合格になった。
慢心していた……友達がいない俺は毎回講義に出る必要があったのに。三年生まで何も問題なかったから慢心していた。
真面目に講義受け続けたけど、もう大丈夫だよね? 受けなくてもなんとかなるよね? そう考えたあの時の自分を殴りたい。
友達がいれば情報共有し、講義に出なくても何となく情報が回ってきてそれなりの結果を出せて進級できたかもしれない。
実際、他に講義を受けていた奴らは俺以外全員合格していた。
進級に失敗し、そのまま二ヶ月の春休みに入ったが、俺は何もせずただ家にいた。
もう何もしたくなかった……好きなゲームもアニメも一切触れなかった。ずっと寝ていた。
食事は腹がすいたら重い腰を上げ、近くのコンビニで買って済ませた。
それ以外はずっとベッドの上だ。まるで病人の生活じゃないか。
親に俺が進級できない旨の通知が届き、電話がかかってきた。
最初は怒っていてとにかく叱責されたが、一年くらいなら許すから次は落とすなと励ましとも脅しともとれることを言われた。
俺は適当に相槌を打っていたが、次第にどうでもよくなり途中から内容は聞いていなかった。
電話は向こうが言い終わったら勝手に切られた。自分の親だが冷たすぎる、傷心の息子にかける言葉か。
季節は冬を越え、春になった。新入生が入学したらしい。だが俺には関係ない。
進級に失敗してから一度も大学には行っていない。
大学の講義は一年を二つに分けて前期と後期がある。俺の進級に必要な講義は半年先の後期に開講される。従って前期は行く意味がない。
こうして何かをする気力を一切出さず、ただ食って寝るだけの生活をしていた。
昔はこんなふうになるとは思ってなかった。
運動は得意ではなかった。今でも得意ではないが。
前に帰省したとき親戚の子供(小学五年生)とかけっこしたが全く追いつけず、勝負にならなかった。
めちゃくちゃバカにされて大人げなく口汚く罵り泣かしてやった。そのあと親に怒られてめちゃくちゃ泣かされた。
勉強はそれなりにできた。一応大学にも合格しているわけだし。といっても、地方の国立大学でぎりぎり合格したわけで秀才でもない。
小学生の頃はいつも満点で褒められもしたし、中学も部活に入らなかったからゲームやアニメに傾倒してはいたが、それでも時間があったので勉強はまだできた。
高校に入って勉強も疎かになり、たまに赤点ぎりぎりをとるようなこともあった。
まあだから大学にもぎりぎりで合格したわけなんだが。
将来の夢は特になかった。なんとなく大学に行き、なんとなく就職して、なんとなく生を終えるのだろうと思っていた。
今もそんな感じだ。何の目的もなく大学に入ったので、卒業しか頭になかった。
結婚は……まあオタクだって分かると、女は自然とは距離を置くからな。到底無理だと思って考えてなかった。
ゲームとアニメが俺の恋人だ。泣けてくる。
消えてなくなりたい。
それが今、俺が持つ唯一の願いであった。
死んだら身体が残る。部屋を借りている大家さんに迷惑をかけるし、親もそうだ。失望し腹も立ったが、迷惑をかけたくはない。
誰にも知られることなく、誰にも迷惑をかけず、この世を去りたい。
出来れば痛みや苦しみもなく身体も一切残さずだ。
そういう意味で消えてなくなるというのは、実に理想的だ。
まあ当然無理だ。自殺でもなんでも痛みや苦しみは伴う。安楽死なんて手段は用意できない。
場所だってそう、自室が無理なら、鬱蒼とした樹海で首を吊るか、海に身投げするか。どちらも痛いし苦しいし、親が捜索願いでも出せば色々な人に迷惑をかける。
八方塞がりだ。だから俺はこうしてベッドの上で変わるはずもないクソみたいな生活をしていた。
少し腹が空いてきた。
身体をよじって時間を確認する以外に触らなくなったスマートフォンの電源ボタンを押す。正午過ぎの時間が画面に映った。
生活のリズムなんてものはとうの昔に捨てたが、昼の時間だしコンビニに行くとするか……。
太ってはいないはずだが、だいぶ重くなった上半身を起こしたその瞬間だった。
あまりに虚ろな目を自分はしているだろうから、最初は寝ぼけているのだと思った。
徐々に脳が覚醒し、目の前の事象を分析し始めた。
そして俺は驚きで身体が一瞬震えた。
起こした上半身のすぐ下――俺の腰のあたりに変なのが四体いる。
動いているし、こちらを見てまばたきをしている。俺が身体を起こしたのを見て、何かを話し合っている。一応生き物、なのか?
いや生き物だろうが物体だろうが関係ない、なんだこいつらは……。
一体は全身が赤いトカゲのような見た目をしていた。
一体は上半身は少女だが、下半身は青い鱗の蛇のように細長い。まるでゲームにでてくる魔物だ。
一体は鳥だ。額に緑の石を持つ……鷲とか鷹とかに似た類の鳥だ。
一体は見たことないがモグラ……だろうか。レンズの丸いサングラスをして手につるはしをもっていた。
四体とも大きさは握り拳より一回り大きいかな、といったくらいしかない。
そして……なんか光ってる。というか体の周りに、もやのような光を帯びている。
俺がそいつらを観察していると、話が纏まったのか赤いトカゲが話しかけてきた。
「はじめまして、空野彼方くん。異世界に興味はないかい?」




