春眠を貪る帰還者
「マスター、朝ですよ。起きてください」
聞きなれた声が耳を揺さぶるが、睡眠の心地よさに声から逃れるように寝返りを打つ。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、それが野宿でも硬い簡易ベッドの上でもなく柔らかい羽根布団ならば、尚更である。ちなみにこの羽根布団、こちらに帰還してから、持っていたRPGを根こそぎ売り払って手に入れたものである。両親含め、姉も妹も天変地異でも起きたかのような顔をしていたが……。
分かるまい、暗殺者や魔物の襲撃を気にすることなく安穏と惰眠を貪れる贅沢さを。それにこの極上の寝心地を鑑みれば、諭吉さんの2枚や3枚惜しくはない。
「だから、もう少し寝かせてくれ咲夜」
「なにが、だからですか?いい加減にして下さい!」
どうやら、我が親愛なる従者にはお気に召さなかったらしい。怒りの声と共に一陣の風が吹き付ける。布団に包まっているというのに、そのあまりの冷たさに思わず俺は飛び起きた。
「冷たっ!ちょっ、お前こんなことで魔法使うなよ!」
この世界の魔素は薄い。あの異世界のようにそうポンポン使えるようなものではないのだ。
「マスターが悪いんです!まったく嘆かわしい。かつて誰よりも早く起き出して修練に励んでいたマスターが、今では起こされなきゃ起きないなんて……」
中空に浮きながらぷりぷりしているのは、夜の闇よりも尚深い漆黒の髪の妖精。俺の従者である闇の妖精で、名を咲夜という。ちなみに、基本的に俺以外には姿も見えず声も聞こえないので、人目のあるところで話すと精神異常を疑われるだろう。
さて、賢明なる諸君ならば、そろそろおかしいことに気づかれるだろう。『魔法』に『妖精』、どちらも科学全盛の21世紀の現世にありえざる事象である。それは存在したとしても、物語やゲームの中等の創作物、空想の産物でしかないはずである。
しかし、俺の前には『魔法』を使いこなす『妖精』がいる。これはどういうことかと言うと、ぶっちゃけると、俺はそれが実在する世界に行ったからなのだ。まあ、あれだ。高校の入学式でいわゆる異世界召喚されたわけだ。ちなみに、俺の家はごくごく普通の一般家庭であり、秘められた力とか霊感とかそういうのは一切なかった。精々、母方の親戚に神社やっているところがあるくらいで、俺自身は武道も齧っていない一般市民であったのは間違いない。
さて、そんな一般市民を召喚してしまった国は当然困った。なにせ、召喚された異世界人の中でも、もっとも戦力にならないのが俺なのだから。これは俺が魔具も魔法も使えない『完全無魔』であったことが原因である。他の異世界人達は大なり小なり武の心得があり、何よりも強大な魔力が備わっていたにも関わらずだ。
本来なら放り出すか殺してなかったことにしたかったのだろうが、生憎と召喚は多くの国家の合同で行われたものであり、手間やコストの関係でやり直しもきかない。俺を召喚した国は頭を抱えたね。今になってみれば気持ちも分からないでもないけど、勝手に無理やり呼び出しといて、罵詈雑言の嵐はどうかと思うね。15の右も左も分からない小僧に無能だのなんだの言われりゃ、そりゃ印象最悪だし反抗もするわってなもんで、当然の如く俺はその国と決裂し、放り出された。それでも多少の路銀と剣を手切れ金に渡してくれるだけましだったのかもしれんが。
まあ、そんなこんなで俺は右も左も分からぬ異世界に一人で放り出されて途方に暮れたね。なにせ、常識も習慣もまるで違うガチの異世界である。その上、魔物なんて天敵までいる世界で、15のガキがどうやって生き延びろというのだろうか。召喚の恩恵か、辛うじて言葉は理解できるのだが、状況的に焼け石に水であった。
とはいえ、行く所がなかったわけではない。実は『聖教』と『学院』から誘いを受けていたのだ。
しかしだ、どちらも最後の手段にしたい場所であった。
『聖教』は異世界の一大宗教なのだが、狂信の気があり、俺を異世界の勇者として御輿として使い倒す気満々であった。飯は食えただろうし、贅沢もできただろうが、非常に疲れること間違い無しの上に、崇められるのは極普通の一般人でしかなかった俺にはハードルが高すぎた。
『学院』は魔法学院のことで、いわば異世界における最高学府であり、多くの学術者が名を連ねる場所だ。生活が保障される上、『学院』に属することは一種のステータスである。だが、ここはここで問題がある。彼らは探究心旺盛で好奇心の塊と言っていい者の集まりである。ぶっちゃけ言えば、マッドの集まりなのだ。俺達を召喚した魔法などもここで作られたものであるが、召喚魔法を使った理由が折角作ったんだから使ってみたかったである時点で、色々救えない。たまたま作成した時期が異界の魔神の侵略の時期と重なっていたから、これ幸いと国々に召喚術式を提供したというのが真相であり、本当に救えない。こんなとこ行ったら、人体実験か解剖間違いなしである。当時はここまで知らなかったが、なんとなくヤバイものを感じて避けたあの時の俺、マジGoodJob!
てなわけで、どうしたものかと城下の宿屋でうんうん唸っていたら、俺を尋ねてきた人がいたのさ。
いやー、捨てる神あれば拾う神ありとはよくいったもんだ。その尋ねて来た人こそ、俺の異世界での命の恩人であり、全ての師である人。当時、《剣聖》と謳われていたジークハルト・ヴェルンだった。
師匠は、実は俺を召喚した国の出身で、王族とも交友があり召喚の儀式にも立ち会っていたらしい。どうも自分の故国の俺への為さり様が酷すぎ見ていられなかったようだ。 自分がしでかしたことでもないのに、真摯に頭を下げ謝ってくれた師匠に俺は救われた。俺はその時、ようやく異世界を受け入れられたんだ。
それからの異世界の日々は楽しかった。師匠に連れられ、異世界を旅して回ったのさ。辛いことも沢山あったけど、見るもの全てが新鮮だった。何より凄かったのは大自然の雄大さだ。空も海も森も空気さえも、現世とは比べ物にならない。中でもハイエルフや妖精の住まう古の大森林(咲夜と会ったのもここ)と、竜の棲家である大山脈などは言葉では言い尽くせないほどのものだった。
一方で、俺は師匠から生きる術と戦う術を教わった。野営の方法から始まり、剣術に体術、槍術に弓術と様々なものを。その際、驚くべきことが発覚する。俺はそれらを極短期間でものにしてしまったのだ。これには師匠も驚愕していた。もしかしたら、その異常なまでの習得スピードこそが、俺が召喚された際に強大な魔力と引き換えに得たものだったのかもしれない。
とはいえ、習得したといえど上には上がいる。なにせ、目の前に遥か高みである師匠がいるのだから、慢心できようはずもない。俺はひたすらに実戦で剣を振るい、槍で突き、弓をひいた。師匠が行く場所は大抵激戦地か、最前線なので試す相手には全然困らなかった。旅の途中、魔物退治などもすすんで引き受けていたし、今思うとよく死なずに済んだものである。ちなみに殺人なども犯しているが、まったく何の感慨もなったことをよく覚えている。相手が異世界人であったからなのか、それとも元々俺がそういう人間だったのか、どちらであるかは未だに分からない。現世で確かめようとも思わないので、永遠に謎でいいだろう。
と、話がそれた。そんなこんなで各地を転戦して師弟で戦果を上げていたら、国家連合に呼び出しを受けた。驚いたことに《剣聖》である師匠だけでなく、最弱の勇者である俺にもだ。もっとも、あちらは俺が召喚された異世界人だとは夢にも思っていなかったようだが。
師匠は拒絶して旅を続けようと言ってくれたが、俺のせいで師匠の立場を危うくするのは嫌だった。どうせ連中も、最弱の勇者など覚えていないだろうということで、渋る師匠を押し切った。この時、嬉しいことがあった。師匠は保険として俺を養子にしてくれたのだ。勇者であることが露見して、万が一にも殺されることないように。俺は『トウヤ・カグラ・ヴェルン』になったのだ。
そこからの顛末は特に語る必要もないくだらない話なんだが、まあ一応話そう。
異世界人の勇者と現地の英雄達を合わせた《十三傑》に紆余曲折はあったものの、俺は現地枠として参加することになった。案の定、各国の王達は俺のことを覚えていなかったのだ。唯一、『学院』のマッド共の一部が気づいていたようだが、彼らはそれを漏らす事はなかった。まあ、暗黙の了解のもと、いくつもの実験に付き合わされたので、善意であるということはないのは間違いない。
そして、異世界人六人に現地英雄六人、後は俺を足した《十三傑》は見事に異界の魔神を討ち果たした。相当危ない橋を渡ったが、どうにかこうにかそれはなった。
そして諸国の王が列席し賞賛する中で、《十三傑》それぞれに望みの褒美を与えることになった。これは本当に望みのものが与えられた。王位を望んだ末席の王子は王になり、大魔術師は禁書も含む全ての魔道書の閲覧の自由を得、ハイエルフの精霊使いは古の森への不可侵をもぎ取り、ドワーフの戦士は極上の酒を各国から無償で得る権利を得、竜神官は一族の安住の地を得た。
ちなみに、俺が褒美の内容を知っているのは現地枠だけだ。悪いが、他の異世界人六人の望みは知らない。なぜなら、最後の現地枠である俺の番が来たからだ。
誰もが身分・富・名声、はては伝説の武器や絶世の美女などを望むと思っていただろう。実際、金銀財宝が山と積まれ、各国から選りすぐりの美姫が集められていたのだから。
だが、当然ながら俺の望みは最初から決まっていた。もちろん、現世への帰還である。
実はかねてから『学院』の連中から打診されていたのだ。召喚はやったから、今度は送還してみたいと。つくづく救えないマッド共である。師匠や咲夜とも話し合い、公衆の面前でばらせば処罰できないだろうし、最弱の勇者から一転して今や魔神殺しの英雄である俺の望みを無碍にはできないだろうと判断したのだ。
俺の望みを言った時の諸王の反応は、今思い出しても笑えてくる。『学院』を除き、全く気づいていなかった連中は揃って間抜け面を晒していたよ。特に師匠の故国の王の狼狽振りときたら、見ていられなかったよ。
どうにか、動揺から立ち直った諸王の一人が「残る気はないか?」とかふざけたことぬかしやがったんで、「ここには師であり義父がいますので名残惜しいのですが、私は貴方方から受けた仕打ちを忘れていません。それでも同じ事を言えますか?」と言ったら、黙り込んだよ。諸王はもちろん、仲間だった《十三傑》ですら絶句していたんだから、無理もないな。
まあ、そんな中でもマイペースに動くのが『学院』のマッド共の恐ろしさだ。元々準備は万全だったらしく、送還の術があっさりと起動する。事態に気づいた周囲から怒号や絶叫が響く中、俺は最後に師匠に頭を深々と下げ、光に包まれて現世に帰ってきたわけだ。妖精&装備つきで……。
うん、色々問題あることは承知している。でも、咲夜は契約きるくらいならついて来るという話だったし、装備のことも召喚の際、着の身着のままだったので予想はしていた。
幸い帰還した時刻は夜で、場所は俺が通うはずだった高校の体育館だった。おかげで人目はゼロ。咲夜にはとりあえず姿を消してもらい、装備をしまい、大事にとっておいた高校の制服を身に着ける。そうして、どうにか見咎められることなく学校を脱出できた。鍛えぬかれ成長した肉体のせいで、一度しか袖を通していない制服がパッツンパッツンだったのは悲しかったが。
そうして、ようやく帰宅したわけだが、そこからが大変だった。俺は体感十年異世界にいたわけだが、なぜだか現世では僅か一年しか経っていなかったのだ。幸い肉体もこちらに帰還した際に相応に若返っているようだが、どういう原理なのだろうか。しかも、俺は入学式中に衆人環視の中で突如消えたので、原因不明の行方不明で神隠しにあったとされているらしかった。
そんな俺が平然と帰ってきたのだから、そりゃ両親・姉妹が腰を抜かすのも無理はないというものである。皆して泣くほど喜んでくれたのは嬉しかったが、着替えようとしてもサイズが全く合わないので、翌日買いに行くまでパッツンパッツンの制服を着ることになったのは辟易した。それをやたらといじってきた妹の所業は絶対に忘れない。好きであんな格好していたと思っているのか!
翌日、服を買いに行ったその足で警察に直行。捜索届の取り下げと事情聴取が行われた。なにせ、丸1年突如消えた人間が戻ってきたのである。無理もない。
まあ、当然ながら、異世界召喚なんぞ説明できるわけがない。俺はここ一年の記憶がないことにして、それを通した。両親を含む家族も同様である。面の皮の厚さと鉄面皮は、異世界で散々鍛えられたので、その嘘を押し通すのは難しくなかった。警察側も犯罪を犯したわけでもなし、原因不明の行方不明者というだけで、深くは突っ込めない。結局、俺の言い分が通り、ようやく俺は俺の日常に帰ることができたのである。
さて、日常に戻れたのはいいものの、当然高校は留年決定である。休学扱いだったので正確には留年とは違うが、実質は同じである。まあ、それは仕方のないことだと受け入れよう。
しかし、一つだけ承服しがたいことがある。姉・俺・妹と年子だったので、忌むべきことに妹と同級生になってしまったのだ!兄の威厳がマッハで暴落中である。無論、妹に嫌と言うほどからかわれたのは言うまでもない。姉は慰めてくれたが、この時程異世界召喚を呪ったことはない。
そして登校して、かつての同級生に驚かれたり、妹の友人に生暖かい目で見られたりなど色々あって、今に至る。
「もう一年か、早いものだな」
感慨深げに窓を開けて外を見やる。そこには見慣れたコンクリートの建物が立ち並び、空気には僅かに汚れを感じる。異世界の魔物が跋扈する深い森も、澄み切った清浄な空気もないが、それでもここは自身が生きる世界だと確信できる。それがなんと喜ばしいことか――――――。
「光陰矢のごとしと言いますが、本当にあっというまでしたね」
「ふふっ。ああ、そうだな」
こちらの世界のことわざや慣用句を好んで使う咲夜に微笑ましいものを感じながら、その頭を優しく撫でてやる。この出来過ぎた従者は、自分の生まれ故郷を捨てて俺を選んだのだ。この窓の光景が俺にとって故郷の光景であっても、咲夜にとっては異界の光景なのだから。
「マスター?」
「……ありがとうな。お前にはいつも助けられてる」
急にどうしたのだと訝しげに見上げてくる咲夜に、心からの感謝を。俺が抱くその思いの10分の1でいいから伝わるように言葉にする。
「――――――当然です。咲夜はマスターの従者ですから!」
誇るように満面の笑みで胸を張る咲夜に、俺は敵わないなと思うのだった。
「お兄ちゃんー、ご飯だよー。いい加減に起きてこないと遅刻するよー」
そんな微妙な雰囲気をぶち壊しにするような妹の声が響く。
まったく良くも悪くもタイミングのいい奴である。
「分かったー、今行くわ」
即座に返事を返しながら、Yシャツに袖を通す。そこに心得た動きで、咲夜がネクタイを持ってくる。帰還当初は首を締め付けられるようで好きではなかったが、一年もたてば慣れるものである。慣れた動きで装着し、最後にブレザーに袖を通す。すると、それを待っていたかのように、咲夜が定位置である左肩に座る。
「今日のご飯はなんでしょうかね?」
「……匂いからして和食だな。多分塩鮭に卵焼き、味噌汁に納豆ってところじゃないか?」
「納豆ですか……流石の私もあれだけは駄目ですね。あの糸を引くのがどうにも」
「見た目はあれだけど、本当にうまいんだがなー」
そんなことを話しながら、着々と準備を終える。あ、咲夜が和食の味を知っているのは、契約者である俺と感覚を共有できるからである。妖精は飲食を必要としないが、嗜好品として飲食することはできるのだ。なので食事時は大体味覚を共有しているのだが、どうやら納豆の時はわざわざ切っているらしい。
ちっ、日本人のソウルフードを避けるとは……!
「さあ、行きましょう。妹様が待ちくたびれちゃいますよ」
「ああ、そうだな。さて、今日も代わり映えのない平凡で平穏な一日の始まりだ」
今の俺は、それがどれ程貴重なものであるかを知っている。それがどんなに価値があり、素晴らしいものであるかを。どんなに狂おしく求めても容易に手に入るものではないことも。
だから、俺は今日も心の中で叫ぼう。
『平和ボケ万歳!糞喰らえ戦争!』ってね